第1話『なっ、て、天使!?』
流れていく車窓を見ながら、ふと自分の人生を思い返した時、最初に思い出すのは祖母の顔だ。
両親と接する機会など、ほんのわずかな時間でしかなく、私は殆ど祖母に育てられた様な物だと思う。
しかし幼い頃の私はそんな状態に何の疑問ももってはいなかった。
祖母は私に対して優しかったし、両親と接しない事が私にとっての当たり前であったからだ。
だから毎日の生活の中で私の当たり前はごく普通に過ぎていって、私はただただ小さな世界で幸せに過ごしていた。
そんな日々の中で変化が起こったのはある昼下がりの事だった。
私は祖母に連れられて近所にある公園に来ていたのだが、そこで見知らぬ少年に出会ったのである。
彼の名前はジョージ・ウィルソン。
お母さんと一緒に公園に来ている様だった。
そして、幼い頃のジョージは髪を長く伸ばしており、女の子の様な顔立ちをしていた為、私はすっかり彼が絵本から出てきた妖精だと思い込んでいた。
その太陽の光を受けてキラキラと輝く金糸の様な髪も、透き通った湖を思わせるサファイアの瞳も。
その全てがこの世の物とは思えず、彼が幻想的な世界からやってきた人なのだと私は理解したのだ。
おそらく彼との接触は当時の私にとって酷く緊張した瞬間であっただろう。
まぁ、後々ジョージの方が緊張していたと分かるのだが、当時の私は相手の事など見る余裕はなく、ただ目の前に突然現れた奇跡の様な存在にどうすれば良いのか動揺するばかりであった。
しかし、それでもここで一歩を踏み出さなければこの奇跡は何処かに消えてしまうという焦りもあった。
だから、私は最大限の勇気を振り絞って、ジョージに話しかけるのだった。
「こっ、こんにちは!」
ジョージは私をジッと見ていたが、お母さんと思われる人に背を叩かれてハッとなった後、私に向かって大きく頭を下げた。
言葉は無かったけれど、私は彼が自分を受け入れてくれたと嬉しくなり、彼の手を取って自己紹介をした。
「わたし、りなっていうの。ねぇ。いっしょにあそびましょ?」
「……うん」
それは思えば祖母以外の人と初めての会話だったようにも思う。
母は私と会話をしようとはしなかったし、父も母に制限され私と言葉を交わす事は無かった。
だから、この出会いは私にとって初めての外界との接触であった。
それから私はジョージとよく遊ぶようになった。
ジョージと友達になってからは祖母がよく公園に連れて来てくれるようになり、私は公園でジョージを見つける度に駆け寄って行って、手を引っ張り様々な遊具で遊ぶのだった。
ジョージと一緒に遊んでいるところは祖母も見ているのだが、私は家に帰るまでの間、彼と遊んだ事を何度も何度も祖母に話した。
祖母はそんな私の話を嫌がる事なく、優しい笑顔で何度も頷いて聞いてくれていた。
そんなある日。
いつもの様にジョージと遊んでいると、かなり背の高い茂みで何かが動いた気配がして、私は思わずジョージの腕を掴んでいた。
「どうしたの? 里菜ちゃん」
「なんか、動いた」
「なんか?」
ジョージは私に言われるまま私が指さした茂みを凝視して、それが動いた瞬間私に抱き着いた。
私はと言えば、この時ジョージのお姉さんになった様な気持ちでいたので、彼から頼られているという状況に、怯えている場合ではないと心の炎を燃やしていた。
そして、本当は怖いが、恐る恐るその茂みに近づいて、中を覗き込むのだった。
「っ!?」
「ん?」
「なっ、て、天使!?」
「天使―? どこに居るのー? どこどこー?」
私が草むらの中を覗き込むと、そこには栗色の柔らかそうな髪をした天使が座りながらボーっとしている所だった。
その少女は私の声に振り向いて、こちらを見上げたのだが、その美しさに私は思わず天使なんて口走ってしまうのだった。
いや、口走ったというか。この時の私は、騒ぎを聞きつけて祖母たちが駆けつけてくるまで少女の事を本気で天使だと信じ込んでいたのだが。
そんな誤解は少女自身がペコリと頭を下げながら自己紹介した事で解決するのだった。
「とーどーあさひです。よろしくー」
「あさひって本当に人間?」
「あははー。あさひは人間だよー」
ケラケラと笑う朝陽は無邪気で、何だかその笑顔には引き込まれてしまう様な不思議な魅力があった。
そしてそれは、私やジョージだけでなく、駆け付けてきたジョージのお母さんや私の祖母も同じなのであった。
しかし、奇妙な事はある。
その奇妙な事を確認する為にジョージのお母さんがまず最初に口を開いた。
