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その道化師は夢を見ない  作者:


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episode4 猛獣使いは沈黙する

 

 ソファに腰かけた男は注意深く目の前の男を眺めた。

 軽く組んだ足に柔和な微笑み、貴族としての余裕を前面に出しつつ舌打ちを堪える。


 悪趣味になる一歩手前の絵画や調度品が飾られた応接間。

 今宵ジャバウォックが訪れいるのは例のシェルフィーリアにご執心の貴族、ソワソン子爵の屋敷だった。

 無論、呼び出しに応じたのは彼女の話題だ。


「何度も言っているように決して悪くはない話だと思うのだが」


「それは勿論。社交界でも引く手数多のソワソン子爵とのご縁など淑女の方々が羨ましがるお話でしょう」


「ならば……」


「ですが、本人が結婚の意思はないと申しておりますし」


 二コリと笑みを浮かべたジャバウォックはティーカップへと手を伸ばす。

 香りを堪能し、一級品の紅茶を味わう。

 そして再びカップをソーサーへと戻す動きは流れるようで、欠片も茶器は音を立てたりはしない。


 舌打ちを隠しつつソワソン子爵は下唇を噛む。


 やりにくい相手だった。

 目の前の道化師は言葉遣いも丁寧なら動作もそつがない。それこそ特徴的な道化師のメイクを落として正装を纏えば貴族として社交界に紛れられそうな程。


 所詮は平民、たかがサーカスの団長相手ともなればいくらでも丸め込めると思っていたのに。


fantasia(ファンタジア)』の人形姫ことシェルフィーリアをはじめて見たのは前回の巡業の時だ。

 国中を、あるいは国さえ跨いで移動する彼らは数年前にもこの地にやって来た。


 移動遊園地の開催と重なった今回程には大規模でなかったとはいえ、既に固定客がついていたようで社交界でもチラホラと噂を耳にした。見世物自体に興味はなかったものの、友人の誘いにソワソン子爵はサーカスへと足を運んだ。


 そして出会った。


 夢見るように可憐に歌い、踊る、人形姫に。


 一目で心を奪われ、常連客だった友人に無理をいって控室へと押し掛けた。

 込み上げる熱のままに必死に口説いたというのに……人形姫は曖昧に微笑むばかり。


 それからは連日のように会いに行った。

 舞台の上の彼女は変わらず愛らしかったが、友人と一緒だった時のように控室へ通されることはない。なんとか使いをやって手紙に贈り物、資金提供の話を持ち掛けるも色よい返事をもらえることはないまま『fantasia(ファンタジア)』はこの地を去った。


 そして再び、この地へと舞い戻った。


 今度こそ……!とシェルフィーリア本人にも、団長であるジャバウォックにも度重なる打診をするも、相変わらず望む答えは得られるまま。


 愛人ではなくこの自分の妻に、とまで乞うたというのに。


 ぎりりと膝の上で手を握りしめつつソワソン子爵は笑みを保つ。


 どうせ強がっているだけだ。

 焦らせばよりよい条件が提示されると思っているのだろう。


 そう思って止まないソワソン子爵はシェルフィーリアが本気で自分を嫌っているなどとは思いもしない。

 富と権力、それがなによりも強いと信じる故に。


 結局、ソワソン子爵はシェルフィーリアを愛してなどいない。

 否、彼にとってそれは愛と呼べば愛なのだろう。


 だがそれは愛らしい小鳥を鳥かごで愛でるように、素晴らしい芸術品を手に入れ鑑賞するように。

 シェルフィーリアを生身の人間ではなくあくまで“人形姫”として手に入れたいだけにすぎない。


「彼女はまだまだサーカスで活躍したいようです」


 しゃあしゃあと言ってのけるジャバウォックに歯がみしつつ、視線で合図すればすぐさま執事がトレーを手に進み出た。


 テーブルの上へと乗せられるトレー。

 その上にかかった布を剥ぎ取る。


「金貨200枚」


 整然と並べられた金貨を前にソワソン子爵は悠然と口を開いた。


「彼女が辞めるとなればサーカスにとっても痛手だろう。これは君たち『fantasia(ファンタジア)』へ提供しよう。どうだい?」


 問う言葉とは反対にその口調と笑みには勝利の確信がにじみ出ていた。


 だが…………。


「申し訳ありませんがご期待には添えかねます」


 信じられない!とばかりにソワソン子爵は目を見開く。

 注意深く目の前の男たちを観察するも、表情を取り繕うのに長けているだろうジャバウォックだけでなく、その後ろに立つサムですら金貨に興味を示さなかった。


 着席すら拒み、主を守るかのようにジャバウォックの後ろに控える異様な風体の男。

 ソワソン子爵にとっては野蛮としか言いようのない猛獣使いは一言も口を発さず、ただ沈黙を保っている。


 慇懃(いんぎん)無礼な道化師に威圧感の塊のような猛獣使い。

 あまりにもやりにくい相手たちに貴族として保っていた鷹揚な笑みが剝げかかっていく。


「買収には応じない、と?」


 震える声で問いかければ、やはり返されるのはにこりとした微笑み。


「君たちが彼女を手放したくない気持ちはよくわかる。なにせ人形姫の人気は素晴らしいからね。だがいつまでも続けられるというわけでもないだろう。いずれ引退し違う道を歩まなければならないのなら、こんなチャンスを逃す手はないと思うけどね。君にとっても、彼女にとっても」


