【第6話】妹の兄と幼馴染が忙しすぎる
ロシュートは天井を見上げていた。
身体は動かず、寝かされているベッドに吸い付いているかのよう。見えない岩が胸の上に乗っているような息苦しさ、しかしながら不思議と恐怖はなかった。
彼が目だけを動かして傍らを見れば、ユイナが泣きながら何かを叫んでいる。寝ているロシュートにしがみつき、顔を真っ赤にして何かを訴えているようだ。その内容を聞き取ろうとしても全く理解できない。
彼はそこで自分が夢の中にいると気がついた。夢を見ているとはっきり自覚できる明晰夢。おそらくすぐに目が覚めるだろうと思いつつ、ロシュートはユイナの顔を改めて見た。
妹は……ユイナは、自分が居なくなったらどうなるのだろう、泣くだけ泣いたら自分の力だけで生きていけるだろうか、ロシュートはぼんやりと考えた。昨日ブラッドワイバーンと戦ったとき妹さえ無事であればいいと思ったが、その反動がこの夢を見せたのだと。
「兄ちゃん、起きて!起きてよ!」
彼は自分を起こす声を聞いた。そろそろ朝なのだろう、そう予想し、彼はゆっくりと夢の世界から消えていく。
「起きてーお兄ちゃーん。朝だぞーって、お、起きましたか……?」
ロシュートが改めて目を開くと、長い亜麻色の髪を後ろでまとめたサーシャが顔を覗き込みながら彼の身体を軽くゆすっていた。
サーシャは彼が目を開けたことに気がつくと、さっと下がり恥ずかしそうに手を後ろで組んだ。窓から差し込む陽光が彼女の赤みがかった頬を照らしている。
「なるほど、だからああいう夢だったんだな」
「夢……?」
「いや、なんでもない。起こしてくれてありがとう」
サーシャに礼をいいつつロシュートはゆっくりと身を起こし、そこで重大な事実に気がついた。
太陽がもう昇っている。それはつまり、朝の掲示物を貼る契約の時間を過ぎているということだ。
「やばい!掲示物を……」
「お兄ちゃん待ってください!今日はギルドから別の依頼を受けるはずではないですか?」
慌てて部屋を飛び出そうとするロシュートの行く手をふさぎつつ、サーシャは彼のスケジュール表を広げて見せた。確かに彼の予定を示すマグネットは早朝にはなく、ちょうど1時間後からになっている。そういえば昨日、早朝の仕事がないことで久しぶりにゆっくり眠れると就寝前にロシュート自身が確認したのだった。
思い出し、彼は思わずホッと一息ついた。
「そうだった、今日はサーシャと一緒に依頼をこなして回るんだったな」
「はい!もう朝食の準備はできていますし、私は準備もばっちりです!お兄ちゃんさえよければいつでも出発できますよ!」
サーシャは後ろにまとめた髪を揺らし、目を輝かせながらそう言った。やはりずっと宿屋の仕事ばかりして、しかもあんな厄介な客の相手もするとなると外で別の仕事をするのであっても良い気晴らしになるのだろう、とロシュートは考え、彼女に日ごろから負担をかけていることを改めて痛感した。
「さすが我らが頼れるサーシャだ、助かるよ。じゃあ朝食を食べたら早速ギルドに向かおう」
一瞬頭に伸ばしかけた手でサーシャの肩をポンポン、と叩きロシュートは部屋を出る。と、その直後に彼は振り返って言った。
「あ、そうだサーシャ。外に出たあとは宿屋モードに戻すのを忘れるなよ。フォートさん曰く修行のひとつらしいから、あの人どこで見張ってるかもわかんないし」
「……自分はお兄ちゃんモードのまんまなのにズルいです」
「ん、ごめんもう一回言って?」
「い、いえ!もちろん、お仕事として一生懸命務めさせていただきます!朝食、用意させていただきますね!」
言葉を聞き返したロシュートの横をすり抜けてサーシャは階段を駆け下って行った。彼女の唇がやや不満げに尖っていたことは、彼の視点からは見えなかった。
朝食を二人で食べたロシュートとサーシャはギルドで依頼書の束を受け取り、その最初の依頼の場所へ向かっていた。依頼書は受付のマリーさんが時間帯順で並べて束ねており、上から順番にこなしていけばよいことになっている。
見知った顔とあいさつを交わしながら市場と南門の間にある大通りまでやってくると、大きな荷車の隣から彼らに手を振る影がある。昨日ロシュートとその妹が世話になったあの商人だ。
「ロシュートのダンナ、こっちです。昨日はどうも、プレゼントの菓子は気に入っていただけましたかな」
