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【第94話】最初の殺人

 さいご、というその言葉が生命の終わり際を示すことくらい、ロシュートにはすぐわかった。


 だからそれ以上に分からないことが思考の前に立ちふさがってしまい、ちょっと待て、とうろたえることしかできない。


「お前が、見届けた……?というか俺が死んだあと、唯奈も」

「そうだよ。彼女は一度死んでいる」


 ウマコトはあっさり答える。


「リリシアに言わせれば、魂というのはたったひとつしか存在しないものらしい。それを信じるなら、転生している人間は例外なくそうさ。それはあなたもだし」


 そして自らの胸に手をあて、


「もちろん、俺もね」

「そうかもしれないが……いや、やっぱり辻褄が合わない」


 ロシュートは淀んだ思考を必死に前へと進める。


「俺の記憶はカーネイルからあの魔法をくらうまでは全くなかったんだぞ。それでなんで俺も、唯奈も、そしてお前も転生者ってことになるんだ」

「リリシアから聞かなかったかい?転生者が記憶を保持できる条件について」

「……」


 薄々、分かってはいた。認めなくなかっただけで。


 だがいま向き合わないでどうする。ロシュートは自身を鼓舞する。


「罪の自覚と、自分の人生への悔い。だろ」

「そう。彼女の言う『赤き純粋人』とは、強い悔悟の念によって記憶を来世へと持ち越した転生者のことを指す。もっとも、俺は彼女に自分がその『赤き純粋人』であるとはバレてないんだけどね。リリシアってばひどいんだぜ。いくら説明しようとしたって、あなたのようなチャランポランが『赤き純粋人』であるはずがありません、って確認すらしてくれないんだ」

「じゃあ……」


 ロシュートの言葉尻が空へと消えたのを、ウマコトは笑みを浮かべ、拾う。


「そうさ。俺は、俺の無意味な人生をやり直すためにここにいる」


 ま、とりあえず聞いてよ、とウマコトは軽く口火を切った。


 その笑顔は、いつもの彼らしくもない、暗く沈んだ、誰よりも深い悲しみを湛えているような、そんな表情だった。


「俺が川野唯奈と知り合ったのは彼女が13歳になった誕生日だった。中学1年、担任の先生は変わった人でね。クラスメイトの誕生日に決まって手紙を書く人だった。普通は手渡しだったけど、学年がはじまって以来一度もクラスに顔を見せていないやつがひとりいた」


 唯奈か。ロシュートの確信に、ウマコトは頷く。


「重い病気を患って入院しているらしい川野唯奈。先生は彼女に手紙を渡しに行く同行者を募った。だが、立候補する者は誰もいない。小学校からの付き合いがちょうど切れたタイミングだったからだろうね。彼女に、友人らしい友人はいなかったんだ」


 その話にロシュートは聞きおぼえがあった。正しくは、それを思い出せるようになっていた。


 唯奈のクラスメイトに対する愚痴が一度、中学進学時に無くなったことがある。小学校に在籍していた頃の友人はみな成績優秀で、学校に通えないから高い学費を払う意味はないと主張し公立中学への進学を決めた唯奈と違って私立進学校へと進んだ彼ら彼女らは、時折手紙なんかは届いても見舞いに来ることは滅多に無くなった。


 そしてそれは、まさしくその誕生日を期に再開することとなったのだ。


「自分で言うのもアレだけど、俺って結構クラスでも浮いている方でね。俺なりになじもうとはしたんだけど、どうも友人ができなかった。先生が同行者に俺を指名したのは、きっとそれも見かねてのことだった。結果だけ言うと、俺は気の合う友人を見つけたのさ」

