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その道化師は夢を見ない  作者:


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episode10 その道化師は夢を見ない・Ⅰ

 

 ちょっといいかい、そう声をかけてきたミラの手には新聞(ニュースペーパー)が握られていた。チラリとそれに目をやりつつ、ジャバウォックは親指ですぐそこの自分のテントを示す。


「中でいいか?支度しなきゃなんねぇし」



 鏡台の前へ腰かけ、使い込んだメイク道具を並べる。


「ソワソン子爵の刑が決まったみたいだよ」


 そう言ってミラが読み上げるのはトップページを飾る記事。芋づる式に出てきた悪事も明らかになり、ようやく片が付いたようだ。


「刑期が明けて釈放されても社交界には戻れないだろうからね。これで次にあの街に出向くときは余計な心配をしなくていい。シルフィも安心だろ」


 ほっとした表情を見せるミラはシェルフィーリアの暗躍など知らない。


 貴族の悪行を軽蔑し、シェルフィーリアの不安がなくなったことを心から安堵している。

 このあたりの素直さと人の好さがシェルフィーリアたちが彼女たちを共犯者に選ばなかった理由だろう。


 ジャバウォック自身も侯爵との裏取引の話を告げるつもりは勿論ない。


 鏡を見ながら肌を白く塗っていく。

 道化師として舞台に上がりはじめたのはここ数年だが、それ以前からも演者としてメイク自体はしていたのでその手つきに迷いはない。


「シルフィは…………」


 不意に途切れた言葉に顔をあげた。


 鏡越しに視線がかち合う。

 取り繕うように小さく首を振るミラを見続ければ、口火を切ってしまったことを悔いるように瞳が伏せられ、鮮やかな唇が小さく開かれた。


「あの貴族がいけ好かないってのはあっただろうけど……あの子は、アンタのことが……好きなんじゃないかい?」


 思わず手が止まった。


 別にその勘違い自体は珍しいものでもない。

 年齢的に釣り合うこともあり、ジャバウォックやマルコリーニ、なにより相手役でもある狂れ帽子屋(マッドハッター)へ敵意を抱く彼女のファンも中には居る。


「血ぃ繋がった兄妹で好きもなにもねぇだろ」


「けどあの子は……」


「知ってた」


「え?」


「とっくに気づいてた」


 刷けを動かしながら口にすれば、鏡の中のミラがぽかんと目と口を開けた。


 兄妹の言葉に驚かなかったミラは二人の血の繋がりを知っている。

 サーカスでそれを知っているのは当人たちの他には彼女とサムだけ。


「ちなみにお前のことも気づいてたぞ」


「え?」


「あのガリガリだった綱渡りのガキがお前だってこと」


「え?はっ?!」


 驚きに目を見開くミラを鏡越しに盗み見て、まぁ驚くよなと心の中で呟いた。

 なにせジャバウォックは全く気付かなかった。


 入団当時、彼女が女だと知ってひどく驚いたし、一度はサーカスを辞めた彼女を迎えにいったときなどすっかり女らしく変貌を遂げた姿に本人に「ミラってやつ知らないか?」と問いかけてしまったくらいだ。


