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対価の魔女と極楽とんぼ

魔女の対価は甘くない

作者: 大高 紺

お目に止めて頂きまして、ありがとうございます。

相変わらずふわふわですが、よろしくお願いいたします。


 王国の北には豊かな森があり、名無しの魔女が棲んでいる。


 森は国の内に在るが、王の所有物(もの)ではない。

 その昔は王家の直轄地だったそうなのだが、今は魔女の持ち物だ。ある日、何処かからかふらりとやって来た魔女が、森を彼女の専有とし、決して害を成さないならば、命ある限り国に加護を与えてやろうと持ち掛け、時の王が(うべな)ったためと言われている。


 それ以降、王が何代変わろうとも、森さえ荒らさねば、天候に恵まれ、耕作地は豊かに実る。資源も尽きなければ、他国の侵攻も、内紛のひとつさえも無く、王族はじめ国民一同が実に長閑に暮らせる国と成っている。


 まったくもって森の魔女様々なのだが、しかしこのヒト今いったい何歳なんだろうな。大きなお世話かつ深甚なる疑問を持って、エドアルドは目の前でザクザク畑を耕す魔女を見つめている。


 エドアルドは、この夢のように豊かな小国の、麗しの王太子だ。

 両親ともにまだまだ若く統治は順風満帆、当分エドアルドに王冠(お鉢)が回ってくることなどなさそうなので、二十歳を過ぎた今となっても、婚約者すら決めずにのんべんだらりと生きている。


 キャラメルブロンドに明るい空色の瞳、いささか線は細いものの美丈夫と言って差し支えない彼は、父王の補佐を務めつつ、騎士団にも籍を置いている。鍛錬や業務は程々に、主には巡視と称して城下に降りて、買い食いしたり酒を呑んだり、時にはお忍びの体で賭場を覗いてカネ(王太子予算)を天下に巡らせたり、もっとたまには綺麗どころを侍らして夜っぴて遊んだりしている。見境なしの散財と閨事までは至らないからと周囲が大目に見ているのを良いことに、やりたい放題と言って良い。そんな糸の切れかけの凧みたいな王太子なので、国民の多くからは大変に親しまれ愛されているのだが、口の悪い連中は陰に回るとそのものズバリ、極楽トンボと呼んでいる。


 エドアルド本人は誰に何を言われても全く気にしないのだが、幼時から仕える侍従であり、乳兄弟でもあるオズボーンは、何かと気に病み、心と胃を傷めてだいぶ気の毒なことになっていた。


 今もまた、森の中の開墾地で鍬を振るう魔女の見学に、畦道に座り込んでまでも余念がないエドアルドの視界の隅で、白黄色っぽい顔色のオズボーンが腹を摩っては息を吐いていて、鬱陶しいことこの上ない。

 

「ねえねえ、忙しいとこ悪いとは思うんだけどさ」


 見ないふりをしていたものの、遂にオズボーンがしゃっくりを始めるに至り、エドアルドは溜息を吐いて魔女に呼び掛けた。 


「いつもの胃薬、倍、くれる? オズが煩くて仕方ないんだよ先刻から」


 魔女は返事をしない。頬かむりに腕まくり、踝まであるオーバースカートも威勢よく絡げて、決して狭くない薬草畑の端から端まで猛スピードで耕している。巻き上げられた土埃が容赦なくエドアルドに降り注いでいるが、魔女は一顧だにしない。一心不乱に農作業に打ち込んでいる。


「ねえねえってば、聞いてるー?」


「煩いのはお前だよ」


 魔女は、エドアルドに視線もくれずに言い捨てるや、振りかぶった鍬を畑の際にざっくり突き立てた。


「大体があの人の具合を悪くしてる原因はお前だろうが極楽とんぼ。ちっとはまともに働いたらどうなの」


「あああ有難うございます魔女様ー。是非もっと(あるじ)に言ってやって下さいよう」


「あんたも大概なさけないんだよ」


 にべもなく吐き捨てたものの、魔女はつかつかとオズボーンに歩み寄り、瞼を捲ったり舌を引っ張ったり腹に手を当てたりと一通り診てやってから、ぱちりと指をひとつ鳴らした。


「ハアーィタダイマー」


 畑の向こうに、魔女の小さな家がある。年季の入った丸太小屋だが、窓にはちゃんと硝子が嵌り、清潔そうなカーテンが掛かり、張り出し屋根の下には飴色になった揺り椅子と小卓があったりして、大変に住み心地が良さそうである。

 その丸太小屋から、硝子瓶を抱えた小さなくまがよちよちとやってくる。くまといっても、ぬいぐるみだ。擦り切れかけたピンクの毛皮に団栗眼、太くて短い脚をちょこまかと動かして魔女の足元まで辿り着くと、よいしょと瓶を差し出した。


「ありがとうよ。良い子ね、エリントン」


 蕩けるような笑顔で受け取った魔女は、くまの頭のてっぺんにキスを落として労った。それから、どす黒いような緑の錠剤がぎっしり詰まったその瓶を、まだしゃっくりが止まらないオズボーンに向かって放り投げた。


「うひゃ」


 お手玉よろしく受け止めたオズボーンは、さっそく一錠取り出して口に入れ、ゴリゴリ噛み砕いて飲み込んだ。それを半目で眺める魔女は、呆れ顔を隠さない。


「あんた、よく噛めるよね、見るたびに思うけどさ」


「もうこの何とも言えないえぐさが効いてる感があって堪らんです。ふはぁ。……あ、お代はいつものように月の終わりに纏めてお支払い致しますので、王妃様の頭痛薬も頂けますかね」


いっそ恍惚と呟いたオズボーンに魔女は嫌そうに眉をしかめたが、王妃の薬の件には頷いて、膝の辺りに抱き付いていたピンクのくまの頭をひと撫でした。くまはぴょこりとお辞儀をして、またよちよちと丸太小屋に戻っていく。


一連の遣り取りを黙ってずっと見ていたエドアルドは、面白くなさそうな目付きのまま、やおら魔女に近付くなり、ひょいと頬かむりをもぎ取り、ついでとばかりに髪紐も解いた。


「何すんの、お返し」


溢れ落ちた艶やかな黒髪を邪魔そうに掻き上げて、魔女は憤然とエドアルドに詰め寄った。爪先立って手を伸ばしてくるが、自分よりもだいぶ小柄な魔女には取り返せない高さまで戦利品を持ち上げて、エドアルドはにっこり邪気の無い笑みを浮かべた。


