最盛記
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふう、やれやれまいったな、こー坊よ。
どうも歩くのが遅くなったようでな。余裕をもっていたはずが、信号が変わりきるまでに渡りきれんかった。
まさかとろさが原因で、自分がクラクションを鳴らされる側に回るとは、昔は思わんかったよ。そうして他人につっつかれんと、自分の衰えとは認めたくないもんじゃなあ。
こー坊にはまだ実感が湧かないかもしれん。まだこれから右肩上がりの時期じゃろうからな。いまの好調がずっと続くと、信じて疑わないのではないか?
どうして生き物は、ことごとく衰えなくてはいけないのか? ずっと最盛期を保ったままではいられないのか?
栄枯盛衰の理を知っても、じいちゃんはずっと疑問に思い続けていた。優れたものがずっと力を持ち続けているなら、世の中は素晴らしいものであり続けるのではないか?
そう思っていたじいちゃんだが、小さいころにふと不思議なことに出会ってな。それ以来、少し考えをあらためようかと、考えたことがある。
その時の話、聞いてみないか?
神童、という言葉をこー坊は聞いたことがあるか?
子供だてらに、大人顔負けの力を持つヤツを神様の子供のようとして、こう評する。
小さいころというと、単純に他のヤツよりデキるヤツが、すごいという構図ができたな。運動であれ勉強であれだ。その両方をそなえる、いわば文武両道となれば、際立つものがあろう。
じいちゃんのそばにも、神童と称される子がいた。
何をやらせても常時トップをひた走り、じいちゃんは運動でも勉強でも後れをとりっぱなしだった。
じいちゃんの家の家訓は「鶏口となるも牛後となるなかれ」。つまりは大集団に埋もれる大勢とはならず、小さな集団でもトップに立てという考えでな。そこらが少しこじれて、一番至上主義ともいうべき雰囲気をかもしていた。
つらかったぞ。懸命に頑張っても2位以下に甘んじるがばかりに、怒鳴られて殴られまくる日々というのは。
本気であいつを、闇討ちしてやろうと考えたのは一度や二度じゃない。だが、じいちゃんは同時に武道の心得もあったからな。それらよこしまな思いは、ことごとくを自分の未熟ゆえと断じ、おさえこむことでより自分を高めようとした。
ヤツが100の努力をするなら、じいちゃんは200でも300でも重ねて、それを乗り越えよう。
そう信じ、じいちゃんは痛みにも侮辱にも耐え、肝をなめる時間を過ごしておった。
やがてじいちゃんたち、当時の子供たちの間である噂が広まった。
近いうちに、夜空に「ほうき星」があらわれる。そいつはこれまでになく大きく、明るいもので、この地球を通るときにいくつもの破片を撒くと目されていた。
それが多ければ、ひょっとすると町のひとつやふたつ、ヘタをすれば小島すらも滅ぼす隕石になるかもしれない。
誰が言い出した推測かは分からん。それでもじいちゃんたちは、あるいは怖さから。あるいは好奇の心から。やってくるだろう、ほうき星の気配に騒いでおったんじゃ。
じいちゃんもすこしく、天体をかじっていたから、ほうき星の存在そのものは知っている。だが、聞いたところほうき星はもう数日で、地球に訪れるという話じゃった。
たとえ悲周期なしろものであったとしても、もっと早くに観測され、話題にあがったりしなかったのか?
