【第83話】喧嘩するほど
「グギュラアアアアアアアアアアアアア!ギャアアアアアアア!」
耳をつんざく、とはこのことか。
「耳がっ!……くぅ、でも振り落とされないようにしないと」
逃れられない苦痛が身体中を駆け回っているかのように身をよじるベルセルクの背に、ユイナは必死でしがみつく。
「ど、どうしたのだベルセルク……?おいフレストゥリ!なんとかしろ!」
「言われなくても自己防衛させてもらうよ。それと、子供は下がっていた方がいい」
一方、フレストゥリは胸部を赤熱させ、口から漏れ出した火でマズルカバーを焦がし切ろうとしている竜を睨みつけながら、手でリゼを後ろに下がらせる。
「ちょうど試したいモノがあったんだよねぇ!ボクの周りにいたら、下手すると死んじゃうかもよ!」
明らかな命の危機に晒されながらも笑みを浮かべる彼女は白衣の裏に手を突っ込み、極彩色の液薬が入った試験管を複数取り出した。
「水鉄砲がないのは残念だけど、そこは運用でカバーしてやろうじゃないか!」
フレストゥリが試験管のキャップを外すとほぼ同時、ベルセルクのマズルカバーが完全に破壊された。ユイナを背中にしがみつかせたまま半狂乱に尾や翼を振り回す竜は、こらえきれなくなったように口を大きく開ける。
胸の赤熱からすでに1分ほど。火炎放射のための溜めなど、とっくに終えていた。
「グゴアアアアアアアアアアアアア!」
竜は地面に向かって灼熱の炎を吐き出した。
地面が赤熱し、野草は水分を失って真っ黒になっていく。
直接放射されていなくとも、生命を一瞬で死の国へと返すのに十分な熱波がフレストゥリとその背後へと迫る。
だが、目の前に迫る死にさえ、フレストゥリはひるまない。
「薬液混合!」
両の手に持った極彩色を迫る熱波の手前の空間へ投げつけ、空中でぶつけ合う。
それぞれの色を持っていた液体同士が混ざり合い、単純な黒色へと変色していく。
その空間へ灼熱が合流した直後、爆風が巻き起こり灼熱の波をかき消した。
「炎が炎であり続けるには周りに空気……とりわけ、ボクたちが呼吸できるようなのと同じモノが必要なんだ。まあ、仮に呼吸気としようか」
フレストゥリは白衣をはためかせ、興奮気味に叫ぶ。
「それは魔力を変換して作り出した炎も同じなのさ!いくら魔力があったって、一度外に発現したならその辺の暖炉となんら変わらない、炎は炎!ならば、熱によって反応し、気体となって爆発的に膨張する不燃の液体をぶつけてやればこの通り!いいねえいいねえ、呼吸困難になって死人が出るかもとか言ってぜーんぜん実験できていなかったけど、ブラッドワイバーン相手に有効なら発明大成功だ!ボクはやはり頭が良い!」
「こんなときに何興奮してんのよっ!というかアンタそれ二酸化炭素化なんかを一気に膨張させてるでしょ!そこに立っててよく死なないわね!?」
「もちろん自爆対策くらいしているさ。ボクのぶんの呼吸気は確保済みだよ」
ベルセルクの上に乗ったまま文句をつけてくるユイナに、フレストゥリはんべっと舌を出して見せる。狂気の笑みが宿ったその口の中は3種ほどの薬品が混合されてクラクラするほどの極彩マーブル模様のプールと化しており、身体に良いとは思えない。
「それじゃ巻き込まれた人は死んじゃうでしょ!」
「だから状況を見て使ったって。高所にいるキミと、範囲外に逃がした他の連中も無事なのがその証拠だ。そこからならよく見えるだろう?」
「それはそうかもだけど!」
実際、ユイナが見る限りでは駆け付けた衛兵に保護されているリゼや、もっと離れたところでへたり込んでいるセロリに何か実害があったようには見えない。ベルセルクも、酸素を奪われたことで意識が朦朧としたのか、やや大人しくなっている。だが、一時的なものだろう。
「ただもう一回の火炎放射は勘弁願いたいね。おい、小さじ脳!」
フレストゥリは口の端から垂れるケミカルな液体を白衣の袖で拭うと、今度は腿に巻いておいたシリンダーから別の試験管を取り出す。
「ボクが昏睡ガスを調合する。即興だが魔物用に強くするから、嗅がせれば効くはずだ!けどそれだけ強いとさっきみたいな爆発で散布するとおそらく死人が出てしまう。というかボクが死ぬ」
「だからこの子を大人しくさせろってこと!?」
「理解が早くて助かるねぇ!それじゃ頼んだ。言っておくが、ボクは運動が大の苦手でね。ガスを嗅がせられる距離に接近できるようちゃんと抑えておいてくれないと、人類は大きな損失を被ることになっちゃうぜ!ボクという天才を失うことでねぇ!」
「簡単に言ってくれる!」
小走り接近するフレストゥリに気づいたベルセルクは怯えるようにうめき声をあげ、彼女を踏み潰そうと片足を大きく振り上げる。
「ああもうなんでこんな曲芸じみたことを!うまくいってよ、『牽引光線』!」
