【第76話】取引
「そっと、そっと……」
ロシュートが年季の入った木の扉をすこし押すと、ぎぃ……と低い音で軋みながら開いた隙間から時計塔内部のらせん階段が見えた。
『上の階に動きはありません。ヴェルヴェットの牢は地下、見張りはいないはず。今なら安全に入れます』
胸元の端末からリリシアの冷静な声が言う。
「もし見張りが移動していたらどうするんだよ」
『あなた程度でもそれくらいは何とか出来るでしょう?』
「簡単に言ってくれる……!」
『外で動きがあれば知らせますので』
ブツ、と会話が打ち切られる。どうやらリリシアにはこれ以上話すつもりなどないらしかった。
「行くしかない」
ここに来て不安と恐怖に心臓を押しつぶされそうな自分を鼓舞するように呟き、ロシュートは扉の中へと滑り込む。階段の壁面にはたいまつが設置されており明るいが、今の彼は燃料の薪がバチンと爆ぜる音ですら飛び上がりそうになるほどだった。
「……」
ずり、ずりとすり足にしながら石でできた階段を降りる。
時計塔の地下牢。普通の罪人が送られる牢とはわざわざ別にされているそれは、その昔は位の高い戦争捕虜を捕らえておく場所だったと聞いたことがある。
王族、貴族、豪商人。
彼らは囚われの身となっても振る舞いを変えようとはしない。身分・肩書そのものが武器となることを知っているからだ。育ちから身分の差が骨身に染みついている一般兵卒ではとてもじゃないが扱えないそのような虜囚たちは、王が任命する特務尋問官によって特別な地下牢に入れられたという。
そして尋問は日に2回、鐘の音と共に執行された。
理由は、言うまでもない。
「……これとかもそうなのかな」
階段を構成する石材に染み付いた何らかの汚れに凄惨な想像を搔き立てられてしまうのを、ロシュートはなんとか振り払おうとする。そのような時代はもうとっくに過ぎ去っているのだ。鐘の音でかき消さなければならない野蛮な尋問など、この国ではもう百年は行っていないはずである。
過去にあったと言われる赤黒い光景をなるべく考えないようにしながらそろり、そろりと階段を下ったロシュートは両隣の壁にいくつかの扉の並んだ廊下と、その奥にある鉄扉を発見した。
おそるおそる廊下を進みつつ、試しに右の扉についた小窓から中を覗いてみる。薄暗い部屋はどうやら倉庫のようで、鉤のついた細長い棒や油さし、手袋、黒ずんだ布などが見えた。おそらく時計の機構をメンテナンスするのに使う道具なのだろう。そうであってほしい。アレを人に使うとか言わないでほしい。
余計に恐怖を駆り立てられてしまう気がして、ロシュートは他の扉を無視して鉄扉の前まで一気に進んだ。ドアノブを見るが、鍵穴はない。ひねってみると、拍子抜けするほどあっさり扉は開いた。
そこは小洞窟とも呼べるほど広い空間だった。
剥き出しの土を木組みで支えた壁や天井がこの場所を人工物だと主張している。たいまつはなく、採光用の天窓から月光が差し込んでいるだけの輪郭のぼやけた空間には、しかし、くっきりと存在感を放つモノがある。
鉄格子。
部屋の真ん中から分断するように、鉄の棒が一定の感覚で突き立っている。それらはどれだけ広かろうと関係ないとでも言いたげに、絵に描いたようなどうしようもなさで、ここが牢であることを示していた。
「ヴェルヴェット、だな」
鉄格子の奥。簡素なベッドに座る人影---長い白銀の髪を腰まで伸ばし左眼に眼帯をした女は呼びかけにゆっくりと振り向くと、右のくすんだ金色の瞳で生気を感じさせない視線を訪問者へ投げやった。女の手足は拘束されておらず、上等そうな服を着ているために一見して囚人の様には見えない。むしろ、ロシュートの方がみすぼらしい格好をしている。
それでもただ鉄格子の向こうにいる。それだけが、女が罪人であることを物語っていた。
「あなたは、ああ。いつぞやの冒険者さんじゃないの」
目がいっさい笑っていない空虚な笑みを浮かべる女があの時森の中で対峙した狂気の司祭と同じ人物だと言われても、事前の情報がなければ信じられないだろう。
