【第4話】立ち向かう妹と、その敵。
ゴアアアアアア!と。
街道脇の草原、足元に転がるフォレストクラブを踏み潰しながらブラッドワイバーンが咆哮する。その敵意は棒立ちになっている二人の冒険者に向けられていた。
幼体ではあるが、その脅威度はBランク相当だ。
「まずい、逃げるぞユイナ!」
「ダメ!縄張りに侵入されたブラッドワイバーンはしつこい、逃げられないよ!」
手を引こうとするロシュートの要請を拒否するユイナ。切羽詰まった状況に取り乱している兄と対照的に彼女は冷静、それどころか不敵に笑ってすらいた。
「アニキ、私にいい考えがある。ちょっと時間稼げる?」
「何言ってんだあんなのと戦う気か!?」
「私は元Aランク!さっきはうまくいかなかったけど、ここでその実力を証明してやる!」
ロシュートの言うことに聞く耳を持たないユイナは手にした立派な装丁の魔導書を放り投げると、乱雑に綴じられただけの紙束を取り出した。
「魔力生成、魔法陣AからCまでリンク開始。圧縮開始……」
彼女はそのまま魔法の詠唱を開始してしまう。ロシュートは妹の行動の意味を図りかねていたが、ズン、と響いた足音で我に返った。竜はもう行動を始めようとしている。
彼に逡巡している時間は残されていなかった。
「ち、っくしょう!こっちだ、このクソドラゴン!」
叫びながら、ロシュートは左の池に向かって駆け出す。
「土よ、こっちに来やがれ!」
ロシュートが手にした魔導書が光る。彼は『ソイルウィップ』に使用した土をフォレストクラブの死骸から解放し、水辺から池の中心に向かって移動させた。
魔力を帯びた土が水辺の泥と混ざり、魔力が薄まったことで繊細な動きはできなくなったが、池の一部を埋め立てて足場にすることに成功する。
だが竜は依然としてユイナの方を向いている。ロシュートは素早く足元の泥を救い上げて詠唱する。
「『ソイルショット』!」
ロシュートが手にした泥が硬化し、散弾となって竜の鱗を叩いた。杖を扱う技量があれば大きなつぶてをまっすぐ飛ばせたが、彼の目的には十分。竜が敵意をロシュートに移し、その顎で敵対者を絶命させんと迫る。
「あっぶねえ!」
突き出された嘴をロシュートは身をひねって躱した。竜の頭が通過する風圧が彼の黒髪を撫でる。
彼の装備は皮でできたもので、せいぜいがフォレストクラブのハサミに引っかかれるのを防ぐ程度。ブラッドワイバーンの嘴、牙、かぎ爪は幼体といえどまともに貰えばどれも致命傷だ。
竜は嘴を躱されたとわかると、体勢を崩しているロシュートに向けて首を強く横に振り、その身に叩きつけた。馬車にはねられたような衝撃が彼を跳ね飛ばし、無様にも頭から泥中へ突っ込ませる。
「ぶはっ!痛って、えっ!?」
ロシュートが痛みにうめく暇もなく、竜は脚のかぎ爪を突き出して五体をばらばらに引き裂こうとする。魔物の中でも膨大な魔力と動物を超えた知性を持つ賢しき竜は、彼に確実なとどめを刺そうとしているのだ。
「あっぶねぇ!」
ロシュートは泥の中で転がり、どうにかかぎ爪による死を回避する。
ブラッドワイバーンは幼体の時点ではブレスを吐かないが、かぎ爪にはすでに強力な毒を持っている。しみ出す毒を浴びないようさらに転がってかぎ爪から距離を取ったロシュートが妹の方を見やると、そこには息を吞む光景があった。
「圧縮完了!さあ、覚悟しなさい!アニキは頭を下げてて!」
眩く光り輝く白色の塊。それが杖の先に集まり、巨大な渦を巻いて術者の姿を覆い隠している。その背後からユイナの声だけが聞こえた。
ロシュートの経験不足からか、彼はこのような魔法を見たことがなかった。王都の軍隊が運用しているという噂の、複数人で詠唱する超魔法兵器とはこのようなものなのだろうか。
それ以上の想像がめぐる暇もなく、妹が叫ぶ。
「発射ァ!」
掛け声とともに光の奔流が解き放たれ、猛烈な風圧と共にブラッドワイバーンに直撃し砕ける。吹き荒れる暴風と波風、苦しげな竜の咆哮の下でロシュートは伏せていることしかできない。
数秒、彼にとっては体感数分にも及ぶ魔法出力が終わったとき、しかしながら、竜は健在だった。
苦痛にうめき、鱗が焼け所々剝がれているがその目に宿る敵意と生存本能はいまだ尽きず、むしろユイナを睨みつける目には本物の殺意が宿っていた。
「っ!マズイ、『ソイルウィップ』!」
その殺意に気がついたロシュートが叫び、竜が深く踏み込んでいる池の泥がかぎ爪を持ち上げさせまいと絡みつく。竜はなお脚を踏み出そうとするが、彼は周辺の土にあるだけの魔力を注ぎ込んでそれを阻止する。
「近づけさせるかよ……!少なくとも近づかなければ、幼体であるお前はブレスを打てない以上攻撃できないは、ず……」
妹を危機に晒さないための彼の狙いは完全に外れることになった。
ブラッドワイバーンは幼体ではブレスを使うだけの体内器官と魔力を持たない。
