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そして空から ㊸から

作者: 瑞雲

四方山話話の途中、突然に言う不自然な言葉。主語述語の無い言葉・・聞いた事があるんです。何かの暗号かな?離れていても、人前でも用件を伝えることが出来る。まるで戦国時代?何を戦って居るのだろうかと思った。自分達を言い表して居るだけである。また噂を流す人達が居たとすると・・その資質を疑って見て下さい。小さな事かも知れないけれど・・争いの無い世の中になればいいと思います。

 お通夜の読経が始まった・・しめやかに・・厳かに・・。百合は父の隣で涙をこらえてこらえて座って居た。父を見習って、お参りして下さった皆様に深く頭を下げていた。喪服の着物は近所の人が貸して下さった。「お母ちゃんが縫って呉れたんよ・・最初に百合ちゃんが着るとは思わんかったじゃろーの」涙しながら着付けして下さった。百合の喪服は仕立ててなく、まだ反物なのである。姉麗子は嫁いで居たので、百合の隣に夫と二歳の娘・・。小さな我が家は親戚のオジサン、オバサンでいっぱいになった。近所の人達は、お茶の接待をして下さって居た。コップや座布団は町内会から借りることが出来るのだろう。(当時一般の家では、通夜葬式は自宅で執り行われる事が多かった)

チン・・チン・・帰命無量寿如来ー南無不可思議光ー法蔵菩薩・・・・・・南無阿弥陀仏ー南無阿弥陀仏ー

チン・・御文章 白骨の章 を拝読させて頂きます。・・(それ)、人間の浮生(ふしょう)なる(そう)を、つらつら観ずるに。おほよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。・・・・・されば、朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちにとぢ・・・・・母のお通夜で初めて聞いた・・・蓮如上人の書かれた御文章 白骨の章 である。その御文章は衝撃であった。この身に重なり・・一句一句身に沁みて涙が溢れて来てしまうのであった。百合はまだ二十二歳・・母という大樹に守られて今日まで生きて来ていた。頼りの母はもういない。でも、今日明日・・お葬式が済む迄は、泣かないでちゃんとして居たいと思っている。読経も終わり・・母美子がお兄さんと呼び、何かに付けてお世話になって居た母の従兄が(役職柄か流暢に、背も高く美男子である)「皆様にご挨拶と御礼を申し上げます。美子のお通夜にお参りくださいまして、誠にありがとうございました。生前皆様には大変にお世話になりました。故人となりました美子共々御礼を申し上げます。・・・・・葬儀は明日十時からでございます。夜道は、どうぞお気を付けてお帰り下さい」

百合も皆様に参列のお礼とお見送りをしようとして居た処・・。ある男が近くに来て言うのであった。「寂しい人(女性)であった」えっ!何?今の言葉は何?・・でも誰の事?この場で、お通夜の席で言うのは可笑しい!主語述語の無い突然に言う、その言葉。家族がこんなにも悲しんで居るお通夜に来て!!嫌味!その嫌味が憎くてたまらない!血も涙もない人?なのであろう。その場では聞き逃したけれども、事が済んで考えると分かって来るものが有る。皆の前で言えば、心当たりがある人は・・恥ずかしいかも知れない。狙いはそこであろうか。しかし言って居る、自分を言い表している事だと思うべきである。こちらは誰も知らない事で、全然関係ないのである。その時であった、叔父(母美子の一番下の弟まだ三十代)が来て・・「お宅はどなたですかいの!親戚でもなく!知り合いでもなく!場違いではないですか!」撮み出されていた。何の為に百合の近くで言う?と思った。遠くから態々此処まで来て、言う必要があるのだろうか?こんな事で百合は自棄にならない!我が家にも汚点があるよという事だろうか?もしも汚点があったとしても、克服している。慎ましく生きる背中を見せて貰って居る。住居侵入し婦女暴行した事は罪である筈・・汚点どころでは無い。それを棚に上げて何を言いに来たのか!憎い風習である。あの時母美子が、人間では無かったと言った。だったら何?・・あっ鬼かな?と思った事を思い出す。人がこんなにも悲しんで居る時に来て、嫌味!!血も涙もない、鬼そのものであると思う。鬼は普通の人間の顔をしていた!人間は時に(自分の利益の為に)鬼にも蛇にもなるという・・。また別の場面では仏にもなるとか、そんなことを何処かで聞いたような気がする。嫌味を言う事で・・自分達の利益になるのかな?

 そしてどの様に連絡が行くのだろうか?と思った。お寺さんより早く伝わって居る。伝えたのは、勤めていた時(百合は退職したばかり)の斜向かいの席の人であろうか?近所の誰かさんから伝わるのであろうか?直接連絡が入っていると思った。もしかして、さっきの男は竹林酒造、再開準備の日のあの男であろうか。「今晩行くけぇのー」誰に言ったん?と思った。何年ヵ前・・「わしの子は居らんか!」と言い、玄関に居たあの男。この人達のグループは後々迄、人に嫌味を言って生きるのであろうか。人は尊い生き物である筈、この人達はこれでいいのか!それに、仕事は如何して居るのだろうかと思う。仲間で連携して嫌味を言って居る間に、仕事の効率が悪くなる。仕事が出来なくなる。嫌味一番・・仕事そっちのけのグループと言って良いと思った。

 「百合ちゃんがお嫁に行く時は、我が家(持ち家)から嫁がせたい・・。お父さんは如何されるんですかいの。と言われるよ」姉麗子が頻りに言って来るのである。借家に父と二人きりで住んで居る娘は結婚の条件が悪いという。その様な事もあり・・母の生命保険五十万円を頂いた事もあり・・姉の貯金と父と百合の貯金を合わせて、家のローン六百万円の頭金にしたのである。

