episode8 元新入りの焦燥
プシェルケ行きのチケットを握りしめたニールは俯き、身を丸めていた。
こんなはずじゃなかった。
ぐるぐると頭をまわるのはそんな言葉ばかり。
目の前が暗いのは顔をあげないように深く俯いているからか、それとも心因によるものか。
狭い汽車の座席に身を預け、こんなはずじゃなかったのに……とニールは震える。
その仕事を持ち掛けられたときはなんてツイてるんだろうと思った。
仕事はとあるサーカスへの嫌がらせ。
なんでも雇い主でもあるソワソン子爵はそのサーカスの歌姫をなにがなんでも手に入れたいらしい。よくある貴族の傲慢だ。
完全に人事として小耳に挟んだ噂だったが、それに関する仕事が運よく自分へと回ってきた。
前任者が資金を盗みだしたまでは良かったものの……どうやらその金を持ってトンずらしたらしく、しかも資金を持ち逃げされたにも関わらずサーカスは続いている。
そこでさらなる営業妨害のために子どもで警戒されにくいニールに話が転がってきたのだった。
衣食住付き、さらには上手くいけばお貴族様に顔を売れる。そんなおいしい仕事だと思ったサーカスへの潜入だが…………予想に反しそう上手くはいかなかった。
とにかく忙しいのだ。
次から次へと押し付けられる雑用、しかもロキをはじめ身近には常に誰かしら人がいる。
流石に人死にが出る大事故などを起こすつもりはない。
事前に綱渡りや空中ブランコのロープを切ったり、トランポリンを破壊したり、演目自体が中止にならざるを得ないようなそういったわかりやすい器具の破壊を狙っていたニールだが、そんな機会はまったくなかった。
『脱出マジックで失敗してぇ……』
シェルフィーリアからその話を聞いたとき、これだ!と思った。
すでにソワソン子爵とジャバウォックの間で取引か行われたことは知っていたが、サーカスの評判を落とせば取引は有利になるはずだ。
そうすれば貴族へと恩を売ることができる。
なにより高い足場を上り下りしなくてはならない空中ブランコなどより細工も容易い。
そう考えたニールは機会を窺い、そして折よく人の目が離れた瞬間を狙って脱出マジックの箱に細工をした。
積み重なる荷物を運びながらもサーカスが行われいる大テントへと意識をむける。
だけどいくら耳を澄ませても異変を感じ取ることはできなかった。
漏れ聞こえてくる叫び声や驚きはどこか楽し気なそれで……失敗に対するざわめきや嘲笑とは違う。
居ても立っても居られなくなったニールは仕事の手伝いを買って出てなんとか大テントへと入った。
小道具を片付けるフリをしつつ周囲に気を配り、ステージ裏でジャバウォックやサムたちが難しい顔で集まっているのを見つけ足音を殺し近づいた。
「どうする……?」
重々しいサムの声にジャバウォックが軽く首を振る。
「……どうするもなにも…………なんとか誤魔化すしかねぇだろ」
苦々しく絞り出された声。
彼らの視線の先にあるのは悪趣味な派手な箱。
一体なにが……?!と身を乗り出しかけたところで「ニール!こんなとこに居たのか」とロキの呼びかけが聞こえ、ビクリと肩を震わす。
そのまま引きずられるようにその場を去ることしかできなかった。
いくつもの剣が突き刺さったびしょ濡れの箱。
深い空洞を晒すその箱が頭から離れなかった。
大成功に終わった最終日公演、だけどその閉演の挨拶にあの気障な色男の姿はなかった。
込み上げる不安を隠し、ニールは無邪気さを装ってジャバウォックへと声をかけた。
「お疲れさまです」
「ああ」
「あの、マルコリーニさんはどうされたんですか?」
その名を出した途端に向けられた視線が酷く冷たくて……心臓が跳ねた。
「あいつになんか用か?」
「いえ、あの……姿が見えなかったので」
「ただの演出。いまは……女のとこでも泊まりにいってんだろ」
それだけ言ってジャバウォックはそのままその場を去ってしまう。
ニールはただ立ち去るその後姿を目で追うことしかできなかった。
「あっ!そーだ、ロキとニール!猛獣のエサやり明日はいいって」
夕食後、洗濯場でよく顔を合わせるララという名の少女にそう声をかけられた。
「え?なんで?」
「なんだろ?私も伝言頼まれただけだけど、ロキたちに伝えといてって」
「あー、わかった。サンキュ」
「それから演者さんたちからお手伝い頼まれたー」
頼りない月明かりの下を畳んだ洗濯物を手にニールは一人歩いていた。
届け物をすべく狂れ帽子屋たちのテントを目指す。
正直、彼らのテントは狂れ帽子屋、サム、マルコリーニとニールにとってはわりと苦手な面子ではあるが……マルコリーニのことが気になっているニールにとってはまたとない機会ともいえた。
ジャバウォックはああ言っていたがマルコリーニの姿を見れるかもしれない。そうでなくても狂れ帽子屋から話を聞けるかも。
そんなことを思って歩いていたニールは目的地よりも先に彼の姿を見つけた。
大道具などが置かれるテントの側に狂れ帽子屋が立っているのだ。
なんでこんな時間にあんなところに……?
