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【第42話】ドッグファイト

 眼下に広がるテンペスタ大森林上空、黒い帳を星明りが照らす中に舞い上がった影が一機。


 ユイナとカエデの乗ったウィンドライダー、それを追いかけるように腹の底に響くような感覚が通過する。起動した魔法機の魔力波の影響が空中にも及んだのだ。だがウィンドライダーや道具に仕込んだ魔力抵抗が無事機能し、魔力流の暴走から魔法陣を保護したのを確認したユイナは歓喜の声を上げる。


「よぉし、魔力抵抗はちゃんと作動したみたいね!カエデさんはどう、いけそう?」

「少し違和感はあったが、距離があるからだと思う。『加護』はまだ無事。こちらで合わせるから、ユイナは自由に動いて!」

「おっけー!んじゃ勝手にやらせてもらうよ!」


 後ろの座席に座る遊撃手の言葉にユイナはウィンドライダーのグリップを捻り、空に向かって弧を描くように旋回、見下ろす先にはもうひとつの巨大な影。


 赤黒い鱗にしなやかな翼、正面の獲物を捉えるギラついた眼。


「アハハ!離反者カエデ、殺人者カエデ!お父さんを殺した罪から『救済』してあげる!スピット、やれぇっ!」


 空中の標的に狙いを定めたブラッドワイバーン、その背中に乗った色褪せた金色の女、ヴェルヴェットは胸に躍る歓待と憎悪に表情を歪ませながら叫ぶ。直後、体内で魔法陣を待機・出力を上げていたブラッドワイバーンの口から赤色が噴き出す。


 火炎の竜、その通り名を体現する灼熱のブレス攻撃が空を焼く。


「ヒュウ、あっぶない!」


 だが直線的なその攻撃をユイナが駆る木製の機械鳥は4つの風魔法噴出孔を巧みに操り回避軌道を取る。回転する物体へ発生する引力と安全ベルトが搭乗員2人の身体を機体に繋ぎ止め、さらに急降下。下方向からえぐる角度でブラッドワイバーンの背後へ回り込み急減速、空中に停止する。


「カエデさんっ!」

「わかっている!」


 今まで見て来たどんな獲物よりも高速で機動するウィンドライダーを見失ったブラッドワイバーンが無防備な腹部を晒している。カエデは鍛えられた体幹で上半身の姿勢を固定すると、引き絞った弦のエネルギーを乗せた矢を放つ。


 星を覆い隠す影の真下から放たれた矢は宵闇の冷えた空気を切り裂き飛翔、鱗に覆われた竜の腹を貫かんとするが、ギリギリのところで竜が纏う風によってその矛先を逸らされた。


「んげっ!アッチもやっぱり魔法陣の暴走を対策してるんだ!」


 ユイナが嫌そうにあげた声を聞いたヴェルヴェットはブラッドワイバーンを誘導し、腹下に飛ぶ獲物の姿を再補足させながら笑った。


「当然!自分の武器でやられちゃ世話ないでしょうが!」


 ヴェルヴェットは竜につけた取っ手に力を籠め、さらに脚でその背を叩いて強襲を指示、火炎の竜は訓練通り、急降下してその巨大な爪で真下の獲物をわしづかみにかかる。


 だがそれでバラバラにされるウィンドライダーではない。空中にゆっくりと漂っていた機械の鳥はユイナがスロットルを上げるのに合わせて急加速、巨体の突進を回避する。


 急加速、急減速、急上昇、急降下、急旋回に空中停止。


 搭乗員さえ無事なら、木のしなやかさと風魔法の細かな出力でさながら蜻蛉(トンボ)のように高速機動する機械の鳥。ヴェルヴェットは発明者の意のままに宙を舞うそれを睨みつける。


「なかなか気味の悪いものに乗ってるね。それも冒険者特権で用意させたのかしら?」

「どっちかと言えば転生者ボーナスってとこかな!数学と物理学、あとは魔法学の知識でちょちょいのちょいよ!」

「ユイナ、少し頭を下げて」


 敵の皮肉を真正面から受けてもびくともしない自尊心で鼻高々な自称頭脳派冒険者の後部から再び矢が発射されるが、やはりブラッドワイバーンには当たらない。当然竜も火炎ブレスで応戦し、互いの攻撃を機動力、位置取りそして魔法で避け続ける空中戦(ドッグファイト)が夜空に繰り広げられる。


「アハハ、いくら射っても無駄だって!眼も見えないで飛び回りながら矢を当てられるわけないっての!」


 ヴェルヴェットはブラッドワイバーンを宙返りさせ、後ろについたウィンドライダーの背後を取り直しながら灰色に濁った緋色のエルフをあざ笑う。対するカエデは煽りに取り合わず、放たれたブレスを回転・旋回して回避するウィンドライダーの背中から冷静に竜を見つめた。


