episode9 人形姫は夢を見る・Ⅱ
「失敗しちゃった」そう呟く声の響きは酷く幼かった。
悔しさと不満、それから「やっぱりダメだったか」とでもいうような諦めを含んだそれは景品を狙ったミニゲームで失敗したときと変わらない。
「あの子は……卑怯者だけど臆病者でもあったから」
淡いピンクの唇が歌うように囁く。
「わたしたちの『fantasia』に手を出そうとした時点であの子は敵だけど……。ニールくんは臆病だもん。本気で誰かを怪我させようとはしてなかったから、だから追い出すだけで許してあげたの」
それはつまり…………そうでなければ絶対に許さなかったということ。
にっこりとお人形のような美しい笑みでシェルフィーリアは微笑む。
「あっ……」
観覧車はだいぶ頂上へと近づいていた。時計でいうならば10時少し前。
体の向きをずらしたシェルフィーリアはペタリとガラス窓に両手をついて顔を寄せる。
「見て見てっ、すごい綺麗っ」
感嘆の声をあげるシェルフィーリアの言葉通り、眼前には絶景が広がっていた。
それは例えるなら……あらゆる宝石を散りばめた宝石箱。
あるいは天上の星々のように地上は光に満ちていた。
美しさに頓着のないジャバウォックから見ても素直に美しいと思える夜景だった。
「メリーゴーラウンドだ。上から見ても可愛いー。サーカスは……あった!あそこ!」
ほらほら!と指さすシェルフィーリアに促され、ジャバウォックも地上を覗き込む。小規模なテントはすでにいくつか撤去したが、最も大きな大テントはこの高さでも確認できた。
庭園を囲む樹々は闇に同化し見えないが、樹々を隔てた向こう側は大通りに面しているのでサーカスからは長い光の列が連なっているように見える。
「まるで葬列みたい」
「葬列?」
意外な言葉に問い返せば、シェルフィーリアは「そう」と淡い笑みを唇へと刻んだ。
「わたしの中のサーカスのイメージ」
長い睫毛が伏せられた瞳はまるで愛おしむように大テントを見下ろしている。
「サーカスって明るくて楽しいだけじゃないよね。どこか暗い影も感じさせる。光と影、日常の向こう側の非日常。夢を運んで移動する葬列。きっと時を巻き戻そうとしたメリーゴーラウンドといっしょなんだよ。大人になるのに捨てなきゃいけなかった夢や希望、誰にも知られずひっそりと葬り去られた夢の棺を乗せては降ろしてわたしたちは移動してる。懐かしいその夢の欠片にみんな熱狂するの。だってお客さんたち、みんな子どもみたいに目をキラキラさせてるでしょう?」
例えば、空を自由に飛ぶピーターパン、脅威を従える英雄に、おとぎ話のお姫様……。
いつの間にかなくしてしまったそれらの憧れを観客たちは垣間見る。
「わたしの夢も……あそこにある」
ガラス窓に一層顔を寄せたシェルフィーリアの横顔に影が落ちた。
呼気と掌の体温にガラスがわずかに曇る。
「小さい頃に一度だけ見たサーカス、いまも覚えてる。信じられないぐらいドキドキしてワクワクしたなぁ。優しかったお父さんにお母さん、それから兄さん……。夢みたいに楽しくて幸せだった」
「……お前っ」
口の中で声が途切れた。
信じられない想いでジャバウォックはシェルフィーリアを凝視する。
白く掌の跡を残してガラス窓から身を離したシェルフィーリアは驚きに見開かれたジャバウォックの瞳を見返す。
観覧車はすでに頂上。
だけど二人は景色も見ずに見つめ合う。
ふっ……と吐息のような笑いが淡い唇から漏れた。
「ほんと、全然似てないよねわたしたち。……双子なのに」
頂上に達したゴンドラがゆっくりと下り出す。
