【第5話】兄妹喧嘩は犬も食わない
「はぁ、やっと着いた」
もう日も暮れようとするころ、ロシュートはようやく街の南門にたどり着いた。
ブラッドワイバーンの素材だけでなくフォレストクラブからも爪や甲殻、甲羅の一部を回収してきているため、荷物が重い。何より、彼は荷物の一部を妹に分担するつもりでいたのだ。ほぼ自業自得だが、気分は沈むわ重さで足も沈みそうだわで、踏んだり蹴ったりである。
そんな彼をハルベルトは大きく手を振って迎えた。少なくない死をその目で見てきた衛兵は、五体満足で帰ってきた冒険者を見るだけでも嬉しいのだ。
「よぉ!色々大変だったみたいだが、無事でなによりだロシュート!」
「おかげさまでな。ユイナ見なかったか?ここを通る商人と一緒だったはずだが」
「見たぜ、というか俺からそれを言おうと思ってたんだ。お客人がお待ちだぜ」
くい、とハルベルトが親指で指す先を見ると、商人がロシュートの顔を見据えてニコニコ笑っている。
「私を載せた料金はアニキに請求してよね、との伝言を預かっているんだとさ」
「ロシュートさん、お疲れ様。依頼は達成できたみたいね」
「え?なんでもう知ってるんですか」
ギルドの受付に来るなりマリーが言ったのでロシュートは困惑した。そんな彼を見て、彼女は受付カウンター越しにやさしく微笑む。
「マコトさんが教えてくれたのよ」
「あの野郎ペラペラ喋りやがる……まあいいけど」
「それで、ブラッドワイバーンを倒したというのは本当なの?」
本当なの、とは聞くがマリーはSランク冒険者のことを疑ったりしない。もちろんそのことはロシュートも察しているため、ウマコトに先に言われてしまったのはちょっと悔しいものの素直に証拠として取ってきた素材を見せた。
「これだよ。死ぬかと思ったけど、何とか倒せた」
「はい、確認しました。すごいわロシュートさん。Cランクどころじゃないお手柄ね。これなら王都のギルド本部でも確実に良い評価を貰える。あとは……」
「メンバー確保、わかってます」
「アテはあるの?」
マリーの短いが的確な一言にロシュートは沈黙してしまう。
同ランクの冒険者となると彼のような金稼ぎが中心の冒険者はあまりおらず、ほとんどは手早くランクを上げることを選んでいる。
それに、有名にはなっているものの『病気でもないのに引きこもるユイナの面倒を見るために金を稼いでいる』というのは理解されないことも多いのだ。仲間との価値観が合わないのは命を預ける上で文字通り致命的になってしまう。
それなら早くランクを上げてより多くを効率よく稼ぐ方がいい、と彼も頭ではわかっていた。上のランクなら他人の価値観がどうであろうと実力でカバーしあえるし、金稼ぎを中心とする冒険者グループもある、とも。
それでも彼がDランクの依頼をこなし続けているのはもし自分が居なくなったら、という最悪の事態に対する恐れからだった。
ユイナを守れるのは自分しかいない。いざという時、体を張れないのでは元も子もないのだ。
そんなロシュートの心を見透かしたマリーは短くため息をつく。
「今回のブラッドワイバーンの討伐は妹さんが貢献したのでしょう?Aランクは剥奪されているけれど、今回の件が評価されればCランクから復帰できる。彼女なら」
「アイツはっ……!」
ロシュートはマリーの言葉を遮ったが彼女の呆れたような、憐れむような視線に貫かれて次の句が出てこなくなった。
彼とてユイナがメンバーとして適任であることくらいわかっている。
だが彼はどうしても、妹がウマコトの元から帰ってきた日に見た光景、その表情を忘れることができないでいた。彼女が冒険者に復帰してしまえば、再びそれを見ることになるかもしれないと。