懐から小杖を取り出したユイナが詠唱すると、杖の先から渦巻く光線がベルセルクの後頭部へと飛び、その直撃と共にグンッ!と背中側へ引っ張った。
片足を持ち上げていた竜が体勢を崩し、踏みつけを中止してその場に踏ん張り直す。
「やった!」
「まーた面白……妙な発明をしたのか、キミはつくづくムカつくねぇ!」
「だったら、発明競争でもしてみるかってのっ!『牽引光線』!」
ユイナは叫びつつ、続けざまに持ち上げられた右翼に向かって再度杖を向けて『牽引光線』を発射、固い翼爪がフレストゥリに叩きつけられるのを回避する。
「なるほど、少ない力で重い物体を牽引できるってワケか!こりゃグレースみたいな筋肉山脈の仕事が無くなっちゃうんじゃないか?」
「無駄口叩いてないでさっさとガスを嗅がせろ!」
「もちろんだとも!これをこうして……」
ベルセルクのすぐ近くまで来たフレストゥリは片手で試験管を開け、もう片手に持った空のガラス容器に複数の液体を器用に注いでいく。
だが鼻先まで来たことで、翼をうまく使えないベルセルクはもっとも単純な攻撃を思いついてしまった。
その強靭な顎によって噛み殺す。そのためだけに最小限開けられた口が、白衣の女に迫る。
「しまっ!」
ユイナが止める間もなく、ベルセルクは翻った白衣に食らいついた。
「ふう、危ない危ない間一髪だ」
そう。麻酔用のガスを発生させる液体がぶちまけられて沁み込んだ、フレストゥリによってわざと口の中へ投げつけられた白衣に、だ。
「グ、グオォ……」
たちまち竜の全身から力が抜け、遠くまで響くような地響きと共にベルセルクは崩れ落ちる。
「うわわちょっ落ちる!」
「おっと危ない」
その背中からユイナも落下した。
真下にいたフレストゥリが避けたことで、地面に激突した。
「ちょっと避けないでぶふっ」
「キミの常識を遥かに超過した重量の身体を受け止めたりなんかしたら骨折しちゃうからねぇ」
「そ、そうだねぶふふふっ!」
相変わらずイヤミなフレストゥリに文句を言ってやろうと彼女の方を見上げたユイナは思わず噴き出した。
極悪非道、狂気の研究者である彼女が白衣の下に纏っていたのは、袖がなく、フリルの施されたワンピース型のかわいらしい寝間着だったのだ。薄桃色の布地で、彼女の体型と相まって、下手するとリゼと同い年かそれより幼く見える。
「な、何を笑っている!ボクにとって服など研究さえできるなら何でもいいものでしかなくて、研究室と寝室を往復するだけならわざわざ着替える方が非合理なのであって」
「いや予想外すぎるっ!!!あは、あはははははははははは!うわーかわいい!かわいい服着てる!なるほど、前いっしょにやってたときは白衣しか見てなかったけどっ、プライベートなセンスはわりとちゃんと女の子っ!フレストゥリ、フレストゥリちゃんっ!あはははははははははははは!」
「失礼だなキミは!なんだよせっかく白衣を犠牲にしてまで助けてあげたのにその態度は!いいじゃないかボクが何を着ていようと!そ、そんなに変でもないだろ、だいたい!」
目の下のクマがひどい顔を真っ赤にしながら反論を試みるフレストゥリだったが、ユイナの目にはもうただ萌えるだけの小動物がじゃれてきているようにしか映っていない。
「変じゃない、変じゃないよ!むしろ似合ってる、カワイイもんとっても!でもまさか着替えるのがめんどいとかスカしてるわりにスウェットとかジャージじゃなくて、ストレートなロリ系萌え属性のパジャマ!ぜひ、是非今度休日に着ている私服も見せてよ!笑わないから!ぶふっ」
「気持ち悪い!何を言っているのか意味不明だが、気持ち悪いことを言われているのは確かなのが気持ち悪い!ええいキミのそのローブを貸せ!この服を見られていると不利益しか生まないことが分かった!」
ギャーギャーといつものように言い合いをする2人。
「さて、貴様ら」
まるで先ほどまでの死闘はなかったと言わんばかりの彼女らに、現実を思い出させる影がポン、とそれぞれの肩に手を置いた。
「これはいったいいかなる事態なのか、説明してもらおうか」
ユイナとフレストゥリが振り返ると、そこには無表情だがこめかみに青筋が浮かんでいる貴族院の人間、アンリットと、逃げようとするリゼを抱きかかえている衛兵が立っていた。
弁明タイムの始まりであった
テンポを良くしようと早めの更新をしているはずが、予定にない描写を入れるせいで全体としての進みの速さがそんなに変わっていない気が……読んでくださっている皆さんには申し訳ないですが、もうしばしのお付き合いを。ぼちぼち3章の山場が近づいております。
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