【第92話】神話の具現者
「ロシュートお兄ちゃんっ!」
灰色の空に溶けるように記憶が融解し、ロシュートの意識は薄暗い城門前に帰還した。サーシャに抱きかかえられているのが分かる。意識を手放すと同時に倒れ込んでしまったらしい。
「今のは……」
時間にして一瞬、しかしロシュートの心臓はまるで先ほどまで全力疾走していたかのように早鐘を打っている。
垣間見た光景が脳に焼き付いて離れない。ここではない場所、どこか遠い世界に居た自分。
掴んだ腕の感触、冷酷な雨垂れ。
そして、悲痛に歪んだ表情を浮かべる少女。
唯奈。
垣間見た少女の名であり、そして。
「どうしてっ……!」
ロシュートは脳が焼けるような感覚をこらえ、見下ろす視線を睨み返す。
「どうして俺にあんなものを見せた?あれはなんだ?」
「何って、キミの転生前の記憶だ。見覚えのある人が出てきたでしょ」
対してカーネイルは首をわざとらしく傾げて、
「曲がりなりにも転生者なら、何か有益な情報があるかと思ったんだよね。でも」
彼が視線を落とした羊皮紙に浮かび上がった、ぼんやりと輝く文字を目でなぞる。
「うん。どうやらキミはあっちでも特筆するところのない人生だったみたいだな。記憶も継承していないし、まるで役に立たない。正真正銘、ただ生きて死んだだけの凡人だ」
「俺も、転生しているってのか……!?」
「そうなんじゃないか?どうでもいいけどな」
ふぅ、とため息がひとつ。
「何か得るものがあるだろうと思ってキミを試していたんだけどな、俺は。衛兵相手の戦闘能力も常識の範囲を出ないし、ブラッドワイバーンごときも倒せないし。転生者はみなが逸脱した能力を持つわけじゃないってことが分かったのが一番の収穫だよ」
「皆って……」
「もちろん他の転生者のことさ。サト・ウマコトにキミの妹。そして過去に存在したらしい転生者と思しき人物たち。特にウマコトくんがもたらした技術は素晴らしかった。キミも見ただろう?まだこの世界にはないアイデアの数々……彼自身がその理屈を詳しく知らないものも多かったから、そこはもったいなかったが。その点、キミの妹には期待していた」
カーネイルはやれやれ、と首を振った。
「いくら記憶を覗いても、見える景色はいつも一緒だった。革新的な技術やアイデアなんかひとつも見えない。だが彼女自身は才能にあふれていた。ウマコトとは別軸で、新たなアイデアや技術をこの世界にもたらしていたんだ。彼女の気分に左右されるから、安定はしなかったがな。御覧のように」
「人の記憶を勝手に覗いて役に立つ、役に立たないって……ふざけてんのか、お前は!」
「ふざけてなどいない。この世界に役立てるためにオレに押し付けられた伝統を解析した結果として、異世界の知識を引き出すための魔法が完成したから使っているってだけだ」
全くためらいなくサーシャに向かって右手をかざすカーネイル。
「やめろっ!」
「冗談冗談、フリだよ。この世界の人間の記憶を覗くだけなら、他の方法がいくらでもある」
叫んだロシュートにいつもと変わらず微笑みかけ、カーネイルは自らの右手を見つめる。
「秘伝と不合理な口伝でここまで来たような文化にも、突き詰めれば法則が存在する。それを解き明かすのが人間のあるべき姿だろう?伝統だなんだと理解を放棄して、停滞を進んで受け入れる連中には呆れるばかりだよ」
恐ろしいほど穏やかな表情を保っていたカーネイルは、そこで初めて表情を歪め、吐き捨てるように言った。
くだらない、と。
その一言に、ロシュートは覚えがあった。
「やっぱお前か、『狼』ってのは」
「え?……あぁ、なるほど」
一瞬きょとん、としたカーネイルは、しかしすぐに笑って、
「あの盗賊の娘から聞いていたのか。いいよな、狼。ただの草食動物に過ぎないシカどもを食い殺し糧とする、食物連鎖の体現者だ」
「じゃあ森に毒をばらまいたのもお前なのか!全部この国の自作自演だったって!?いったい何の目的で」
「目的は今更聞くまでもないだろう。すでにキミは森の馬鹿どもから聞いてるはずだぜ?」
「すでに聞いてるって……」
「ちょうどいい機会だ、自己紹介させてくれ。異世界人」