興味津々に湧く同級生を尻目に、じいちゃんは一抹の不安を覚える。
そうしてもう一人、神妙にしているのが例のトップをひた走るヤツ。これもまた皆の賑わいの輪にまじらず、自分の机に両肘をつき、組んだ手の上にあごを乗せて、じっと考え事をしている。
たいてい空き時間は勉強している姿しか見せないのに、どこかその態度がじいちゃんには気がかりだったんじゃ。
その翌日の晩。じいちゃんは夜に、こっそり家を抜け出して学校へ向かった。
明日、提出の課題をうっかり忘れてきたことに気づいてな。たまたま用事が立て込んだ日とはいえ、不覚をとったと思ったよ。
まだ街灯は少なく、暗い夜道ではあったが通い慣れた道筋ではある。じいちゃんは自分の足と、輪郭のみで浮かぶ建物の並びを頼りに、学校へ急ぐ。
そうして校門近くまでたどり着いたとき。じいちゃんはふと、つむじのあたりに、ちりちりする熱を感じたんじゃ。
すぐ上から、強い明かりを浴びせられたかのよう。
つい見上げてしまって、一気に目をくらませられる。そこにあったのは、太陽もかくやというまぶしさを放つ、大きなほうき星の姿じゃった。
しばし、まなこをこすり、今度は余計な光を入れないよう、指のすき間からおそるおそる空を見つめるじいちゃん。
ほうき星は、じいちゃんの掲げるこぶしほどの大きさを最大のものとし、右上から左下へ向かい、流れていた。その大本は見通せぬほど長く、地平の向こうへ伸びていながらもその光はいささかも細まっていない。
なお気を凝らして、ほうき星を観察するじいちゃんは、やがてその光の帯より火の粉のように飛び散る、細かい光を目にする。
青白さに近い輝きを放つ、ほうき星の本体。そこより離れる粉たちは、当初は同じ色合いをしていたが、ほどなく赤い光を帯びていく。そればかりか、じわじわと大きさを増してくるように思えた。
――落ちてくる……!
じいちゃんは直感した。
いま宙高くに浮かぶそれは、重力に引かれるまま地球の大気におおいに触れて、赤熱しているのじゃと。
ウワサが本当になる。じゃがそうなったときに、満たされる浪漫は刹那のもの。のちにもたらされるだろう被害は、ヘタをすれば永劫じゃ。
ならぬ、とじいちゃんが動こうとしたおり。
その赤熱したひとつに、向かう光があった。
右下より左上。ほうき星の軌跡へ真っ向から邪魔するような正反対の空より、同じような赤い光が飛び出した。
大より小。ほんの秒に足りぬ時間を重ねるうち、みるみる縮んでいく光は、あの色を変えた粉のひとつへ、磁石のようにあやまたず迫り……ぶつかって散った。
ひとつが成せば、後が続く。
ふたつ、みっつと新たな火が飛び、空の粉への逢瀬へ向かう。
首を空より地へ移すじいちゃんは、その迎えの火が思ったよりも近くから出ていることに気づいた。
校庭からじゃ。じいちゃんが向かおうとしていた先に待つ広い空間、その中央から今なお、打ち上げ花火のような光を絶えず放つものがある。
近寄ったじいちゃんは、その源が人ほどの大きさであると悟った。
あいつだ。常にクラスのトップをひた走り、じいちゃんの折檻の間接的な原因となるあいつ。それがいま、身体中からあの赤い火を放っていた。
電極ひとつ巻きつけてはいない。己の身一つで光に包まれるあいつは、その頭の先よりあの赤い火を矢継ぎ早に打ち出していたんじゃ。
あっけに取られるじいちゃんの前で、やがてその光が止むとき、空はほうき星本体を残したまま。かの粉たちはあまさず姿を消しておったのだ。
あいつが膝を折り、すぐさまじいちゃんは駆け寄るも、
「来るな……まだ!」
ぱっと腕を伸ばしたあいつの言葉の意味が、すぐ分かった。
何メートルも離れているのに、じいちゃんの身体は真夏のような熱気を受けている。これ以上は文字通り、肌を焦がすこともあり得よう。
ものの1分ほどで、冷めていく熱。同時にあいつは立ち上がり、なかばよろめきながらじいちゃんとのすれ違いざまにつぶやく。
「明日からてっぺんは、お前だ」と。
実際、じいちゃんは以降の勝負に関してはずっとあいつに勝ち、トップに立ち続けた。運動でも勉強でも。
親の圧力から解放された安堵も、なくはない。かといって、あいつが情けをかけているわけでもなさそうだった。
別人のような力の落ち込みよう。それはあのとき、星を打つためにあいつがその、神につながる才を使い果たしてしまったのだと思うからだ。
いまもじいちゃんはあいつに勝ち逃げされた気がして、心の底からうれしいとは思えずにいるのだ。
図抜けた力には、図抜けた使命の達成とともに衰えるさだめがあるのやもしれんな。