 その家は郊外の団地・・バス停迄遠く、不便な処である。それでも我が家が持てる!!皆は嬉しいものであった。特に百合達一家は倒産して、家を無くして居るからである。父も義兄も中古の軽の車で会社勤めを始めた・・。月々の食費と家のローンは父と義兄が四万円づつ出し合って、姉がやり繰りするのである。ガソリン代とか酒代とか衣服代等はそれぞれの財布から出すというのであった。父は造船会社を定年退職する前であったと思う。父名義でローンが組めたそうである。義兄は薄給であった。百合は結婚して、早く無条件で(お金のこと等言わずに)この家を出なければならない立場なのである。当時・・和裁学校に通っていた。一年生の時は、勤めていた時の失業保険で月謝や教材費など賄うことが出来た。二年目のこの家に移った時は、知人の着物の仕立てをして月謝を払い、小遣いにもなった。通学服は勤めていた時の服で間に合った。三年目は学校が受けた着物の仕立てをして、お給金を頂いていた。そんな訳で、家に居る時は仕立てもして、家の用事もして、子守りもしなければならなかった。姉の着物も、姪の洋服も縫って上げたけれど、それでも「あんたの為よ!」姉麗子はとにかく百合を使うのである。「和裁なんか辞めて、会社に勤めればいい!」夫婦して平気で言う・・。「今さら勤めないよ!何の為に会社を辞めたか!手に職を付ける為よ!」何を言われても悲しい時は母の形見の一枚の着物を羽織って、姿見で見ていた。母に抱かれて居るような気持ちであった。そんなある日「お母さんのあの着物・・貰ったけー」「えぇっ!それだけは!それだけは!返してや!」姉麗子は母の形見の着物をタンスから抜き取ったのである。二人で分けた母の形見・・「お母さんの遺言よ!返してや!」母の形見の着物も無くなった。貯金もこの家の為に差し出した。嫁に行く相手も居ない。それからと云うもの、百合は父の車で朝早く家を出て、放課後は学校に居残って縫物をして・・なるべく姉を避けるようになった。この家は姉の我が天下なのである。「ちぃとは可愛らしうしんさいや!遠慮しんさいや!嫁に行っても、盆や正月・・産後には帰って来るんでしょが!」(帰って来んよね!遠慮しに帰らんよ!此処で産後ゆっくり寝て居れる訳がないでしょうが。帰らんよね)と思った。言いはしなかった。小さな姪が聞いて居るから。麗子と百合が言い合うと、いつも小さな心で気を揉んでいるからである。こんな時・・親ならば姉麗子の気持ちを察して、優しい言葉を掛けるのであろうか。百合は小さい頃から病弱で、父にも母にも可愛がられた。そして甘えていた・・その腹いせかなと思っていた。それとも姉は産後の肥立ちが悪いのかも知れない。漢方薬・中将湯(婦人薬)を飲んでいた。如何して上げると良いのか分からなかった。

その後百合は結婚したけれども・・産後にも帰らなかった。盆、正月も儀礼だけ。あの形見の着物は三十年後に返されて来たけれど、着物を日頃着る訳でもなく・・只々虚しいだけであった。求めていた物は着物では無かったのである。心は、母の役目をする妹・・そして母の気持ちを持った姉であったであろうか。

 建ててから五年後その家は、百合達の物になった。これまた話が長くなる。何処から話すと良いのやら・・。掻い摘んで言うと、姉家族と一緒に住んで、二年後百合はやっと結婚したのである。その間辛い思いをした事が多々ある。姉とは価値観が違う事を実感した。それから三年後、姉夫婦は父と上手く住めなくなり、住宅供給公社の家が当選したと云うので・・家を建てて出て行くのである。只、会社を起こしたばかりであった。家の頭金を出すお金がないと云うのである。そんな訳でこの家は売りに出された。父と義兄が話し合って、百合夫婦に売るという事になった。当時、土地建物は値上がりして居て、買った値段の倍にして百合夫婦に売られたのである。これで姉夫婦とは終わり・・百合はそれだけで納得したのである。父には食費を入れて貰って、仲良く住めていた。父と仲良く住んで居ると・・突いて来るのが姉麗子の癖である。発端は自分達が使っていた、古い大きなマットを父に持たせるのであった。「お父さん~新しいマットにして貰いんさい!家に入れたらいけん!返しておいで!罰は当たらんよ!主人の手前もあるんじゃからー、気を付けてぇや」「わしが貰って来たんじゃ」父は返さなかった。主人の手前は聞こえなかったのか!言いたかったのは、主人の手前なのである。百合は父とはちょっと距離を置くようになった。「お父さん・・うち等はこの家、建てた時の値段の倍で買っとるんよ!残りのローンを払っても、お金は余るよ。何で分け前貰ってないん?お父さんの名義よ・・半分貰ってもいいのに!私の貯金、結婚資金も入って居るし、権利者よ!それに仲介料も払わんで済んでいるのに・・私等一銭も負けて貰って無いんよ!古いマットとは、何事ね!もう嫌なんよ。考え方が嫌なんよ!会いたくないから、言い値で買っとるんよ!お父さんの面倒を見て、仲良く住めば文句はないでしょうに。何かに付けて親を腐す義兄さんじゃけー嫌いなんよ!私、親を腐さない人と結婚したいと思っていた。念願かなって居るんよ」「わしが貰って来たんじゃ!仲良ぉせい!」ここでも価値観の相違である。父はこれ見よがしに古いマットを敷いて寝ていた。「家も古い、貰って来たマットも古い、主人の手前があるんじゃけー返して来てや!」姉の異常を感じて居たのであろうか。親だから、気が付いて居ただろう。たった一人の妹だとしても・・我が家族を守らなければならない。これ以上姉麗子の為に心血を注いだら、百合は潰れてしまいそうなのである。それに姉麗子は・・引っ掛けたり・・胡麻化したり・・ちょこっと嘘を言ったりする・・何の為に嘘を言う?と思う。何の目的で生きて居るん?と言いたい。信頼できないから、百合は何も言わずに遠退いてしまう。