「思い出した。でも唯奈の13歳の誕生日、あいつは怒ってたぞ。友人面して見舞いにやってきたやつがムカつくって」

「あれぇ!?いやまあそりゃ向こうは友達だとは思ってないって言ってたけどさ……」


 まあ唯奈は素直じゃないところあるからなと呟くウマコトを殴り飛ばしたくなるのをロシュートはぐっとこらえる。


「だけど、そうだ。その日以来、ユイナは何かにつけてそいつの話をするようになった。たしか名前は、マコトくんって……あ」

「よーーーやく思い出したかい!」


 ロシュートの脳の、決してつながることのなかった神経が接続されると同時にウマコトは叫んだ。


「なぜかこっちの人は俺の名前を正しく認識できないからね!けどまさか脩人兄さんまでそうだとは思ってなかったから最初はショックだったよ、相当!だって『ウ』がつくかつかないかのたったイチ音しか違わないのに分からないんだぜ!?フルネームはまんまサトウマコトだったっていうのにだよ!」

「わ、悪かったって……」


 突如ものすごい剣幕でプンスカし始めたウマコトをロシュートはどうどうとなだめつつ、


「けどやっぱ会ったことはないんじゃないか。お前のそのいけ好かない顔がニホンでも変わらなかったんだとしたら、たとえちょっとくらい幼くても思い出せそうなもんだが。いまの俺なら」

「脩人兄さんは受験生だったからね。夜遅くまで学校に残って自習をしているんだと聞いていたよ。そして丁度俺が帰るくらいに、入れ違いでやって来るって」

「……俺って結構勉強熱心だったんだなって、ちょっと待て」


 意味の分からない初耳の言葉のハズがなぜか理解できるという奇妙で気味の悪い現象と戦っている最中でありながら、ロシュートの脳にどうしても無視できない疑問が浮かんでしまった。


「お前、まさか毎日唯奈の見舞いに来てたのか」

「そうだよ」

「うわ」

「引くことないじゃん!俺の友達は唯奈ひとりだったし、友達じゃないにしても、唯奈の話し相手も脩人兄さんを除けば俺だけだったんだから」

「にしたってさぁ……」


 バカは死んでも治らない、と言うが。


 不謹慎なことを考えていたロシュートをさらなる嫌な疑問が追撃する。


「ん?もう一個確認だが、あっちの俺とお前は会ったことないんだよな」

「一回だけ病室で鉢合わせてるかな」

「言われてみれば見覚えがあるような……まあそれはいいんだが」

「うん」

「じゃあ何でお前は俺のことさっきから脩人()()()って呼ぶんだよ。もしかして記憶にない弟だったりしたのかって思ってたんだが」

「それはいずれお義兄さんになる予定だったから……」

「やっぱ気色悪(キショクワリ)いわお前ぜったい唯奈に近づくなよ金輪際」

「手厳しいなぁ」


 ウマコトは特に反省した様子もなく、そしてあっさりと、


「それでしばらくして、脩人兄さんは亡くなってしまったわけなんだけど」


 その一言は軽く放たれ、しかしずっしりと重くロシュート胃のあたりにのしかかった。


 ここから先が本題。


 川野脩人が死に、そして川野唯奈が死ぬまでの話だ。


「軽く経緯を話しておくと、ある日突然唯奈は面会謝絶となった。けど俺がずっと見舞いに通っていたことは病院の人にも知れていたし、何より川野唯奈に残された家族はもうひとりもいなかったからね。俺は唯奈が病院を抜け出したこと、それを呼び戻しに行った脩人兄さんが事故に遭って亡くなったことを聞いた」


 ウマコトは天井を仰いだ。


 その目に涙は浮かんでいない。


「2か月くらい後だったかな。医者の判断で俺の見舞いが許されて、久しぶりに会った彼女は変わってしまっていた。何を言っても生返事ばかりで、暇さえあれば窓の外を眺めている。それでもまだマシで、雨が降っている日には……自分をどうにかして罰しようとしていた」

