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その道化師は夢を見ない  作者:


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11/11

episode11 その道化師は夢を見ない・Ⅱ

 

 自身の未熟さ故に一度はサーカスから逃げ出した。

 だけど憧れていた外の世界を手に入れたミラの心にはいつだってサーカスがあった。


 降り注ぐスポットライト、肌が沸き立つ程の熱狂に、観客たちの拍手と歓声……。


 憧れていたはずの“普通”を手に入れたミラの心には、いつだってそれらが場所を占めていた。

 それこそかつての憧れよりよほど強く、激しく。


「アタシはここに戻ってこれた。全部アンタのお陰だよ」


 女性らしい柔らかな笑みで「ありがとう」と呟くミラをジャバウォックは鏡越しに眺めた。


「後悔はねぇのか?」


「ないよ」


「未練は?」


「さぁ?それは少しはあるかもね。いつだって隣の芝生は青く見えるもんさ」


 幸せな結婚をして、家庭に入り、夫の帰りを待ち、子どもたちを育てる。

 そんなありふれた幸せを手に入れることができたかもしれない。


 だけどそれ以上にミラの心はサーカスに魅せられて仕方ないのだ。

 それに…………。


「どこに居ようと、なにをしようと、完全に満足できることなんてありゃしないよ。人間ってのは欲深い生き物だからね。アンタのあの子への献身を知ってるなら尚更さ。人はどうしたって比べっちまう。アタシじゃ生涯あんな愛を得ることなんて出来ないよ」


 妹のために自分をサーカスへと売ったジャバウォック。


 ほぼ同じ年の少年の覚悟と才能はミラの根本を揺らがす程の衝撃だった。

 妬みすらも忘れるほどに、眩かった。


 だけどミラは知らない。


 ジャバウォックの存在がミラの人生に多大な影響を与えたように、彼にとっても彼女の存在こそが人生を変える分岐点だったことを。


 子どもに出来る仕事などたかが知れている。

 雇ってくれるところなどあるわけないし、まともな仕事にありつけるわけもない。


 だけど彼は知っていた。


 その姿をはっきりと記憶していた。

 まだ幸せだった頃、自分と同じ年頃の子どもがサーカスの舞台に立ち、他の大人たちと同様、もしかしたらそれ以上の喝采を浴びていたことを。


 その姿を知っていたからこそ、彼はいまここに居る。


「 “愛”ねぇ……」


 大層な言葉に肩を竦めつつ、刷毛を置いたジャバウォックは頬杖をついた。


 妹であり、半身でもあるシェルフィーリアのことは大事だし、家出同然で身売りをした自分の行動が端から見ればそう見えるのもわからないでもない。

 だが正直、愛などという言葉を使われると寒々しい。


 照れもなくそんな言葉を口に出せるミラこそ愛されて育った証拠だろうに。


 呆れた瞳を向ければ、鏡越しに視線が合う。


「お前さぁ、俺のこと敏腕諜報員かなんかだと思ってるわけ?」


 声にも呆れを多大に含ませて首を傾げれば「へ?」とミラの目が瞬いた。


「散々具合が悪ぃの隠して、医者行けって言っても聞きゃしねぇあのジジイをようやく診せた時には余命二か月だぞ?たかだか三日かそこらで俺がお前の行方掴んで探しに行ったとでも?俺はどんだけ優秀な探偵だよ。そんだけの調査能力あれば王家直属の諜報員だって目指せるわ」


「……へ?」


 前団長の余命を知ったからこそジャバウォックはミラの所で出向いた。

 彼女にサーカスに戻る気がないとしても、せめて父親の死に目に会えるように。


「団長はずっとお前の心配をしてた。大切だからこそ若い頃に自分がした苦労なんてさせたくねぇから大事に大事に甘やかした。自分の夢を押し付けちまってるんじゃないかって、そう思ってたからこそ逃げ出すお前を止めなかった。団長は全部知ってたよ。知ってて、お前に自由に生きて欲しかったんだ。それでも心配で心配で、なにかあったらすぐ手助けできるように常に気を配ってた。人も金も使ってそうやって見守ってた。それこそ充分な“愛”だろうが」