 頬を紅くして狼狽える姿はそれくらい以前とは別人そのもの。

 劇的ビフォーアフターだ。


「…………でもそうか、知ってたんだね」


 ひとしきり顔をパタパタと手で仰ぎ、零された声には安堵が滲んでいた。


「アタシはてっきりあの子がアンタを好きなのかと……」


「んなワケねぇだろ」


 間髪入れずジャバウォックは答えた。


 兄だと気付かれていたことには驚いたが……思うにシェルフィーリアは男嫌いだ。

 きっとサーカスに買われる前の境遇が尾を引いているのだろう。


 そんな彼女が親しく接するのはお互いその気がないから。

 要は親しく接する相手程、異性として眼中なし。


 けどそんなことに気づいていないミラは不思議そうに首を傾げた。


「アンタはいい男だと思うけど」


 さらりと零された言葉に皮肉を返したくなって肩を竦めた。

 座ったまま首だけ振り向き、ハッと喉で嗤う。


「手ひどく振っといてよく言う」


「なっ……?!」


 さっきの比ではないぐらいにミラは赤くなって狼狽えた。


「誰かさんのお陰で俺はめでたく団長だ」


 パクパクと口を開口される男装の美女は、かつては少年にしか見えなかったサーカスの最古参でもある。

 だがサーカス歴が一番長いかといえば、そうではない。


 ミラは前団長の娘だ。


 そしてある男と一緒にサーカスを出た。


 以前マルコリーニが口にしていた「団員の男と女が金持って逃げたとか……」というのが彼女たちだ。

 もっとも、金に手をつけたのは男で彼女は関与してないが。


 さらにはその男は資金を持ち出すために団長の娘であるミラを利用しただけで、すぐに彼女も捨てて一人で逃げた。


「あ、あれはっ…………!」


 口を開いたミラはぎゅっと前髪を握りしめ、唇を噛んで俯く。


「あんな男……別に、好きだったわけでもなんでもなかった。どうなったかも知らないよ、あんなヤツ」


「だろうな」


 あっさりとジャバウォックは頷く。


 それは百も承知だ。


 有り体に言ってあの男は“クズ”だった。

 世の中にはそういう男が好きな女も居るが……ミラがあの男を選んだのはそんな理由ではなく…………。


「お前は自分を好いてる相手なんて利用できねぇだろうしな」


 真正の“クズ”だと知っていたからこそ、その手を取った。


 つまりは己の目的のために利用することに躊躇(ためら)いを抱く必要のない相手。


 顔を前へと戻し、溜息を一つ。


「全く、妙な気を使いやがって……」


 パレットに指を滑らせ、目元に色を添えていく。


「元々全部お前のモンなんだから、デケェ顔してふんぞり返ってりゃいいのによ」


「アタシの判断は間違っちゃいなかった。そう、断言できるさ」


 毒づくジャバウォックへ穏やかな笑みを浮かべミラは言い切った。


「団長に相応しいのはアンタだよ。アタシはただ、父さんの子だったってだけ。この場所も、みんなのことも大好きだった。だけど同時に外の世界への憧れも捨てられなくて…………。なによりアタシにはサーカスを支えていくだけの気概がない」


 サーカスで生まれ、サーカスで生きてきた少女は知らない“普通の世界”へ憧れを抱いた。


 そして同時に……将来自らが支えるべき箱庭の世界への恐れも。


 一人娘としてミラは幼い頃から『fantasia(ファンタジア)』を継ぐことを求められていた。

 だけど成長するにつれ、外への憧れと共にいつしかミラは本当に自分がこのサーカスを率いていけるのだろうかと不安を抱くようになった。


 サーカスを経営していく上で必要なのは当然芸だけではない。

 むしろ団長として求められるのはもっと他の素質だ。


 自分に本当に団長が務まるのか。


 ジャバウォック……その頃はまだ芸名がなくただのジャックだった少年は貪欲で、なにより才能があった。ミラの父親はジャックを娘の婿にと考えていたようで、あらゆる知識を教え込んだ。


 だがミラは思ってしまったのだ。


「団長はジャックが相応しいと思う」


 名実共に彼が頭角を現した頃、ミラはそう声をあげた。


 古参の団員たちはこぞって反対した。娘のお前が継がなくてどうする、ここはお前のサーカスなんだぞ。彼女の父に恩がある彼らは口々にそう主張する。


 私情抜きで見ればミラの言葉が正しいことなんて誰もがわかっていたのに……。


「きっとアタシがあのままサーカスを継いでたら『fantasia(ファンタジア)』はダメになってた。お嬢育ちアタシにはサーカスを支えられない。『fantasia(ファンタジア)』を維持してくには確かな支柱が必要なんだ。この夢の箱庭を支えられるだけの大黒柱がね。きっと新しい団員たちはお飾りの団長に不満を抱くに違いないさ。アタシはね、甘やかされたお嬢だけど現実が見えないわけじゃないんだよ」


 自分が後を継げば『fantasia(ファンタジア)』はいずれ消える。


 だからミラは…………自分が居なくなることにした。


 大好きで大切な世界を守るために。


「裸一貫でサーカスを立ち上げた父さんの苦労をアタシは知らない。妹を買い戻すために()()()()()()()()ような気概もない。アタシにはアンタたちみたいなハングリー精神が欠けてんのさ。なにがあってものこの『fantasia(ファンタジア)』を支えてくれる支柱、アンタこそ団長に相応しいよ」


 心の底からそう言い切ったミラは「だいたい!」と腰に手を当てジャバウォックへと指を向けた。


「なにが“デケェ顔してふんぞり返ってりゃいい”んだよ!サーカスに買われた?借金なんてとうに返し終わってんだろうに!!アンタこそ「俺が団長だ」ってふんぞり返ってなよっ、全く!!」


 ジャバウォックの入団当時、当然ながらサーカスに居たミラは彼の入団経緯を知っている。


 他にそのことを知っているのは、サムぐらいだ。

 彼はサーカスの敷地のそばで大怪我をして倒れていたのをジャバウォックに助けられ、そのまま団員となった。


 いい年だった団員たちは次々とサーカスを去り、いまやジャバウォックとミラの過去を知る者はほとんどいない。


 因みにミラは昔は芸名で舞台に出ていた。

 ミラというのは彼女の本名だ。


「これで、良かったんだよ」


 心の底からミラは言った。


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