「……あなたも大変ね。そんなに思い詰めては見えるものも見えなくなる。とにかく、ユイナ・K・キニアスさんの実力は本物。彼女のような人材を気軽にメンバーに誘えることなんてめったにないんだから、よく考えてみてちょうだい。何度も言うようだけど、私はあなたに辞めてほしくないから」
「わかり、ました」
ロシュートがなんとか返事をすると、マリーは緊張の糸をほどくように穏やかな表情になった。さて、と一息入れて、彼女はまだロシュートが見たこともないくらいに膨れた袋を取り出す。
「これを持っていきなさい、今回の報酬です。フォレストクラブの群れの掃討、そしてブラッドワイバーンの討伐。依頼主の商業組合からだけじゃなくギルドからも上乗せしているから、しばらくは朝の掲示物の業務をやらなくてもよさそうね」
「ありがとうございます。でも、朝の契約はまだ続けさせてもらいますよ。ほとんど日課のようなものなので」
「そういうと思った。でも、何もあなたのためだけを思って言うんじゃないのよ」
「それは、どういう……」
含みのある言い方をするマリーにロシュートが聞き返すと、彼女はさらに紙の束を取り出した。ギルドが管理する依頼書、すべてDランクのものだ。
「それ全部Dランクの依頼ですか!?」
「そ。最近魔物が活発になっているじゃない?あなたたちが遭遇したブラッドワイバーンも普段は森の深くにいるのに草原まで出てきた上、幼体でありながらブレスを使った。マコトさん曰くもうギルド本部直轄の研究班が死骸の回収に向かっているそうよ。そんな感じでどこもかしこも慌ただしくて、たくさんのDランク依頼をこなす冒険者が必要なの。この意味、分かるでしょ?強制する権利はないんだけど、私個人としてもあなたに協力してほしい」
先ほどと違って猫なで声で手を合わせ、お願い、としてみせるマリー。その色香では可愛いというよりむしろ妖艶でロシュートは思わずドキッとしでしまう。そもそも彼はいま没頭できるものが欲しいところだったので、元から手伝う気でいたのだが。
「わかりました。全部は無理でしょうけれど、明日からできるだけこなしてみます」
「ありがとう。報酬も今回の程じゃないけどちょっとイロがついているから、頑張ってね」
結果的に色仕掛けに負けたようになってしまったことは不満だったが、報酬も多いと聞きロシュートは大歓迎だった。それじゃ明日、と軽く挨拶をし、報酬袋を大切に懐に収めた彼はギルドを後にする。
「そういえば気になっていたんだけど、その手に持っているのって行商の方が売っているお菓子の袋よね。妹さんにあげるの?」
「ああ、まあ。色々ありまして、行商さんへの支払いの代わりに買ったんです」
「ふぅ~ん。いいけど、女に許してもらうコツは貢物より誠意よ。あの妹さんならすねているだけのはず、頑張って」
「なっ、なんでユイナが怒っていることを!?」
「マコトさんに聞いたわ」
「あの野郎マジで絶対許さねえ!!」
いけ好かない美男子ウマコトの顔を振り払いながらロシュートはギルドを出、足早に宿に向かった。サーシャが晩飯を用意してくれているはずであり、遅れれば彼女まで怒り出しかねないからだ。
あたりはすっかり暗くなっていた。
「お帰り!ロシュートお兄ちゃん!」
ロシュートが宿のドアを開けると、どこからともなくすっ飛んできたサーシャが出迎えてくれた。ぶつからんばかりに突進してくる様はさながら犬のようだと彼は思ったが、口に出すとおそらく怒るので黙っておくことにした。
「サーシャ、宿屋モードはどうしたんだ。いつもは夜でも変わりないのに」
「ご飯の支度もうできてます!一緒に食べましょう!今日はいいパンを頂いたので、合わせておいしいシチューを作ったんですよ!」
ぴょこぴょこと飛び跳ねんばかりのテンションで全く話を聞かないサーシャにロシュートがぐいぐいと引っ張られていると、廊下の奥にある扉から老齢の男性が現れた。