「ロシュートだ。テンペスタ大森林では妹が世話になったな」
「妹……?」
名乗ったことがないのを思い出したロシュートがそう言っても、ヴェルヴェットは空虚な笑みのまま首を傾げた。おちょくられているのかと思ったが、特にそういう素振りも見られない。本気で忘れてしまっているのか。
「あの森でお前と竜を堕とした【炎属性】の魔法を使っていた女だ。名前はユイナ。俺はその兄」
「ああー……なるほど。あなたたち兄妹だったのね。ま、どうでもいいけど」
ヴェルヴェットは一瞬笑みを消したように見えたが、すぐにまたヘラヘラと笑った。ベッドを降りると、牢の反対側にある簡素な椅子に座り直す。近くのテーブルの上には何かの本と、ティーカップのようなものが置かれていた。
囚人にしては色々揃っているように見えるのは、やはりここが元は王族などを捕らえるための場所だったからなのだろうか。
「それで、私に何の用事かな。みたところ、正当な手段で入ってきているわけじゃないでしょう」
「聞きたいことがあるのと、そのついでに依頼があってな」
「答えると思う?」
「それは聞かないと分からない」
ヴェルヴェットは返事をせず、手を膝の上で組むと背もたれに持たれて目を閉じた。袖の長い服に覆い隠され、以前は露出していた痛々しい血染めの魔法陣は見えなくなっている。
ロシュートは沈黙はこちらの出方を待っているのだと解釈し、口を開く。
「なぜお前がここにいる。森での所業が罪に問われて通常通り収監されたと聞いた。それがどうしてこんなところにいる。ひとりで、鎖につながれることもなく、なぜだ」
「なーんででしょうねえ」
ヴェルヴェットは宣言通り、答える気がないらしい。ロシュートはため息をつき、続ける。
「俺は今日王都の兵たちが竜を馬のように操って空を駆り、攻撃させる訓練をしているのを見た。凶暴なブラッドワイバーンをだ。そんなことができるのなんて、俺にはお前しか心当たりがない。お前なんじゃないのか、あいつらに竜の操り方を教えているのは」
「ロシュートだっけ。あなたも乗り方を教えてほしいの?教えてあーげない」
ヴェルヴェットはふざけてケラケラと笑った。ちっとも面白くはなさそうな、不気味な笑い。
「てかさ、私が冒険者と権力を憎んでいるのはよく知っているよね。あなたたちとは殺し合いにもなったし。それでなんで答えると思うの?ウソならいっぱい言ってあげる。竜はね、口の中に頭を突っ込んだら乗せてくれるのよ。やってみたら?」
「じゃあ聞き方を変えるぞ」
金色の目を歪ませて作った不自然なニタニタ笑いに、ロシュートは思い切って核心をぶつける。
「この国は、お前を使って何をしようとしているんだ」
「……」
ヴェルヴェットは再び目を閉じ、ニヤニヤ笑うだけだ。対話の意志は感じられない。
(ダメかもしれないとは思っていたが……別の方法で調べるしかないか)
彼女の言う通りだ。元々敵対しているような相手に頼ろうという方が間違っている。
「わかった。もう聞かない。ただ依頼だけはこなさせてもらうぞ」
「依頼ってなーに?私の暗殺?」
「その逆だ。とあるいけすかないクソ野郎からの差し入れだよ。どっか開くところないか?」
「逆って何?まあなんにせよ無理だね。私にエサをやる窓は鍵つき。その腰に下げたちっちゃい魔導書で壁を掘るなりなんなりしなよ」
「そんなことしたら滅茶苦茶痕跡が残るだろ。俺はバレるわけにはいかないんだ」
「私がバラすリスクは考えていないんだ。それじゃあ大声で叫んでみようかな」
からかうヴェルヴェットの声を無視してロシュートが牢に近づくと、すぐに扉は見つかった。腰の位置にある格子がスライド式になっている部分が差し入れ窓だろう。だが彼女の言う通り、そのスライド部分には鍵がついていた。
「残念だったね、骨折り損で」
「そうでもない。本当はやりたくないんだけど」
ロシュートは屈んで、時計塔に入ったときと同じように針を二本取り出し、鍵穴に差し込んだ。手ごたえがあり、鍵はあっさり回った。
「なっ……」
「ここにもこうやって入ったんだよ。一芸披露した礼に、せめてこいつだけ受け取ってくれないか」