「まあなんとか。相変わらず妹は部屋の中だけどな」
「そういえば確かに……そちらのお嬢さんは妹さんではないですね?妻ですか?」
「いやいや、この子は俺の幼馴染ですよ。サーシャと言います」
「つっ、つ、て、手伝いに来たサーシャ・リンドベルトです。よっ、よろひくおねがい、しますっ」
ロシュートが商人の勘違いを軽く流してサーシャの方を見ると、しっかり者のはずの彼女は完全にあがって噛み噛みになっていた。
今日の彼女はいつもの宿屋で使っている給仕服の上から作業に耐えるようにと丈夫な布の上着を羽織っているためいつもの幼い印象が薄くなっている。だから商人は自分の妻だと間違えたのだろうとロシュートは納得し、彼女の動揺は緊張からくるものだろうと判断した。
もっともサーシャ自身は彼が思うような理由で噛み噛みになっていたわけではないのだが、少なくとも現在の彼にそれが伝わることはなかった。
「リンドベルトって『リンドベルトの憩いの宿』のリンドベルト?」
「ええ、彼女はいま修行中の身で。彼女の祖父の意向で今日は俺の手伝いをしてもらうことになってるんです」
「はぁ~そりゃあまた、有名宿屋の家は考えることが面白いな。それで頼みの箱ってのがこれなんだけど、見てもらえるかい」
商人はそのぽっちゃりとした身体じゅうに滲む汗を拭いつつ、荷車の中から一抱えほどの黒い箱を取り出した。彼がよいしょ、とその箱を台の上に置くと、ズンッ、と箱の重量を感じさせる音が響いた。
「なんだこれ、鉄でできてるのか?金庫……みたいだけど」
「そのとおり、王都の方で最近開発された小型金庫さ。元々貴族の屋敷にあるようなでかい金庫を小型化したんだと。ダイヤルで数字を合わせたら、鍵を使って開ける。だが問題があってな……」
ロシュートの質問に答えつつ、商人は小型金庫についた錠前を指し示す。数字の書かれたダイヤルと、それと別に大きな鍵穴が取り付けられている。
「中には今日中にギルドに出さなきゃいけない書類が入っているんだが鍵を落としちまってな、開かなくなっちまったんだわハッハッハ!」
「一大事じゃねえか!これって壊せなかったのか」
「王都の最新式だ、火事でも中身は燃えないって聞くぜ」
うーん、とロシュートは少し悩むと鍵穴を覗き込んだ。最新式、というのは小型化したことを指しているのだろう、鍵穴の仕組みそのものはいたって普通のようだと彼は判断し、商人の顔を見る。
「あんた、えっと……」
「ゴードンってんだ」
「ゴードンさん、数字の方は覚えてるのか?」
「たしか270から330の間のはずだぜ」
「そこもかよ……ゴードンさん、とりあえず細い針とかあるか?できれば長さがいくつかあると助かる」
「おお、ちょうどそういう商品を運んでるぜ。ほら」
商人のゴートンは小さな木箱をロシュートに手渡した。中には太さが様々な細い針が20本ほど入っており、それぞれに番号が振ってある。何やら工作に使う道具のようだ。
「どうだい、すごいだろその針。それも王都のやつでさ、最近になってようやくそこまで細くできるようになったらしい。なんでもSランクの冒険者サマが知恵を授けてくれたんだとか。使っていいから何とかしてくれ」
「なるほどね。サーシャ、これ持ってて」
ロシュートは箱から最も細い1番の針と最も太い20番の針を取り出すと、残りを箱ごとサーシャに渡した。
「その針の箱から俺が言った番号の針を渡してくれないか?」
「はい、わかりました!」
「よし、じゃあ始めるぞ」
ロシュートは再び屈み、鍵穴に二本の針を差し込んだ。内部の突起を押したり引いたりしながら、鍵穴の構造を手の感触で把握していく。
「サーシャ、3番と15番を渡してくれ」
「はい!どうぞ」
「ありがとう。はいはいオッケー、なるほどじゃあここが……」
ロシュートがブツブツ言いながらダイヤルを回したり針を持ち替えたりするのをゴードンとサーシャは背後から見守っていた。鍵穴にかじりついてなんとか開けようと試みるその様は心強く見える反面、少し心配になる。
「なあ、リンドベルトのお嬢ちゃん。ロシュートのダンナって実は『昼の顔はしがない冒険者!しかし夜の顔は大ドロボウ!』とか、そういうことはないよな……?」
「絶対にありえません!ロシュートさんはすごくいい人なんですよ。あっはい8番と12番ですね!」