「ユイナ。ブラッドワイバーンが飛ぶ仕組みを知っていたら教えてほしい」

「ん、あの飛ぶのに絶対無理がある激ヤバ空想生物がどうやって空に浮かんでいるかってこと?たしかアニキの持ってた図鑑には体内に風魔法を生成する器官があるかも、って書いてあったけど!この世界の図鑑にしては研究が進んでて感心した覚えがあるよっ」

「なるほど。ありがとう」


 巨大な翼や長い尻尾に叩き落されないよううまくすり抜けつつ、ブラッドワイバーンと位置取りを競うユイナは目線を竜に固定したまま記憶をそらんじた。それを聞いたカエデは一言礼を言うと、揺れるウィンドライダーの上でもう一度矢をつがえる。


 星明りのわずかな夜闇に、高速機動で揺れる視界。さらにカエデの眼は灰色に濁っており、近くのものすらぼやけて見える。


 だが。


 彼女はそれでも目を見開いた。ぼやけた赤黒いシルエットを、記憶にある竜の姿で想像する。さらにその巨体を浮かべるために必要な風の流れを体験からくる直感が導き出した。


「スウッ」


 カエデはひとつ息を吸い込んで止め、ユイナが回り込んだ竜の背中に向けて弦を解放。エルフたちに代々伝わる、まっすぐ飛ぶ『加護』を受けた矢が飛ぶ。


 ギイッ、と悲鳴が上がったのはその直後。


 荒れ狂う風の中、風魔法に守られているはずの竜の身体に一射の痛みが突き刺さった。


「なっ、当ててきた!?スピット、いったん距離を取るぞ!」


 突然の鋭い痛みに動揺したブラッドワイバーンを制動し、ヴェルヴェットは機動戦からの一時離脱を図る。当然、ウィンドライダーはそれを追いかけた。


「カエデさんすごい!当たったじゃん!」

「君のおかげ。風の動きが読めたから当てられた」


 パイロットからの賞賛を謙虚に辞しつつ、カエデは逃げる竜の輪郭を眼で捉え続ける。矢がどこに刺さったかまでは見えないが、飛び方から右脚のどこか鱗の薄い部分を貫いたのだろうと推測しつつ、彼女の表情は引き締まったままだ。


「ヴェルヴェットはこちらの矢が当たると思っていなかった。だが、次からはあちらも警戒してくる。この暗さだと私の眼はほとんど見えないし、まぐれ半分……でも、次も当てるよ」


 自虐気味に言いつつも、確固たる意志と共に弓に矢をつがえるカエデ。遊撃手の闘志に触発されたユイナは思わずにやけてしまう。


「なるほどねぇ、要は明かりがあればいいんだ?」

「もう少し明るければ当てやすい。できるのか」

「もっちろん、この天才ユイナ様に任せなさい。でもひとつだけ言っとくね」


 ユイナは後ろに座るカエデを振り返り、その灰色の眼に向かって言う。


「色々結構ギリギリになっちゃうかもだけど、落ちないでよね!」


 カエデの覚悟を信じているユイナは返事を待たずにウィンドライダーの魔力流を増大させて増速、逃げるブラッドワイバーンに迫る。


「ちっ、これだから冒険者は……!」


 背後から迫る唸り音に気づいたヴェルヴェットは舌打ちし、竜に旋回を指示。空に生きる魔物の強靭な筋肉に任せ、限りなく小さな旋回半径で背後に迫る敵機をブレスの射程に収めた。


 ブラッドワイバーンがそのままブレスを吐けば確実に巻き込まれる位置。今まで回避軌道を取っていた位置取りだったが、しかしユイナは操作ハンドルから手を離した。


 その手に握られているのは小ぶりな杖。運転席のすぐ手に取れる位置に収納されていたそれを竜に向かって構える。


「食らえ!『拡散フレイムショット』!」


 ユイナが詠唱し、股に挟んだ魔導書に描かれた魔法陣を介して魔法が発動、杖の先から小さな火球が多数生成され、ブラッドワイバーンに向かって放たれる。


「そんなものコイツには効かないよ!スピット、ブレスを……」


 小さな火球程度であれば、自らも火炎を吐く魔物であるブラッドワイバーンの鱗は当然通さない。ひるまずに口を火炎で一杯にし、今にも火炎ブレスを放とうとする竜に相対して、しかしユイナは笑っていた。


