【第51話】懐かしい顔
「聞くまでもないとは思うが、王立魔法技術研究所がどのような場所かは知っているな」
「……えっと、はい。魔技研の本は何冊か読みましたけども」
疑問と懐疑で痛いほどに凍りついた空気の中、脅迫じみた視線を送るアンリットにユイナはしどろもどろに応じた。
「マギ研は貴族出身のエリートど……あっ、エリートさんたちがコ、その、血筋に連なる優秀な頭脳を集めた、どこの馬の骨とも知れないわたくしめには全く不相応な、やんごとなき王立の研究施設が招待など……?」
いまエリートどもって言いかけたか?とロシュートは妹の言葉の端々に漏れ出る悪意にお越しくださった貴族のお偉いさんが気づかないかと冷や汗を垂らす。だが彼の心配をよそに、アンリットは眉ひとつ動かさずに1枚の紙を突き出す。
「ここに召集令状がある。もちろん貴族院で承認済み、あとはお前が首を縦に振ればそれでいいのだが」
「つまり任意同行……任意ってことで良いんですね!?」
「任意だ」
「じゃあ私っ」
アンリットのそっけない言葉にユイナは一瞬表情を明るくするが、すぐに彼の冷酷な態度を読み取った。逆にユイナの心中を読み取ったアンリットは呆れたようにフッと息を吐き、言葉をつづける。
「任意だが、貴様とて貴族院の承認をただのイチ冒険者風情が断ることの意味が分からぬほど阿呆ではなかろう」
「ぐっ、結局こっちの世界でも任意同行の任意は飾りか……!」
嫌がるあまりかとうとういつもの意味不明な言動が出始めたユイナ。口車に乗らず、頑として自らの目的を押し通そうとするアンリット相手では流石の妹も分が悪いと見たロシュートは助け舟を出してやりたくなったが、貴族の眼前で下手に発言すると自分はともかくユイナごと問題にされかねないために躊躇してしまう。
何より、冷静に話を聞いてみればユイナに王都で研究員になる道が開こうとしている。
安全な就職先が見つかろうといういま、邪魔することは兄として正しいのか。
迷った末にロシュートはサーシャの方をちらり、と見た。サーシャは何かしらの意図を汲み取り、アンリットをキッと睨みつけると静かに手を上げた。
「質問があります」
「君は……ああ、リンドベルトの娘だな。ふむ、一家に恥じぬようよく躾けられているようだが、少々威勢が良すぎるな。君にはこの件に関してなんの権利もない、質問は受け付けん」
取りつく島もないアンリットの態度に、しかしサーシャは怯まずに言い返す。
「いいえ!ユイナ・K・キニアスは私たち一家の私有財産を損壊し、その弁償を行なっている最中の債務者です。債権を持つ者が債務者の収入を左右する令状について質問するのは当然の権利です!」
「そうか、俺らにはサーシャの家に個人的な借金があるんだ!いいぞサーシャ!」
「良くはないんじゃないかな、アニキ……」
思わず声を上げたロシュートと、対照的にますますうなだれるユイナ。その2人を庇うように前に立ち合理性のある主張と精一杯の虚勢を張るサーシャは、こと貴族を相手にすることにおいてパーティで1番の実力者だった。
アンリットも多少はそれを認めたのか、はたまた嘲笑か、僅かに口角を上げると令状とは別の資料を懐から取り出した。綴じ紐でつづられた3、4枚程度の紙束の表紙には王都の紋章が押印されている。
「宿屋の受付と違って質問ひとつひとつに答えている暇はないのでな。ここにユイナ・K・キニアスが王都に雇用される際の条件が書いてある、君なら読めるだろう。王都に雇用されることがどういうことなのか目を通して、なお質問があるなら挙手したまえ。3つまで答えてやる」
「わ、分かりました!では拝見します、少々お待ちくださいっ」
アンリットの手から書類を素早く取ったサーシャは表紙をめくり、細かく書かれたユイナの雇用条件について素早く目線を走らせていく。
「月のお給金が……これで、休暇はこれですね……あとは保証が……」
「どうだ?何かヤバいところは見つかったか」
「お兄ちゃんはちょっと待っててくださいね、いま読んでるので」
「アッ、ハイ」
サーシャに彼女らしからぬ声色でぴしゃり、とシャットアウトされてしまったロシュートは手持ち無沙汰なのと年下の女の子にすべて任せてしまっているような気まずさから視線を泳がせ、最終的にユイナの方を見た。