「……っ」


 大きく目を見開いたミラが口元を押さえる。

 鏡に映ったその姿を眺めながらジャバウォックは細い絵筆を手に取った。


「泣くなよ。化粧崩れるから」


 溶いた顔料に筆先を浸し、滑らかな曲線を描く。


「感謝なら最高の演技見せろ。泣くより、花供えるより、団長ならそっちのが喜ぶ」


「……ああ」


 潤んだ瞳のミラが掠れた声で頷く。


 鏡を見つめたジャバウォックは頬に描いた雫を塗りつぶすように筆を動かす。


 悲哀を表す大粒の涙こそピエロの証だ。


 もはや何十、何百と描き続けたそれを迷いなく描いていく。


 シェルフィーリアが「現実主義者」と評したように、どちらかと言わずとも醒めた性格なのは自覚している。おちゃらけるのだって得意でないし、マルコリーニの言うように俗にいう「ピエロらしく」ないのだろう。

 実際、団長から道化師を任されたときは盛大に顔をしかめたものだ。


 けどいまのジャバウォックはかつてほど道化師という役割に嫌悪を抱いていない。


「道化師、か」


 鏡に映る道化の姿に口元に薄い笑みを刻む。


「……ピッタリじゃねぇか。「泣きながら笑い、笑いながら泣く」それが人生ってモンだろ」


 綺麗に涙を塗りつぶし絵筆を放り出し振り向いた。


 誰だって本音と建て前を使い分けて生きている。

 泣き笑い、へりくだって、自分の心を偽りながら……。


 それは意識的にかも知れないし、無意識にかも知れない。

 けど誰にだって覚えはあるだろう。


 人はみな、誰もが見えない仮面を被って道化を演じている。


「なら、わかりやすい方がいいだろ」


 どうせ道化を演じるならばこの姿の方がわかりやすい。


 悪い笑みを浮かべながら「この格好だと無礼も許されて便利だし?」と嘯くジャバウォックにミラは呆れて笑う。


「アンタは捻くれてるねぇ」


「お陰様で」


 メイクのために留めていたピンを外し、前髪を手で掻き上げる。

 整髪料をつけた手で髪をセットすれば、いつも通りの道化師の完成だ。


「誰かさんたちみてぇに夢見がちじゃないんでね。俺にとってこのサーカスは“夢”から逃れるための現実だかんな」


 現実の“悪夢”から逃れるための手段。


「支配されたくなきゃ、自分で稼いで生きりゃあいい。温かな“家”が欲しけれりゃ、自分で居場所を作ればいい。誰かに期待するよりテメェで動いた方が早いだろ」


「……ほんと、アンタらしいよ」


「俺は現実主義者なんだよ」


 上着を羽織り、襟元を整えたジャバウォックは皮肉気に小さく笑う。


「まっ、世の中には職なんていくらでもあんのにサーカスなんか選び続けてる俺が言えた口でもねぇか」


 結局、自分も相当夢見がちなのかもしれない。


 ハッ、と喉を鳴らしつつ部屋の奥の小箱へと足を向けた。

 荷物に隠されるように置かれた小箱に鍵を差し込み、蓋を開く。


 それを見たミラが細い眉を僅かに寄せた。


「ジャック。そんなもん見える位置に置いといて……また盗まれたらどうすんだい?」


 咎めるミラの声を受けながら、ジャバウォックは取り出した革袋の紐を解けば袋の口からは黄金のコインが顔を覗かせた。

 戯れるように数枚を手の中で弄ぶ。


「お前を捨てて逃げたあの男……どうなったかは俺も知らねぇけど、糖尿病にでもなってんじゃねぇ?」


「は?」


「ま、可愛い娘に手ぇ出そうとしたんだ。それじゃ済ませてねぇ可能性も高ぇけど」


「ちょっと待ちなよ。そっちも聞き捨てならないけど、糖尿病ってのはなんだい?」


 あの茶番劇の逃亡が事前に気づかれていたなら父親が手を回してても可笑しくない。

 全部バレていたことに居たたまれなさを感じながらミラは額を押さえつつ聞く。


 ニンマリ笑ったジャバウォックはピンと指を弾き、コインの一枚をミラへと飛ばした。


「やる。嫌いじゃねぇだろ」


「アンタ……これっ……」


 キャッチしたコインを思わず見下ろす。


 そんなミラの前でペリッと包みを剥がしたジャバウォックは手にした()()へと歯を立てた。


 金色の包みから覗く褐色のそれはチョコレート。

 よくある子ども用のコインチョコだ。


「俺は団長から()()仕込まれてんからな。司会に経営、芸に奇術も。こーいう()()()も全部あの人の教えだ」


 かつてサーカスの資金を持ち逃げした男、当時のミラは半ば借金のかたにサーカスで働いていたあの男が逃げ出したがっていることを知っていた。だけど金まで盗むとは思っておらず、父のサーカスに打撃を与えたことに後悔をしていた。