「あのくまにしたみたいに僕にもしてくれたら返してあげるよ」


「何の話だい」


眉を寄せた魔女に、ん、と指差し、頬を前屈みに差し出してくるエドアルド。魔女は無言でエドアルドの足を踏みつけ、遠慮無しにぐりぐりとにじった。


「ええっちょっと酷くない!?」


「何がだよ。とっとと返しな」


顎を上げて睨み付けてくる魔女の瞳は、濃い琥珀色だ。その虹彩に、緑やオレンジ、深紅にレモンイエローと多色が揺らいでいる様は、三十になるならずにしか見えないこの魔女が、実際にはその何倍もの齢を重ねてきたことを物語る。年古りた手練れの魔女であればあるほど、彼女らの瞳はヒト離れした宝石質の輝きを放ち、見る者を圧して、無条件に従わせるだけの威力がある。


……筈なのだが、しかしエドアルドには、一切、効かない。今も、痛む足は嘆くものの全く畏れのひとつも見せず、唇をとんがらかして不貞腐れつつ、魔女の黒髪を手櫛で整え、器用に結ってやっている。


「はい、可愛い」


ご満悦で見つめるエドアルドから、魔女は無言で頬かむりをひったくり、ぎゅうぎゅうに被った。エドアルドが剥れる。


「何で隠しちゃうの」


「煩い。ほれ、王妃殿下の薬だよ。お帰りはあちら」


再びくまがえっちらおっちら運んできた瓶をオズボーンに投げつけ、魔女はつけつけと言って、開墾地の隅にぎっしり実った林檎を首を伸ばしてばりばり食べている二頭の馬を指差した。

 林檎だけではなく、魔女の開墾地には雑多に果樹が植えられ、無節操に実っている。桃にオレンジに梨に杏。杏の隣には、たわわに実をつけた葡萄棚。更にベリーがわさわさ茂り、色とりどりに結実している。


「相変わらずデタラメですねぇ魔女様のお庭は」


 大切そうにふたつの瓶を鞍袋に収めたオズボーンが、感に堪えないと言わんばかりに呟きながら、梨をひとつ捥ぎ取った。ごしごしと袖で皮を擦ってからがぶっとやって、絶望的な表情で口を押える。礼儀として吐き出すことも出来ないらしく、悶絶しつつ噛まずに飲み込んだオズボーンは、盛大に咽せながら、部下の不幸を遠慮会釈なくゲラゲラ笑う王太子を恨みがましく睨んだが、ほくそ笑んでいる魔女には深々と一礼した。


「とんだ不調法を致しました。お許しを」


「一言、言ってくれりゃあ良いものをさ。ふふ、こっちをおやんなさいな」


 オズボーンの頭の上から梨がひとつ落ちて弾んで、彼は慌てて受け止めた。恐る恐るちょこっと齧り、ぱあああと大きく笑顔になってぱくつき始める。


「貴女はオズには優しいよね。なんで僕には冷たいかなあ」


 エドアルドは、傍らの魔女を見下ろし嘆息した。せっかく上手に編み込んでやったのに、埃まみれのスカーフに隠されてしまって詰まらない。お礼を言ってくれるとも思っていなかったが、笑顔くらい見せてくれても良いのになあ。あからさまに顔にそう書いてあって、魔女はフンと鼻を鳴らした。


「用は済んだろ。さあ、帰んな。いつまでもこんなところに居るんじゃない」


「うーんんん。もう少し。ていうかさ、オズに梨をくれてやったんなら、僕にもお茶くらい恵んでくれても」


「高貴なお方の口に合うような茶ッ葉なんざあるもんかい」


 木で鼻を括るとはこのことか。エドアルドは悩ましく魔女を見つめた。

 

 愛想も悪ければ口も大概な魔女だが、見目は大変、麗しい。

 頬かむりひとつで畑仕事に勤しんでいても、クリームのように滑らかな肌には雀斑ひとつない。大きな瞳の美しさは言わずもがな、鼻梁はすっきりと通り、紅を刷いているわけでもないのに唇はふるりと血の色で、粗末な衣服に身を包んでいても、魅力的な曲線も女盛りの色香も隠せない。


 一言で言って、頗る付きの美女であり、エドアルドの好みド真ん中なのだった。


 これでもう少し優しい笑顔を見せてくれたら。いや、なんかもうこの清々しく素っ気ないのも堪らない。いっそもうちょっと蔑んだ感じで見てくれても刺さって好いかも。


「……お前ほんとにもう帰れ。ちょっと、そこの旦那、とっととこの極楽トンボを連れて帰っとくれ。王子は暇でも私は忙しいんだよ」


 ほらご覧、客が来た。

 そう言って、魔女はエドアルドを邪険に押しやり、果樹の向こうの小道から恐る恐る顔を出した少女に向き直ると、それはそれは優しい笑顔で手招きした。


「よくお出でだね。暑かっただろ、こっちにいらっしゃいな。よく冷えた葡萄の果実水があるんだよ」


「えっ、そんなものがあるなら僕にも是非」


「煩い帰れ。商売の邪魔だと言ってるだろ。ほれ、さっさと連れてって頂戴、オズの旦那」


「ええと、あのう、あたしお金は持ってないですけど」


「良いんだよ、あんたは薬を買いに来たんじゃない。願いを叶えに来た筈だ」


 妙に煌びやかな男の存在に怯えていた、(つま)しい身なりの少女はびくりと足を止め、頬骨の目立つ顔の中で、いっそう目を大きくして口ごもった。


「ええ、あのう、……何で、判るですか」


 魔女は、ゆっくりと紅い唇を三日月の形に吊り上げた。


「あんたの抱えてる、それ。その子を、私に差し出すつもりで来たんだろ?」


 少女は、その年齢にはもうそぐわない兎のぬいぐるみを抱えていた。元は多分白かったのだろうが、年季が入って灰茶色に汚れ、眼の位置に縫い留められた黒い釦も不揃いだ。鼻先も耳もほつれた、言ってしまうとみすぼらしい、一目で素人の手作りと判る歪な形のぬいぐるみだ。

