悪役なのに……イグニス兄弟と同居!?
「お前、さっきの言葉……どういう意味だ?」
ヴィックの低く冷たい声が、夜の空気を凍らせた。
私はドキリと胸が跳ね、慌てて視線を逸らす。
「な、何のこと?別に……」
平静を装ったつもりだったが、声が微かに震えている。
しかし、彼は私の答えなど待つ気もないようだ。
庭の囲いの上から、驚くほど静かに、まるで影のように地面へ降り立つ。
私は無意識に一歩後ずさった。だが、彼は一切の迷いなく、ゆっくりと歩み寄る。
一歩、また一歩――その距離が容赦なく縮められていく。
「……!」
気づけば、彼はすぐ目の前に立っていた。
呼吸さえ触れ合いそうなほどの距離。
指一本触れていないのに、息が詰まるような圧迫感――。
――近っ!!
――ちょっと、近すぎるってば!!!
彼の顔が近づき、その青い瞳がじっと私を捉えて離さない。
「答えろ」
低い声が耳元で囁かれた瞬間、心臓が跳ね上がった。
その瞳が私をじっと見つめ、逃げ場などないと言わんばかりに迫ってくる。
普通の乙女ゲーなら、こんなシーンはプレイヤーがドキドキする名場面なんだろうけど……。
でも、私にはそんな風には感じられない。
この男を見るたびに、頭の中に恐ろしい光景がよぎる――燃え盛る炎の中で、この男に焼き尽くされる自分の姿。
肌を焦がす熱、喉を塞ぐ息苦しさ――その記憶が何度も何度も頭の中で再生されている。
――もう!それ以上近づかないでよ!本当に勘弁して!
ヴィックが私に触れんばかりの距離まで迫った瞬間、私は反射的に一歩後ろへ下がった。
だが、背中が不意に硬い胸にぶつかる。温かく、柔らかな布地の感触。そして、同時に両肩が支えられた。
「おっと、大丈夫?」
耳元で響くのは、明るく軽やかな声。
「えっ……?」
振り返ると、目に入ったのは明るい金髪と柔らかな笑み。少年の青い瞳が楽しそうに細められている。
「リア、気をつけなきゃダメだよ!こんなふうにフラフラしてたら、俺以外の誰かにぶつかっちゃうかも」
「ニコ……?」
まだ状況を理解できずにいる私だが、ニコは軽く肩に手を置いたまま、少し不満げに前方を見据える。
「ヴィック、ずるいぞ!先にリアに会うなんて!」
その訴えにヴィックは何も答えず、クールな声で問いかけた。
「結果はどうだった?」
ニコは肩をすくめる。
「確認したよ。あの水晶指輪には確かにアクア家の紋章が刻まれてる。それなら間違いないね――ベラって子は、実はアクア伯爵家の令嬢だ」
そう言いながら、ニコは楽しそうに私の顔を覗きこむ。
「リア、すごい友達を持ったね」
「え……どういうこと?」
私は驚きのあまり、思わず声を上げた。
ヴィックは一瞬だけこちらに視線を向け、淡々と告げた。
「明日の午前、アクア家の執事・エディがお前の友人を迎えに来る」
「えっ……エディ執事が?」
私は驚きのあまり、さらに目を見開いた。エディ執事――ゲームでは三日後に登場するはずの人物だ。その予定が、こんなにも早まるなんて……。
胸の奥がざわつく。ソルの言葉が頭をよぎった。
――『多分だけど、リアがこの世界に来たことで、元々の演算結果がズレちゃったんだと思うよ』
本当に、その通りだ。
ストーリーは完全に予測不能な方向へ進んでいる。
でも、それでも――ベラが幸せになれるなら、それでいい。そう思うと、少しだけ安堵した。
「……良かった。本当に良かったね、ベラ。」
自然と、呟きが漏れる。
ベラがすぐに自分の家族を見つけられる。もう、つらい思いをすることもなくなる。それは本当に良かったと思う。
けれど――なぜだろう。胸の奥が、少しだけチクリと痛む。
「……これでベラとはお別れか?」
呟いたその言葉は、夜風に溶けて消えていった。
寂しさが、じわりと広がる。
でも、それでいい。
私にとっても、いいことだ。
元々、私はただの悪役なんだから。主人公を引き立てるためだけの存在。エディ執事が私を迎えに来るイベントなんてない以上、この後のストーリーには関係ない――そういうことよね。
そう思うと、不思議と少しだけ安心した気持ちになった。この世界での役割が終われば、きっと元の 世界に帰れるはずだ――そんな期待が胸の中で静かに膨らんでいく。
私はホッと息をついた。だが、その瞬間――。
「別に悲しむ必要はない」
ヴィックのクールな声が耳に届く。その意味を理解するまでに数秒かかった。
「えっ?」
私は驚いて顔を上げる。
そこには、相変わらず無表情でこちらを見下ろすヴィックの姿があった。
――何よ、その上から目線!ほんとにムカつくんだけど、この男!
「お前とその友達は、すぐに魔法学院でまた会える」
淡々と告げられたその言葉に、私は一瞬息を呑む。
「……どういうこと?」
私が混乱していると、ニコが軽い調子で口を挟んできた。
「ああ、そういえば、まだリアには言ってなかったっけ?」
彼は悪戯っぽく笑いながら、わざとらしく肩をすくめる。
「リア、お前も俺たちの家――イグニス家に帰るんだ」
一瞬、場が静まり返った。
……
……?
……???
「えええええええっ!!!!!!」
私は思わず叫んだ。
驚きすぎて、頭が真っ白になる。――嘘でしょ!?なんで私が!?
慌ててニコの顔を見上げると、彼は相変わらず楽しそうな笑顔を浮かべている。その無邪気な表情が、逆に腹立たしい!
問い詰めようとする瞬間、ニコが突然私を抱きしめた。
温かい腕が背中に回り、耳元で低く甘い声が囁かれる。
「これからは授業も一緒だね、リア……楽しみだな」
「ちょっ……!」
その声に思わず体が硬直する。
けれど、すぐに我に返って彼から距離を取ろうとした。だが、ニコは全く気にする様子もなく、抱きしめた腕を緩めるどころか、むしろさらに力を込めてきた。
「そんなに嫌がるなよ。これからはずっと一緒なんだからさ。」
彼の青い瞳が愉しげに輝き、まるで私の反応を楽しんでいるかのように、じっと見つめてくる。
ようやく息を整えた私は、震える声で必死に問いかけた。
「……なんで?なんで私がイグニス家に行かなきゃいけないのよ!?」