大学祭本番
翌日、大学祭は始まった。体調最悪の顔をした何人かの後輩を尻目に赤川たちは焼き鳥の販売に精を出した。途中四年生の先輩や卒業したOG・OBも買い(遊び)に顔を出し、売上の方も上々だった。
「本日の総売上は、○万円でした。このペースであと二日売れたら打ち上げ代は全員タダでいけそう」大学祭初日終了後、部室で会計柚木の発表に部員たちが歓声をあげる。「さらに!明日の祝日も頑張れたら、いよいよ我が部室にも待望のWiiが置かれそうです!」
オオッーと歓声は一段と大きくなり、部員たちは口々に希望のソフトを挙げた。
「ソフトまでは無理。それはカンパになると思う」
「とにかく明日はWii目標に売るしかないな」赤川は引き継ぐ。「それでは明日の健闘を祈って、残れる奴で景気付けに飲んでいくか!」
「アカさん、学祭マジックって知ってますか?」
飲み会の最中、トイレで用をたしていた赤川の後に来た後輩が突然訊いてきた。
「学祭マジック?何だそれ?」
「いや、マジックっていうのはアレですけど、要は学祭期間はカップルになりやすいってやつですよ」
「ああ、たしかにこの時期は特に多いよな。俺の友達にも何人かいるし、先輩でもいたな」
「僕らの中にもいたんですよ」
そう言って後輩はフランス語研究会内でのカップルを二組挙げた。
「マジで!?全然知らなかった……」
「そりゃそうですよ、僕も知ったの最近ですもん」
「でもいいのか言っちゃって。秘密じゃないの?」
「そう言われましたけど、時効ですよそんなもの。何せ去年の今ですからね。一年秘密にしてたら十分ですよ」
「それもそうだな。去年ってことはあいつら付き合ってもう一年か……気づけなかったな~」
後輩の恋愛事情をまったく知らない。それはそれで赤川は悲しかった。先輩にくらい打ち明けてくれてもいいものなのに。
「アカさんはどうなんですか?」
用はとっくに済んでいたまま話し込んでいたが、自分の話になり赤川は手を洗いに逃げた。「俺はそんなのないよ。まったく羨ましい限りさ」
「カナエ先輩とはどうなんですか?仲良いじゃないですか」
後輩も手を洗いについてきた。本命はどうやら赤川にこのことを訊くことらしかった。
「俺と柚木はそんな関係にはならないよ、もう三年何もないんだぜ?」
「だからこそ今ですよ。学祭マジックにあやかるんです」
「その気がなきゃ意味ないだろ」
「それはそうなんですけど……それはそうとアカさんってカナエ先輩を名前で呼ばないですよね、一度訊いてみたかったんですかど、何でなんですか?アカさんだけですよ、名字で呼んでるの」
「……タイミングってやつかな」赤川は手を拭きながら鏡で自分の顔を確認した。赤くなってはいなかった。どうやらうまくごまかせているようだ。「それだけだよ」
そうして赤川は後輩から逃げるようにトイレを出た。
後輩も特にそれ以上気にしる様子もなく、その後その話がぶり返されることはなかったことに赤川は安堵した。
「カナエ、ね……」
部屋の布団の中で赤川は柚木の名前を声に出してみた。
赤川はみんなが呼ぶように柚木をカナエとは呼べなかった。トイレで後輩に言ったように、タイミングを逸したとしか言いようがない。先輩はいい、「ちゃん」付けさえすれば。後輩も「さん」「先輩」付けすればそれでいい。では自分は?同期の赤川にその手は使えなかった。そして、男子校出身で女子馴れしてしていなかった赤川に妹以外の女子を名前を呼び捨てで呼ぶような度胸はなかった。
何度か変えてみようと挑戦したこともあった。しかし「何よ、気味悪いわね」という柚木の反応にすっかり赤川は萎えてしまった。
それに一度呼び方が定着してしまうと、気味が悪いごもっとも。気恥ずかしさが先行してなかなか呼び方は変えられるものではなかった。
だがもう三年が経った。いくらなんでもそろそろいいのではないか。むしろ、名字のままでは逆によそよそしいのではないか。そんなことを考えていたせいで、赤川の就寝時間は酒の体にも関わらずいつもより一時間延びた。
大学祭二日目。Wiiのため、あわよくばソフトのために赤川たちは一丸となり焼き鳥を売りに売った。途中鳥肉が足りなくなりそうになるハプニングにも見舞われたが、なんとか乗り切り、目標の金額に達成した。
その日の飲みは、日中の疲れも重なり、赤川の酔いの回りは早かった。
帰りの電車の中、赤川は死ぬほど後悔した。
酔ってなかったらあんな行為には絶対及ばなかったのに――よりにもよって酔った勢いで。
「どこ行くのよ~?」柚木もかなり酔っていた。
「ちょっと話したいことがあってさ」
飲み会の最中、赤川は柚木を連れだして部室棟の一番奥の階段の踊り場に連れ出した。
「どうしたの、こんなとこまで連れてきて」
「大事な話なんだって」
「あ~、わたしたちが引退するときに後輩に送るプレゼントのこと?それなら確かにみんなの前じゃ話しづらいよね。けどその話はまだ時期が早いし、別に今日でなくてもよくない?」
「違う、その話じゃない。……なぁ柚木、学祭マジックって知ってるか?」
「あ~知ってるよ。みんなこの時期に付き合いだすやつでしょ?あの子たちもそれで付き合いだしたもんね」
「柚木知ってるのか?」