胸騒ぎを感じたニールは咄嗟にテントの端に隠れ、灯りをさけながらじりじりと近づく。やがて押し殺したような声が小さく聞こえてきた。
「死体は処分するしかないだろうね」
耳に届いた言葉に思わず声を出しそうになり慌てて口を押える。
手にしていた衣装が地面に落ちたがそんなことには構っていられなかたった。
散らばった衣装を踏みつけるようにして暗がりへと身を潜め様子を窺う。
入口付近にたつ狂れ帽子屋が話しかけている相手はテントの中に居るようで顔はおろか人数もわからない。
「ああ…………なんという悲劇だ。我が友をこんな形で喪うことになるとは……」
いつも通りの大仰な仕草と口調で顔を覆う狂れ帽子屋。
だけどその声はどこか力なく、潜めるように弱々しい。
「犯人を決して、赦しはしない……!」
悲しみに覆われた手の向こう、刃のようにギラリと瞳が光った気がした。
ヨロヨロと逃げるようにその場を後にした。
放り出した衣装はそのままだ。取りに戻るかと考えるも、頭がまともに働かない。
心臓が早鐘のようのドッドッ……!と音を立てていた。
死体……?
友を、喪う……?
それはどういうことだと頭が考え、同時に思考がそれを拒否する。
結論にたどり着くのを拒むくせに、そのくせ頭のなかには次々と言葉がめぐる。
『なんとか誤魔化すしかねぇだろ』
『ただの演出。いまは……女のとこでも泊まりにいってんだろ』
『猛獣のエサやり明日はいいって』
『死体は処分するしかないだろうね』
『ああ…………なんという悲劇だ。我が友をこんな形で喪うことになるとは……』
最悪の結論に身が竦んだ瞬間、肩に冷たい手が置かれた。
「ひっ!」
押し殺した悲鳴をあげて尻もちをつく。
見上げた先には行き場を失くした手を空中に残し、目を丸くしたシェルフィーリアが立っていた。
「びっ……っくりしたぁ。なにしてるの、ニールくん?」
柔らかな声になんとか平常心を呼び戻したニールは胸を押さえつつ立ち上がった。
「す、すみません。驚いちゃって」
「驚いたのはこっちだよぉ」
ズボンの砂を払う手がシェルフィーリアの次の言葉に止まった。
「ねぇ……マルコのあれ、ニールくんじゃない、よね?」
「……え?」
否定も忘れ、しばし見つめ合う。
長い睫毛が震えるのがスローモーションのようにやけにゆっくりと見えた。
「ニールくんが……マルコを殺したの?」
殺した。
その言葉に脳が恐慌状態に陥る。
それは何度も頭の中を巡り、だけど認めるのを否定し続けた言葉だ。
「……殺したって、なんで……。だってっ!ビショ濡れになっただけって……、そうシェルフィーリアさん言ったじゃないですかっ?!」
本来ならまずは関与を否定するべきだったのだろう。
白を切るべきだ、それなのにその時のニールにはその余裕がなかった。
責任を転嫁するようにシェルフィーリアを責める。
口元を手で押さえ、驚きに瞳を揺らした彼女は悲しそうに長い睫毛を伏せた。
「……まさか…………そんなっ…………!」
「なんで……」
「あの失敗談はもう3年も前の話だよ。おっきな水槽に箱を沈める演出だったし、箱だってお星さまとお月さまの描かれた違う箱」
「そんな……」
呆然と呟くニールにシェルフィーリアは続ける。
「だってまさか……ニールくんがそんなこと企んでるなんて…………。ただの笑い話として話しただけなのに……」
そう言われてしまえば返す言葉なんてあるわけなかった。
ニールが勝手に勘違いし、勝手に凶行に及んだだけだ。
