大学祭準備
「学祭マジック」なるものをご存じだろうか。
大学祭の準備から始まり、本番、そして後夜祭までの期間、奇妙な一体感とそれっぽい雰囲気が少なからず発生する。そしてその勢いにまかせて想い人に告白し、見事恋人同士になれる――それが学祭マジックである。
マジックと言わしめる所以は、成功率が異常なまでに高い点からである。
――そして、赤川瑞人もその魔法にあやかろうとしている一人だった。
「柚木がいないみだいだけど、あいつどうしたの?」
「あれ?アカさん聞いてなかったんですか?カナエ先輩なら今日はバイトって言ってましたよ」
「バイトぉ?この大詰めにか!?」
赤川は後輩に悪態をつきつつ同輩の柚木かなえにメールを打った。
大学祭三日前に柚木に抜けられるのは痛い。赤川が部長を務めるサークル「フランス語研究会」に所属する三年生は赤川と柚木のふたりぼっちだった。つまり、指示を出す最上学年は四年生がとっくに引退した今、ここには赤川ひとりしか残されていなかった。このときばかりは同学年がふたりであることを赤川は呪った。
「アカさん、カナエ先輩がこれをアカさんに渡してくれって」
遅れてやってきたさっきとは別の後輩の女子はそう言って赤川に柚木に頼まれたものを渡した。財布だった。
「マジかよ……」
これも俺がするのかよ。
赤川が部長なら柚木はサークルの元締め、会計だった。そう、柚木は赤川に会計の仕事も投げたのだ。
そのとき赤川のケータイに柚木からの返事が来た。
(ごめん!どうしてもバイト休めなかった。今日はよろしく願い。今度おごる)
「そういってこれまで俺に一度でも奢ったことがあったか?」
赤川は不満たらたらであったが、それでも(今日だけだからな)とメールを打ち返し、赤川はケータイをポケットに戻した。出店の設営テントはまだだが、今日は食料、その他諸々の買い出しを予定した財布大活躍の日だった。
「頼むぜ柚木さんよぉ……」
独り言を呟いた赤川は、部室に集まった後輩に本日の段取りを「柚木が逃げた」ことを含めて伝え始めた。
「昨日はマジでごめん」
大学祭二日前の昼休みの部室。扉を開け部屋の中の赤川を確認し次第柚木は頭を下げた。あの柚木が素直に頭を下げる、そのあまりの行為の珍しさに赤川の「なんと言ってやろう」という怒りはどこかに消えた。部室にいた後輩たちも赤川同様驚いていた。
「やけに素直だけど、どうした?明日は雨か?」
柚木につむじを見ながらふざけた口調で赤川は訊いた。なんだか居心地が悪く、背中がムズムズする。いつものようになんだかんだと言い訳から始めてもらいたかった。
「わたしにとっても最後の学祭なんだから、穴を空けずにしっかりやりたかったんだよ。アカだけに任せるのはさすがに悪いとも思ったし、わたしとアカふたりでまとめなきゃいけないのもわかってるつもり。だけどバイトのシフトに急に穴が空いちゃってね、店長に泣きつかれちゃったの。そうするとわたしもそこでのバイト長いわけだし?簡単に断るわけにもいかないでしょ。あ、だけど学祭終わるまではもう絶対に無理って言っておいたから。もう休まないから。だから、ね?ごめん。それにアカならわたしがいなくても大丈夫かな~なんてね」
「なんだ、いつも通りじゃん」
「え、何が?」
「なんでもない。こっちの話」
赤川は「何よ?」訊きたがっている柚木を無視して内心ホッとしていた。頭を下げるなんて始めはぎょっとしたが、柚木はいつも通り饒舌に言い訳をかましてくれた。元気な証拠だ。そして、素直に謝るほど今年の大学祭を大切に思っていてくれことが嬉しかった。
赤川は柚木が自分と同じくふたりで舵を取る最後の大学祭を大切に思っていてくれたことが嬉しかった。
「ところでさ、本当に奢ってくれるわけ?」
「何の話だっけ?」
柚木は昨日の今日にして見事に話をしらばくれた。
「もういいよ、こうなることはわかっていたし」
「嘘だよ、今回こそは奢ってあげる。昨日は店長がバイト代に色付けてくれたから。帰りがけにサービスで二千円もらえたんだ」
「気前のいい店長だな。柚木に気でもあるんじゃねーの?」
「バカね、店長は女性よ。気に入られてるのは本当だけどね。わたし優秀だしさ」