 百合達は姉の家の頭金を出す為に、一八年のローンを組んでその家に住んで居た。その後百合達は転勤になり五年、そして社宅に住んで四年、百合達の家を建てる事になった。百合達の家の為に二十五年のローンを組んだ・・。今度は父が一人住むと言ってきかなかった。それで父の為に二〇年のローンを組んだのである。子供達の学費も必要な時である。大変であった・・でも、普通のサラリーマンが払えた事は不思議なのである。有難い事である。世の中の事で、1+1=2とは決まっていないそうである。-×-=+になるように、念力とか頑張りの領域かもしれない。百合も一生懸命に働いた。お父さんの住む家の為に・・子供達の学費の為に・・と思ったものである。「この家に住むんなら、住んでもいいから・・お父さんとお姉さんで家賃を入れて貰いたいんよ!うち等は新しい家に住むんだから、もう帰らんのよ。お父さんの部屋も作って有るんよ。来たらいいのに・・」その家賃と云う言葉が気に入らないらしい。親とか姉とか云う立場の人は何時も頭を高くして、平気で妹をこき使う事になっているのだろう。無駄遣いをしてでも、家賃など絶対に払わない!今に泣き言を言って来るだろうと思って居る。また私、百合も共に頭が高かったであろう。こういう時は何と言ったら良かったのかなと思う。頭を低くして頼むのであろうか。泣いて頼むのであろうか。内に来たらいいのに~来てくださいと云うのかな?でも、限が無いと思う。百合は自重した・・無理に一万円貰ったとしても、時が経つと・・もっと頂戴と思うだろう。二万円貰えば、もうちょっと・・と云うだろう。そお云う心になりそうな気がして嫌になった。貰わなくていい!頑張って働こう・・!と思ったのもこの時である。

 父の住んだその家は、ローンも済んで後に畑にしている。畑にして十年・・ハーブを植えてボランティア活動に、野菜を植えて娘に送ったり、美味しい柿を皆に送ったり・・。ローンが無いという事は何と心と体が休まる事か。幸せを感じて居たのである。

 しかし二年位前から・・ハーブが不自然に枯れるのである。ハーブは強く生きる植物であるから、枯れるなんて不思議であった。夜盗虫が異常に多い年があった。熱湯を掛けられたか?と思った年もある。魔法瓶のお湯で実験したけれど・・効果が無い。熱湯でなければならない!と思った。とすると、近くの人が加担している。業者にとっては、その土地を売らせたいのである。工事を受注出来るなら・・理不尽な事も何のそのである。世の中こうして動いて行くのであろうか?

 その土地は計・・三八年もローンを払い続けて、百合達は八年住んだかな?畑にして十年・・。今度は近所の人の為に、安く売らなければならない!何と云う私の人生であろう・・。親や姉の為にローンを組んだのは私の運命かも知れない・・でも近所の人の為に、その半分もお金が回収出来ないと云うのに!売りますかね!これは運命では無い。断固お断りすればいいのである。また代替え地と云う様な話も無かった!皆して暗号ばかり。嫌味ばかり。意味が解らない!これでは対処できないのである。出来た野菜や無花果、柿等近所の人、皆に差し上げて喜んで貰ったのに。その土地を安く買う為に、夜盗虫・熱湯・猪・不自然な出来事が続いていた。ああ!こんな世の中知らなかった!そんな訳で今日駐車場にする為の、見積もりを不動産屋さんに依頼した処である。百合達も後期高齢者となり、いつか駐車場にと思って居た処・・予定より一年早いだけである。この機会にボランティア活動も辞めて、生きる事のみを目標にしようと思うのである。

世の中いろいろあるもの・・。分水嶺の雨水のように、分かれて違う景色を見るのであろうか。姉麗子ですら、価値観が違う!同じ環境で育った筈なのに、捉え方が違っていた。視点と云うか、考え方が違う。時代(戦前生まれと戦後生まれ)が違う。出会った人達(友達)が違う。麗子と百合は全然違う生活をして居ると思う。妹を利用するために、暗号・・引っ掛け・・誤魔化し・・嘘・・。(その人の為に良い方向にと言う、優しい嘘では無かった)百合の一番嫌いな性質なのである。麗子は会社経営者・・社長夫人になっていた。会社の経理を担当し、お金には何不自由無いようである。お札を数える事が幸せなのであろう。只・・晩年・・六十代になってから、あの堅物の義兄に女が出来て、義兄は別宅に住んでいた。そして十年後七十六歳ですい臓がんで亡くなるのである。息を引き取ったその日も、直ぐには本妻・姉の処には連絡は来なかったそうである。朝早く亡くなったなら・・夕方姉の処に知らせが来たという。それは臨終前日に弟達が別宅に入り込み、その女性は帰らせて、弟達の分け前の証文に拇印を押させたらしい。それから夕方まで家探しをしたのであろうか、何をして居たのだろうか?と姉麗子と姪が言った。分け前の証文とは・・多分であるが三千万円の証文であるなら、五人の弟妹で分けて、一人六百万円・・高級車が買えたであろう。しかし後日、税務署から追徴課税の知らせが届いたそうである。その車、自分でローンを組んで買った方がよっぽど楽しく、大事に乗って居ると思うけどな。百合はそう思った。あの女性は後日、弁護士と共に姉の処に来て、証文にあるお金を請求したという。十年間の男女の関係と最後の一年は介護契約が結んであったという。姉麗子はお金がある為の苦労をしているのかな。今はマンションに一人住んで居る。近くに長女もマンションに一人住んで居る。気が楽と云えばそうである。幸せと云えばそうである。人の価値観なのである。会社を受け継いだ次女は・・頼んでいた税理士に丸め込まれて、会社を売ったのだと云う。無借金経営であった為、多額のお金は入ったらしいけれども・・会社を起こした義兄は、空からどんな思いで見て居るであろうか。母美子も見て居るであろう、母の思い出話が蘇る・・「金は天下の回りもの・・いつか回って来るから、心まで貧乏になったらいけんよ・・。蒔いた種は刈り取らんといけんからね」

