【第44話】償いの意味
「やるよスピット、最期にあいつらをバラバラの肉片に変えるんだっ!!」
テンペスタ大森林上空に吹き荒れる魔力流の嵐の中、背に乗せた主人の絶叫に赤黒い竜は暴走する体内魔法陣がもたらす負荷に口の端から泡を吹きながらも、しかし絶対的な捕食者としての咆哮でもって応える。瞳が充血し、高温の血液が循環する血管が皮膚表面に浮かび上がったブラッドワイバーンは赤いオーラを纏っているようにさえ見えた。
「ユイナ、来るぞっ!」
カエデが叫び、闘争心を剥き出しにした竜の全てを引き裂く爪が2人に襲い掛かる。ユイナはぼやけた意識をなんとか強く保ち、全力でハンドルを切ってウィンドライダーを急降下させて回避、凶悪な爪が空を切る。
だがブラッドワイバーンは止まらない。竜は踏みしめる大地も、掴まる大木もない空中で筋力と風魔法に任せて急制動すると尾を振り回す反動で身体を回転させ、地面への引力に任せて真下の獲物へ突進、さらに躱されるも今度は大翼で得た揚力を使い急上昇、暴走する体内魔法陣が発動し、竜自身の顎をも焼き焦がす大熱波が放たれる。
「これはマジでヤバいっ!カエデさん、舌噛まないでね!」
それ以外の方法で加害範囲外に逃れられないと悟ったユイナはウィンドライダーの4つの風魔法陣を停止、強制的に失速することで本来の機動を超越した経路で落下し熱波を回避する。急激な上下移動に伴う血圧上昇で失神しそうになりつつも、完全に復帰不能になる前に魔法陣を再起動、再び揚力を得て飛行する。
なんとか直撃を避けたとはいえ、ウィンドライダーの木製フレームがミシミシと音を立てて機体へのダメージを知らせていた。
「あっぶないフツーに金属で作ってたらぽっきり逝ってたやつだよこれ。耐用年数度外視で木のフレームにしてよかった……カエデさん、起きてる?」
「なんとか。あのブラッドワイバーン、魔法陣の暴走で逆に闘争心に火が着いてしまっているようだな」
「あふれ出る野生ってやつだね。しかしまずいことになっちゃったな。これだけ魔力流が放射されている状態だと、こんな不安定な空中で魔法を使うのは流石にマズそう」
ユイナは『ミュー・フォース』発動の瞬間よりはマシになったとはいえズキズキと響く頭痛をなんとか意識の外に追いやろうと頭を振った。
次の波が来た時に耐えられるか、正直自信がない。そして距離のある空中ですらかなりの影響がある魔力流の放射が地上でどれだけ強烈に作用しているのか、あまり想像したくないレベルだ。だが、兄やサーシャたちが魔法機を止めてくれなければおそらく撃墜されるのも時間の問題。更にラ・テンペスタの復活がどれくらい時間がかかるのか分からないことも考慮するに、長く時間はかけられないだろう。
苦悶の表情を浮かべるユイナを見て、ヴェルヴェットは狂気のままに笑った。
「その苦痛をよく覚えておいてよね!これでもう魔法は使えない、ようやく私たちは平等になった!」
方や武器となる魔法を封印され、片や火を噴きかぎ爪を持った竜。魔力放射の中で戦闘する訓練を施したブラッドワイバーンに乗る彼女は、自覚的に皮肉を込めて叫ぶ。
「そう。これで平等。君が全力を出したことで、ようやく私は咎をひとつ償う機会を得た」
だが、機械の鳥に跨ったカエデはそれを真正面から受けて返答する。
「ヴェルヴェット。私が殺した君の父に代わって、君を助ける」
宣言した緋銀のエルフの右耳で鈍く輝く4つの『鉄の咎』が風に吹かれてぶつかり合い、鈴のような音を立てる。
「ふざけるなぁっ!!!」
彼女の、父親に代わろうという殺人者の言葉を聞いたヴェルヴェットは激昂した。
「あなたなんかにっ……何も考えずに、都合の悪いことに目を背けて矢を射たあなたなんかに、お父さんの人生が汚されてたまるかぁっ!」
血涙を流す色褪せた少女が竜を駆る。破壊の嵐と化した赤黒い塊の隙間を縫うようにして必死に機動するウィンドライダーの背に乗ったカエデは、しかし全くひるまない。激しく動き回る空中戦の中でも、その灰色に濁った眼で少女を見つめている。
「ヴェルヴェット。君は人々を救うと言った。同時に、私に復讐するとも言ったな」
「そうだっ!あなたが私からすべてを奪ったんだ!そしてこの国には同じような被害者がたくさんいると知った!彼らの苦しみが分かるのは同じ思いをした者だけ。私が救ってやらなければ……」
「ならば、なぜいま苦しむ彼らには目をつむる」
「なんだと……?」
至近距離に迫った竜の背に乗るヴェルヴェットへカエデは冷静に、そして優しく諭すように語りかける。
「彼らが受けた苦しみは過去のもの。耐えがたいものだったかもしれないが、それでも彼らは生きて前に進んだ結果、心を安らげる信仰を手に入れた。その彼らが、なぜいま再び苦しむ必要がある」