 だが……父の教えだというコインチョコ、そして糖尿病という言葉。


 そこまで考えたとこでミラは資金の持ち逃げが遠い過去だけでないことに気づいた。


「もしかしてっ、この前のも……っ」


 声をあげるミラにジャバウォックはニッと笑うと唇に一本指を添え首を傾げた。


「さぁな?」


 ちょっと……と詰め寄ろうとするミラを躱し、台の上に置かれた新聞(ニュースペーパー)へと目を落とす。


『懲役5年!!欲と金に塗れたソワソン元子爵、実刑確定!!次々と明らかになる黒い陰謀……』の文字が躍るそれに唇を僅かに引き上げ、次いで興味が失せたようにゴミ箱へと投げ捨てた。


「ほら、そろそろ行くぞ。今日も公演あるんだから」


「こらっ!ちゃんと説明しな」



 大テントでは本番に向けて団員たちが練習や準備に明け暮れていた。


 パンパンッと手を鳴らし、団員たちの注意を集め段取りや問題点について幾つか言葉を交わす。

 結局なにも聞き出せなかったミラは、他の団員たちの手前先程の話題を掘り下げることもできず不満顔だ。


「どうしたのぉ~ミラちゃん?」


「なんでもない」


 むっつりと腕を組んだミラにシェルフィーリアが問いかける。

 さらりと返されたが、明らかに不服そうなミラとその視線の先を見比べ、パチリと長い睫毛が瞬く。


「初公演だし気張っていけよ」


 公演は毎回大事だが、新しい地での初公演は重要度大だ。

 なにせ客を掴めばリピーターも増える、なにより話題になる。


「満員御礼なら今日の夕食は肉に酒にデザートつき」


 わぁ!きゃあ!と歓声が漏れた。


「空席ありなら炭水化物」


 ええー、酒はー?などと声が響く。


「客入り悪けりゃ、芋でも食って腹ふくらしとけ」


 はぁ~?!ざっけんな!!とブーイングが飛んだ。


 そんな悪態に怯むことなくハンッと鼻を鳴らしたジャバウォックは「それが嫌なら成功させろ」と言い放つ。

 肉ー!酒ー!と叫んだ団員たちの目が燃えている。


 人生には楽しみが必要だ。


 毎日を生き抜くには微かでもいい、光がいる。

 それは例えば、他愛のない励ましだったり、贅沢やご馳走、小さなご褒美だったと。

 目先のささやかな楽しみでも人は今日を生きる活力にできる。


 だけど同時に、人生にはイベントも必要だ。


 誕生日、記念日、日常を忘れ笑い合える特別な時間。

 そしてそんなとびっきりの非日常の世界に観客たちを誘うのがサーカスの役割だ。



「ガッポガッポ稼いで将来はお菓子の家を建てたいねー」


「いいね、いいね。お菓子の家に住みたいー」


 無邪気にねーと顔を見合せるトウィードルダムとトウィードルディーにジャバウォックは溜息を吐いた。


「なに夢みたいなこと言ってやがる。……っとに、どいつもこいつも夢見がちだな。観客に“夢を魅せる”のが俺らの仕事だろうが」


「我らが王の言葉は正しくその通りだっ!だが夢を見ずして夢を魅せることなどまたできまい」


 相変わらずの大仰な仕草と口調でそう語る狂れ帽子屋(マッドハッター)にシェルフィーリアもそうそうと頷く。


「わたしたちは夢と魔法の国の住人なんだからぁ」


「オレはいつだって甘ぁい夢を魅させてんぜ!舞台の上でも、ベッドの上でもな」


 決め顔で「子猫ちゃん限定だけどな」とほざくマルコリーニをミラがこづく。


「アンタは黙ってな。またピエロになんないように精々気をつけるんだね」


 好き勝手言い合う団員たちのそばでサムは鞭を、ベレッタはナイフを、それぞれ自分の獲物を黙々と手入れしている。


「ほら、とっとと準備済ませろ!」



 鮮やかな色彩のテントをくぐれば、そこに広がるのは日常と隣り合わせの非日常。

 チケットを握りしめ、観客たちは期待に胸を膨らませ席につく。

 開演を知らせるベルとメロディーが響き渡れば、そこは夢と魔法の異空間。


 さぁ、サーカスがはじまりを告げる。



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