「よく言うよ。前期のテスト落としたくせに」
赤川も人のことは言えた口ではなかったが、柚木が落とした授業の単位は取れていた。最近はよくその話をネタにしていた。
「うっさいわね。わたしは社会的に優秀なの。あんなジジイの授業意味ないわよ。――で、何か奢って欲しいものあるの?」
「そうだなぁ……それじゃあ学祭終わったら晩飯奢ってくれよ。学祭間近だろ?後輩と帰りにメシに行ったりするから近頃出費が半端なくてさ」
「わたしも同じようなもんだけどね。けど了解。学祭終わったら夕飯奢ってあげる」
「助かる」
「いいわよ、もともとわたしが悪かったわけだし」
「それもそうか。奢ってやっても奢ってもらうのも初めてだしな」
「その一言は余計よ」ムスッと柚木は窓の方を向いた。「それはそうとアカ、財布よこしなさいよ」
「財布?俺の?」
は?という顔をして柚木はまたこちらを向いた。「何言ってんのよ、サークルのよ」
すっかり忘れていた。赤川は鞄から領収書の詰まった財布を取り出した。
「焼き鳥の食材とかその他諸々の領収書、とりあえず全部もらっておいた。だけどよくわからなかったからまとめて全部財布にぶち込んどでおいた」
赤川たちフランス語研究会は大学祭では毎年恒例ベタだが焼き鳥を販売していた。これでもなかなか学内では評判で、売上も毎年なかなかのものだった。
「買う量が多かったからこうなることは予想してたけど、これは酷いわね……しかもグチャグチャだし」
「そこはゴメン。始めのうちはきちんと揃えていたんだけど、買い出し班が帰ってくる度にどんどん増えて、それどころじゃなくなった」
「……まぁいいけど」
そう言って柚木は領収書の束を部室の机に広げ、ノートに何か書いたり電卓を叩き黙々と作業を始めた。その速度たるや、基本面倒くさがりの柚木からは想像できないものだった。
「カナエ先輩すごいっすね」
部室で昼食を食べていた後輩たちが赤川に小さい声で話しかけた。
「うん、俺も驚いてる」
赤川も思わず小さい声で返事をした。茶々をいれることはもちろん、声を発することすら躊躇わせるほど柚木は集中していた。――なるほど、優秀なのは案外本当かもしれない。
「別に普通に話していていいよ」
ノートとにらめっこしていたまま柚木は言った。
「そう?なんか悪いな」
そうは言ったものの、柚木の作業が終わるまでの十分くらいの間、赤川たちの会話は弾まなかった。
「――終了っと」
「お疲れさまでした」
柚木が伸びをしたのに合わせて赤川たちは口を揃えて柚木を労った。
「ヤバ、もうこんな時間。ゆっくり昼ご飯食べてる余裕なくなっちゃたじゃん」
言いつつ柚木は買ってきたパンを口に押しやりお茶で流し込んだ。
「まだ焦るほどの時間じゃないだろ」
「次の授業で使うプリントまだ印刷してないんだよね。それじゃまた放課後に!」
部室の扉を閉めることもなく柚木は去って行った。
その日の放課後の準備は柚木も参加し、昨日の遅れを取り戻すかのように順調に作業は進んだ。
赤川は柚木の存在に改めて感謝した。そして、柚木がいるだけでこれほど自分のモチベーションが高くなることに驚いていた。実を言うと赤川は昨日は柚木がいない、それだけの理由で締まらなかった。考えてみると入学当初からずっと赤川はイベント事には柚木と一緒に行動していた。柚木がいないだけでこれほど自分が左右される。柚木の存在がこれほど大きかったことに赤川はひとりおののいた。その動揺のせいで途中赤川は「サボるな」とローキックを食らわされたくらいだった。
大学祭前日は大学の講義も全て休講となり、準備日として宛てがわれていた。
テント設営、ガスボンベの調達、その他諸々諸々。あっと言う間に時間は過ぎたが、それでも赤川たちはなんとか明日販売出来る状態にまで持ってくることが出来た。
夜、明日の繁盛を願っての飲み会が開かれることになったが、赤川は部長にも関わらすそれを辞退した。去年そこで調子に乗りすぎ、次の日の大学祭初日を体調最悪で迎えてしまった嫌な記憶が蘇ったからだ。同三年生柚木かなえも赤川と全く同じ理由で飲み会を辞退した。
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