第十六話「ふみだす一歩、その理由」
龍が吠えた。炎を伴う熱波が吹いた。
「あああああああああっ!!?」
その余波だけで、ピキータの『耐爆防護』は一瞬でヒビが入り砕け散る。
バリアを貫通した熱にやられ、多大な負荷を受けたピキータはぐらりと地面へ倒れ込み、そのまま動けなくなった。
無防備に地面に転がった獲物を丸呑みにせんと、炎の龍が牙をむいて迫る――
「わああああ! 馬鹿! 我はそこまでしろと言ってない!!」
夜光禅は慌て、荒れ狂う粉塵爆発を制御しようとする。彼が念じると龍は引っ張られるように身をのけぞらせた。
だが、凶暴性は衰えない。あちらこちらへ暴れ回りのたうち回り、その胴体や尾が叩きつけられるたび、地面に長大な焦げ跡をつくる。
「やめろ! 止まれ! 止まってくれ! 誰か、止めて、止めてくれえぇぇ――」
夜光禅の規格外の粉気を燃料として燃え盛る龍は、彼自身にも抑えきれないようだった。
演習場のどこからでも観測できる強烈な極光を目の当たりにし、一年生たちはパニックに陥る。
「なんだアレ! 粉塵爆発なのか!?」
「上級超えて特級レベルじゃねぇか……?」
「やばいよ、ピキータ・ライグルーヴ、あの子本当に死んじゃう――」
「人の心配してる場合か! とっとと退場するぞ!」
「待って! あたし腰が抜けて……」
足並みの揃わぬ彼ら彼女らをよそに、炎の龍は身悶えする。
術者の制御を無理やり振り切ろうとする狂暴な胎動は、龍そのものの身体を傷つけ――衝撃で弾け飛んだ鱗の破片、ひとつでも容易く人を焼き殺せる野蛮な火球が、数えるのも馬鹿らしいほど無差別に降り注いだ。
「あああああ! 熱い! 熱い!!」
「嘘だろバリアが無ぇ! 一撃で貫通された!」
「足が! 足があああ!」
「助けて! 誰か! 先生!」
「先生は外だよぉ!」
容赦のない輝きに世界が照らされる。夕陽もないのに景色が赤く染まる。いつしか演習場の全域に、肌をあぶるような熱風が吹き始めた。
夜光禅の属性は『火』のはず。しかし上空で暴れている炎の龍は、とても強い風を巻き込み、さらに力を増しているようだ。
これと似た物理現象を、シメリは本で読んだことがある。
――火災旋風。
猛り狂う炎が酸素を貪欲に食い潰し、火のない周囲の空間からも空気を引き寄せることで、高熱のつむじ風を発生させてしまう暴力的な災害。
近づいてはならない。人間のちからではどうにもならない、過ぎ去るのを待つしかない理不尽な破滅の象徴――でも、でも、でも。
このままではピキータが、夜光禅が、もしかするとみんな、焼け死んでしまうかもしれない。
「あっ……」
シメリの身体が傾いた。
木箱が倒れて、シメリはコロリと転げ出た。
ちょうどでんぐり返しのような形になって、気付けばシメリは立っていた。
ふらりと足を前に出した。一歩出たら二歩三歩を止められない。シメリは絶望的な災害に向かって走り出していた。
三秒遅れて『助けなきゃ』と思った。
踏み出した脚は自分の意志か?