 父悟の晩年は・・八十八歳迄その家に一人住んで居た。弁当を宅配して貰ったり、週一回位、ヘルパーさんに来て貰って料理をして貰っていた。日頃通院する病院迄は軽の車を運転していた。大丈夫そうだと思った。「部屋の掃除をするから・・」と言っても「せんでもええ!置き場所が分からんようになるけー、したらいけんで!」と言う。「畳表を替えるから、畳屋さんから電話があるからね。頼んであるから、日時決めてね・・」「せんでもええ!このままでええ!」と強く言う。「障子を張り替えるからね。障子紙買って来たよ。これから貼るよ・・」障子だけは白い綺麗な障子が残って居た。八十八歳の時、夜中に起きてウィスキーを飲んで椅子に座ろうとした処、後ろにある筈の椅子が無かった。目から星が出たほど(マンガに描かれるように)痛かったそうである。気を失って居て、朝になって百合の家に電話して来た。圧迫骨折と診断されて即入院。二か月入院、リハビリの後・・我が家の父の部屋に主が入ったのである。「やっと来たねお父さん・・介護保険を使って、ベットを借りようね、助かるよ介護保険。リハビリもするんよ」夫にお風呂に入れて貰うのは、気兼ねらしい・・。息子弦が上手に入れていた。力も有るし、弦に毎日の父のお風呂の担当をお願いした。「年寄りは毎日風呂に入らんでもええ・・」と入れ歯を外した口元で、もごもごと父は言った。「まぁそう言わんと、入りんさい。皆入るんじゃけ―。子供達が小さい頃、お風呂に入れてくれたよね。ありがとうね。主人は残業で遅く帰っていたから。だから私、子供をお風呂に入れる事・・下手クソなんよね。ウフフ・・」そんな幸せな日が二ケ月続いた頃である・・姉麗子が「家の近くの病院にちょっと入院さすから・・」と云うのである。また!と思った。父と百合が上手くいって居ると、突いてくる。姉麗子の癖なのである。そして途中で投げ出す、苦難は倍になって百合に帰って来る。今迄の繰り返しである。父と二人限になった時に言った「お父さん・・お姉さんは途中で投げ出すんよ!此処で折角皆に良くして貰てるのに・・行かんでもいいじゃない。姉さんは此処に連れて来て呉れないよ!」「私等が、お父さんの世話が出来ないよ。お手上げよ!施設に頼むよ・・」と言うまで此処に居ればいいよ。それに病院代や葬式代を貯金しないとね。此処に居て貯金しようね」と言ったのに・・。次の日、父はやっぱり行くと言うのである。携帯電話でどんな風に話したのかな。タクシー券を貰って居るから一人でも行くと言う。そうなら送って行くから、病院までね・・という事で。玄関でタクシーを待って居る時の事である。痛い腰を花壇に寄りかけて、父悟が云うのである。「今朝、主人に挨拶をしとらんのじゃぁ・・よろしゅう云うてくれえの!ありがとうと云うてくれえ。今迄悪かったのお。百合ちゃんは、もおええ!ありがとう。今度は麗子じゃ・・」と云うのである。半分痴呆になりながら二人の娘の為に、六十歳過ぎた娘を育てる為に・・施設に入るであろう事を選んだのである。この日から父は長女麗子の担当になった。鞄に通帳や印鑑、保険証、住所録、当面のオムツ。パジャマは姉がセンスの良いのを買うであろうから、一二枚。タオルはふかふかのタオルがあるであろう。鞄の底にあの・・二百万円の振込書の控えを入れて置いた。父の家を買い取った時の父の取り分であろう。税務署には父の取り分として置いて・・実は隠すために半年後に義兄の弟が勤める、島の銀行に振り込んだ振込書の控え。姉の部屋の引き出しの底に貼りついて居た。業となのか・・忘れたのか分からない。何か有った時は、この振込書を見て・・お父さんの為に世話をして上げて欲しいからである。それから八年後・・病院と介護施設でお世話になり、九六歳の誕生日を三日過ぎて、あの世へ旅立って行ったのである。その春頃の事であった。おしっこの収集が良く無くて強い薬を飲むからと、署名した事があった。その後に体中に酷い湿疹が出来て入院・・二カ月後、湿疹がどうにか治った頃である。・・・・・その後の事であった。看護師さんに優しく体を拭いて貰って「はい、これから・オシャレしましようね。入れ歯入れますよ」優しく口元を剃って最後のオシャレをして貰って居た。看護師さんは言う「息絶えても・・聞こえて居るんですよ・・」「有難うございます。すみません」父にこれ程優しい言葉を掛けた事があっただろうか。と反省した。百合はいつも一生懸命であったから、優しくはなかったであろう。「お父さん!よお頑張ったね!強かったね!ありがとう。ありがとう」と言うと・・何となく「うん・・」と顔が動いたようだった。あれ?と思った。「お父さん!強かったね・・」と足を摩りながら言った・・やっぱり「うん・・」と顔が動いた気がした。そしてその「うん・・」も朝方にはほんの小さな「うん・・」になっていた。母の命の分まで強く長く生きて、娘達を見守り、育てて居て呉れたのだと思った。

