【第67話】端末越しの夜
「んん……」
窓から差し込む光の眩しさに目を細く開いたユイナは高級宿のように柔らかいベッドの上で身を起こす。昨日は任命式で兄やサーシャと別れた後も入寮式やら配属発表やらでドタバタとしていたが、休む間もなく今日から勤務ということになっている。一応初日なので大したことはしないはず、と研究室長は言っていたが、勤務は勤務。寝坊しないよう開けておいたカーテンに恨みを込めて睨みを飛ばしつつ、ユイナは立ち上がって手早く身支度を済ませる。
「勤務、勤務かぁ……そういやコンビニバイトもしたことないんだよなぁ」
部屋に設置された姿見を見ると、そこには接客業だったらまず間違いなく門前払いを食らいそうな死んだ目をしている女が立っていた。思わず自虐的な苦笑いがこぼれる。
「アニキたちはまだ寝てるかなぁ……いや、ないな」
窓の外から見える王城の敷地と、その向こうに少しだけ見える城下町をぼんやり眺める。自分と違い兄たちはほとんど観光のようなものなので惰眠をむさぼっていようと別に構わないしそうあるのが普通だと思うが、ロシュートのことだ。ユイナには兄が生真面目にも雑用依頼を受けて奔走する光景を容易に思い浮かべることができた。
「ふふっ」
ギルドに顔を出した兄はきっと「お前そのランクで雑用しているのかよ」と笑われるに違いない。それでも絶対にブレないであろう兄のことを考えたら、なんだかちょっと元気が出てきた気がする。
姿見に向き直ったユイナは目をごしごしと擦って目ヤニを落とし、軽く頬を叩いて気合を入れた。
「なんだかんだで研究する環境としては最高の場所なわけだし!ちゃっちゃと大発明して、サクっとお金を稼いじゃいますかね!」
朝食を知らせる鐘が鳴る。とりあえずフレストゥリのやつより遅れて食堂に到着すると不愉快な思いをする気がしたユイナは弾かれたように部屋を飛び出した。
ユイナのマギ研勤務、その1日目は勢いよくスタートした。
「捌かなきゃいけない、書類が、多すぎる!!!」
勢いよくスタートしたが、急減速した。
「安全のための規定、備品管理用の名簿登録、研究室予算用の実験予定書、その他、その他、その他ァ!」
「今回ばかりはキミに完全同意だよ。こんなモンない方がいいのにねぇ……ボクとしては成果さえ出せば何してもいいっていう『青の月』の流儀がイチバンだと思うんだよ。分かるなぁ。安全とか倫理とかそういうの、有益な結果さえ出てればどうでもいいと思うよねぇ?」
与えられたデスクに広げた書類と格闘しているユイナに隣から声をかけてきたのはフレストゥリだ。
「話の流れで私がお前のイカレた倫理感覚に同意しているかのようにするのはやめて」
「おや、違ったのかい?まあ確かに、小さじ脳のキミにはこの効率的かつ合理的な考えが理解できるわけもないか」
「お前は喧嘩を売る以外に口を開く術を知らないのか!?」
「逆に聞くけどキミは無駄口を叩く間に手を動かそうとは思わないのかい?ボクらは白衣に袖を通しているだけで、国に飼われている役人なのさ。ある程度は諦めてちゃっちゃと片付けちゃった方がいいよ、ボクみたいにね」
ちら、とフレストゥリのデスクを見ると、彼女は確かに喋りながらも書類へ必要事項を記入する手を止めていない。悔しいが、いまこの場においては文句を言ってもしょうがないのは事実。ユイナは何か言い返したい気持ちを呑み込んで再び書類に向きなおる。
そして数分後、2人の背後にカツ、カツ、カツと気取った足音が近づいてきた。
「君たち、必要書類は記入できたか?」
見下していることを隠そうともしないその声色の、セオロスティリス・レイクスベルト主は白い礼服の上から白衣を着ている。いつもの魔法使いローブではなく麻で出来たフツーの服を着ているユイナにはどう考えても暑苦しくて仕方ない気がしたが、当の本人は涼しげな顔をしている。単なるやせ我慢なのか、それとも貴族階級としてのプライドなのかは定かではない。