 彼女が見ているのは小火球(しょうめいだん)に明るく照らされた赤黒い竜の輪郭と、その御者だ。


「ユイナ、助かった!」


 ヴェルヴェットが元Aランク冒険者の意図に気づくよりも前に遊撃手は矢を放つ。


 風の魔法陣『嵐の加護』によって暴風の中でも軌道を変えずに飛ぶ矢は、すんでのところで首をひねったブラッドワイバーンの翼、その付け根に突き刺さった。ブラッドワイバーンは悲鳴を上げ、御者の意思を振り切って回避行動を取る。


「いひぃ、キンチョーしたぁ。カエデさんナイス!」

「そちらこそ。しかし至近距離に接近して炎属性の魔法で明かりを確保するとは。ユイナ、君は本当に大胆だな」

「一応私も魔法を撃てるように用意してたんだけど、これなら役に立ちそうだね!本当はこの機体に直接発動機構をつけておこうと思ったんだけどね!色々やってたら時間足りなかった!」


 ハイタッチこそできないが、互いの技術が上手くハマったことで勢いづくユイナとカエデ。


 その状況に歯噛みしているのは、もちろんヴェルヴェットだ。


「くそっ!なぜ、ここまで来てうまくいかないのかっ」


 色褪せた金髪の女は刃傷で動かない左眼を振るわせて、竜の背で指を潰さんばかりに拳を握りしめる。


 貧しさから弱みを握られ、盗賊業を働くしかなかった父。娘には家の窮状を見せまいとしていたが、それを察せられぬほど幼いヴェルヴェットは馬鹿ではなかった。


 それでも必死に生きていた、それなのに……!


 弱気になっていた心の炉心が、憎悪をくべられ再び燃え上がる。


 目の前までもが真っ赤に染まるかのような怒りは、しかし爆発するに至らない。


 自らの主人を心配する竜が彼女を見つめていた。圧倒的な機動力を持つ相手に矢傷を受けながらも、必死に命令に従おうとする魔物。家族を皆殺されたヴェルヴェットにとって、竜は最後に残された味方だった。


「……すまない、スピット。少々無茶をしてもらうぞ」


 竜の背を撫で怒りを御したヴェルヴェットは、冷静な憎悪が循環する自身の身体、その表面に刻んだ魔法陣を意識する。


 エルフでない彼女が、彼らと同等の風魔法を使えるように上から刻んだ『嵐の加護』。


 自らの復讐を遂行する覚悟の証たるその魔法陣が発動する【風属性】の魔法は空気を操る力であり、その機能は風を起こすだけではない。


「使徒たちよ!」


 ヴェルヴェットは風に乗せ、眼下の儀式場にいる『大風の使徒』たちにその声を届ける。


「『ミュー・フォース』の安全殻を解除、最大出力で再発動し、目の前の敵を殲滅しろ!これは、我々の最期の戦いである!」


 彼女の叫びが地上に届いた、その数秒後。


 ギィイイイイイイイ、と耳鳴りが駆け抜けた。


「ぐうっ!?」

「カエデ!なっ!?」


 ウィンドライダーに乗る2人を今までにない苦痛が襲い、バツンッ、と弾けるような音が鳴り響いた。


 カエデの『嵐の加護』に刻まれた『回路遮断』が発動し、魔力路を遮断したのだ。だがそれでも頭痛を伴う熱っぽい倦怠感が収まらない。それは『加護』の魔法陣を持たないユイナも同様であり、さらに魔法陣の刻まれた道具もかなりの熱を発している。


「これ、相当な量の魔力波を放出してる!?こんな体内に魔力を持つ生き物全部が悪影響を受けるレベルの魔力波を浴びたら、ヴェルヴェットだって無事じゃ……!」

「もちろん。だが、だから何だというのだ?」


 吹き荒れる魔力流の嵐の中で、『魔力遮断』が施されておらず暴走した魔法陣が発する切り裂くような激痛をその身に受けながらもヴェルヴェットは笑っていた。


「少し早いが、ラ・テンペスタを復活させる!私もすぐに召されるだろうけどここまで来たらどうでもいい!私たちは私たちを見捨てた国を殺す。そして国に殺される前に『荒神様』によって殺さ(すくわ)れる!これは報いだ!報復を許さない一方的な勝利だ!さあ、それが嫌なら私を、私たちを殺してみろ!財を、家族を、居場所を!奪うだけ奪っておいて、自己満足で償って終わりなんて絶対に許さないからなぁ!」


 全てを奪われた悲しみを絶叫する少女の動かぬ左眼が、体内で暴走する誘導魔力流によって損傷する。


 流れる血は少女の全てを代弁するように、頬を伝い落ちた。

読んでいただきありがとうございます!

次話は3日ごとに投稿する予定です!

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