 だが、少女にとっては宝物であることに間違いないようだった。色褪せた花模様の布で出来た不格好な蝶ネクタイを着けた兎を、少女は強く胸に抱きしめ、無意識だろう頬擦りをしている。


「……はい。この子を、貴女様に、捧げます。だから」


 瞳を潤ませた少女は、おぼつかない足取りで魔女の前までやってきた。震える手で兎を差し出し、息を詰めて魔女を見上げる。

 

 魔女は、恭しい手つきで兎を受け取った。そして静かに涙を溢し始めた少女をそっと抱き締めて、額を合わせ、厳かに囁いた。


「あんたの覚悟と犠牲は確かに受け取った。願いはきっと叶えよう」


 さ、葡萄水を飲んでおいき。菓子も焼いたからたんとお食べね、胡桃と蜂蜜をどっさり入れたから美味しいと思うんだけど。そう言いながら、魔女は少女の肩を抱いたまま丸太小屋へと歩いていく。もはや、オズボーンにも、エドアルドにも目もくれない。完全に意識から消し飛んでいるのは明らかだった。


 柔らかい笑顔の魔女を、エドアルドは目を瞠って見送った。小屋の扉が、ぱたりと閉じる。


「………何回見ても、胸を衝かれますね」


 痛まし気にふたりを見送ったオズボーンが、ぽつりと呟いた。


「大切なものと引き換えに、願いをひとつ叶えて下さる。金でも財でもなく、正しい犠牲が払えるならば、魔女様は必ずやその願いを聞き届けて下さる。……あの子は、何を願ったんでしょう」


「古ぼけたぬいぐるみひとつで叶う願い事だよ。お前は大袈裟だなぁ」


 笑う主を、オズボーンはちょっと哀しい思いで見上げた。


 二歳年下の主は、オズボーンよりも体格も容貌も遥かに優れ、掛け値なしの快男子だ。性質も鷹揚だし、国王夫妻からも、臣下からも愛される、光り輝く王太子殿下だ。それは間違いないし、オズボーンも心からの敬愛と忠誠を捧げているのだが、如何せんエドアルドは言動が軽薄なのだ。


 まさに今がそうだ。どれほどみすぼらしく見えようと、魔女はあれを正しく対価と認め、痩せた顔に諦観を滲ませていた少女に手を差し伸べた。その理由や背景が推測できないような人間では無い筈なのに、ちゃらっぽこな態度しか見せないのが、この忠実な侍従からすると何とも歯痒い。


「僕もあんな風に魔女殿から見つめられたいものだ。次は何か気の利いたものを持って来よう」


 それに、魔女を煩わせることに何らの遠慮も持ち合わせていないように感じられるのも、オズボーンは気がかりだった。


 森に棲む魔女は、偉大なお方だ。


 来る日も来る日も惜しむことなく魔力を巡らせて国を護る傍ら、額に汗して薬草を育てて調薬に勤しむ。助けを求めて訪れる者を決して拒まず、必要な者には破格の安値で薬を商う。森を抜けるのは疲れただろうと果実を与えて甘露で癒し、人々に寄り添い、願いを聞いては叶えてやるのだ。体が幾つあっても足りないだろう。ピンクのくまだの大鴉だの巨大なネコだの、何体か眷属が居るのは確かだが、しかしその眷属に魔力を供給しているのも魔女本人なわけで、まさに身を削って王国に尽くしてくれていると言って過言ではない。


 そういう契約とは言え、その大いなる魔力を借りて統治している王家に連なるからには、五体投地で感謝を捧げ(魔女本人はものすごく嫌がるだろうが)むしろ聖女と崇め奉ってもまだ足りないようなお方なのだ。


 そんな有難い有難い魔女様の貴重な時間を、好奇心で押しかけて居座り、浪費して良い訳がない。


 だが、この王太子は平気でそれをやるのである。怒られようが踏まれようが埃まみれにされようが、魔女の顔が見たいから、少しだけでも言葉を交わしたいからと言っては強襲し、魔女の忍耐心の許す限り帰らない。苛々を隠さない魔女に躊躇なくじゃれ付き、軽口を叩いては邪険にされ、最後は張扇(ハリセン)で叩かれるが如くに追い返されても、少し経つとまた凝りもせずに押しかける。


 そのうち我慢の限界に来た魔女にカエルにでもされるんじゃなかろうか。

 心配しつつ、もし本当にそうなっても誰も文句が言えないよなぁとも思うオズボーンなのだった。 


「さて、それでは今日のところは帰るとしようか。―――魔女殿ー、また来るよー」


 ひらりと愛馬に跨ったエドアルドの長閑な暇乞いに応えたのは、果樹の天辺から睥睨してくる大鴉の馬鹿にしたような啼き声だけだった。


**


 エドアルドとて、仕事はする。


 魔女に護られてはいるが、外交を閉じた国ではない。通商がある以上は、決して少なくない異国人の出入りがあり、生活習慣や常識が違う人々が街を往来すれば、トラブルが起きるのは避けられない。だから繁華街の巡回は、騎士団の重要な任務のひとつだった。


 それで、今日のエドアルドはきちんと騎士の制服を纏って、まっとうな巡回の任に当たっている。

 腐っても王太子なので、本来なら管理職として書類でも捲っていれば良いのだが、もともと城下歩きが大好きなのである。それで、護衛を連れた騎士という訳の判らない状態ではあったが、エドアルドはぽくぽく歩いては人々に気軽に話しかけ、馴染みの商店主から差し入れを貰ったり、花売りから襟元に一輪差し込まれたり、子供に絡まれたりしていた。庶民からの遠慮のない慕われっぷりに、いつものこととは言え、護衛も苦笑気味である。


「何か変わったことは無い?」


 貰った揚げ芋を頬張る王子に威厳というものは全く無いが、その分、物も言い易い。ベンチに座ったエドアルドは、揚げたて熱々の芋を飲み込んでから、向かいに控える屋台街の顔役に問いかけた。


 噴水を囲む広場に幾つもの屋台が並ぶここは、様々な軽食や甘味が楽しめ、夜になれば酒も出すとあって、自国民はもとより、異国人にも人気が高い。エドアルドもこっそり夜更けに来たことが何度かあるが、まあ大層な賑わいだった。酔っ払い同士の小競り合いも見たことがある。本格的な騒ぎになる前に、エールを持たせた綺麗どころと勢い良く切り込んで有耶無耶に収めたものだが、あれはあれで楽しかったと感慨深く思い返していると、顔役は少々冴えない声音で返事をした。