「これはこれはレイクスベルト家のお坊ちゃん。今日もお靴の調子は良さそうですなぁ」
「……もう君の安い挑発に乗る気はない。さぁ、書類は出来たのか」
「お、仕切ってんねぇ。はいどうぞ」
フレストゥリが雑に掴んで差し出した書類をひったくるようにして受け取ったセオロスティリスはそれぞれの紙に素早く目を通すと、そのうちの何枚かを抜き取って残りをフレストゥリの机に叩きつけた。
「記入上の不備がある。やり直せ」
「え~なんでオマエが判断するんだよ。突っ返すかどうかは上の判断じゃないのかい?」
「この研究室には僕も所属しているんだ。非常に不愉快だが、君らが程度の低いことをしていると僕まで同類として扱われてしまうじゃないか。そんなことは断じて許さない。書きなおしたらまた僕に見せろよ」
「うわぁキミってすっごく頭が悪そうなことにこだわるんだね?その頭蓋の中には綿花でも詰まってるのかな」
「僕がレイクスベルトの評判を落とすわけにはいかないんだよ。そんなことも分からないのか?狂っているだけでいいヤツは気楽でいいな」
背後でバチバチと散る火花を浴び、ユイナは一気にテンションが下がってしまう。なぜよりにもよって研究室の同期がこいつらなのだろうと運命を恨まずにはいられない。
「フン、まあいい。さっさと書類を訂正してくれ、僕まで無能に思われてしまう。さてそれで……キニアス、君の方はまだ終わってないようだが?」
「うっ」
セオロスティリスに肩越しに覗かれた書類はまだ半分以上が未記入のままだ。出来上がっている分もすでに取り上げられ、ペラペラとめくる音と同時にため息が聞こえる。
「……なるほどね。僕はこんなにレベルの低い研究者によって功績を奪われたわけか」
「だって、こんな書類を書くのなんて初めてだし。逆に聞くけど、あんたやフレストゥリは最初っから全部できてたわけ?」
「ナンセンスだな。このマギ研に所属するからにはどのような経緯であれ一定のレベルに達していることが求められるに決まっているだろう。そんなことも分からないのか、田舎者」
「いなっ……!」
心底見下した言い方にユイナは思わず立ち上がりそうになったが、初日からやらかして目をつけられては敵わない。ユイナは拳を握りしめ、出かかった怒りの感情をどうにか封じ込めた。
「……分かったわよ。たぶん遅くなるけどちゃんと書くからその書類返してくれる?私をここでこき下ろしたって新しい功績になるわけじゃないって、あんたも分かってるでしょ」
「開き直るか。ハッ、無能らしく努力するというのなら早くするんだな。直接新しい功績にはつながらなくとも、君たちは僕の貴重な時間を奪ってることを忘れるな」
ユイナに押し付けるように書類を突き返すと、またも踵を鳴らして去っていく白衣の背中。ふぅ、とため息をついたユイナが書類作成に戻ると、しばらくしてフレストゥリが肩をちょんちょん、とつついてきた。
「なあ、キミは間違いの訂正を求めつつも具体的にどこが間違えているのか言わないやつについてどう思う。非常に非合理的だと思わないか」
「ハァ?何が言いたいのよ。もしかして正しい書き方が分からないところがあるとか?お前、この手の書類は慣れてるんじゃなかったっけ」
「どうやら少し様式が変わったようでね。備品管理のこの部分、以前ボクが個人的に申請した時はたしかこの記述でよかったと記憶しているが……あの『脱落者』の坊ちゃんにはどうも何かが気に食わなかったようだ。何回か見せて言いたいことを解読するしかないのだろうけど、提出するたびに面倒な絡まれ方をするのも時間の無駄だろう?」
「お前が分からないのを私に聞いたってなおさら分かるわけないじゃん」
「やっぱりか……奇跡的に知ってる可能性に賭けたんだがね。こりゃ面倒だけど、愚直にやるしかないのかね」
心底嫌そうな顔でぼやくフレストゥリ。確かに書類の記入方法は分からなかったが、しかしユイナには別の解決方法が見えていた。
