episode3 男装美女の憂鬱
きゃあ!わあ!といくつもの悲鳴が響いた。
「おいっ!大丈夫か?!」
「怪我はっ?!」
練習用のテントの一角に誰もが駆け寄る。
マットの上には複数の人間が倒れこんでいた。呻いているのはジャグリングや玉乗り、アクロバティックやバランス芸などの曲芸を披露する者たち。
練習していたのは人間同士が重なり合ってその重厚な美しさを観せる人間ピラミッド。その最中にバランスを崩し倒れたようだ。
「痛っ……!」
幸い大怪我をしたものはおらず、いたたたたと声を漏らしつつ次々に立ち上がっていくなか、一人の女性が足を押さえ蹲った。
ピラピッドの一番てっぺんに立っていた彼女の足首は熱を持ち真っ赤だ。
「やだ、大丈夫?」
さらには足と手を捻った者がもう1人ずつ現れ、彼らの手当てをしつつ団員たちは顔を見合わせる。
今日も夜には公演がある。
特に体格とバランス感覚が問われる頂上は誰でも代われるわけではない。
ジャグリングや玉乗りは他のメンバーで回せるにしても大技である人間ピラミッドが披露できなくなるのは痛かった。
「誰かジャックを呼んでおいで!大至急!!」
とにもかくにも時間がない。
右往左往するばかりの団員へミラが声を張り上げればすぐに数人が走り出した。
「…………構成変更するしかねぇだろ」
そう言ったジャバウォックはパンパンッと大きく手を打ち鳴らした。
「とりあえずお前らは練習戻れ!他の奴まで怪我でもしたら大変だ、気ぃ切り替えていけよ!シェルフィーリア、今日の歌ちょっと長めのに変更出来るか?あと狂れ帽子屋は残ってくれ」
そして開幕のベルが鳴り響いた。
客席からは見えない位置でミラは舞台を覗き見る。
すぐ脇にはワクワクしたロキと緊張した様子のニールも視線を舞台へと釘付けにしていた。
演目中もなにかと裏方で忙しい下働きたちだが、新参者のニールの勉強も兼ねて見学の許可を得たらしい。もちろんずっととはいかず、裏方をこなしながらだが。
「怪我人が出たのにやるんですね」
「当然だろ。開演しないわけにはいかないじゃん」
「でも……当日なのに穴とか埋められるんですか?」
「当~然。プロだぜおれら?いやぁ~、団長の芸が見れるとかラッキー!」
「ロキ。不謹慎なこと言うんじゃないよ」
怪我人が出たのに、と窘めるミラにロキは殊勝に謝りつつも「ラッキーはあくまでニールのオマケで見学できることにですよ。いつもはそんな暇ないし」と言い訳をする。
小声でそんな会話をしていると衣装に着替えたマルコリーニやサムらがやって来た。
頭を下げるロキにあわせてニールも挨拶をする。
「そう簡単に公演に穴なんてあけられねぇんだよ」
どうやら会話が聞こえていたようでマルコリーニが長い髪を払いつつボヤく。
「公演中止で払い戻しなんてなったらどんだけの大金が飛ぶことやら。ただでさえつい先日資金持ち逃げされてばっかだってのに」
「そうなんですか?!」
興味深い話題に目を丸くしたニールが食いつく。
「そうそう、新入りの団員がトンずらこきやがった。ちょうどいいから警告しとくが、お前も気をつけろよ?ふざけたマネしでかしたらサムの猛獣のエサにしてやっから」
「ぜ、絶対しませんっ」
「そーいえばずっと前にも居たらしいな。団員の男と女が金持って逃げたとか……オレが入団する前らしいけど」
「しゃべりすぎだ」
基本的に寡黙なサムの低く重い声が制止をかける。
獣の唸りにも似た彼の声にニールが肩をビクリと震わせるが、この声と雰囲気が怒っているわけでもなく平常だと知っている他の面々は動じない。
注意されたマルコリーにも「そういや本番中だった」と肩を竦め視線を舞台へと戻す。
だが閉じられた口はすぐに開かれた。
「また居んじゃん……」
その声にミラとサムが反応し、視線で示された方を見る。
「本当、しつこい」
忌々し気な呟きが赤い唇から漏れた。
度重なる問題に胃の痛みを感じ、ミラは無意識にわき腹を手で押さえた。
女性的な愛らしい装いが苦手なミラの服装はいわゆる男装。
綱渡りという演目柄、動きやすい恰好は必須なのでズボンではなくショートパンツにタイツといった出で立ちだが、色味や形からどこか軍服を思わせる。
しかし動きやすく体にピタリと合う服装は同時に体の線を露わにし…………本人の意思とは反対に女性らしさを際立たせる結果になっていた。
凛々しい男装の麗人として彼女は男性客のみならず女性客にも人気がある。
そして外見とはすっぱな態度から気の強い人間だと思われがちだが、わりと繊細というのが彼女を良く知る周囲の評価だ。
間違いなくサーカス屈指の常識人でもある。
「わぁ~、ミラちゃん今日も素敵ぃ」
そんな彼女にかけられたのは甘くてふわふわした声だった。
花びらを何枚も重ねたかのような白いドレス。
髪にもいくつもの花飾りを添えたシェルフィーリアは夢見るような瞳でミラの恰好を眺め称賛した。