起動した魔法機が放射する魔力流の放射とそれがもたらす身体的苦痛。敵ともろともに滅ぶ『救済』に縋る人々。救いというにはあまりにも破滅的で、あまりにも自虐的だ。宿敵である彼女の指摘を認識しつつもヴェルヴェットは反射的に言い返す。
「そんなの所詮勝者の見方でしかない!私たちに残された方法は、この無意味な命を使って一矢報いることだけだ!私たちをここまで追い詰めたあなた達に、しっぺ返しを食らわせてやるための」
「ならば。なぜ君は自身の手で私を殺しに来た」
「っ!?」
自らに殺意を向ける相手のことを、それでも咎人は考え続けた。
奪った命への償いとは何なのか。相手にとっては身勝手な自己満足でしかない、その内省的な行為の意味は何なのか。
「復活させた『荒神様』がすべてを破壊してくれるのなら、こうして私の相手などせずに地上の制圧に向かえばいい。ブラッドワイバーンの火力をもってすれば、君の仲間たちがこれ以上苦しむことなく復活の儀式を行えたはずだ。だがそれでも君はこうして直接私に手を下そうとしている。魔法機の出力を上げたのも儀式を進めるためではなく、本当は私たちを殺すために無理やり起動したものではないのか」
「復讐とはそういうものでしょっ!あなたをこの手で殺して、お父さんの仇を取らないと……」
「そこに矛盾がある」
カエデは激しく機動するウィンドライダーの上で再び弓を構えた。
その目に映るのはぼやけた暗闇のみ。それでも、彼女は確信を持って狙いを定める。
「意味のない人生と引き換えに仇を打ちたい、その意思は本物だと思う。だが本当はただ前に進みたいだけではないのか。他の手がなかったから、全てを終わらせる選択肢を取ろうとしているだけなのではないか」
「『救済』をただの看板と言ったのか!?あなたはどこまで私たちを馬鹿にすれば気が済むんだ!加害者のくせに偉そうなことを言うな!」
「人は自分のことしか救えない。これは私が君の父を殺してからずっと考えて、導き出した結論だ」
「何を……」
カエデは弦を引く手に力を込める。
「他人のために尽くすことはできる。誰かの手助けをし、決断の背中を押し、悲しみを慰めることもできる。だが人が救われるには、何よりも自分自身を納得させる必要がある。いくら尽くされても、助けられても、慰められても、納得しなければ前には進めない。君は自分の手で明確に復讐を終わらせることで止まった人生に終止符を打ち、できることならまた歩き出したいと、そう考えているはず」
「決めつけてんじゃねえっ!」
ヴェルヴェットはかぎ爪による攻撃を避けたウィンドライダーの前に回り込ませた竜の首をもたげ、開かない左眼を振るわせて泣き叫ぶ。
「自分だって停滞しているくせにっ!何も見えちゃいないくせにっ!『救済』を否定するな!私からこれ以上、何も奪うなぁあああああっ!」
「ヤバッ!?」
主人の怒りに呼応したブラッドワイバーンの体内魔法陣がこれまでにないほどの獄炎を出力していくのが、相対したユイナにはなんとなくわかった。ウィンドライダーの機体はすでに限界、いま無理な回避機動を行うと機体がバラバラになるか、そうでなくてもユイナかカエデ、どちらかが失神すると直感する。
「カエデっ!」
「大丈夫だ、私が射る」
最大の危機に、しかし緋銀のエルフは顔色を変えずに言い切った。赤黒い竜はその間にも火炎の息を圧縮し、目の前のか弱き鳥を灰に変えるべく顎を開く。その瞬間を狙い、彼女は矢を持つ指の力を解放する。
ほぼ同時、ブレスを吐く絶好のタイミングで、しかしブラッドワイバーンは大きく横に羽ばたいた。飛翔した矢は狙いを外し、大空に消えていく。
ヴェルヴェットはカエデの動きを読んでいた。ろくに目の見えない彼女は明かりのない今、ブレスを吐く一瞬前に漏れた炎を光源として矢を射るだろうと。敵は矢の名手であり、事実先ほども風の防護がある状態で矢を当ててきた。魔法による補助がなくても場合によっては当ててくるはずだと。
敵を憎み、それ故に敵を信頼した一手。敵が回避行動に移る時間が発生するリスクをあえて取り、確実に復讐を完遂する。
「お父さんを殺した罪を背負って死ねっ、カエデ・イナストル!」
叫び、金髪の少女は竜に灼熱の息を吐くように合図した。
これで敵の乗る機械は灰になり、たとえ彼女らがブレスを耐えたとしてもこの高度から落ちて助かるわけもない。もうひとりの女の子には悪いが、ようやく父の仇を取れる。そのあとしばらくして、復活した嵐の龍が全てを消し飛ばし全てが終わる。
復讐を終えてから、終わりが訪れるまでのわずかなタイムラグがある。
その間に、何をしようか?