 障子だけは白くて眩しいほどであった。沢山のガラクタ?父の研究結果?を整理しなくてはならない。

一番役立つ物は・・(父六〇歳代は展覧会に出す程の菊を育てていた)鉢植えの古い土を分別する機械である。上から順に大きい金網目のある箱を付けて、大きい軽石が残り・・次は中位の金網目で、中位の軽石が残り・・。一番上の箱に土を入れると・・四段階に土を分別する機械を設計していた。製作したのは鉄工所であろうが・・アイデアと設計は父悟である。とても良いと思った。花の世話をしていると実感する。土振るい機があると大変助かる。鉢の土を再利用する為に、ふるいに掛けて鉢底石と土とを分けるのである。時間と労力がとても掛かる。それが一度に電動で出来るのである。「これゃーええ・・」と夫が言うのである。「我が家だけで使うには勿体ない、何処か・そうだ!植物公園に寄付したらどうだろうか」「そうじゃね、いいね!」で決まり・・「差し上げましょうか?二台ありますよ」と言うと、一日置いて「頂きます・・有難うございます」との電話である。トラックで取りに来て貰った。その機械は植物公園で働いて居るという。大変喜ばれて、カレンダーを頂いた。担当者さんは、植物公園の沢山並んでいる大きな鉢植えを見ながら・・「これからこの全部の鉢植えの土を再利用します。うちの公園では三段階でいいので、網目をやり替えています。大変助かって居ます」と喜んで頂いたのである。父悟は空から見ているだろうか。皆様のお役に立って居るので喜んでいるだろう・・、百合は空を見上げながら思って居た。あれから十年、機械はまだ動いて居るだろうか?修理しながら使って貰って居るだろうか?それとも新しい機械が出来ているかも知れないな・・。

 まだまだ考案して居た物もあったけれど、煙草盆に煙草を入れると‥自然に煙草の火が消える煙草盆。

煙草は今の世に合わない・・。扇形計算器もコンピュータで計算・積算する時代だから、今の世に合わない。一日中・・一人で住んで寂しかったであろうか?楽しかったであろうか?と思う。両方であろう・・でも多分夢中になっていて楽しかった方が強いかなと思う。娘家族に気兼ねしなくて済むし。只・・道具や機械を買い求めては置き場所を忘れて居たのであろうか。同じ道具や機械が沢山に・・山ほど残って居たのである。娘百合と麗子が仲が悪いから、この家に一人住むしかなかったのであろう・・・。

 長い長い年月が過ぎて・・百合は後期高齢者という事になった。薬を飲みながら、足腰が痛いと言いながら、何とか生きている。痴呆症ぎみの夫の世話をしながら一生懸命に生きている。生きる事のみが目標なのである。儀礼とかはなるべく無しにしている。竹林村からと云うと七〇年過ぎた事になる。もうあの頃の竹林村では無い・・。あの吊り橋は、コンクリートの橋になっている。洪水に備えて、川幅が広がり河原が広がって居る。後の大洪水で橋も田圃も流されたからである。竹林酒造は移転されて、あの・・なまこ壁の酒蔵の跡形もない。恵みの名水の水脈が断たれたのである。でも・・百合にとって何時でも蘇るのは、あの時の竹林村の風景。あの時の竹林寺のご院家さん、奥さん、慧光さん。あの時の竹林酒造の方々・・。隣の福ちゃん家の方々・・裏のU君家の方々・・。百合を周囲で支え、育てて下さった方々が蘇るのである。

 「お父さん(主人の事)不動産屋に頼んだ見積もり、なかなか持ってこないね。駐車場にする為の見積もり位、直ぐに出る筈よね。最初に頼んだ時から言うと・・もう三カ月過ぎた。早く決めて、この事の荷を降ろしたい。脳梗塞後の主人を抱えているんだから!この前来た時は・・固定資産の税金は今の三倍になるとか、通り抜け出来ない処だから、一台五千円以上は頂けないとか、満車になるのは、何年かかるか分からない等を言って帰ったけど。情報収集して居るん?そんな筈無いと思うよ。私、宅建主任の資格持って、その業界で働いて居たんだから、周囲の土地の事はよく見てるよ。畑にした十年前から計画して、工事代貯金していたんよ。一年早くなっただけじゃけね。業者はとにかく今の内に、土地を売らせたいんよ!売る段になると、安く安く売らせるのである。業者が儲かるから!買いたい人もあるんじゃろう。大体隣の人が欲しがる。月々の駐車場の仲介手数料なんて、10パーセント・一台につき何百円、面倒臭いんじゃろう。でもこれで貸主の信用を得るのに。業者が一人一回売りませんかと、言って来ても・・聞く方は何十回も聞く事になって・・売れと言う言葉はもう聞くのは嫌じゃね。決まって言うのは、今の内に売って置きんさい。姉麗子の処にも手をまわして売らせようとしていた。「内の借家頼んでいる不動産屋がね・・今の内に売った方がいいよ、と言ってるよ。客が有る内に売りんさい。内の借家にお客をなかなか入れて呉れんのよね」姉麗子から売れという言葉は、辛い!鬼かと思う程である。自分の借家に客を入れて貰う為?姉の目は・・百合を見るでもなく・・後ろに広がる、マンションから見える川面を見ていた。私に売りんさいと言えるん?驚きである。誰の為にローンを組んだか!姉さんの為に一八年父さんの為に二十年組んで、計四千万円払ってるのに!百合達は十年住んで無いんよ!只、百合は口に出して直ぐに言えない性分なのである。こんな事を言うと、はしたないかな?とか思いを巡らしていた。姉麗子は本当に身勝手である。帰り際である「正美と(麗子の長女)弦君(百合の長男)はどうですか?お互いに婚期を逃して居るし・・」「ええっ!」荷物を持って帰る処で、そんな身勝手な事を!これまた平気で言えるん?姉さんと同じものは持たない事にして居るよ!コリゴリよ。と思いながら帰ったのである。年の暮れに「酒粕手に入ったよ、お時間ある?」伺いたいと、メールを三度したけれど返事は無い・・。これは姉のペースに巻き込まれる。引っ掛けなのである。姉さんの住む世界は嫌なんよ!全てをお金で判断しているのである。それで、姉にはあまり会いたくない・・自然になるべく行かない様にしている。