先ほど何でもやれることはやる、と言っていた勢いはどこへ行ったのか、妹はすっかり元気をなくしている。その顔には絶望と言うよりは苦悩が浮かび上がっており、ロシュートにはそれが王都に行くことで得られるもの、失うものを秤にかけているように見えた。
「なあユイナ、どうして王都に行くのがそんなに嫌なんだ?」
アンリットの視線がサーシャの方に向いているのを確認し、ロシュートは妹に小声で確認を取る。ユイナは兄の方をちらっと見て、目を上に向けて少し考え、さらに小さくため息をつき、兄とは反対の方向へと目線を逃がしてようやっと口を開いた。
「だってマギ研ですよ?王都直轄で、コネで入った研究者未満の貴族サマのご子息たちが権謀術数を渦巻きながら日々蹴落としあい、ただでさえガチガチに用途の縛られた予算を無駄遣いしているというウワサの。誰が行きたいもんか。私は自分の好きなように研究していたいんだよ」
「すさまじく嫌いなんだなその、マギ研?を。でもお前そこから出ている本も買ってるって言ってなかったか」
「予算の額だけは潤沢だから規模のバカでかい実験とか気の長い検証をしてるんだよマギ研はね。質はともかく他じゃ全然記述もないから仕方なく買うしかないってやつ。それに……」
「それに?」
ユイナは視線をロシュートに戻し、何か言いかけて、再び逸らした。
「いや。何でもない。もう魂レベルで嫌いなの、ああいうデカいだけの研究施設とか学校とか病院とかそういうのが」
「お前ってそんな反権力みたいな感じだったっけ……?」
「単にヤな思い出があるってこと。これ以上はもう話したくない」
ユイナにぷいっ、とそっぽを向かれてしまい、ロシュートは肩をすくめた。彼は妹が以前に冒険者だったころ、つまりウマコトの元に居た頃に何があったのかを未だに知らない。おおかたその辺りに原因となった出来事があったのだろう、とロシュートはとりあえず納得せずとも呑み込んでおくことにした。
「ロシュートお兄ちゃん……!すみません、やっぱりこれ一緒に確認していただけませんか」
ちょうどその時、資料に目を通し終わったらしいサーシャがロシュートの袖を引っ張った。見れば、何やらこっちはこっちで複雑な表情を浮かべているサーシャが手招きをしている。
「ユイナさんの雇用条件が分かったのですが、ロシュートお兄ちゃんにも念のため確認してほしいんです。もしかしたら、私の感覚がおかしいだけかもしれないので……」
「感覚がおかしい?」
「それが……いえ、見た方が早いと思います。私が説明しながら読みますので一緒に目を通してください」
「お、おう。わかった」
ロシュートは頷くと、肩を寄せ合うようにしてサーシャが手に持った紙を覗き込んだ。サーシャは彼の顔が突然近くなったことに今更小さな悲鳴を上げそうになったが、顔が熱くなるような感覚ごと我慢し、少し咳ばらいをして書類の一か所をまず指差した。
「まずお給金なんですけど、これが月に銀貨30枚です」
「30!?30って言ったら……」
「そうですね、大体私たちが全力でBランクの依頼をこなした月に貰えるのが見込み20くらいです」
「で、でも王都の物価は高いんじゃないか。30あったところで」
「それが、食事は毎食提供されるらしいです。ですから生活費そのものはここより安く済むかもしれないですね……」
「でも家がさ」
「王城内に寝泊まりできる個室があるそうです」
「休みがあんまりないんじゃない!?毎日気絶するまで働かされるとか!」
「いえ、日が暮れたらきりの良いところで研究を切り上げても良いそうです。むしろ連日の徹夜は効率が落ちると罰則規定まであります。今のロシュートお兄ちゃんのほうが労働時間は長いと思います」
「えっと、あとは、えーっと」
「研究成果によっては追加の報酬が出たり、勲章が頂けることもあるそうです。あとユイナさんは最初から主任級、つまり上級の役職からスタートします。出世もしやすそうですね」
「……」
「それでロシュートお兄ちゃんに確認なんですが」
「はい、なんでしょうか」
「このお話、お断りするべきなのでしょうか」
ロシュートは腰に手を当て、天井を仰ぎ見てスゥーと息を吸った。それを見たサーシャもよくわからないが息をすぅぅと吸ってみる。不思議と吸気の停止するタイミングはほぼ同じであり、視線を前に戻したロシュートは特に示し合わせてもいないのにサーシャと同時に頷き、二人でユイナの方を向いて言った。
「「妹よ。悪いことは言わないから、王都に行った方がいいと思う」」
「う、裏切り者おっ!」