「あいつに聞いたらいいんじゃないの?あの感じなら終わってるでしょ」
「合理を知らない傲慢な貴族サマ本人を呼び戻すのかい?機嫌悪いんじゃないの、間違いなく余計面倒なことになるね。大体、ヤツはキミのことを恨んでいる。あの鼻とプライドだけが高い貴族サマがそうそう応じてくれるとは思えないが」
「むしろあいつが私に応じない合理的理由がない。早くしろと言ったのはあっちだし」
あっけらかんとした返答に肩をすくめるフレストゥリ。それを気にも留めずにユイナは首を回して彼女らとは反対側の位置にデスクを構えたセオロスティリスの方を向き、おーい、と声をあげた。すると彼は一瞬手元の書類から顔を上げたものの、すぐに無視して作業に戻った。ユイナはめげずにもう一度声をあげる。
「分かんないことがあるんですけどー」
「……」
「教えてくれないと書類が進まないんだけどー」
「……」
「早く終わるためにも協力してよセロリくーん」
「セロッ!?」
それまで無反応だったセオロスティリスは驚愕の表情でユイナの方を見ると、今度こそ怒りの形相でカツカツカツ!と彼女らの元へやってきた。
「来た来た。ここのところがフレストゥリも知らないから書けないんだよ。教えて」
「不明点があれば遅れている君たちの方から書類ごと持ってくるのがスジだろうが!」
「セロリくんは同期でしょ?上司じゃあるまいしいいじゃん」
「だいたいそのセロリとはなんだ!僕の名前はセオロスティリス・レイクスベルト!何がどうなったらド田舎で農民が栽培している農作物の名前が出てくる!?」
鼻息荒く怒鳴り散らすセオロスティリスにユイナは文字列を書いてみせる。
「セオロスティリス、だと長いから短縮した」
「き、君はどこまで僕を侮辱すればっ……!」
「まあまあ。それよりセロリくんさ、ここ教えてよ。ここだけできれば多分あとはフレストゥリに聞けばできるからさ」
「本当だろうなっ!?」
セオロスティリスにギッと鋭い視線を飛ばされるも、フレストゥリはニヤニヤしながらコクコク頷いた。
「ま、たぶん大丈夫かな。多少は間違えるかもしれないが、訂正があれば誰かさんがチェックしてくれると聞いているしね」
「ぐっ、うううちょっと待ってろ!」
ギリギリと歯ぎしりした末、セオロスティリスは自分のデスクに戻って書類の束をひっつかんでくると、それをユイナに投げるようにして渡した。
「これ以上君たちと話していると頭がおかしくなりそうだ!僕が書いたのを見て間違いなく書類を仕上げろ!一時間後に確認しに来るからな!!」
色白い顔を真っ赤にしたセオロスティリスはそう怒鳴ると、扉を乱暴に閉めながら研究室を出て行った。それを確認したフレストゥリが軽く口笛を鳴らす。
「アイツをあそこまで煽り切って最適解を引き出すなんて、キミの悪魔のようなメンタリティにはシビれるよ、小さじ脳」
ニヤニヤとしているフレストゥリに対し、ユイナは涼しい顔だ。
「ホメてないでしょそれ……私は単に要らない意地で硬直した状況が嫌いなだけ。意地が邪魔してやれないことは、意地なんか捨ててなるべく早く行動すべき。そうじゃない?」
そう問いかけるユイナの表情に落ちる影を見て、フレストゥリはますますニヤニヤを加速させて言う。
「ああ、全くその通りだとも」
『……というようなことがあってね。そのあとやってもやっても次々出てくる書類の山!お昼食べてからもしばらくはずっと書類仕事だったんだから。それでもフレストゥリとセロリのやつに手伝ってもらってなんとか日が暮れる前には終わって、余った時間でこの『コール』用の基地を組んだってわけなの』
まるで濁流が流れ下るようにユイナの一日を端末越しに聞かされたロシュートは、何はともあれ率直な感想を口にすることにした。
「とりあえず、良かった。同僚と仲良さそうで」
『アレで仲良しぃ!?』
「ケンカするほど仲がいいってな。本当にお互いが嫌いなら口すら聞かないぜ」