困惑するロシュートを見て優しく微笑むと、カーネイルは帽子を外し、うやうやしく一礼した。
一瞬の静寂ののち、突風。
山吹色の髪は月光に照らされ、宝玉のような緑色の光を織り交ぜて煌びやかに輝き、牡鹿の角のように暴風に躍る。
顔を上げた彼の、美しく神々しい表情。慈悲を湛えているようにすら見える眼はしかし、温もりのない、人間の理解を超えた底知れぬ恐怖と共にあった。
その姿はまるで、神話に描かれたーーー
「オレの名前は、カーネイル・テンペスタ。この世界を司るらしいカミサマの末裔さ。以後ヨロシク」
吹き荒れる風が静まり、少し遅れて、遠くからおぞましい叫びが一帯に響き渡る。
確実に魔物の、しかし聞いたこともない絶叫。
本能が警告を発し、足がすくむ。
アンリットの傍らにいる意思無きブラッドワイバーンすら数歩後ろへ下がらせる、生物的恐怖の概念そのもの。
それを聞いたカーネイルは、しかし、変わらず微笑んでいた。
「まあもっとも、オレの目的は正確には森の馬鹿どもとは違う」
カーネイルは乱れた髪を軽く直しつつ、衣服についた土埃を払いながら言う。
「ラ・テンペスタ。伝説の神様などではない、災害を引き連れる超級の魔法生物。そいつを起動して、支配下に置くこと。それこそが俺の目的さ」
「な、何のために……そもそも可能なのか、そんなこと」
「可能さ!」
神話の具現者は、しかし、神話の否定に爛々と目を輝かせる。
「ラ・テンペスタは間違いなく魔物の枠組みに収められる生物なのさ!生態はまるでデタラメだが、なに、そこらの鹿や馬やトカゲや竜と何ら変わりない。ならば、人の意のままに操れる!」
神話の具現者は、しかし、神話の破壊を高らかに宣言する。
「胡乱蒙昧な伝説も、思考停止の伝統も、停滞と偏見をもたらす害悪でしかない。神話に守られた安住の地に甘え、ロクな武力も持たずに停滞したこの国のありさまそのものだ。だからオレは神を暴き、英知をもってそれをねじ伏せ、この国に蔓延るくだらない伝統と停滞を打ち砕く!」
神話の具現者は、しかし、神話の征圧でもって国の再建に臨む。
「歪んだ正しさに毒された国を治すには、一度歪みごと破壊し再生するのが手っ取り早い。その実現となるなら、ブラッドワイバーンもラ・テンペスタも軍人どもにくれてやるさ。その点でオレは利害が一致した。混沌を欲するそこの男とな」
手を差し向けられたアンリットは貴様と一緒にするな、とぶっきらぼうに応えると、
「いつまで喋っているつもりだ、カーネイル。貴様の狂った大義など、牢に放り込んだ後にいくらでも語って聞かせてやれるというのに」
「なに、オレは待っていただけさ。ロシュートくんが逆転の一手として、オレの知らない異世界の技術を持ち出してくるのをね。でも……」
いらだちを隠さないアンリットにカーネイルは肩をすくめつつ、サーシャを庇うようにして立つロシュートを見て、その目を見て、ため息をつく。
「キミは本当にただこっちの世界に生まれ、育っただけみたいだね。何ひとつ特別なことのない、凡百の一市民。そこで疑問なんだが、そっちの女はともかくとしても、なぜそんなキミがアレのためにオレたちに歯向かうんだ?異世界で多少の関係があっただけと判明した、全くの赤の他人のために」
カーネイルがアレ、と言ったものがなんなのか、確認せずともわかる。
分かったからこそ、ロシュートは即座に握った拳で、カーネイルの顔面を殴りつけていた。
神話の具現者は凡百の拳によろめき、周囲の衛兵たちは慌てて槍をロシュートとサーシャへと向ける。
アンリットは、不気味ににやにやと笑っていた。
「悪い、サーシャ。流石に我慢ならなかった」
「いえ。ロシュートお兄ちゃんがやっていなかったら私が動いていました」
思ってもいなかった反撃を貰い、困惑と怒りの視線を向けるカーネイルに、なんの特別な力もない、ただの一市民は、
「いまの拳がすべてだ。前世だとか異世界だとか、最初からどうでも良かったんじゃねえか」
自分にも言い聞かせるように、
「大事な妹を傷つけられて、黙ってなんかいられるかよ」
しかし、ひとりの兄として揺るぎない信念を神話の具現者へと叩きつけた。