可憐なお姫さまに妖艶な男装の美女。
立ち並ぶとどこまでも対象的な二人だった。
わき腹に添えられたミラの手に気づいたシェルフィーリアがこてりと首を傾げる。
「どぉしたの~?具合悪い?」
「平気だよ。それより……ほら、また来てるんだよ」
「……うわぁ~」
「えっと、どうしたんですか?」
「ほら、あそこに居る身なりのいいの。あれがシェルフィーリアさんに付きまとってるんだよ」
ニールの質問にロキが答える。
客席を見れば二十代半ばぐらいの貴族が最前列に座っていた。一目で貴族とわかる男は物腰の柔らかそうな中々の美形だ。
「付きまとい……?」
「シルフィを妻に、とか寝言ほざいてんだよ。こっちは何度も断ってるのに」
「で、でもあの人貴族ですよね?ただの愛人とかじゃなく妻にって言うならいいお話なんじゃ……」
突き刺さる冷たい視線にニールの声が尻つぼみになる。
「妻ったって正妻じゃなくて第二婦人かなんかだろ」
「冗談じゃないよ」
本来なら第二婦人だろうと平民が貴族の妻になるなど大出世だ。なんの保証もない愛人とは違い、曲がりなりにも貴族籍に入った妻として扱われるのだから。だが団員たちはそうは思わない。
「大体、大人しそうな顔してっけどあいつは間違いなく女好きだ」
同じく女好きである男の発言は妙に説得力があった。
同時に「お前が言うな」案件。
「…………って言うかぁ~」
ん~とシェルフィーリアは華奢な指を唇の前へ立て、それからミラに腕を絡ませ抱き着いた。
「わたし、男の人に興味ないしぃ」
爆弾発言にサム以外の誰もがギョッと目を見開いた。
腕に絡みつかれているミラに至っては硬直している。
そんなみんなの様子を見ながらきゃらきゃらと笑ったシェルフィーリアはミラから手を離し、後ろ手を組んで内緒話のように身を乗り出すと悪戯っぽく囁く。
「だってぇ~わたしは“人形姫”だもん。生身の人間には興味ないの」
てっきり“男”に興味がないと意味かと思えば、自分の通称に絡めた発言だったらしい。
翻弄するだけ翻弄し「わたしもうすぐ出番だからぁ~」と足取り軽く去っていく後姿にミラは胃でなく胸を押さえた。もちろん安堵に。
黄色い悲鳴が鳴り響く。
狂れ帽子屋が支えるハシゴの上ではジャバウォックが身軽な逆立ちを披露していた。
体勢を変えながら彼が観客へと手を振ったり、ウインクを送る度に女性客たちの声が響き渡る。
舞台袖から小さなクラウンが登場し、お道化た仕草で挨拶を交わした狂れ帽子屋が近づいていく。
持ち手を失くしたハシゴがグラリと傾き、観客たちが細い悲鳴をあげた。
小さなクラウンと狂れ帽子屋も両手を口元に添え、大げさな驚きのポーズをとる。
斜め45度になったハシゴからジャバウォックが飛んだ。
空中で綺麗な回転を披露し、降り立ったのはトランポリンの上。
再びポーン!と空中へと投げ上げられた彼は空中ブランコを掴み、勢いをつけて反対側へと飛び移る。そしてパッと手を離しては再びトランポリンの上へ。
ぽよん、ぽよんと数度余韻のようなジャンプのあと、舞台へと降り立ち狂れ帽子屋と並んで礼をすれば今日一番の黄色い悲鳴が会場を包んだ。
「くっそぅ~。女性客の視線を集めやがって……」
「スッゲー!流石団長!恰好いい!」
マルコリーニやロキの声を聞きながらミラも胸を撫でおろした。
公演に穴をあけるどころか会場の盛り上がりはいつも以上だ。
流石だと思わずにはいられない。
団長として司会役も務めるジャバウォックはいまでこそ開演の火吹きや合間合間のジャグリングなどがメインだが、狂れ帽子屋が言っていたように器用になんでも熟す。それこそ手先の器用さが求められることから、いまのような身体芸まで。
シェルフィーリアの相手役だけは頑として嫌がるが、それだってやろうと思えば理想の王子と姫を演じることができるだろう。
「アタシも頑張んなきゃね」
無事大成功のまま閉演し、他の団員たちが思い思いに寛ぐ中でコートを着込んだジャバウォックとサムが連れ立って出ていく。
「あれ?ジャバウォックさんたちこんな時間にどこ行くんですか?」
小道具の片づけをしつつニールは首を傾げた。
「どっかのお偉いさんに会食にでも誘われてんじゃないかい?ジャックは団長だからね、色々忙しいんだよ」
「そーそー、パトロン探しも大事な仕事の内ってな」
「サムさんも?」
「あいつはほら、用心棒的な?サムもジャックと同じく古株だし」
「本当はアタシたちも経営の手伝いが出来ればいいんだけど……」
俯いたミラが憂い気に溜息を零す。
「ぼくらが出来るのは芸だけだし」
「団長は頭もいいとかすごいよねー」
「オレはパトロン探しも頑張ってんぜ?この前もどっかのマダム引っかけてきたし」
「自分の欲望全開のアンタと一緒にするんじゃないよ」
明日、明後日はお休みで続きは明々後日からになります。