 早口で語りつつ、片手で金貨の山を示し「なにもこれは金で彼女を買おうというのではない。君たちへの詫びと感謝の気持ちだ」と強張った笑みを浮かべた。


 金を前に屈しない者などいない。


 その信念だけが紙一重でソワソン子爵の笑みを保つ。


「なんなら『fantasia(ファンタジア)』の資金提供を考えてもいい」


「有難いお話です」


 ジャバウォックの声の質が変わったのを見て取り、ほら見たことかとソワソン子爵は余裕を取り戻した。


「希望の金額はあるかい?」


「ならば……」


 一拍言葉を溜めたジャバウォックの唇が大きく持ち上がる。


 その笑みに連想したのはトランプのジョーカー。

 目の前の男は陽気なクラウンでも哀愁を纏うピエロでもなく、得体の知れないジョーカーだった。


「金貨1000枚」


「なっ……!」


 思わず漏れたのは言葉ではなくただの声。


 あまりにも常識外れな金額だ。

 だというのに目の前の男は少しも悪びれず、笑みを浮かべたまま一枚の書類を手渡してきた。それを見るソワソン子爵の目が大きく見開かれていく。

 そこに書かれているのは余りにも大きな金額の羅列。


「別に不当な金額を吹っ掛けているわけではありませんよ。サーカスというのは思ってらっしゃる以上に大きな金額が動くんです。もっとも、大所帯で設備もありますし、大きいのは収入ばかりではありませんが。シェルフィーリアは子爵が仰ったように人気頭でもあります。それなりの価値がある」


「はっ、結局……団員を金で売るのか……」


「とんでもない!すべては()()()()()()()()なのでしょう?団員は家族そのもの、家族の幸せを願うのは当然です。……これは、彼女を失う不足への穴埋めです」


 どう考えても受け入れられる金額ではなかった。


 それでも大まかな興行収入を見せられ、長い目で見ればシェルフィーリアが金貨200枚以上の稼ぎを生むことは納得できてしまった。


 黙り込むソワソン子爵にジャバウォックはピッと演技染みた仕草で指を一本立てて見せる。


「条件次第では……金貨500枚でも構いませんよ?」


「なに?」


「もしかしたらお噂が届いているかも知れませんが……お恥ずかしいことに先日団員による資金の持ち逃げがありまして、とても困っているんです」


 ヤレヤレとワザとらしく首を振って眉を垂れる男をソワソン子爵はじっと見る。


 金貨1000枚を500枚に。

 その条件とは一体なにか。


「一週間後までに即金で金貨500枚。その条件さえ飲んでくださるのならこちらも妥協しましょう」


「即金だと?!無理に決まっている」


「そうでしょうか?子爵程のお方なら色々と伝手もあるのでは?ですが……無理だというのなら金貨1000枚、それも難しいようならこの話はなかったことに」


 ぐっ……と言葉に詰まるソワソン子爵へと畳みかけるようにジャバウォックは囁く。


「自分で言うのも恐縮ですが、我がサーカス『fantasia(ファンタジア)』の知名度はそれなりなものかと。子爵とシェルフィーリアは美男美女で大変お似合いですし、そんなお二人が結ばれたとなれば社交界でも注目の的でしょう。私どもは資金難の苦難を逃れ、子爵は名誉と愛を得る。いかがでしょうか?お互いに悪い話ではないと思うのですが…………」


 いつの間にか立場は逆転していた。


 そんなことにすら気づかず、長い苦悩の末にソワソン子爵は「……わかった」と一言呟いた。


 交渉が終わり部屋を去るまで、サムはただ静かに二人のやり取りを眺め続け結局一言も口を開かなかった。




 ソワソン子爵の用意した馬車を敷地から少し離れた所へと停めてもらい、暗闇の中を歩く。


「良かったのか?」


 サムの声に前を歩くジャバウォックが「あ?」と足は止めずに首だけ振り返った。


「……ジャックらしからぬやり方だ」


「あー……まぁ、好きなやり方じゃねぇな。けど仕方ねぇだろ。望むだけで事態が上手くいくなら楽だが、実際はそう簡単にゃあいかねぇし」


「シェルフィーリアのためか」


 抑揚のない単調なサムの声にジャバウォックは小さく笑う。


「俺の為でもあり、サーカスの為でもある」


「そうだな」


 そこからは二人とも無言でテントへと足を進めた。

 移動遊園地のネオンも全て消えた中、月だけが連れそう彼らの姿を見下ろしていた。


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