「異国のお人がだいぶん増えましたかねえ。何でもね、うちの国の食い物は安くて旨いんだって、まあ良く食うこと呑むこと。いま殿下が召し上がってる揚げ芋もね、全然違うっつってバクバク喰う」


「揚げ芋なんて何処の国で食べても同じじゃないのか?」


「あたしもそう思って、泣きながら喰ってる親父に訊いてみたんですがね、芋が甘いんだそうですよ」


「? これ、甘藷じゃないよね?」

 

 泣きながら芋を喰う? エドアルドは、手にした揚げ芋をまじまじと見た。こんがりと狐色で、カリカリでホクホクで、塩加減がまた絶妙なのは確かだが。


「ええ、普通の芋を切って豚の脂で揚げただけでさ。ですけどね殿下、その親父の国では、ここんとこずっと、実るもんがみんなえぐいんですってさ」


「……何処の国の話なんだろうな」


 眉を顰めたエドアルドに、顔役は心得顔で頷いた。


「しょっちゅう来てますからね、訊いときますよ。仲間にも声を掛けときます」


「ああ、頼む。さりげなく訊いてみて欲しい。……増えた異国人てのは、その親父の国の者かい?」


「いやもう、なんか多いなとしか思ってなかったんで、そこまでは。そこらへんも合わせて、ちょいと気を付けておきますよ」


「うん、忙しいとこ悪いが、頼んだよ」


 そう言って心付けを渡して、エドアルドは笑顔を振りまきながら広場を後にした。


 歩きながらまたひとつ芋を口に放り込んで、咀嚼しながらエドアルドは考える。


 実るもの皆えぐいとは穏やかではない。このところずっと、という言葉も薄気味悪い。


 この国に暮らしていると、常に穏やか、かつ順調に季節が巡るのでつい忘れがちだが、外の世界の天候や情勢は、こんなに人に都合が良くは無い。天災もあれば、人災もある。争いや流行り病だってあったかもしれない。


 それで国が乱れるような事態となれば、しわ寄せを食らうのはその国の民だ。そして、持たざる者ほど圧し潰されて疲弊するしかないだろう。


 人は食べずには生きられない。食べる物が無いか、あっても口にするのが辛いような物しかないというのは厳しい。すり減る前に、気力があるうちにと生国を捨てる者が出て来るのは想像に難くない。

 

「芋食って泣くって相当だよね?」


 すぐ後ろに付いている護衛を振り返って、エドアルドは問いかけた。


「私は門外漢ですので確かなことは申せませんが……芋すら不作、ということだと、それなりの食糧難の可能性はあるかと」


「だよねえ。でも、だからってうちの国に大挙して押しかけられてもねぇ。今は良くてもさ」


 そもそも小国なのである。豊かといえども養える民の数など知れている。

 更に言うなら、備蓄という概念に乏しい国なのだ。この何十年だか(もしかしたら百年単位かもしれないが)有難いことに不作にも飢えにも縁が無かった所為である。


 エドアルドは遠い目で溜息を吐いた。


 魔女の森を侵さなければ、民が恙なく生きていけるだけの大地の恵みは保証されてきた。

 かてて加えて歴代の王も揃ってのんびり者で、必ず収穫が成るならガッツで増産・輸出してガバガバ稼いで潤おうなどという覇気のある王はひとりも居らず、当然、民に発破をかける者もいないから、王国全土が良くも悪くも足るを知るを地で行く呑気さである。


 保存食を作る技術はある。だが、飽くまでも嗜好品の域でしかない。燻製だのオイル漬けだの干し果実だのジャムだの酒だの、そういうモノの技術は高いが、小麦だ芋だを先を見据えて蓄えるという発想が無い。


「ちょっと食べに来られるくらいならともかく、ごっそり買い付けて帰ろうとか考えられるとさ。いや、ほんとに何処の国だ」


 ―――買い付けで済めば良いけどね。

 声には出さず、エドアルドは密かに身震いした。

 何処の国だろうと、対価を払って求めに来るならまだ良いが、弱小国と侮られ、まさかの略奪に来られたら、この国などひとたまりも無いだろう。何せ、この数十年(だか数百年だか)ぬるま湯のように平穏だった。騎士団があるにはあるが、実際の戦闘経験のある者など、団長以下、皆無と言って差し支えない有様だ。


 天下泰平を有難く長年に渡って享受してきたが、ここへ来ていささか雲行きが怪しくなってきたような気がする。


 魔女の護りとは国防においてどのように作用し、何処まで期待して良いものなのか。


 城に帰ったら、早急に確認しよう。……誰か知ってると良いんだけど。


 芋の残りをざらざら口に流し込んで咀嚼して、エドアルドは胸騒ぎと一緒に飲み込んだ。


***


「で、モノは相談な訳でですね」


 大鎌ふるって背丈より伸びた薬草をザクザク刈っては束にしていく魔女を、またしても畦道に座り込んで見学しながら、エドアルドは持参のスキットルを傾けた。中身は冷やした紅茶だ。いかなチャラっぽこでも、仕事中に酒は呑まない。


「勿論、タダでとは申しません。オズ、出して」


 まるで見向きもしない魔女だが、話を聞いていない訳ではない。それが判っているエドアルドは、今日も顔色の良くない侍従に合図をして、馬の背から籠を降ろさせた。


 収穫した果実を運ぶのに良く使う籠だ。中には、厳重な布包みが入っていて、それを取り出したエドアルドは、恭しい手つきで結び目を解き、出てきた中身を捧げ持って魔女に見せた。


「じゃーん。鰐梨(アボカド)です。栄養価抜群、美容にも良く、たいへん美味しいけれども、我が国では気候が合わなくて栽培出来ない。貴重なモノですが、頑張って入手してきましたよ貴女のために。そして貴女なら育てられるでしょコレも種がありゃ」