 団地を見ると分かるように、高齢者一人住まいが多い・・。という事は少しすると、若い人が入って来るとか。高齢者の介護施設が出来るとか・・。様子が代わるという事なんよ!だから売らない!駐車場にして置くんよね。この土地の話も長くなるので、又の機会にしょうかね。その後評判の良い不動産屋さんに相談したのも良かったかも知れない。人それぞれあるように・・営業マンもいろいろ居るから。見積もりの時からのらりくらりと持って来て、見積書にも間違いがある。工事中にも手違いがある。業となのか?嫌にさせる為なのか!とも勝手に思ってしまう。工事は済んで値引きもして貰ったけれど、やはりしこりは残っている。悩んだ末、賃貸の仲介は頼まない事にした。拉致が明かない!当分の間、貸主が契約する事にしたのである。それにお父さん「満車になるのは何年掛かるか分からない」と言う業者と「八台ぐらいの駐車場・・年内に満車にしたい」と言う業者(私百合)どっちに頼む?思う事で人の動きが違うんよ。若い営業マン、私等これ位の孫が居てもいい年頃じゃね・・。この人小賢しい営業をしているけど、これではいけない、信頼の営業でなければ・・と気付いて貰えるかね?」「如何じゃろうかの?」

 「今日は疲れたよ、お先におやすみなさい。寝の谷で待ってるからね・・」「あぁ・・寝の谷でのぉ」

 あれ・・ここは何処?霧の中に居る様で、はっきり見えないけど・・ここは何処?夢を見て居るのかな?あれっ・・お父ちゃん~お父ちゃんじゃぁ、父悟がこっちに向かって歩いて来ているので、びっくり!病院の車椅子ではなく、杖をついて歩いている。と、言う事は・・ここは天国?浄土?雲の上?空から?九六歳で往生した時より・・ちゃんとして居て、若く見える。世話をして貰って居るのだろう。母美子に巡り会えたのかな?「お父ちゃん・・もう一度会えて良かった!聞きたい事があるんよ。あのね・・あれよ!お父さんの人生の事!全~部嘘なんでしょ。悪いお父ちゃん役の、大芝居なんでしょ!うちの家から出る時に言ったでしょ。玄関先で、花壇に寄り掛かって「百合ちゃんは・・もうええ!今度は麗子じゃ・・」と言ったでしょ。それで気付いたんよ。お父さんは業と母や私等に苦難を与えて・・人を育てて居たんだと思ったよ。粗行事であった。百合は必死でやり抜くタイプ、やり抜いてからやっと解ったんよ・・。ありがとう。業となん?早く気付いていたなら・・優しい言葉の一つや二つ・・三つや四つ・・掛けて上げること、出来たかもしれない。厳しくてごめんなさい。それとね子育てはやっぱりお父ちゃんの方が上手よ。私ね、子供に何もかも与えてしまったんかね。一生懸命育てたんよ・・でも、息子弦は未だに独立してないんよ。

 お母ちゃんは居る?南のお花畑?はーい・・一人で行って見ます。あっ!あそこだ・・お母ちゃん~お母ちゃん~居た居た・・お花の世話をしている。お母ちゃん会いたかったよ!お久しぶり・・お元気で何よりです。若くていいね・・私・・お母ちゃん(四十九歳で往生)より、お婆ちゃんよ(七十五歳)ウフフ。あっ白地に小花模様の紬の着物、納棺の時に着て逝った着物・・まだ着ているんじゃね。時々着ているん?よう似合ってるよ!着物はお母ちゃんの十八番・・よう似合うんだから。お母ちゃん・・時々私の傍に来て、守って呉れて居た事、分かって居るんよ。だから頑張れたんよ、お心遣いをありがとうございます。

 あれはもう五十年以上昔の事・・お姉ちゃんとケンカして、(形見の着物を抜き取られた時)墓迄泣きながら歩いた時の事よ。村の入り口の高い木々から・・ポロロン~とメロディーが聞こえた気がしてね。二頭(正式な蝶の数え方)のモンシロチョウが降りて来たんよ。そしてね百合の目の前・・少し高い処で・・おいでおいでをして居るんよ。心配しておいでおいでをする、まるで母の手であった。魂であると思った。その蝶は、百合をグイグイ引っ張って行った・・高くなり低くなり、おいでおいでをして墓の入り口迄来ると、秋空高く消えて行ったよ。辺りは夕日に抱かれて・・黄金色の稲穂は頭を深く垂れていた。「お母ちゃん~」涙涙で叫んでいたのである。墓迄の道は一キロメートルはあるであろう。高くなり、低くなり・・途中白い軽トラが猛スピードで走って行って吹き飛ばされたけれど、蝶はまた帰ってきて、おいでおいでをしていたんよ。二十三歳にもなる娘が泣きながら歩いたんよ。あの蝶はお母さんの魂であった。小さな蝶の姿になって・・此処までに守って貰っている!と思った。それにその小さな蝶・・この世に何日ある命だろうか。その僅かな命を私の為に・・ありがたい、申し訳ないと思った。その日、墓前で沢山涙を流して帰ると、不思議に元気になる事が出来たんよ。

 まだ有るんよ・・。五年間の転勤から帰って来て、ある日一人バスに乗って、お墓参りに行ったのである。(墓は母の里の墓地に)村の入り口の高い木々がある辺りから、一人の婦人が歩いて来ている・・。着物姿に白い割烹着を着て、手は割烹着の下に入れて何か持って居る。母の仕草に似ている、ええっ!まさか・・。メガネをかけて・・白髪交じりで背格好も同じ位・・まさかと思って、その婦人の顔をまじまじと見ていた。駆け寄りたい!でもまさか・・。そうこうしていると、その婦人「お帰りなさい」とニッコリして言うのである。「エェッ!」・・目と目が合った。百合が墓参りの花束を持って居たせいかな。顔をよく見た。母であった。声といい・・会いたかった母であった。百合は恥ずかしそうに、肩をちょっと上げて・・ニッコリとして「ただいま」と言った。通り過ぎて、振り返って見た時・・誰かと立ち話をしている。その人はもう違う人の横顔であった。その時だけ、その人の体を借りて、母は心配して現れて呉れたのであろうか?そんな事あるん?時々出来るん?でしょうね。母はもう仏様なんだから・・ありがとうございます。

