【第8話】幼馴染心と襲撃の夜
「うおあっ!?」
突如隣に出現したサーシャから声をかけられたロシュートは文字通り飛び上がった。彼はすぐさま周囲にほかの男性客が居ないか確認するが、幸いにして男性は中央の方で妻らしき女性と一緒に入っているおじいさんのみだ。
「サーシャ!?なぜこんなところに!」
「ロシュートお兄ちゃんとお話ししたかったからです、けど……」
サーシャのあまりにもあっさりとした返答に、ロシュートはおかしいのは自分なのではないかと疑った。規則上は確かに混浴であり、現在の状況では彼が拒否しないのであればサーシャの方から大浴槽の右側に来ても何も問題はない。
その理由がいかにとんでもないものに聞こえても、である。
「お兄ちゃんは嫌でしたか?」
「ま、まあ、いい、けど……」
「じゃあお話ししましょう!ふたりきりで」
ぴと、とサーシャの柔肌がロシュートの左腕に触れる。ちら、とロシュートが恐る恐る見ると、彼女は湯にぷかぷかと浮かんだその白く大人びた胸を片腕で隠しつつ彼にもたれかかっていた。
髪を頭の上にまとめているのでよく見えるその表情はぼーっとしており、ロシュートには何を考えているのかよくわからない。彼がこの状況で何を話すべきなのかと焦っていると、サーシャのほうから口を開いた。
「ロシュートお兄ちゃんはまだ心配していたんですね、私の身体のこと」
「……もちろんだよ。村にも療養で長いこといたじゃないか」
「もう何年前の話をしているんですか。あの頃はいつも不安だったけど、おかげでロシュートお兄ちゃんと会えて、毎日楽しくて」
「よく木陰で花を編んだりして遊んだよな。花の冠を」
ウマコトの作ったせっけんが女性の方にも置いてあるのだろう、サーシャの髪から香った花のような匂いにロシュートは彼女と出会ったころの、村での生活を思い出した。
サーシャはロシュートが幼いころから14歳までの間、彼の生まれ育った村で暮らしていた。彼女は身体が弱く病気がちだったため、王都から療養のためにと引っ越してきていたのだ。リンドベルト家の財力のなせるワザであり、排他的な一部の村民から彼女は当初やや疎ましがられていた。
「他の子はいやがって私に近寄らなかったのに、ロシュートお兄ちゃんだけは遊んでくれて。私すごく嬉しかったよ」
「まあちょうど俺も爺さんが怖がられてて遊び相手が居なかったしな」
「またそういう風に言って。素直にそうなんだ~って言ってくれればいいんです」
言葉にややトゲを感じたロシュートがサーシャの顔を見ると、頬がやや膨れ唇が尖っていた。
彼が知る限りサーシャは昔から怒ると決まってこの表情になる。そんな彼女をロシュートは頭を撫でてなだめたものだったが、最近はお互い成長したこともあり流石に撫でるわけにはいかないため、癖で出そうになる手を肩に置くことがしばしばある。
「……ロシュートお兄ちゃん、頭撫でないんですか」
「え!?な、なに?」
そんな彼の考えを読んだかのようなサーシャの言葉にロシュートは動揺した。硬直して前方しか見れない彼の前に、さっきどこかで見たようなじとぉとした目をしたサーシャが回り込む。その色白な顔は赤く染まっており、どこか目の焦点が合っていない。そして何よりもはやその身体のどこも隠していない。
丸出しである。
「どうしてロシュートお兄ちゃんは頭撫でないんですか!さっきは撫でたじゃないですか!」
「いや、さっきのは事故というかその」
「私が怒ってるから落ち着かせようとしたんでしょう!知ってますけどね、知ってますけどぉ!でも最近ぜんぜん撫でないくせにさっきだけ必殺技みたいに急に撫でてぇ!」
「落ち着け!わかった、ごめんなさいって!とりあえず落ち着いて!」
「私だってもう大人です!危険なことでも、自分で判断、できますぅ!」
バシャバシャと水しぶきをたてながら迫ろうとするサーシャをロシュートは必死に食い止める。
彼自身がどう思っているか以前に(おそらく湯にあたって)正気を失っているサーシャの裸を自分含む他の人間に見られてしまうことが、彼女にとっても自分にとっても悪い気がしてならず、ばるんばるんと飛び出そうとするあれやこれやを湯の中に沈めること数分。
「ロシュート……おにい……ちゃん……」
完全に茹で上がったサーシャをどうやって外に運び出すか。新たな課題がロシュートの前に立ちはだかることになった。
「あえ~おにい……じゅる」
サーシャが気持ちよさそうに寝言を言っているのを背中越しに聞いて、ロシュートはひとまず安心することにした。
あの後ロシュートはとりあえずどうにかしてサーシャを身体を洗う用の椅子に座らせて風呂を上がり、そのあと当番をしていた受付の女性にサーシャを回収してきてもらったのだ。
かなり怪しまれたが、彼がサーシャを女性の側に座らせておいたことが功を奏し特に追及はされなかった。たまたま来ていた女性冒険者に少しお金を渡して風属性の魔法を使ってもらい、そよ風でしばらく涼ませたあと、現在はサーシャの首元に売店で買った冷えているジュースの瓶を添えて氷嚢代わりにしつつおぶっているという状況だ。
「どうしてこうなったんだか……」
星空の明かりに薄く照らされる通りを、宿を目指して歩いていく。