 へらりと笑うエドアルドをちらりと見やって、魔女は露骨に胡乱げな顔をした。


「暫く見なくて清々しいと思ってたのに。……何の相談だって?」


「あ、聞いて頂ける? 有難う! ―――いやここだけの話、貴女に依るところの我が国の護りってさあ、どういう仕組みなのか、詳しいところを教えて頂けませんかね?」


「はあ?」


 魔女がぽかんと口を開けた。


「あははは、可愛い顔を見ちゃった。いやー驚いたことにさ、ちゃんと判ってないんだよ、うちの親も騎士団長も。自国の防衛の要を把握してないとか、まさかの平和ボケ」


「他人の事を言えた義理かね、王太子殿下」


「返す言葉もございません」


 魔女に鼻で笑われたエドアルドは潔く頭を下げた。


「それでね、もう貴女に教えを乞うしかないわけ。いやもう、お恥ずかしい限りなんだけど、ご教示くださいお願いします。鰐梨程度じゃ安すぎる?」


「今まで全く気にしてなかったくせに、いきなり何だよ」


 半目で見てくる魔女に、エドアルドは何とも言えない笑顔を見せた。


「下手したら戦争になるかなーって」


 口調に見合わない深刻な内容に、魔女は王太子の後ろに控えているオズボーンにも視線をやった。

 白っちゃけた顔の侍従にコクコク頷かれ、魔女は深く溜息を吐いた。ごとりと大鎌を置き、丸太小屋へと踵を返す。


「立ち話で済むような事じゃなさそうだね。来な」


 魔女の後に続き、初めて小屋の中に招き入れられたエドアルドは、物珍しく辺りを見渡した。

 

 広くはないが、案外と採光が良い居間だ。

 内壁は製材した板が張られ、その壁に作り付けらしい長いベンチには幾つもクッションが置かれている。前に据えられた古めかしいテーブルには大ぶりなランプが置かれ、その向かい側には詰め物の厚い安楽椅子がひとつ。暖炉の前には、裂き織のラグを敷いて柳細工の揺り椅子が置かれ、脇の小卓に置かれた花瓶には野の花が活けられ、微かな芳香を放っている。年季の入った大きな書棚には、古いものも新しいものも雑多に書物が収められ、隙間には様々な飾り物が置かれていた。


 予想よりもずっと家庭的で、居心地が良い。

 エドアルドは、勧められるままに安楽椅子に腰を下ろし、すっかり寛ぐ態勢に入った。


 居間から奥へ続く扉は、ふたつある。そのひとつから、茶道具を乗せたワゴンを押しながら花柄の蝶ネクタイをした兎が出てきて、エドアルドは破顔した。


「こないだの対価か? 使い魔にしたのか。くまは引退?」


「エリントンは台所で飴を練ってる」


 魔女は兎にキスをしてから、見るだに苦そうな色の茶を注いでエドアルドに渡した。ベンチで小さくなっているオズボーンにも配ってやったが、同じポットから注いだにも関わらず色が違う。胡散臭そうに互いの茶器を見比べる主従を、魔女は自分のカップの中身の香りを堪能しながら片頬で笑った。


「殿下のは心を落ち着けるハーブの茶、オズの旦那のは胃に効く薬湯」


「器用だなあ。で、貴女のそれは何」


林檎酒(シードル)


 ひとりだけズルいとゴネるエドアルドを軽くいなして、魔女は揺り椅子に座って酒で喉を潤した。


「で、何を知りたいって?」


 エドアルドは疑り深く茶の香りを確かめ、恐る恐る口を付けてから、安心したようにごくりとやった。


「まずは確認。貴女は、我々が貴女のテリトリーを侵さないという約定の遵守と引き換えに、我が国に加護を与えてくれているんだよね? この場合のテリトリーとは、この森だけじゃなく、貴女の平穏な生活も含まれる」


 魔女は頷いた。


「貴女の助けを求めてそれなりの人数が訪ねて来るけど、それは貴女の平穏を乱したことにはならない?」


「ならないね。でっかい蜻蛉がしょっちゅうフラフラ来るのは鬱陶しいが」


「オニヤンマでも来るの? 違う?? まあいいや。とにかく貴女は豊穣と安寧の加護を掛けてくれている。その『安寧』に、外部からの興味だの余計な干渉だのを防ぐ作用があるから、うちは長年、どこの国とも軋轢を起こさず、呑気かつ平和にやってこられた」


「判ってるじゃないか」


「ここからが本題なの。―――貴女、どうやって干渉を防いでるの?」


 エドアルドは魔女が未だかつて見たことが無いほど真剣な顔をしていた。


「うちは閉じた国じゃない。人だって物だって出入りしてる。うちが常識外れに恵まれて暮らしやすい国だってのは知られてる筈だ。大口取引交渉とか、どっかの業突く張りが侵攻してくるとか、貴女をもっと好条件でヘッドハントしに来るとか、あっても不思議は無いと思うんだけど、僕が調べた限り一回も無いのは何で?」


認識阻害(ステルス)を掛けてるからさ」


 聞きなれない言葉にエドアルドは首を傾げた。


「認識阻害とおっしゃいますと」


「簡単に言うと、存在が曖昧になる術だよ。私の許す範囲でしか私のことは認識できないようにしてある。……自慢じゃないが、私はある種の人間にとってよっぽど魅力的らしくてね、ちょっかい掛けて来る阿呆が後を絶たなかった。鬱陶しくてしょうがないから、人の意識に残らないように、取るに足らないものと思わせるように認識を捻じ曲げてるのさ」


「その術が国全体を覆っているから、うちは何の取り柄も旨味もない弱小国家として世に埋もれてるってこと?」


「『常識外れに恵まれた()()』なんざ、良い餌だからね」


 頷いたエドアルドは、腕組みをして小さく唸った。


「貴女と貴女の加護を認識できる範囲が、この国の内に限られるのは判った。それって、異国人でも内側に居れば判るものなのか?」


「判る。但し、領土を一歩でも出た時点で認識阻害が発動するから、私とこの国に関する記憶は曖昧になるよ」


「書き残したらどうなる?」


「この国の中で書くしかないんだから、持ち出した時点で、よっぽどこの国に対して関心がある奴が読まない限り、何であれ取るに足らない内容だと認識する筈だが」


「ということは、強い興味とか関心があれば、術が無効になる可能性はあるんだね?」


 エドアルドにぐいと身を乗り出され、魔女はちょっと仰け反った。


「ダメ元で訊くけど、貴女の術で国境に沿って防壁を立てるとか出来る?」


「何だよ急に。出来なかないかもしれないが、対価は何だい」


 魔女の言葉に、エドアルドは唸った。


「やっぱり要るか」


「当たり前だろ。何をタダ働きさせようとしてるんだよ。ほれ、何を差し出す?」


 ホラホラと意地悪気に笑いながら手を出してくる魔女をエドアルドは暫くじっと見ていたが、唐突に素晴らしく良い笑顔を浮かべるや、恭しくその手を取った。


 魔女はあからさまに身を引いた。


「王太子妃の座とかどう? 生涯、下にも置かずに大事にします」


「一昨日来やがれ」


 手の甲に唇を近づけたエドアルドの額を、魔女は空いた方の手で良い音をたてて弾き飛ばした。所謂、デコピンだ。容赦ない一撃にもんどりうったエドアルドは、痛む額をさすりながら、すごすごと安楽椅子に戻った。見ないふりをしているくせに肩を揺らしているオズボーンを睨み、しおしおと茶を啜る。