星々のように眼下に散らばる光の欠片たちと裏腹に、支柱の灯りだけに照らされるゴンドラ内は薄暗い。闇を映したガラス窓は鏡のように光景を反射し、不出来なミラーハウスのように幾重にも二人の姿を映し出す中でただ見つめ合っていた。
ジャバウォックの切れ長な瞳と、シェルフィーリアの丸みを帯びた瞳。
印象の異なる、だけど同じ色の瞳が互いの姿を映し出す。
「ビックリした?」
緊迫を破るようにシェルフィーリアが小首を傾げて小さく笑った。
張りつめていた空気が霧散し、小さく喉を鳴らしたジャバウォックは脱力するように長く息を吐き出すと先のシェルフィーリアのように背もたれに深く背を委ねた。
「いつから……?」
「ん~?最初は全然。ほら、『fantasia』に買われたころのわたしってなかなか壊れてたじゃない?人が怖くてまともに喋れなかったし、目も合わせられなかったしね」
サーカスに買われたばかりは演者としてはもちろん、下働きとしても使い物にならなかった。
「夢見がちなのは昔っからだよね……。行動できない代わりに目を塞いで、耳を塞いで、夢の世界に逃げ込むのばっか得意だったし……」
自嘲するように笑うシェルフィーリアを何とも言えない苦い思いでジャバウォックは見つめる。言うべき言葉を見つけられない彼に代わって彼女は独白を続ける。
「だからなにも言わないでいてくれたんでしょう?わたしが過去を全部捨てたがってるって気づいたから。いっぱい時間がかかって、団長さんが『シェルフィーリア』って名前をくれて、歌って、踊って。兄さんがくれた『fantasia』の魔法でわたしは生まれかわったの。夢と魔法の国の人形姫に」
「シェリ……」
「ダメだよ」
細い指がジャバウォックの唇に触れた。
柔らかな指の腹の感触と、なによりその笑みに言葉を止めた。
「わたしは『シェルフィーリア』だよ。いまのわたしは『シェルフィーリア』」
十二時の鐘に怯えるシンデレラ。
魔法が解けてしまえば、そこに残るのは哀れな灰かぶりだけ。
怯えと哀しみの混じった笑みにジャバウォックは呼びかけた名を飲み込んだ。
かつて見出した妹を前にそうしたように。
そんな兄の姿にシェルフィーリアの笑みが苦味を帯びる。
「恨んでたんだよ……。臆病で、卑怯者なわたしは……みんな恨んでた。女の人を作って逃げたお父さんも、わたしを叩くお母さんも…………助けてくれるって言ったのに、助けてくれなかった兄さんも。全部人のせいにして恨んで、呪ってた」
最愛の夫の捨てられた母親は精神を病んだ。
愛する男の面影を息子へと求めて縋りつき、憎い女の影を投影して娘を憎んだ。
どちらも自分の子だというのに。
兄が妹を庇うほどに母親は嘆き、壊れ……やがて娘を売り払った。
「恨んで、憎んで、世界を呪って……そうやって自分の心を守ってた。動こうともしないで、誰かが助けてくれるのを待ってた。…………助けて、くれたのにね。ずっと長い間、気づきもしなかった。なんて薄情な妹だろうね」
「……そんなことない」
「ん。そんなとこも大違い。その優しさと強さが、わたしにもあれば良かったのに」
地上はだいぶ近づいて来ていた。
ゴンドラが束の間の停止をするまで残すところあと1/4。
気持ちを切り替えるようにシェルフィーリアはゆっくりと瞳を閉じた。
長い睫毛を震わせ、少しづつ開かれた瞳は夢見るような柔らかさではなく強い意思を宿していた。
「『fantasia』の魔法の中でならわたしは生きられる。あの夢と魔法の国がわたしの生きる世界なの」
だからわたしは……と淡い唇が音を紡ぐ。
「あの世界を壊す人を許さない」
結局、それがシェルフィーリアが動いた理由なのだろう。