『一理あるような無いような……』
ユイナがうーん、と唸るのが聞こえるのに苦笑しつつ、悩みこそあれとりあえず彼女の研究者生活が無事スタートしたことを確認したロシュートはなあ、と話題を切り替える。
「ところでお前の所属している研究室は……」
『新属性魔法研?』
「そうそう。具体的には何やってんのかなーって」
『それは具体的には話せないよ機密とかあるもん』
「兄妹でもダメなのか」
『もちろん。でもねアニキ、散々文句は言ったけど、やっぱりここは設備もいいし、今までとはレベルが違う魔法が開発できそうなの!研究室で分担された仕事もあるからずっとやってるわけにはいかないけど、近日中にオリジナル魔法をひとつ完成系で披露できると思うよ』
端末越しの楽しそうな妹の声。ロシュートは心の底から安堵して言った。
「良かったな」
『まあね。それよりさ、アニキは今日一日なにしてたの?依頼とか?』
「ああ、それなんだがーーー」
と、ロシュートが返答しかけたところで、彼の部屋のドアがコンコン、とノックされた。
「サーシャか?」
「あ、ロシュートお兄ちゃん?実はここの厨房を借りることができたから昨日のお店のクッキーを参考に改良版を焼いてみたんですけど、良かったら味見していただけませんか?」
ロシュートがいったん端末をベッドに置き、ドアを開けてサーシャを部屋に招き入れた。サーシャがクッキーの入った籠の布を取ると、香ばしい焼けた砂糖と小麦の香りが部屋に満ちる。
「確かにいい匂いだ。1枚貰うよ」
「もちろんどうぞ。でも持ってきておいてなんですけど、晩ごはん前ですから数はほどほどに……」
「どれどれ。お、確かにあの店のやつに似ているな。でも気持ちこっちの方がしっとりしているかも?」
「そうなんです!いつも私が焼いてるクッキーが柔らかめなので、生地の材料だけ少し変えて、お宿の方にもアドバイスを……」
2人の会話に割って入るようにぶーん!ぶーん!と端末が震える音が鳴り響いた。ロシュートはそこで妹の会話をほったらかしにしていたことを思い出し、慌てて端末を手に取った。
『ちょっとー。私をほったらかしてサーシャとイチャつくなんてどういうつもりなの』
「悪い悪い。まだ声だけで話すのに慣れてないっていうか、これ手放すと急に話途中なのを忘れちゃうっていうか……」
「ロシュートお兄ちゃん?お話しするなら私はこっちですけど……」
「ああごめんサーシャ。これユイナと話してるんだよ。声を魔法でここまでとどけてるんだってさ。説明が難しいんだけど」
「えぇっ、えっと……?」
ロシュートが端末に向かって話し始めたことで今度はサーシャが混乱し始めてしまった。彼がどう収拾をつけようか軽くパニックになっていると、端末の向こうからため息が聞こえた。
『まあいいや。じゃ、またこんど連絡するから……その時は、アニキのことも聞かせてよね。その端末はアニキが身に着けてれば勝手に発動のための魔力が溜まるはずだから忘れずに。んじゃ』
「あ、ユイナ?おーい……終わった、のかな?」
ユイナは言いたいことを一方的に言うと、魔法の出力を切ってしまったらしい。ロシュートの手には輝きを失い静かになった端末が握られている。
「あの、ユイナさんがいったいどういう……」
「あーごめんなサーシャ。腹も減ったし、詳しい説明は晩飯を食べながらにしよう。せっかくだし、どこか店にでも食べに行こうぜ」
「それでは私が以前王都に来た時にも行ったお店があるので、ご案内しますね!あそこは煮物がおいしいんです」
「お、頼もしい。んじゃ先導は頼んだ」
言葉に頷いたサーシャは座っている彼に手を差し伸べた。
ロシュートはそれに応えるように、端末をポケットに仕舞ってその手を取り、立ち上がって部屋を出る。
同じ王都の、それぞれの場所で、明るい夜が更けていく。
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