「御託はいいんだよ。お前さんが防壁が欲しいだの戦争になるだの言う、根拠は何だい」


 魔女の厳しい問いかけに、エドアルドは表情を改めた。


「……ここしばらく、西の大国からの入国者が異様に増えて、移民希望も続出しててね。余りに多いんで調べたら、彼の国は原因不明の不作続きで深刻な食糧難が起きていて、階層が低い者たちでは餓死も少なくないらしい」


 エドアルドは嘆息した。


「西の国は非常に厳しい封建主義だ。どんなに不作が続こうと、支配階級の生活を維持する為に滅茶苦茶な搾取がまかり通っているそうなんだが、そんなもの、原因を解決する気が無い為政者の元で長続きする筈がない。案の定、どうにもならなくなって国を捨てる者が続出して、まさか全員じゃないだろうが我が国にどんどん流れ込んできているんだよ。彼らも命懸けだからね、ひとりでも認識阻害を打破出来たら、あとは芋蔓式に無効化されてるんじゃないだろうか」


 魔女はしかめっ面になり、こめかみをぐりぐりと揉み込んだ。


「―――で、僕が危惧してるのは、そんな状態の西の国において、我が国がある種の理想郷として噂になってやしないだろうかってこと。何せ貴女、もしもそんな噂が上層部の耳に入ろうものなら」


 ぱっ、とエドアルドは両手を上に向けて広げた。


「都合のいい餌場とばかりに攻めて来る、断末魔とはいえ大国の訓練された軍隊に、うちが敵うと思うかい?」


「まあ無理だろうね」


 魔女はあっさり首肯した。でしょ、とエドアルドが肩を落とす。

 魔女は眉を顰めたまま言葉を継いだ。


「だがね、仮に防壁を立てて籠城するとしてだよ、移民希望の人たちはどうするんだい。間諜だって混じってるだろうに、本物の移民だけ選別して入国させるだなんて出来るわきゃない。ひとまとめに弾き出すのかい。それはそれで結構な惨事を生むんじゃないのかねえ」


「そこなんだよねー! 仮に壁ぶち立てて堰き止めたところでって話だし、外交を全て止められる訳も無いし、根本的には何の解決にも――――――って。うーんん? んん?」


 頭をごりごり掻き毟っていたエドアルドが、唐突に動きを止めた。


「そうか。根本的、ね」 


 暫く俯いて何やら考え込んでいたが、顔を上げた時には、大変に良い笑顔になっていた。


「籠城するより良いことを思いついた気がする」


「……嫌な予感しかしないねえ」


 不審を隠さない魔女と従者に、エドアルドは力強く親指を立てて見せ、なおも胡散臭げに見上げる魔女をどさくさ紛れに素早くハグし、我に返った魔女が怒鳴りつけるよりも早く、脱兎の勢いで丸太小屋を後にした。


****


 かつては荒野だった開墾地の端に植えられた林檎の樹々は、摩訶不思議なことに、花と実が同時に付いている。

 

 真っ赤に色づいた果実の合間を蜜蜂が飛び回り、しきりに蜜を吸っては、そこここに据え置かれた巣箱を出入りしていて、長閑な羽音が眠気を誘う。


 樹には子供たちが梯子を掛けて、実を捥いでは集めて母たちの元へ運んでいる。運ばれた実は選別され、傷のあるものは加工用の大籠に、綺麗なものは箱に詰められて、出荷待ちの小屋へと、また運ばれて行く。


 無駄がない働きっぷりの彼女たちは、みな痩せてはいるものの、こざっぱりとして顔色も良い。子供たちも元気いっぱいだ。時々、林檎に伸ばした手に蜜蜂がぶつかるらしく、梯子の上できゃあきゃあ笑いながら作業している。


「あんた達! ふざけてて落ちても助けないよ!!」


 魔女の怒鳴り声など、子供たちはどこ吹く風だ。魔女は恐ろしい大声は出したものの、すぐ近くに豹と見紛うほど巨大な黒猫を待機させているところからして、本当に誰か落ちても見捨てる気は無いらしい。


「まったく、くそがき共が」


「可愛がってるくせに素直じゃないなあ」


 じろりと魔女は傍らのエドアルドを見上げた。麗しの王太子は、スカーフから零れる魔女の黒髪を指先に絡めて、悪戯しながらご満悦だ。


「煩いだけだよ、子供なんざ」


 エドアルドの手を弾き飛ばして、魔女はスカーフを被り直した。


「またまた。……いやあしかし壮観だねえ。貴女の加護は流石だね」


 辺りをぐるりと見まわして、エドアルドは感嘆した。


 眼前の開墾地は、街道の両脇に、見渡す限り遠くまで伸びている。

 片側には、よく世話をされた畑が広がり、作物が順調に育ち、収穫を待っている。所々に片屋根小屋が作られ、農機具を置くだけではなく、ちょっとした休憩が出来るようにもなっていて、今も男たちが機具の手入れをしながら談笑していた。

 反対側は、居住地だ。大きくはないが居心地良さそうな小屋が整然と並び、合間あいまに共用の水場と炊事場が点在している。林檎の樹々があるのもこちら側だ。年かさの女たちが傷物の林檎を煮詰めているため、辺りには甘い香りが漂っていた。


 開墾地を割る街道は、そのまま名無しの魔女の護る森の国へと続いている。そして、ごく僅かな緩衝地帯を経て、国境を示す低い石垣の間を抜け、耕作地の中を枝分かれしつつもそのままずっと城下へと延びていく。