彼の目下の心配事は、フォートさんにこれをどう説明したものかということだった。彼女を危険な目に遭わせたと大目玉を食らう可能性もあるが、どちらかと言えば彼女自身がひどくしかられないかが彼は心配だった。フォートさんは自己管理能力とか、そういうものに厳しい気がするのだ。
「サーシャももう大人、か」
ふと彼女が大暴れしながら言っていたことを思い出した。
サーシャはもう16歳、仕事もしているし、子供と呼べるような年齢ではない立派な大人だ。それは頭では分かっている。だが彼はどうしても幼いころから見てきた、身体が弱く、危なっかしいサーシャの印象を拭えずにいた。
「接し方をもっと考えないといけないのかもな」
ロシュートがサーシャについて、そしてなぜだか、妹について考えながら歩き、とうとう宿の近くまで来たその時だった。
「竜だ!誰か来てくれ!!」
南門の方から耳慣れた声が聞こえた。衛兵のハルベルトの声だ。ロシュートはその言葉の意味を即座に理解し、しかし混乱した。
竜が街の南門まで来ているなど、そんなことは彼がこの街に来てから一度もなかった。それどころか、魔物が南門付近に現れたことさえなかったのだ。
だが現実に、南門の方から赤色の煙が立ち上った。冒険者用の非常発煙筒の煙だ。
「サーシャ、起きろ!」
「んえ……?」
ロシュートはサーシャを揺さぶり起こし、とりあえず地面に立たせた。
「サーシャ、俺はちょっと南門の方に行ってくるから、お前は宿の中に入っていろ!絶対に外に出るんじゃないぞ!」
「……わかり、ました。お兄ちゃん」
寝ぼけたサーシャを宿の扉の奥へと押し込むと、ロシュートは急いで南門に向かう。Dランク冒険者の彼が行ってもできることは少ないかもしれないが、友人が助けを求めている状況で放っておけるわけがない。
全速力で走り、数分もしないうちに南門までたどり着く。
「ゴアアアアアアアアアアアアアアア!!」
門の向こうにそれはいた。
ブラッドワイバーン。ロシュートが昨日遭遇したそれより鱗の赤色が濃く、夜の闇の中でも成熟した個体だとわかる。
それに立ち向かっているのは斧槍を手にしたハルベルトと、剣や魔導書を手にした冒険者が数名。竜は威嚇するように口を開け、馬でも簡単に引き裂けそうな鋭い牙を輝かせている。
そしてロシュートは自分も含め、この場にいる誰もこの竜には太刀打ちできないと本能で悟った。竜が威嚇を辞めたとき、惨劇が起こる。それを証明するかのように、ブラッドワイバーンは大きく身体をのけぞらせた。ブレスの合図だ。
「みんな、ブレスだ!逃げないと死ぬぞ!!」
ハルベルトが叫び、冒険者たちが散り散りに逃げる。だがロシュートはその場から動かない友人の背中に目がくぎ付けになり、同じく動けなかった。
ハルベルトが逃げないのは相対する恐怖の大きさのあまりであろうか。地属性の魔法に、何か有効な手立てはなかったか。友を救うための奇跡の一手が。
彼は時間が止まっているように感じていた、だが無情にも時は進む。
きっかり10秒、ブレスが放たれるその直前だった。
「『白銀の氷槍・改』!」
ロシュートの耳に聞きたくなくても覚えてしまう声が届くと同時、彼の頭上を飛び越えて巨大な氷の槍が飛んだかと思うとブラッドワイバーンの硬質な胸甲殻を容易く粉砕・貫通し動きを止めてしまった。風属性の魔法で飛行していた声の主はロシュートのちょうどとなりに着地すると、彼の方をちらりと見た。
「君は大丈夫そうだね、よかった」
Sランク冒険者ウマコト。夜空に映えるその顔はロシュートがいつも見るいけ好かない笑みを浮かべておらず、硬直した表情だ。彼はロシュートが頷いたのを確認すると、ハルベルトの元に走った。
「ハルベルトさんでしたよね、大丈夫でしたか?」
「あ、ああ。お前はウマコトだっけ、助かった。ありがとう」
「俺は佐藤誠です!助かりついでに覚えてくださいねまったく!」
ウマコトはその後周囲の他の冒険者の無事も確認すると、ブラッドワイバーンの死骸に近づいて調査を始めた。そうこうしているうちに異変を確認したギルドの職員たちも駆け付け、南門は大騒ぎとなった。
「ロシュートさん、あなたもここに?」
「ああ……といっても、俺は何もしてませんけど」
呆然と立っていたロシュートに駆け付けたギルド受付のマリーが声をかけてきた。制服ではなく完全に着の身着のままの寝間着で髪も跳ね放題であったが、それを笑う場合でもない。
「マコトさんがあのブラッドワイバーンを倒したんでしょ。胸部に一撃、彼は本当にすさまじいわね」
「ええ……しかしヘンですよね。あんな魔物がこんなに街に近づくなんて今まで一度もなかったのに」
「そうね、やはり最近の魔物は少し様子がおかしい。でもここからの調査はギルドとマコトさんで行うことになると思う。あなたや他の冒険者はとりあえず帰って身を休めて。もしかしたら、召集があるかもしれないから」
マリーはそれだけ言うと、ウマコトや他のギルド職員と共にブラッドワイバーンの死骸を調査しに走り去った。一人残されたロシュートはうわごとのように呟く。
「そうだよな、戻ろう。俺にできることなんて、何もないんだから……」
彼の手は、無意識だが、硬く握りしめられていた。
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