白いながらも整えられた髪に立派な白いひげ、柔和な雰囲気ながら背筋がまっすぐ伸びて目の奥に活気を宿すその人はサーシャの祖父、フォート・リンドベルトだ。
「サーシャは昼間から君が無事に帰ってくるかと心配で仕事も手についてなかったからね。半日分の元気が残っているよ。ワシじゃ御しきれんから、全部受け止めてやってくれ」
「ちょ、ちょっとおじい様!?あまりロシュートお兄ちゃんが困るようなことを言わないでください!」
サーシャはロシュートから手を放して祖父に向きなおり猛抗議した。フォートはそれをほっほ、と流したが、彼は自分を彼女から解放するためにわざと挑発したのだとロシュートは理解していた。老いてはいても、宿屋の経営に長年携わってきた彼にとって孫を手玉に取ることなど容易いのだ。
「サーシャよ、親しき人の前でも気を抜いてはならぬぞ。もてなしの心とはその人となりそのもの、場面を選ばずに発揮されてこそだ。さあ、ロシュート君を案内しなさい。お疲れだろうからね」
「はい、おじい様!ではロシュートさん、お荷物はいったんこちらに」
宿屋モードのスイッチが入ったサーシャはロシュートから荷物を受け取ると、二階へ素早く駆け上がって行った。彼女の中で、ロシュートはすでに宿泊するものとして扱われている。
「あらら、今日は泊まるつもりなかったんだけどな」
「まあそう言わず泊まっていきなさい。いろいろ大変だったんだろう?サーシャの作ったシチューで身体を温めながら、このジジイに君の冒険を聞かせておくれ」
「では、お言葉に甘えて……」
圧もないのに妙に断り切れない雰囲気に舌を巻いたロシュートは、そのまま流れるように食卓へと案内された。
客は部屋に直接食事を届けられるため、ここは完全にリンドベルト家のプライベートな食卓だ。『リンドベルトの憩いの宿』を経営する一族ともなればそれなりに裕福なはずだが、彼が見る限り調度品は質素なもので統一されている。
ロシュートがフォートに促され席についたとき、ちょうどサーシャが合流し皿を手際よく並べた。彼女の言う通り、ロシュートが普段食べているよりも何倍も麦の香りがするパンと根菜や肉が多く入ったシチューを前にして、彼は自身の口内がよだれが満ちていくのを感じた。
「では天と地の神々に感謝して、いただきます」
「いただきます」
フォートに合わせて言ったロシュートはシチューを口に運び、パンを一口かじる。口に入れた瞬間にわかる高品質な味に、思わず声が出そうになる。
「おいしいですか?」
「ああ、めちゃくちゃおいしいよ。すげーなサーシャはやっぱり」
「ふふ、お兄ちゃんの大事なお金がかかっていますから。全力で取り組ませていただきました」
「さすがだ。天にも昇る心地とはこのことだな」
「そ、そんなに褒めていただかなくても……」
宿屋モードはまたもや解除され得意げにしていたもののだんだん恥ずかしくなってきたサーシャと、構わずに誉め続けるロシュート。そんな二人のやり取りを、フォートはにこやかに眺めていた。
シチューをなんとなく食べつつ、ロシュートは今日あった出来事を話していた。彼がブラッドワイバーンのことを話すとサーシャは少し怒ったが、無事に帰ってきているために厳重注意にとどまった。
「そうですか、魔物が活性化している影響で」
「ああ。おかげで明日は街中回って依頼をこなすことになりそうだ」
「ロシュートお兄ちゃんはずっと大変そうですね……」
そしてDランク依頼をたくさん受けることになると話すと、サーシャは悲しげに目を伏せた。
その様子を見たフォートはそんな彼女が近頃少しそわそわしているのを思い出していた。何やらロシュートのことが気になる様子で、ほかの客の接客中もやや元気がない。
この状況を改善するのに必要な一手を、老いた経営戦士は知っている。