 百合五十歳位の時・・形見の着物を返せ返せと言うから、姉麗子は返して来たんよ。御免という言葉は全然無く「百合ちゃんはしつこいね!」と怒っていた。そんなある日の事・・またポロロンとメロディーが聞こえて来てね・・崖の下に蝶が居たんよ。百合は何故かあの時の蝶を思い出して居た。二階から見た崖の下の蝶・・。低い位置の蝶・・。百合は考え方が低かったかな?と思った。母に見守られて居る事を実感したのである。

 三年前かなお母さんの五十回忌済ませたんよ・・生きていたなら、今年もう百三歳であろう。母の言葉は今でもちゃんと生きている。何か困難な事に出会ったならば、分かれ道よね。人生ゲーム、そのものかも知れないね。自分の判断で行動しているよ。悪い事はしない方がいい、それが近道よと、皆に言って上げたい。小学校一年生の時の作文・・全~部お母さんの言う様に書いたら、学校新聞に載ったよね。今もね書いて居るんよ・・お母さんの言った事や教えて呉れた事は、全~部物語なんよね。物語を書かせたいから・・身をもって、苦労を見せてくれたんでしょ!書かせて世の中の為になるように。少しでも世の中が良くなるようにと思って居るんでしょう。お母さんはもう仏様なんだからね・・。何もかもありがとうございます。この母ありての私です。

 一つだけごめんなさいがあります。姉麗子と仲良くして居ません。お母さん役のような、何もかも叶えてあげる妹にはなれなかった。なるべく遠ざかって居ます。でも、しかし孫が東京から帰った時・・麗子お婆ちゃん家に、お年玉を貰いに行くと言って聞かなかった。ごめんなさい、お年玉・・頂いたようです。お姉さんはこの頃、痴呆症ぎみと聞いて居るんよ。八十歳過ぎて居るんだから、仕方ないかね?私・・物語を書いて居るから・・暗号とか引っ掛けとか誤魔化し嘘なんかに出会うと、頭の中がこんがらがって、書けなくなるから嫌なんよ。他の人とも、暗号、引っ掛けする人とは、なるべく遠ざかっているんよ。

 A先生に会いたいんです・・どちらに居られるでしょうか。多分教育関係の仕事に就いて居られると思うんです・・。父悟と同い年であったから・・もう百八歳位かな。背も高く美人の先生なんですよ。一度お目に掛ってお礼が言いたいんです。そして一生掛かって頑張りましたよ。あの時期、先生と出会えたこと有難いと思っています。お蔭さまで此処迄頑張りましたと、お礼を言いたいんです。

 大屋さんはどちらに居られますか?百合は大屋さんの奥さんに憧れていたんですよ・・。お蔭で此処までになりました。子供達が小さい時は、奥さんを見習って手作りの洋服を着せたものです。家のお掃除、庭の手入れ、料理もプロ級、そして人の世話・・。子供さん、お孫さんもお医者様になられて居るそうだから・・家には何か上手くやりこなす法則が有るのかなと思うのです。近くに住めて良かった。有難うございます。

 竹林寺の慧光さんは、百合が小学一年生の時は大学四年生・・日曜学校で育てて貰っている。法話・昔話・歌・掃除・遊び・・自然に法話が耳に入って、心に残って居るんです。遊びの中で育てて貰って居た事を思い出します。竹林寺の中庭にクルミの木があって・・秋になると落ちたクルミを拾って遊んで、食べたものです。まるでリスのように、殻を割って食べるんです。石でコンコン叩いて、リスのように忙しく叩くんです。リスの気持ち分かります。その生のクルミとても美味しいんです。それを見ていた慧光さん・・クルミの木を揺すって通り過ぎて行って下さった。ポロポロとクルミの実が落ちて来た・・。百合は心の広い、優しい人の傍で育って居た事をこの上なく有難いと思っています。

 竹林酒造の裏庭は此処ですか?昔と同じ様な雰囲気ですね。勝手口から奥のお祖母ちゃんの部屋にお邪魔して見ようかな。「あっお祖母ちゃん・・この頃背中、伸びましたね。あれ?背中に真綿乗ってないんですね。羽毛のベスト着てるんですね。此処では何時でも、好きな洋服や着物を着てもいいらしい。時代も好きな時代に帰る事が出来て、いいですね。空では実際に繕い物をしなくていいんでしょう。繕い物をしようと思うだけ・・。そうすればもう出来ているとか、聞いた事あるんですよ。本当ですか?坊ちゃんはまだですか?」「ええ未だ来ませんね。道草じゃなくて・・まだ大学に残って、生徒さん達と研究論文を仕上げるとか言って来ましたよ。いずれ来ますから?此処で待って居ると良いですよ」「ハイ・・有難うございます。でも私、ちょっとまだ用事がありますから。人生の店仕舞い・・その準備を始めた処です。若い頃編み機で編んだ・・黒い毛糸に大きなひまわりの花の、編み込み模様のワンピース。力作だから、捨てられなくて・・。そのワンピースで手提げバッグを作った処です。今度来るとき持って来ます。見て下さいね。こちらの世の人は、自由に姿を変えたりして、私達を見守って下さるのでしょう・・」