シメリの頭を思考が巡る。
バクハーツに入学した。何者かになれた気がした。スクールライフをエンジョイすると誓った。クユルの忠告を思い出した。正しい道を進んだ先の結末。出過ぎた真似じゃないのか。誰かに任せておけばいいんじゃないか。先生は来られない。生徒はいる。みんなすごく怖がってる。倒れてる。立ちすくんでる。逃げることすらできないでいる。なんとかしてあげないと。できるのかそんなこと。よしんば『水』の粉塵爆発で炎を消せたとして、それを成すまでに命がいくつあったら足りるのか。ここからでは粉気も爆力も届かない。相当近づく必要がある。途中で火球や龍の尾が降ってきたら一発でおしまいだ。危険すぎる。果たしてそれは自分の仕事か。これは『最低限』に含まれるのか。もしかすると『スクールライフ』にも『エンジョイ』にも含まれないのではないか――
「うるさい!!!!!」
――シメリは自分の脳みそを一喝した。
シメリは難しいことを考えるのが苦手だ。日々の勉強で精一杯。限られた脳みそのスペースを、めちゃくちゃなもので溢れさせないでほしい。
「人助けくらい! 自由に!! させろぉ!!!」
シメリはキレた。半べそをかいて走りながら、本日最高のブチギレを胸に灯した。
あそこにはピキータが、夜光禅がいる。これから友達になるかもしれない同級生がピンチに陥っている。言い訳はいい、理性は黙れ、今は救うためだけに思考を回せ!
あざやかな単色の感情が恐怖と葛藤を塗りつぶし、かえって思考をクリアにさせた。おかげで見えてきた希望もある。涙に潤んだシメリの瞳は、いつにない精度で龍の弱点を捉えた。
「塵化が甘い……!」
炎の内部には不発粉気の塊が大量にゴロゴロと混入していた。そのせいで術者である夜光禅の制御を離れ、粉気の供給をやめても持続時間が尽きず燃え続けているのだろう。
不発粉気に『水』の爆力を――そうでなくとも『火』以外のなんらかの爆力を命中させれば、龍は内側から爆ぜて身体の一部と燃料を失う!
だが案の定、近寄る前に火球が飛んでくる。
落ち着け――シメリは集中する――龍の身体に不発粉気が含まれるなら――よし、思った通りだ!
シメリはとっさに最も使い慣れた技を放つ。
「『クリエイトウォーター』!!」
火球の大部分を不発粉気が占めていることを看破したシメリは、向かってくる火球に爆力を発射!
炎をすり抜けて粉気に届いた青い火花は――爆発!!
火球の内側に水球を創り、中身をスカスカにして、『水』自体のもつ粉塵爆発阻害効果により、致死性攻撃をカス威力の湯気に変えた!
『クリエイトウォーター』自体のカス性能に変わりはないが、夜光禅のアホみたいな濃厚粉気を使っているから、『水』の生成量とお邪魔性能も普段より数倍増し、火球を道連れにカスへと堕ちることに成功したのだ!!
「はぁ、はぁ、はぁ、はっ――」
結果を喜ぶ余裕もない。「あやうく死ぬところだった」の恐怖だけが遅れて追いかけてくる。うまく爆力が命中したから良かったものの、不発粉気をそれて明後日の方向へ飛んでいたら――
シメリは悪い想像を追い出すように首を振る。
「できる! シメリ! やればできる子っ!!」
過呼吸ぎみに自らを鼓舞して、錯覚でもいいからと勇気を振り絞る。
息つく暇もなく、狙ったように次の火球が――数が多いから狙わなくともそうなるのだろう――シメリのもとへ降ってくる。
足は止めない。止まったらいい的だ。走りながらシメリは右手を掲げる。空を見据えて火球を睨む。まっすぐ上を。
だから足元がおろそかになった。
シメリは石につまづいた。
地面に叩きつけられた指先から、虚しく爆力が飛び去った。
胸を打って息が詰まる。すぐには立ち上がれない。首だけなんとか起こした。
視界いっぱいの赤――。
ああ、駄目だ、わたしはここで……
「だから言ったんだ――」
そのとき、誰かがシメリの前に割り込んできた。
彼が手をかざし爆力を放つと、炎の弾丸は消え失せる。
ちがう。消えたんじゃない。変わったのだ。姿を変えて空気に溶けた。
そう、まるで『煙』のように。
「――調子に乗ったら死ぬ、って」
クユル・タチノヴォーが立っていた。