ふざけた様子も引っ込めて唖然としているヴェルヴェットに、ウマコトから受け取った小さな皮袋をぶら下げて手招きするロシュート。すると彼女は当初の様子がウソのように、素直に扉の前まで来た。
「言っとくが脱獄させるのは無理だぞ。こいつを入れたらここも閉める」
「扉を開けること自体はできるということね」
「可能か不可能かで言えば、たぶん開く。やらないけどな」
「例えば魔物用の檻とかも、開けられる?」
「魔物用の檻?確実なことは言えないが、鍵穴があるタイプなら時間があれば開けられるはずだ。何故そんなことを聞く」
「っ……」
ヴェルヴェットは口を引き結ぶように閉じてしまった。何かを言いかけて我慢したような、表情を無理に押し殺そうとしているような、そんな表情。
「とにかくこれを受け取ってくれ。受け取った後はどうしてくれても構わねえから」
ロシュートが念押しすると、ヴェルヴェットは無言で差し出された皮袋を受け取った。その場で紐をほどき、中のもの……小さな瓶と、折りたたまれた手紙を取り出す。
「これは……?」
「瓶の方は軟膏。傷に効くらしい。そして紙の方は、なんか伝えたいことがあるってよ」
「手紙ね。いったい誰が……っ!!」
紙に書かれた文字を見た瞬間の、ヴェルヴェットの表情の変わりようは凄まじかった。
鬼の形相、と言えばいいのか。彼女の顔にみるみる血が上り、肩に力が入っていくのがロシュートにも見て取れた。
次の瞬間、ヴェルヴェットはバシッと音がするほどの力で鉄格子に掴みかかった。格子が無ければ、ロシュートは胸倉を掴まれていただろう。彼女がもっていた軟膏の瓶がごとり、と牢の床に落ちた。
「なぜこんなものを持ってきたっ!?」
「聞きたいことがあったからだ!金すら貰ってねえ!ああ、俺だって頭がおかしいと思うぜ。ウマコトの野郎がどう考えたってマトモなヤツじゃないってのは俺もお前も共通の認識だ!だが俺はあいつじゃないし、ここにあいつはいない!」
「頭がおかしいのはお前もだろうがっ!こんな、こんなものを……!」
ヴェルヴェットは手にした手紙をグシャグシャに丸めて地面に叩きつけると、力いっぱいに踏みつけた。
何度も何度も何度も。
当然だろう。
読みたくないどころか、視界にすら入れたくないはずだ。字義通り、親の仇からの手紙など。
「落ち着いてくれ、頼むから!」
「落ち着けるか!格子が無ければいますぐあいつを殺しに行って……!」
「とにかく渡したからな。落ち着けないなら、俺はもう帰らせてもらうぞ!騒がれ続けて見張りでも来たらヤバイんだっ」
「ま、待って」
怒り狂うヴェルヴェットに背を向けて去ろうとしたとき、彼女は慌ててロシュートを引き留めた。
「分かった、これ以上は騒がない。騒がないから、待って……」
肩で息をするヴェルヴェットの、打って変わって切実な声にロシュートは足を止めて振り向く。
「な、なんだよ急にしおらしくなって」
「怒りに身を任せてごめんなさい。愚かなことをした。謝る」
「っ!?」
不気味なほどの変わり身に、ロシュートはまた彼女が狂言を言っているのかと思った。
だが、違った。
ヴェルヴェットの金色の右眼には、先ほどまではなかった、生き生きとした意志が宿っている。
その意志の正体が何なのかは分からないが、泣きそうにすら見える女を、あの日の妹と重なって見える少女を無視することは彼にはできなかった。
「取引がしたい。私の願いをひとつ聞いてくれるなら、さっき聞かれたことを全部喋る。お願い」
取引を懇願するという、命乞いとすら錯覚するヴェルヴェットの言葉に、ロシュートは思わず頷いていた。
過去に書いた部分との表記ゆれや誤字に気づいたとき、皆さんはどうしていますか?
僕は見つけ次第コッソリ直しています。過去話が不自然に改稿されたときはそういうことです……読んでくださったあなたが何か見つけたら、遠慮なくご指摘くださいね。
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