無意識にそう考えたヴェルヴェットが、自身の中に芽生えていたそれに気がついたその時だった。
「グギャアッ」
「なんだっ!?」
ブラッドワイバーンから悲鳴が上がり、その身体が大きく震えた。振り落とされないように必死に掴まりながら、ヴェルヴェットは火炎ブレスが中断されたことを悟る。
思い当たる原因はひとつ、カエデが矢を当てたのだ。
「あなた、目が見えないんじゃないの!?避けたはずなのに、読んでいたはずなのに!どうして、どうして魔法も使えないあなたが当てられる!?」
カエデは半狂乱で叫ぶヴェルヴェットの声がした方へ顔を向ける。弓を持つ手だけが先に竜の方を向き、矢を放っていたのだ。
「確かに目は見えていない。私の眼は、君の父を殺した日から曇ってしまってほとんど見えないから。けれど」
カエデは灰色に還った緋色の髪を右手で軽くかき上げ、その耳に触れた。
そこにあるのは鈍く輝く罪の証。
「これが君の位置を知らせてくれた。人殺しの罪を背負う証である『鉄の咎』、君はその作り方を知っているか」
「つ、作り方……?」
「この輪は戒律に従い、殺した相手の血を沁み込ませて焼いた鉄を加工して作るもの。この製法により殺した相手を絶対に忘れなくなると言われている。だが実際には、ただの鉄でできたイヤリングにある効果を付加する目的で行われるもの」
「あっ!も、もしかして血に含まれる魔力と似た魔力を探知する効果じゃないのそれ!?」
カエデが言わんとしていることにいち早く感づいたユイナは思わず叫んだ。
エルフたちが古くより作り、使っている道具には本人たち同様に魔法陣が刻まれており、たとえばネックレスや指輪が風属性魔法の発動をより円滑にしている。ユイナも、ロシュートたちと一緒に彼女のネックレスに通した指輪が魔法の発動に合わせて光るのを見たことがある。
日常的に身に着けるものですらそうなのに、ある種呪いのアイテムである『鉄の咎』に何の効果もない方が不自然だ。ユイナはどうしてその可能性に今まで気づかなかったのかと後悔すると同時に興味が湧いてきた。
「この効果に気づいたのは君が村に襲撃に来ていたとき。本来はおそらく着用者の魔力を吸って自動的に起動し、『殺した相手が近くに居る気がする』と思わせて日常的に罪悪感を植え付けるための効果。でも直前に強力な魔力波を浴びていたからか、それともあの人の娘だからか、このイヤリングは君の居場所を私に教えてくれていた。そして今は、君が起動した魔法機のおかげで再び居場所を知らせてくれている」
「罪を背負うための『鉄の咎』を、攻撃のために使ったの?あなた本当にイナストル村のエルフ!?」
「私は都合と信仰を使い分けるウィンディアン村の住人、カエデ・イナストル。罪を償うためなら戒律だろうが咎だろうが、なんでも利用させてもらっている」
絶句するヴェルヴェットに、カエデはすこし笑って言った。
「そして私は停滞などしない。ウィンディアン村への恩に報いるため、前に進む必要がある。私は前進するために、背負った罪を償わなければならない。それが私の生きる意味だから、勝手に君を助けることをどうか許してほしい」
丁寧に、冷静に言っているがどこまでも自分勝手な咎人の言葉を聞いたユイナは、しかし頑固で、なかなか意思を曲げない彼女らしいな、と思った。
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