 石垣の脇には検問所と屯所が作られ、物々しく騎士が立ってはいるものの、もともとこの辺り一帯は放牧地であるため、緊迫感は全くない。ぽつりぽつりと木立があり、叢には雲雀が舞い降り、ときおり兎が跳ね、牛に混じって騎士たちの馬が好き勝手に草を食んでいる。


 たまに開墾地から子供たちが馬をめがけて林檎を投げ込む。その礼にと騎士たちが菓子を振舞ってやったり、軽口を叩いたりと、なんとも長閑な雰囲気である。


 エドアルドと魔女は石垣の内側、放牧地に並んで座り、その様子を眺めている。

 魔女はともかく、エドアルドは腐っても王族なので、そうほいほいと国境を越えて外に出る訳にはいかないのだ。


 なにしろ、石垣の向こうの住人は、本来ここに居る筈のない、西の国の人々なのだから。


「王室秘蔵のブランデーと引き換えにちょこっと加護を外まで広げてってお願いで、こんなに暮らしやすそうな場所にしてくれて有難う」


 エドアルドの言葉に、魔女は鼻を鳴らした。


「私は加護を掛けただけで、改めて礼を言われるほどのことじゃない。実際に大変な思いをしたのは、あの人たちだ」


「いやいや、まずここがちゃんとしてないと僕の計画は初手から詰むし」


 魔女は横目でエドアルドを見た。


 地面にじかに胡坐をかき、せしめた林檎をのんびり齧っているところは全く貴人に見えない。極楽とんぼの面目躍如と言ってもいい。だが、実はこの男が見掛け通りの放蕩王子でも無かった事は、今回のこの『計画』で周囲に少しは広まっただろうか。


 オズボーンは相変わらず胃を抑えて呻いているけれど。


「お前さんがヒトで壁を作るって言い出した時には神経を疑ったもんだが」


「人聞きの悪い事を言わないで欲しいなあ。僕は人道支援をするって言ったでしょうが」


「物は言いようってのはこの事だね。お前さん、私に最初に何て言ったか覚えてるかい」


「何か変な事を言ったっけ?」


 小首を傾げるエドアルドの後ろで、オズボーンが百面相をしている。あいつも扱き使われたクチだろうなと魔女は思いながら、エドアルドの鼻先に指を突き付けた。


「『陛下の許可が取れたから西側の国境のすぐ外で流れて来る人間全部堰き止めて一大開墾地を作らせて農作業に従事させるけど食わせるモノが間に合わないからまずは今すぐ最大限の促成栽培ヨロ』て言ったんだよ」


「凄いな。よく覚えてるね貴女。いやだけど実際問題だよ、際限無くやって来る喰い詰めた人たちに、うちの持ち出しで炊き出しなんてやってたらあっという間に共倒れだよ。だけど人として難民を見殺しには出来ないから貴女の力を貸して、てお願いしたんじゃないか」


 心外だなあ、とエドアルドはわざとらしく哀し気に呟き、綺麗に齧りつくした林檎の芯を遠くに投げた。


「言い方ってもんがあるだろうよ。ねえオズの旦那」


「全くです。私の寿命が縮まるような発言を連発なさるのは是が非でもお止め頂きたく」


「そう言ってる奴ほど長生きするから安心しなさいオズ。お前は特に大丈夫」


 イイ笑顔で肩を叩かれたオズボーンは、いよいよ胃がしくしく来たらしく、何事か呟きながら頽れた。ごりごり音がするのは、例の錠剤を噛んでいるのだろう。


 魔女はそっと目を逸らした。


「とにかく、貴女のお陰で、こんなに沢山の人たちが助かったのは間違い無いんだから、立案者として礼ぐらい言わせて。……心から感謝します。名無しの魔女殿」


 居住まいを正したエドアルドは恭しく魔女の手を取り、柔らかく微笑んだ。


「……あとはね、()()()が上手くいけば万々歳だけど、それはもう僕の手が及ぶ話じゃないからね」


 エドアルドの笑みが微妙に歪み、魔女は手を引っこ抜いて呆れたように(かぶり)を振った。


 何せ、つい先日、とうとうやって来た西の国の先行部隊の連中が、この開墾地の規模と充実ぶりに度胆を抜かれ、たらふく持て成された挙句にすっかり懐柔されて帰って行ったとの報告があったところである。


 勿論、そんな事で切羽詰まった彼の国が侵攻を止めるとは思わないが、しかし、肝心の侵攻先の手前に馬鹿げて広い同朋が暮らす保護区があり、しかもその地に住まう全員が本国に残った者よりよっぽど満ち足りて健康で、かつこの支援を立ち上げてくれた王太子と魔女に心から恩義を感じて盾となる気が満々でいる、それを蹴散らさねば進軍出来ないというのは、それなりの心理的なハードルになるのではないかと魔女は思う。


 そしていざ攻めて来たとしても、先頭に立っているのは嫌々ながら徴兵された民間人の可能性が高い。そこからなし崩しにぐだぐだになる目も無くは無いだろう。

 

 それどころか、と魔女は呑気に子供たちに手を振っているエドアルドを見た。


 懐柔された先行部隊が帰還する際、妙に口の立つ者が何人も付いて行ったのを魔女は知っている。

 彼らは、捨てた国に、わざわざ何をしに行ったのか。


「……内政干渉って言わないかい?」


「だから僕の関与する話じゃないんだってば。たとえ、彼の国で、かつての住民と先日の客人たちがタッグを組んでどんな活動をしようともね」


 そんな事よりもさ、とエドアルドは口の端に滲ませていた薄ら嗤いを消して魔女に体ごと向き直り、ぐいと肩を抱き寄せた。


「セラフィナって呼んでも良い?」


 耳元で囁かれた名無しの魔女は、ぶん殴ろうと振りかぶった手を止め、悪戯っぽく笑っているエドアルドの顔をまじまじと見た。

 

「何だって?」


「良いものを手に入れたんだよね」

 

 そう言って、エドアルドは懐から一枚の紙を出した。

 折り目が付き、隅が撚れ、かなりボロボロになってはいるが、それほど時代が付いている訳ではない。エドアルドからその紙を渡された魔女は、ゆっくりと開き、中を見るなり呆れたように嗤った。