「あの。君、朝陽ちゃん、で良いのよね?」
「うん。あさひ。とーどーあさひ!」
「ありがとう。その朝陽ちゃんのお母さんかお父さんはどこにいるのかな」
「お母さんなら、おうちで寝てるよ。やきん明けで、ねむねむさんなの!」
「そっか。ねむねむさんなのかぁー。うん。ありがとうね。えっとおうちは何処かわかる?」
「おうち? おうちはねー。うーん。あっち!」
朝陽は元気よく公園に隣接した林を指さしたが、それが保護者達を困惑させたのは確かだった。
その方向には見渡す限り家の様な物は見つからなかった為、朝陽をどうするべきか悩ましい状況だったのだろう。
ジョージのお母さんは焦りなど欠片も見せない笑顔で私たちに一緒に遊んでいる様に言うと、祖母と共に少し離れた所へ移動した様だった。
私は二人が何を話しているのかも気になったが、それ以上に朝陽とジョージが並んで話をしている事に感動してしまい、離れていった二人よりも目の前の二人に集中していた。
「そっか。あさひっていうんだ。僕はジョージっていうんだ」
「へー。じょーじ。格好良いね」
「そうかな。へへ」
「あ、わたし。わたしはりなっていうんだよ!」
「そっかー。りなね。よろしくー」
へにゃりと笑う朝陽に、私は何だか凄く気持ちが昂るのを感じていた。
嬉しいとか、楽しいとか。そういう気持ちがどんどん体の奥から湧いてきて、思わず飛び上がってしまいそうな感じだ。
だから私はもっと朝陽の笑顔が見たいと思い、彼女が楽しくなる様な話題をいくつも喋るのだった。
しかし、朝陽は非常に強敵であった。
何せ、私が楽しいと思っている様な事は大抵不思議そうな顔をするばかりで笑わず、何だかよく分からない話をするばかりだったのだから。
そしてどうやらそれはジョージも同じな様で、彼の話にも朝陽はどこか不思議そうな顔をするばかりだった。
それどころか。
朝陽はどこか現実感の無い顔をしたまま、空を見てボーっとしている。
果たして話を聞いているのかいないのか。
それすら定かではない様子に私もジョージもすっかり困ってしまうのだった。
しかも朝陽自身はそういう自分の言動をまるで気にした様子も見せず、ただマイペースに己の世界を語らうのだ。
「この子はね。メリーさん。って言うんだけど。あさひと二人の時はお話するんだよ。今は何も言わないけど」
「そうなの? でも、メリーさんはお人形さんでしょ? お人形さんはお話出来ないよ」
「そっかー。じゃあメリーさんはすごいお人形さんなんだね」
「あー。いや、うん。そう、だね」
「ふふ。すごいね。すごいって言われたよメリーさん!」
話している内容はよく分からないが、微笑む朝陽が可愛いので、私もジョージも分からないなりに納得して笑う。
多分これで良いのだと思う。
だって、朝陽は笑うと凄く可愛いから。
そんなこんなで未知とのコミュニケーションを取っていた私とジョージは、話し合いが終わったのか近づいてきた祖母とジョージのお母さんに話しかけられ、そちらに視線を向けた。
「んん。三人とも。良いかな?」
「なぁに? ママ」
「朝陽ちゃんの事なんだけど。このままここに置いておくって訳にはいかないから。お家を聞いて、そこまで行こうと思うの。だから朝陽ちゃん。思い出せる様に頑張ってもらえるかな。駄目そうなら警察に行かないといけないんだけど」
「だいじょーぶ! あさひはてんさい。なので!」
「うん。分かった。じゃあみんな行こうか」
「あ。まって! むこうでおねんねしてるオジサンもいっしょに行かないと」
「おねんねしてるオジサン?」
「そー。あさひとあそぼうって言ってたのに。おねんねしちゃったのー」
怪訝そうな顔をするジョージのお母さんに朝陽は微笑みかけて、その手を取りながら座っていた茂みに囲まれた場所からさらに奥へと進み、直後ジョージのお母さんの悲鳴が周囲に響いた。
私もジョージもその声に何が起きたのかと、勢いよく茂みの向こうに突き進んでゆく。
そんな私たちに来ちゃ駄目。とジョージのお母さんが叫ぶが、全てが遅かった。
私たちの目には、やや開けた場所に仰向けで倒れる男の人が見えてしまったからだ。
その顔は恐怖に引きつり、口からは泡を零している。
今にして思えば、正気が保てない様な何かをその人は見たのだろう。
まぁ、その男が下半身を露出していた事や、朝陽の発言から、一切の同情は要らないという事は分かっているが。
それでも、私にとっても、ジョージにとってもその光景は脳裏に焼き付いた恐怖の姿であった。