ニールを、そしてソワソン子爵を敵と断じて排除しようとした理由。
「勝手なことして面倒増やしたのは反省してるけど……ジャバウォックも悪いんだよ?だっていっつも一人で背負い込んでムリしちゃうんだもん。帽子屋さんの言葉じゃないけど、ジャバウォックは団長であの国の王さまなんだから。他の誰が欠けてもジャバウォックが欠ければあの王国は崩れちゃうのに」
シェルフィーリアはぷぅと頬を膨らませジャバウォックを睨みつける。
きっと最終的には彼が解決してくれるんだろう。
そう思ってもいたが、自分が矢面に立つぐらいのことは平然とやりそうだなとも思ったからシェルフィーリアは無断行動に走った。
「あんまり危ないことはしないでね」
「お前に言われたくねぇ」
「もうっ!いざとなったら力づくで押さえつけちゃうんだから」
「お前じゃ無理だろ」
呆れたように細腕を見れば、シェルフィーリアはふふんと不敵な笑みを浮かべた。
「力で敵わないならもっと強い力を借りればいい、なんでしょ?サムさんに頼むもんねー」
「…………」
確実に敵わない相手を出されて黙った。
「ジャバウォックが危険ならみんな協力してくれるよ。わたしたちの王さまは人望あるからね」
クスクスと笑ったシェルフィーリアは凝った体をほぐすようにん~と伸びをした。
もうすぐそこの停留場を横目で眺め、「そういえば」と何気ない素振りで口を開く。
「あの綱渡りの子ってミラちゃんだよね?すっごい美人さんになったよねぇ。あのときはてっきり男の子だって思ってたからびっくり」
「っ気づいてたのか……?」
本日二度目の驚きに再び目を丸くする。
それと同時にガタンという振動と共にゴンドラが到着した。係り員がゆっくりと扉を開く。
「さぁ、帰ろぉ。わたしたちのサーカスへ」
立ち上がったシェルフィーリアの舌ったらずな甘い声と夢見るような瞳。
その変化に話はここまでという意図を組んでジャバウォックも口を閉ざし腰を上げる。
無粋な過去へと巻き戻した時間は終わったのだ。
ぶつかった振動でぐらりと体が揺れる。
足を踏みしめれば「おっと、ごめんよ」と傍らを通り過ぎていく男性。
前を歩く背中が振り返った。
「大丈夫か?」
すっと差し出された右手。
不意に脳裏に記憶が過ぎった。
「いたっ……」
大人にぶつかられ尻もちをつく。
顔をあげれば見知った背中が見当たらなくてきょろきょろと首をめぐらす。
不意に知らない世界に紛れ込んでしまったかのような気がしていた。
楽し気な笑い声はまるで自分を笑っているかのように、ピカピカ光る電飾は闇を際立たせているかのようで……ヒュッと鳴った喉をごまかすように手にしたぬいぐるみを抱きしめた。
「シェリー」
震え、俯いていると声が聞こえた。
「どうした?転んだのか」
「ジャック……」
じわり、涙がにじむ。ぐいっと引っ張られ、伸ばされた腕がパンパンとコートのほこりを払ってくれる。
「ほら」
差し出された手をキョトンと見れば、もう一度「ほら」と催促するように手が揺れた。
「はぐれたら大変だろ。早く行くぞ」
差し出された手を見ながら酷く懐かしい記憶を思い出していた。
「どうした?」
不思議そうにこちらを見る瞳にシェルフィーリアはううんと首を振る。
「ほら、とっとと帰るぞ」
「うんっ」
差し出されたその手へ手を伸ばし、はぐれないよう指を絡めた。
器用そうな細くて長い指。柔らかさのないゴツゴツした手はシェルフィーリアの手なんて覆ってしまえるほどに大きい。あの頃とは違う大人の男の人の手だ。
だけどあのときと同じで温かかった。
胸を包んだ不安も孤独も、魔法のように吹き飛ばしてしまうくらいに温かかった。