「……ハハッ!いいね、その目!」
切れた唇の端から滴る血を拭い、カーネイルは空を握った両手を前に出しぴたりとくっつけた。
「じゃあ勝負だ、お兄ちゃん。オレの『未来と改革へ進む意志』が勝つか」
パリッ、と見えない何かを引き裂くような音、そして閃光。
「キミの『過去と運命にしがみつく意志』が勝つか!」
何もないはずの左手から、光り輝く一閃が抜刀される。
「竜の首を落としたときのっ!」
「そう。さっきキミの妹にも使わせてもらった、我が身に受け継がれた忌々しいもうひとつの『秘伝』さ。これもそのうち仕組みが解明されて、『秘伝』ではなくなるだろうけど……」
青白く輝く、不定形の剣。周囲の空間を絶えず裂きながら破裂音を発するそれは、さながら暴れ狂う雷を直接握りこんでいるかのよう。
神話の具現者は不敵に笑う。
「まずはその身で味わってもらおうか、お兄ちゃんっ!」
閃光の剣を持つ腕が構えに入る。
ほぼ同時、ロシュートも短剣を手にかけ、叫ぶ。
「お兄ちゃんって呼ぶな!気色悪いッ!!」
そして、
「じゃあ俺はお義兄さんって呼ばせてもらおうかな!なんちって!」
衝撃と共に、あまりにも空気を読めていない何者かが割り込んだ。
「なっ!」
ロシュートは二重の意味で驚いていた。
ひとつは、カーネイルが振るった閃光の剣が、警戒していてもなお不可視の速さで自らへと向かって伸びていたこと。
そしてもうひとつは、間に入った黒衣のいけすかない男が出力した半透明の障壁によって、それが完全に防ぎ切られていたことに、だ。
いけすかない男はロシュートの方を振り返って、
「んもー!どうして電撃を見て避けようとするんだ!言っとくけど絶対無理だよ!?俺がたまたま『アブソリュートシールド』を間に合わせたから今回は何とかなったけど!」
「マコト、テメエ何でここに……」
「何でって、ロシュートがヤバそうだったから助けに来たんじゃないか!冷たいな!」
いつものうざったいノリで喋った乱入者ウマコトは、しかし、何かに気づいて笑うと、
「というかようやく誠って呼んでくれた!じゃあ俺の方もこっちで呼ばなきゃね、脩人兄さん?」
「えっ?あれ……お前ウマコト、だよな?」
「いーや確かに誠って呼んでた!俺はしっかり聞いちゃったもんね!まあとにかくまずは」
ウマコトはシールド越しにカーネイルにウィンクすると、自分の上着を素早く脱いで地面に叩きつける。
「この場から脱出しようぜ!『ブラックアウト』!」
「うわっぷ!?」
瞬間、上着が爆発し、辺り一帯が真っ黒い煙幕に包まれる。
「『エンジェルウィング』!」
ロシュートが反射的に目をつむったのもつかの間、今度は強く地面に引っ張られるような感覚。
「なっ!?」
再び目を開けたロシュートが目にしたのは遥か眼下の王都。
「キャー!?ギャアアアアアアアアアア……」
彼は背から光る翼のようなものを生やしたウマコトの小脇に抱えられるようにして、空を飛んでいた。もう反対側にはサーシャが抱えられているのが見えるが、絶叫しながら気絶してしまったようで途中から声が聞こえなくなった。
「あちゃー、やっちゃった。脩人兄さんは高いところ平気だったよね?あいや、こっちでもそうとは限らないか」
「待て、ウマコト!まだユイナが……」
「それは俺も分かってる。だから落ち着いて、脩人兄さん」
今まで聞いたこともない声色で諭すように言われ、ロシュートは押し黙った。
「物事には優先順位がある。俺もホントはフレストゥリやヴェルヴェットを拾ってきたかったけどね。力及ばず、あの状況ではキミたち2人を助け出すのが限界。俺の力でいちばん死者・重傷者が少なくなる方法がこれだったんだよ」
ウマコトはそう言ってロシュートの顔を見ると、
「ごめんね?」
と穏やかな笑顔で付け加えた。
ロシュートはその時初めて、ウマコトの笑顔の裏にある別の何かを、なんとなくだが、感じ取った。
王都上空、月夜の冷たい風が、3人の間を通り抜けて後ろへと飛び去って行った。
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