ユイナの悲痛な叫びが銀行のロビーに響き渡った。
「決まったようだな」
ひとり感情の起伏を見せないアンリットは変化のない口調で言い捨てると、ロシュートの元へツカツカと歩み寄ったアンリットは手元の書類をロシュートの胸元へと押し付けた。
「破損されても面倒なのでな、これはお前に渡しておく。兄なのだろう。保護責任者として、忘れずに王都まで妹を送り届けるがいい。我々は研究員の身内の者が一時的に王都へ滞在する費用も負担できる。下らん制度だが、別れが惜しくば活用することだ」
それだけ言ったアンリットはロシュートたちの返事も待たず、ユイナの最終的な意思確認もすっ飛ばして迷いなく去っていった。
その後には王都から来た貴族が持ってきたのが悪い知らせでなかったことで内心ほっとしている兄と幼馴染、味方だと思っていた身内の裏切りによって王立魔法技術研究所への好待遇就職が決定してしまい膝から崩れ落ちた妹が残された。
「なんだよ……2人して王都に行け王都に行けって。そんなに私に居なくなってほしいのかよ」
「そんなわけじゃないって言ってるだろ」
銀行からの帰り道。やはり自分の好きなようにやろうとしていたことの出鼻をくじかれたのがかなり効いているのか、ユイナは完全に拗ねてしまっていた。その手を引きずるようにして歩くロシュートはだからな、と何度目か分からない説得を切り出す。
「ここで冒険者をしているよりも遥かに待遇が良いんだぞ。お前は環境に文句があるみたいだけど、傍から見れば羨ましいほどの状況だ。何より、冒険者として危険地帯に出向いたり魔物と戦ったりするよりよっぽど安全なんだ」
「そりゃそうだけどさ」
「というか元々この街なんか田舎過ぎていやだってさんざん言ってたじゃないか」
「住めば都っていうかここを離れるのはそれはそれでさみしいっていうか」
「しかもユイナさんのお店を開くのにこれ以上なく分かりやすい実績になるじゃないですか。3年勤めれば辞めるのは自由だとも書いてありましたし、こう見えてお店を開くのにすごく近道かもしれないですよ」
「サーシャまで……ううぅこれが四面楚歌か」
頭を抱え、苦悶に顔を歪めるユイナ。ロシュートはやはりユイナが大組織を嫌いになった理由を聞きたくなったが、無理やり聞き出して嫌な思い出を呼び起こすのはどうしても気が引けた。
「何でもやれることはやるって言ったじゃないか。元Aランク冒険者なんだろ?王都で3年間研究するくらい大丈夫だって」
「元Aランクが何なんだよ。全然根拠になってないし」
「お前がいつも言ってるんじゃないか……」
プライドもかなぐり捨てて拗ねに拗ねるユイナの様子にロシュートは懐かしさを覚えた。ユイナが彼の目の前に現れたときも突然泣き出したかと思えば、何を言っても口を利いてくれなくなったのだ。あの日も、そして今回も、状況が同じならロシュートが兄として取れる行動もひとつである。
「ユイナ」
ロシュートは歩みを止め、むくれているユイナの方に向き合って腰を屈めると肩に手を置いて言った。
「大丈夫だ、きっとなんとかなるさ。俺が、お前の兄ちゃんとして保証してやる」
な?とロシュートは微笑んだ。それを見た妹は目を見開く。
「その言い方っ……!」
「前も同じように言ったよな。落ち込んでいる妹を励ますのは兄の役割だ」
「そう、だけど」
言葉を途中で切ったユイナは目をぎゅっと閉じた。俯き、しばらく黙り込む。
傾いた日が彼らの影を長くしている。朝と夜の境界で夕日に照らされた兄の顔を、妹はまぶたの隙間から見た。昔と変わらない、不思議と心の安らぐ表情。
「いっつも、いっつもそうなんだから……」
兄に絶対聞こええない声量で呟くと、妹は目を強く擦って顔を上げた。少し赤くなっていたが、その目には弱気などなかった。
「兄ちゃんの気持ちも、サーシャの気持ちも分かったよ。だから、もう少しだけ時間をちょうだい。どうにか、頑張ってみる」
ユイナの『働く』宣言にサーシャは表情を明るくし、ロシュートはさらに笑った。
「ああ。遅れない程度に、ゆっくり準備してくれ」
ロシュートは再びユイナの手を取った。
「じゃ、帰ろう。今日はよく頑張ったからな」
「うん……うん。そうだね、アニキ」
妹はその手を、拗ねていた時よりもずっと強く握っていた。
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