その結果…………____。
ガタガタと無意識に体が震えはじめる。
「なんで、あんなこと……。マルコになにか恨みがあったの?」
心配そうに問われ、心身ともに限界だったニールは我慢できずに全て喋った。
自分がサーカスを妨害するために潜入していたこと、ソワソン子爵に雇われていたこと。
両手で口を覆って声を殺したシェルフィーリアはぎゅっと瞳を閉じ、ゆっくりと瞼を開いて一言問うた。
「殺す気はなかったのね」
「はい……」
「わかった。……逃げて」
「え?」
戸惑うニールの手を華奢な手が優しく握る。
「このままじゃニールくん殺人犯になっちゃうよ?事故だろうと起こったことは事実だもん」
「で、でも……ソワソン子爵に頼れば……」
「助けてくれるの?」
はっきりと問われ、また「え」と力なく口を開く。
「子爵はサーカスの評判を落としたかったんでしょう?なら事故なんて好都合じゃない。ニールくんを切り捨ててサーカスの落ち度を挙げ連ねた方が子爵にとっては得なんじゃない?」
シェルフィーリアの言う通りだった。
ソワソン子爵にとってニールは切り捨てた方が都合のいい存在だ。
「最近資金を持ち逃げした人もいるから警察もちょこちょこ出入りしてるの。ここに居たらすぐ捕まっちゃうよ。それに……みんなすごく怒ってるの。仕掛けに細工をした犯人を捜そうとしてる……見つかれば捕まるより酷いことになるかも……」
「そんな……」
脳裏に「犯人を決して、赦しはしない……!」と呟いた狂れ帽子屋の声が響いた。
仲間の死体を隠蔽、恐らく猛獣に食わそうとするような連中だ。
そうだ、マルコリーニも前に言っていたじゃないか。
「ふざけたマネしでかしたらサムの猛獣のエサにしてやっから」って。あれはあながちただの脅しではなかったのかもしれない。
もしかしたら金を持ち逃げしたという例の男だって…………。
恐怖に恐慌状態に陥ったニールの手になにかが握らされた。
それは汽車のチケットだった。
「これ、わたしが逃げるのに使おうと思ってたの。ニールくんにあげる。だから逃げて」
「で、でもなんで……!シェルフィーリアさんは……」
「わたしはいますぐじゃなくても平気だから。それに……ニールくんは似てるの」
「もしかして……前に言ってた家族にですか?」
以前、家族の話を聞いた時に男兄弟がいたと言っていたのを思い出し、ニールはそう問いかけた。シェルフィーリアはなにも答えず曖昧で寂しそうな笑みを浮かべた。
「はやく逃げて。できれば国をでなきゃ!じゃなきゃ殺人犯か……それか……」
細い手がそう言って背を押す。
その手に押されるようにニールは震える足で走り出した。
全てから逃れるべく、夜の中をチケットを手に全力で走り抜ける。
「似てるわけないじゃない」
見えなくなる背中を見つめ、嫌悪を浮かべた酷く冷めた声でシェルフィーリアがそう呟いたことなど彼は知らない。
※ジャバウォックが「誤魔化すしかない」って話してるのは化粧ぐちゃぐちゃなマルコリーニの顔のこと。たまたまニールに聞かれただけ。
※「猛獣のエサいらない」の伝言と狂れ帽子屋の会話は仕込み。わざとお使い頼んでニールを怖がらせるために目撃させた。テントの中には誰も居なくて狂れ帽子屋の一人芝居。そしてそこへさらに追いつめるシェルフィーリア(独断行動)。
なお猛獣ちゃんたちには別の人がちゃんとゴハンを届けました!ご安心を!
※マルコリーニさん、口説いた女性のとこにお泊り中。イチャイチャ。