「……」


 言葉にならない。


 ロシュートの悲痛な表情を伺うことなく、ウマコトは続ける。


「放っておいたらご飯も食べない。でも俺は彼女に生きていて欲しかったから、看護師さんと協力して色々やったんだ。そんな調子で2年以上やって、俺が高校に進学したころになってようやく唯奈は落ち着いて、俺とも会話してくれるようになった」


 けどね、とウマコトは区切る。


「日常会話はできても、冗談に笑うことがあっても、唯奈が絶対にしない話があった。過去と、未来の話。昨日のことも、明日のことも話したがらない。というか、思考がぜったいそこに及ばないようになっていた。彼女はただ、繰り返す『今日』だけを生きていた。でもそんなことお構いなしに、彼女の病は進行していった。最初に足が動かなくなって、次に腕が動かなくなった。形のあるものを食べるのも、難しくなった」


 形のあるものが食べられない。その言葉を聞いたとき、ロシュートの脳裏によぎったのはいつか彼女にあげたクッキーのことだった。


 唯奈(ユイナ)はどんなお菓子でも、どんな食材でも、おいしそうに食べてたっけ。


「どんどん衰弱してく彼女は、それでも何も変わっていかないかのように、過去も未来もないかのように振舞った。それはまるで、俺が彼女と真の意味で『友達』になる未来も訪れないことを意味しているような気がしてね。だから俺は彼女に未来を訪れさせるために、友達になるために、医者になることにした。医者になって、彼女の病を治してやると」

「それでお前には医療知識があるのか」

「ああ。決めてしまえばなんてことはないことだったからね。ちょっと勉強して、無事に医学部に、分かりやすく言えば医者になるための学校への入学が決まったよ。そして」


 そこでウマコトは初めて言いよどむ。


 次に起きた出来事がなんであったか。


 ロシュートにも想像はつく。


 だから言わなくてもいいと、そう伝えようとした瞬間に、ウマコトが口を開く。


「川野唯奈は死んだ。18歳の3月。ちょうど、俺の合格が発表された日に容態が急変して」


 ふぅ、と長い息を吐いて、ウマコトは続ける。


「普通に考えれば間に合うわけがないと分かったハズだったんだけどね。そこから先の人生は空虚なものだったよ。普通に医者をして、普通にお金を稼いで、普通に生きた。ただひたすらに……まあもっとも、俺は結局その()()だけで、本当に『普通』を手にすることは終ぞできなかったんだけどね」


 何も手に入れられなかった少年は自嘲する。


「何十年か『普通』の医者をしていただけなのに、気がつけば色んな人が俺に助けを求めて各地からやってきた。そのなかのひとり、交通事故に遭った妊婦の女性を救うには胎児の命を諦める()()()()()()


 合理的な判断を指標に自分を導いてきた青年は息を少し吸って、続ける。


「結果として、俺は母親を助け、胎児(もうかたほう)を殺した。その時の優先順位(トリアージ)は、それが最善であることを指し示していた」


 自らの薄れた感情を論理で代替してきた男は、結末を述べる。


「俺は助けた女性とその親族から訴えられた。けど法に則った、()()()判断だったからね。結果としては、俺の勝訴。俺の最初の殺人は法の下で正しいと認められーーー」


 佐藤誠は、自らの終わりを語る。


「そしてその日の夜に俺は殺された。待ち伏せされていた家の玄関で殴られたり蹴られたりしながら胎児(かれ)の遺族たちにどんな事情があるのかを聞かされたけど、理解できなかったよ。代わりに思い浮かんだのは彼女の顔だった。同じ結末しか待っていないんだとしても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……と、思った。そしてその次の瞬間に」

「こっちに、転生していたってことか」

「ご名答!」


 ウマコトは、自らの始まりを語る。


「すべての属性の魔法を『普通』に操れるSランク冒険者サト・ウマコトの誕生ってワケ。でも結局、俺は『普通』にはなれなかったみたいだけどね」


 すべてを常識から逸脱した男は、少し目を伏せ、いつものようにそう自虐した。

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