「それならサーシャよ、明日はロシュート君の依頼を手伝ってやりなさい」
「えっ!?いやダメですよフォートさん。サーシャの仕事の邪魔をするわけにはいきませんし」
慌てて両手と首をブンブンと横に振るロシュートを、鋭い意思を宿す老いた眼が見つめる。
「サーシャもたまには外に出してやらんとな。なにも遊びに行けと言っているのではないぞ。Dランク依頼というのは街の人の手伝いが中心、これも宿屋でのもてなしを学ぶ大事な修行じゃ。それに数をこなすのならば、宿の仕事ならひと通り仕込まれているサーシャは良い助けとなろう」
いかがかな、と問う老人は、先ほどと打って変わって謎の圧をロシュートに向けている。そして彼の正面に座るサーシャもまた無言ながら、絶対お役に立ちますよ、とでも言いたげな表情だ。
「じゃ、じゃあ少し手伝ってもらいましょうか」
「ほんと!?じゃあ私は明日一日、ロシュートお兄ちゃんについて行って一生懸命お手伝いさせていただきます!私用でも手伝います、例えば買い物に行くなら荷物持ちをしますよ!」
ロシュートに色々不安はあったが目を輝かせているサーシャを見ると、まあいいか、と思えた。彼女に尻尾が生えていたなら、今頃ちぎれんばかりに振り動いていることだろう。
「よし、ではおじい様とロシュートお兄ちゃんはごゆっくり食べていてください。私はユイナさんに食事を届けてきます」
「あ、ちょっと待って!」
そう言って席を立つサーシャをロシュートが引き留める。彼は服のポケットから小さな包みを取り出しつつ、キョトンとしている彼女に尋ねる。
「ユイナ、やっぱり部屋から出てこないか?」
「ええ、帰ってきたらそのまま部屋の扉を閉じられてしまって……先ほどお声かけはしたのですがそちらが食べ終わる頃に届けてほしいと」
「それじゃあ、これも一緒に届けてくれないか。それと、ごめん、と伝えてほしい」
「わかりました、けど、それは……」
ロシュートが差し出した菓子の包みをサーシャが受け取るか逡巡していると、フォートが口を開いた。
「ロシュート君、ユイナちゃんへの謝罪がしたいならサーシャに頼まず、君が直接行くべきだ。サーシャについて行き、謝罪の気持ちを伝えなさい」
「……そう、ですよね。わかりました」
「ではロシュートお兄ちゃん、一緒に行きましょう」
気まずさから、直接対面するのを避けようとしてしまったことをロシュートは恥じた。
しっかりしろと自分をしかりつけつつ、促されてシチューとパンの載った盆を持ったサーシャの後ろについて二階へと上がる。
201号室の扉の前まで来ると、サーシャは道を譲った。ロシュートはあのブラッドワイバーンと相対した時とは別種の緊張に潰されないよう深呼吸すると、ドアをノックした。
「あの、ロシュートだけど……」
「……」
ドアの向こうから返答はない。彼はそのまま黙っていたい気持ちを押さえて、どうにか言葉を絞り出す。
「ごめん、昼のこと。言い過ぎた。許してほしい」
「……わかった」
ひとまず返答はあった。ロシュートが胸をなでおろしていると、サーシャが彼の手につままれていた菓子の袋を取って盆に載せ、入れ替わるようにドアをノックした。
「ユイナさん、お夕食をお持ちしました。扉を開けていただけますか?」
呼びかけから数秒で扉は開いた。ユイナはうつむきながら盆を受け取り、菓子の包みに気がつくと半開きのドアの向こうからじっと兄を見る。
そのバツの悪そうな表情、そして行商に載せてもらった時の記憶から彼女は菓子の正体を察した。
「こっちこそ、ごめん」
それだけ言うと、ユイナはまた201号室の中へと消える。
一進一退。彼ら兄妹の長い一日が終わり、朝がやってくる。
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