 そして空から・・竹林寺の境内で遊んだ思い出は、いつも穏やかな光に抱かれている・・。周囲で支えて居て下さった方々の思い出が蘇る・・。

大屋さんに出会えて良かった。A先生に見守られていた。父悟は、麗子と百合をより強い人に育てる為に・・人生の大芝居をしていた。母美子は・・書けない百合の為に、身をもって物語を語って見せて呉れたのである。坊ちゃんに鍛えて貰った、この精神・この体・・何かに役立てたいと思うのである。何があっても痛・事・無。痛い事無いんだから。姉麗子の身勝手な振舞・・お蔭で百合は何事も如何言う事かと、深く考えて行動をするようになった。強く逞しく育っている。

 空から見れば・・分水嶺に落ちた一滴の雨水は・・分かれて根の谷川に入り太田川へ、そして瀬戸内海へと続く旅をする。分れた一方の雨水は、可愛川を下って江の川へ、三次市で大きく曲がり、江津市へそして日本海へと続く旅をするのである。一滴の雨水の旅は・・それぞれの過程も風景も全く違うのである。どちらが良いかを言うのではなく、出会いとか風景が面白いほど違う・・。そして何もかも一緒になって、大海に流れて・・海の生き物を育てて・・そして蒸発・・雲になる・・再び雨になって、地上に降り注ぐのである。循環・・浄化・・して居る事を思うと、みんな繋がっているんだ!!と気が付くのである。                           

 人の一生も・・空から見ればよく分かるであろう。心の目で見るのである。あの時あ~して、あの人に出会った。この時こ~して、この人に出会った。あの時頑張ったから・・風景と共に蘇るのである。人と人が出会い何かを得て、自分を語って居る。人生とは、困難とは、自分を見つける・・人生ゲームではなかろうか。閻魔様もいちいち人のこれ迄の事を、見たり聞いたりする暇がないのであろう。そこで難所を作って置くと・・人はどうするかで、自分を語るのである。行く末を自分で選択させるのであろうか。それぞれの出口があり、空へと続くのであろう。生まれて此の方ずっと・・閻魔様の前・仏様の前・神様の前?それとも掌?ずっと見守られて居たような気がする。自分が選んだその時、お金とか、物、地位とかは得たとしても、幸せそのものでは無い事を心得て置こうと思う。

 いつか人は召されて・・浄土に住むのだろう。空から見ていて、困って居る人があれば、誰かの身になり、共に助けたり、慰めて上げたり。いつか見た蝶のように、母の魂のように・・傍に来て貰って居る。

 仏教で、往相(おうそう)還相(げんそう)という事を聞いた事がある。往相とは・・衆生(しゅじょう)が浄土に生まれ行くすがたのこと。還相とは・・浄土に往生した者は、この世に再び還り来て他の衆生を教え導くこと。浄土に往生しても、仏様は忙しく私達の為に働いて居られるという事である。

 そしてあの・・何か暗号を送って居るグループの人達!自分達の名簿がある為に、それを使って皆で相手をやり込めるん?相手の情報があれば、弱みを握って居るから手下に出来るん?訳が分からない事であった。今の世で?戦国時代ではない。此処は日本よ、戦わなくてもいいんよ!手下にしなくてもいいんよ!と言って上げたい。その絆、自分達の為に解散するべきである。この言葉を言うべき人は、百合しかいない!本人の知らない噂を流すグループと、その噂を聞かせまいとするグループ、周囲の人達に守られ、苦難を乗り越えて来た百合。この問題に取り組む事は、百合の使命と云うものか。

困難を与えて呉れた人達も、有難い存在である。あの困難があればこそ、掴めた事があるからである。

鬼も神様・仏様であると聞いた事がある。鬼のあの悲しそうな顔を見よと・・言って解らないから、鞭打つのである。「まだ分からんのか!良い物を隠し持って居るだろうが!出せ出せ!何処に隠して居るんじゃ!白状せい!良い物を持って居る筈じゃ!」こんな風に人が持って居る、得意な物を引き出す為に・・鞭打つ!!そうだとすると、もしも私、この世に生まれた意味・役目があるとしたら・・。書く事!か・・。苦しさの様を書いて見ようと思った。三〇代の頃、転勤先で見た天王さんのお祭りのように(お神輿を笹の葉で打っていた。最後は皆で打ち破り、新しいお神輿を奉納すると言うお祭り)・・百合は古い風習を打ち破る役目が有るのかも知れないと思った。小さな投げかけになるかも知れない・・書いて役目を全うして見ようと思う。十代の頃母が見て貰った占いで・・〇○○星は女性でありましたか・・世紀末に現れて、古い風習を打ち破り、新しい世の中をつくると言う運命の星・・。八百年前貴族社会から武士が台頭して、武士が国を司る世の中になったように。これからはどの様な社会になるのであろうか・・。女性が政治、経済、社会に進出して居る事は目に見えている。しかし百合は今迄何もしていない。どうすれば魔力を使うことが出来るのか?それさえ分からない。まぁ占いにも、生まれた時間とか、分とか細々規定があるのであろう。ちょっとだけ違って居たんかな?それともあれも夢なんかな?苦難だけは人一倍あったのに!いい事が無い!割が合わないね!と思って居る・・。本当に・・。

 年を取る事はありがたい事だと思う。体の機能は少しずつ衰えているけど・・目に見えないものが見えるとか・・感じる物があるとか・・思いが通じるとか・・不思議な力が備わって来ている。いろんな経験を積んで今日があるから、ありがたいのであろうか。

 そして空から見ているように・・・鮮やかによみがえる思い出がある。夢なのか?認知症になりそうなのか?浄土と現生を行き来して居るのかも知れない。只の一市民であるけれど・・世の中争いの無い、少しでも良い方向に向かいますように願って、このお話は終わります。                 

                                             完     

困難に遭遇した時、思い出して見て下さい。此処が分かれ道なんですね。そして自分を言い表すチャンスですよと・・。

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