「それならいいけど、あんまり金庫も頼れたもんじゃないかもなぁ」
2人がそんな会話を交わしつつしばらくするとロシュートがユイナにダイヤルの番号を順に読み上げてもらうように頼み、さらにそれから数分が経過した。すっかり日も高くなった街の片隅で、ガチリ、と音が鳴った。
「よっしゃ開いた!」
「ロシュートさんすごい!」
「うお、スゲーなロシュートのダンナ!どうやったんだよ」
ゴードンとサーシャから拍手喝采を浴び、ロシュートは少し得意げに取り出した書類を差し出した。
「鍵穴とダイヤルが連動しているから、ちょっと回すと音が変わるんだ。あとはこう手先で地道にな、ほらこれ書類。無くすなよ」
「助かった、これなら間に合うよ!ありがとうロシュートのダンナ」
抱きつかんとする汗だくの巨漢をするりとかわしたロシュートは依頼書を取り出すとゴードンに署名させた。これで依頼は完了となる。
「本当にありがとよ。俺はもう行くけど、その針は持ってってくれ。個人的な追加報酬だよ」
「いいのか?高いものなんだろ」
「一度使用済みだと売れるもんも売れねーんだ、ガハハ!なんなら金庫もいるか?」
「錠を破った本人が欲しがると思うのかよ」
「だよな!この鉄クズは金物屋にでも売りつけるさ」
ガハハ、と笑いながらゴードンは荷車を引く馬と共に去って行った。
「すごいですねロシュートさん、あんなことができるなんて」
サーシャが改めて尊敬の念でロシュートを見上げた。達成感による高揚がやや冷めてきていた彼は恥ずかしくなり、頬を指でひっかきながら苦笑いで誤魔化す。
「ドロボウに使ったことはないんだがよ、Dランクには意外とああいう鍵開けの依頼が多いんだ。ドアだったり、さっきみたいに箱だったりな。それで覚えちまえば便利かなと思って、いつだったか酒場にいた元盗賊のおっちゃんに習ったんだよ。重ねて言うけど、本当にドロボウしたことはないからな!」
「わかってます、ロシュートさんはそんなことしないって信じていますから」
「……よし!次の依頼に行くぞ!」
サーシャからの尊敬の念と信頼がむずがゆくなってきたロシュートは、やや大声でそう言って歩き出した。
その後、二人は様々な依頼を受けて回った。
「ドアのちょうつがいがぶっ壊れちまってさ!」
「ちょっと見せて。これなら油を差せば大丈夫だよ」
「屋根修理するから手伝ってくれ」
「了解。木材はこれくらいに切ればいいか?」
「何度やってもスープがおいしくならない」
「このサーシャにお任せを。そうですね、火加減をもう少し押さえてみてください」
「犬を見ててほしくて……あっ逃げた!」
「『ソイルウィップ』!ほら捕まえたぜ」
等々。
ロシュートとサーシャはろくに休憩も挟まずにぶっ通しで依頼をこなし続け、気がつけばすっかり日が暮れていた。依頼達成の報告をしにギルドへ歩く道中、サーシャはやっぱりすごいですね、と話を切り出す。
「今日一日ロシュートさんのお手伝いをして、私の至らなさを痛感しました。鍵開けに、道具の修理、瞬発力と判断力……いろんな事が出来て、それこそ魔法みたいでした」
「依頼を受けていく中で必要なことが身についただけだよ。結果的になんというか、盗賊みたいなことばっかりできるようになっちまったのが残念なところだ。サーシャは立派に宿屋もやってるし、料理もできるし、一応魔法も勉強したんだろ?」
「あ、はい。『生命力』の魔法に適正があるようなので、少しだけ……使う機会はあんまりないですけど」
謙虚にほほ笑むサーシャを見て、ロシュートは空を仰いだ。夜空には無数の星が瞬いている。
「『生命力』か~最近新分類になったんだっけ。希少な才能だぜそれ。魔法適正の中じゃ最も多いらしい『地属性』とは大違いだ」
「ロシュートさんはもっと自信を持っていいと思います!今日の一日、たくさん学ばせていただきましたので」
「お世辞でもそう言ってくれると嬉しいね……サーシャは今日大変じゃなかったか」
ロシュートが問いかけると、サーシャは満面の笑みで答えた。
「はい!とっても大変でしたけど、ロシュートお兄ちゃんとのお仕事は楽しかったですよ!」
それを聞いて、彼もつられて笑った。一日の疲れがすべて消え去ったような気分だった。
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