「知ってるも何も。けしかけたのわたしだし」
「なんだよそれ?それなら教えてくれてもよかったのに。俺なんて知ったの昨日だぞ」
「誰にも言わないでって口止めされてたからね。後輩の秘密は守ってあげなきゃ」柚木はにやりと笑った。「それで?プレゼントの話じゃないなら何の話?」
「あ~、……あれだ。俺も学祭マジックにあやかってみようかな~って話」
「ウソ!誰?誰に告んの?」
柚木が「協力するよ」を言う前に赤川は言った。
「お前」
その後のことは赤川は思い出したくなかった。
お互い酔いが一気に醒め、無言は重苦しい空気を作った。その空気に先に負けたのは、情けないことに赤川の方だった。
「悪い。変なこと口走った……今日は先帰るわ。あとよろしく頼むな」
また明日。とは言えなかった。赤川は逃げるように部室の鞄を取り、そのまま今揺られている電車に飛び乗った。
あのときの柚木の顔を見たとき、赤川の酔った頭に冷や水を掛けられたようだった。目が点とはああいうのをたとえたのだろう。
学祭マジックなんかに頼らなきゃよかった……赤川は鍵で家の扉を開けてもなおそのことばかり繰り返し考えていた。
何度休もうか悩んだかわからないほど悩んだ末、赤川は部長という立場を考え大学祭最終日におずおずと大学にやって来た。
柚木もすでに設営テントに来ていたが、お互いの気まずさのあまり顔も合わせなかった。
焼き鳥を売っている間は、目を合わせることなく必要最低限の会話のみふたりは行った。後輩の何人かには、昨日の飲み会でケンカでもしたものだと妙に気を使わ、赤川はいたたまれなかった。
それでも幸いなことに焼き鳥の売上は最終日も順調で、夕方には見事完売を果たし、柚木の計算の結果、その後の店を予約した打ち上げは無料、そしてWiiも無事購入出来ることになった。
「学祭終了お疲れさまでした!カンパーイ!」
「カンパーイ!」
赤川の音頭で大学祭打ち上げが始まり、池袋にある飲み屋の一室は一気に活気付いた。
「アカさん、お疲れさまでした」
後輩が赤川を労いビールを注ぐ。
「ありがとう。俺と柚木はこれで実質の活動は引退だから、後は任せたからな」
「そんなこと言わないで部室にも顔を出してくださいよ」
「もちろんそうさせてもらうよ」
「それで奢ってくださいね」
「それはない」
各自出来上がりつつある頃、柚木が赤川の隣に座ろうとやってきた。赤川は内心ビビったが、平静を装うと努力した。
「おう柚木、お疲れ」
「アカもお疲れさん」
そう言ってふたりは小さく乾杯をした。
「終わっちゃたな、学祭」
「まだ明日の片付けが残ってるよ」
「それはそうだけどさ、俺たち三年生もいよいよ就活だよな」
「今はそんなこと言わないでよ、酒が不味くなる」
「悪い」
そう言ったきりふたりの会話は途切れた。時折後輩たちのコールに合いの手を出すが、あとはふたりともチビチビと酒を口に運ぶだけだった。
先に動いたのは今回は柚木の方だった。
「昨日のことだけどさ……」
「ああ、あれな。忘れてくれ。昨日は酔ってたからさ。俺も何言ったかほとんど覚えてねーんだ」
嘘だった。本当は一語一句覚えていた。
「そうなんだ……。実はわたしもなんだ。あんまし覚えてない」
互いに嘘なのはバレバレだった。だが、そうでもしないと場が保たなかった。
「それにさ、俺らに限ってあるわけないよな。三年も何もなかったわけだし」
「だよね。アカなんて未だにわたしのこと――名前で呼んでくれないしさ」
「柚木……気にしてたのか?」
「初めだけ。唯一の同期が名字で呼んでくるって結構寂しいもんよ。もう馴れちゃったけどね」
「そうだったのか。ごめんな、ほら、俺男子校出身だろ?どうしてもいきなり名前はハードル高すぎた」
「知ってる。いろいろとそのことで悩んでたっぽいことも」
「別にそんなことで悩んだりはしねーよ」
図星を突かれて赤川は少し動揺した。だが次の一言にそんなことも消し飛んだ。
「だけどさ、付き合うなら名前で呼んでもらわなくっちゃね」
「……え?」
「ね、二次会は出ないで、ふたりでどこか行っちゃおうか?わたしたちは今日でどうせ事実上の引退だし、後は後輩に任せちゃってさ。アカには奢る約束もしてたし、わたし奢っちゃうよ、二千円分」」
柚木の提案に赤川は声を出せずに、頷くことしかできなかった。
飲み放題の時間が終わり、これから二次会へという流れの中、赤川と柚木は次期部長に「抜けるから後は次の代に任せた」と告げた。次期部長は意味ありげな笑みは浮かべたが、「任せてください」と言っただけで余計な詮索はしてこなかった(二次会でなんと言われるかは別だが)。そして赤川と柚木、ふたりは池袋の街に消えた。
――そしてそこから二時間後、赤川はもう柚木とは呼ばなかった。
「学祭マジック」なるものをご存じだろうか。
大学祭の準備から始まり、本番、そして後夜祭までの期間、奇妙な一体感とそれっぽい雰囲気が少なからず発生する。そしてその勢いにまかせて想い人に告白し、見事恋人同士になれる――それが学祭マジックである。
マジックと言わしめる所以は、成功率が異常なまでに高い点からである。
――そして、赤川瑞人もその魔法にあやかった一人になった。
最後まで付き合ってくださり、ありがとうございました!