「こんなもの、まだ後生大事に持ってる奴がいるのかい」


「まだどころじゃないよ。つい最近まで密かに刷られてて、人から人へ渡ってるって聞いたよ。その証拠に、それもそんなに古くないでしょ」


 紙は、彩色が施された絵姿だった。黒髪を長く垂らし、薄い黄色の瞳を半分閉じて、静謐な微笑を浮かべた白装束の若い女が描かれている。胸の前で重ねられた両手から光輪が溢れ、肩口の辺りから頭上にかけては何重にも後光が差した姿は、見事に神々しい。

 

「それはね、あの兎のぬいぐるみの子のお守りだったんだよ。……僕は彼女を馴染みの娼館で見つけてさ、いろいろ話を聞いてるうちに、その絵も見せて貰えたんだけど、いやあびっくりした。それで、頼み込んで貸してもらってきたわけ」


 描かれた女の顔貌は、見間違いようもなく、名無しの魔女をもっと若く、ずっと儚げな風情にしたものだった。


「聖女セラフィナって言うんだね、貴女。あの子の国では、今でも崇められてる大聖女だって聞いた。数多の奇跡をもって国を護り、絶大な支持を受けていたけど、愚かだった時の君主が難癖付けて追放した。だけど民衆はその後もずっと貴女を慕って、こっそり絵姿を刷ってお守りにしているそうだよ。あの子なんてさ、まさか伝説の聖女様に御目文字が叶うなんてって大泣きしてたよ。―――まあ追放から百何十年だか経ってるそうだからね、そりゃびっくりして泣くよね、こんな若いまんま出てきたら」


「……お前は本当に一言多いよ。しかも何だい、王太子のくせに馴染みの娼館? 噂に違わず碌でもないね」


 エドアルドは剥れた。


「だって外の情報を知るには一番手っ取り早いんだよ。ああいうところの綺麗どころは出稼ぎや移民も少なくないからね、上っ面じゃない他国の話を聞くのに凄く便利なんだよねえ。しかもいろいろ楽しいしさ」


「本音はそこだろ」


「そんなことはどうでも良くて。……セラフィナはさ、何で魔女を名乗ってうちみたいな小国に来たの? 貴女なら、もっと大国で、聖女として傅かれる生活だって選べただろうに」


 魔女はつまらなさそうに鼻で笑った。


「魔女も聖女も同じモノだよ。利用する側の都合で呼び方が変わるだけさ。強いて言うなら、より利他的なのが聖女だね」


「貴女がやってることって、充分に利他的だと思うけど」


「人のために尽くしてんじゃないんだよ。やりたい事をやってるだけだ。それとね、傅かれて暮らすなんてもう懲り懲り。なにひとつ自由が無くて、息が詰まる。好き勝手に生きていたいから、この国を選んだの。なにせお前さんの先祖ときたら、欲が無くて、呑気にもほどがあったからね」


 思い出し笑いに表情を綻ばせた魔女を、エドアルドは胸を突かれたような目で見つめた。


「……いつもそういう顔で笑ってくれれば良いのに」


「何だって?」


「可愛いって言ってるんだよ。……うちの国は、お陰様でもう充分に豊かで、むしろ貴女が頑張り過ぎなんじゃないかって心配になるくらいだけど」


「そう言う割には、今回、えらく扱き使ってくれたもんだが」


「まぜっかえさないでよ。僕は真面目に言ってるんだよ」


 セラフィナ、と囁くエドアルドに体を寄せられ、魔女はじりっと後ずさった。


「貴女の望むように、自由にしていて欲しいのは嘘じゃないけど、囲い込みたい欲もある」


「寝言は寝て言いな。首輪を付ける気なら、いつでも出ていくよ」


首輪(チョーカー)かー! 貴女、(うなじ)が綺麗だし似合うだろうなあ! 金にブルージルコンとかどう? 是非とも贈らせて」


「馬鹿言ってんじゃないよ」


 前のめりに目を輝かせるエドアルドに魔女はドン引きし、そこらに居る筈のオズボーンを探してきょろきょろ見回した。


「ちょっと! オズの旦那、何を寝っ転がってるんだよ! あんたの主、頭を使い過ぎてネジが飛んでるよ。とっとと城に連れて帰って医者呼びな」


「酷くない? 僕は本気で貴女を迎えたいと言っているのに」


「どうかしてるだろうよ」


 取り合っても貰えずに不貞腐れて転がるエドアルドを、ほとほと呆れたように魔女は見下ろした。でかいナリして子供じゃあるまいし、いっそ馬鹿じゃないのかと魔女の顔にはっきり書いてあり、エドアルドは更に剥れて叢の上に大の字になる。


 と。


「王太子さまー、魔女様にお願いがあるなら、対価をちゃんと示さないとー」


 いつの間にやら石垣に鈴なりになった子供たちが叫ぶ。魔女は怖い顔で拳を振り上げたが、子供たちはきゃあきゃあ笑うばかり、母親たちも横目で伺ってくすくす笑っている。

 全員、頭がどうかしているらしいと、魔女はものすごいしかめっ面で眉間を揉んだ。

 

「おお、もっともだ」


 エドアルドはむっくり起き上がるや、蕩けるような笑顔で魔女の手を取り、目を剥いた彼女の足元に跪いた。


「セラフィナ、僕の傍らに迎えさせて欲しい。対価は勿論、心からの愛で」


「一昨日来いって言ってるんだよ極楽とんぼ」


「手強いなーもう。……本気なんだけどなあ」


 そして立ち上がりざま、どさくさ紛れに魔女の頬にキスを落とすや、豪速の拳を掻い潜り、エドアルドは大笑いしながら放牧地を逃げ回った。



<了>


最後までお付き合い下さいまして、ありがとうございました。

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[一言] 大事なものをちゃんと評価して対価として受け取る魔女がいい 王子の策も合理的ですごいのだけど、勝手に触ってくる人間は嫌で、最後までどうも好きになれなかった 無論、無体な訳ではないので好きな人も…
[良い点] エドアルドがしっかり最後には魔女を名前で呼ぶところ。 エドアルドとオズボーン主従の軽妙なやり取りも楽しかったです。 そして魔女さん、働き者ですね! 眷属を使いつつの生活も居心地が良さそうで…
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