そのはずが、目の前の竜は身体をのけぞらせ、胸元を赤熱させていた。魔物は魔法を詠唱しない。複雑な体内器官が魔法陣の代わりとなり魔法を発動させるのだ。
「ユイナ、逃げろ!ユイナ!!」
ロシュートは頭の片隅で間に合わないとわかりながら、それでも必死に叫ぶ。ユイナの装備でブラッドワイバーンのブレスを浴びたら、全身の皮膚が焼けこげ一瞬で死ぬだろう。図鑑でしか見たことのなかった恐怖が目の前で大きくなっていく。
「あ~そう来るわけね。でもさっきの感じなら……!」
その兄と対照的に、妹はやはり不敵に笑っていた。冷や汗をたらし、脚を震わせながらも確信をもって竜を見据えて杖を構えた。手製の魔導書に描かれた複数の魔法陣が起動する。
「魔法陣AからCまでリンク開始、杖のパスを解放、セーフティを解除!」
詠唱開始。先ほどとは同じようで違う呪文は杖の先に再び光る魔力を集める。その形は円を描き、椀状に変形していく。
一方の竜もまた、ブレスの発動準備を完全に終えた。ロシュートは妹の意図も、生き残る未来もつかめないまま状況をただ見守っているしかない。
実のところ竜がブレスを溜め始めてから十数秒しか経っていない。長い長い一瞬。
「魔力形状変化完了、圧縮回路開通、ターゲットをロック!できたっ」
ユイナは何かを確信して叫んだ。
「来るなら来い、ドラゴン!」
直後、ブラッドワイバーン幼体は火炎ブレスを吐きだした。
広範囲ではなく、ユイナひとりを狙って絞られた灼熱が目にもとまらぬ速さでその身を灰燼に帰す。鉄の防具だろうと石の城壁だろうと焼き焦がす熱をまともに浴びて、無事な者などいない。
「キタキタキタァ!」
はずだった。
魔力で練られた火炎はユイナの身体を焼くことなく、光る円形の魔力盾にぶつかって反射し、ある一点に吸収されていく。魔力盾のどこに衝突した炎の線であっても、その一点に。
この世界においても発見されているその特徴的な形状を、あえて彼女の知っている名前で呼ぶなら。
「名付けて『パラボラ魔力吸収砲』!あんたの魔力、そのまま返してあげる!」
灼熱の炎を凝縮、変換した真っ白な魔力エネルギーは輝きを増し、再び術者を覆っていく。
「発射ァ!」
解き放たれた魔法は一筋の光となり、ブレスを吐くべくのけぞっていたブラッドワイバーンの胸に直撃、ロシュートの頭上からその巨体をどかし、背後の森へと吹き飛ばす。
どの段階でか、ブラッドワイバーンは絶命していた。
「アニキ大丈夫!?というか見てたよね、私の魔法!アレ私のオリジナルなんだよ~」
ロシュートは駆け寄ってきたユイナに引っ張り起こされた。
ブラッドワイバーン撃破を得意げに語る妹を前に、泥だらけになった彼はいかなる感情を持てばいいのかわからなかった。安堵、恐怖、誇らしさ。だがその中でひときわ目立った感情を、彼は掴み取る。
「最初に撃ったのが失敗したから、魔法研究の雑誌に載っていた最新の理論をちょっと自己流で組み込んで……」
「このバカ!何考えてんだっ!」
「えっ……?」
ロシュートは気がつけば怒鳴っていた。怒鳴られると思っていなかったユイナは肩をこわばらせ、縮み上がって黙ってしまう。
それを見てハッとした彼はすぐさま後悔したが、トーンを押さえながら喉の奥の声を絞り出す。
「危うく死ぬとこだった。最初の魔法は失敗していたし、ブラッドワイバーンを倒した魔法も成功したからっていいわけがない。あんなリスクしかない魔法、使うなんて馬鹿げている」
「でも、私は……」
「俺がおとりになっている間に逃げればよかった。俺には『ソイルウィップ』があるから、お前が逃げた後でもやつを拘束して逃げ出すくらいできたさ」
ロシュートは、自分でも無理があるとわかっていながら、それでも言葉を紡ぎ続ける。妹を真っ先に逃がさなかったこと。一瞬の判断ができず、発煙筒を使えなかったこと。
後悔が、自虐が、怒りとなってユイナに浴びせかけられる。
彼がすべて言い終わったとき、妹は泣いていた。自分の善意の行動、そしてうまくいったこと。実力を示せたこと。その結果返ってきたのは、誰に向けているのかもわからない怒り。彼女に向かっているようで、明後日を向いた感情だった。
「認めてっ、くれると、思ってたのにっ……!」
果てに、ユイナはそれだけを言って走り出した。ロシュートはそれを追いかけることができない。彼は妹が走っていき、疲れ、途中で通りかかった商人の馬車を捕まえて去っていくまでその場を動くことができなかった。
「……」
ロシュートは妹の魔法が倒したブラッドワイバーンのそばにしゃがんでいた。大木にぶつかって止まったその死骸は胸を撃ち抜かれており、あの魔法の威力がいかにすさまじかったかを物語っている。
彼は短剣を取り出し、竜の身体を一部解体し始めた。
冒険者は討伐した魔物の死骸を一部持ち帰り、自分のものとする権利を与えられている。それらの素材は売買したり、牙や爪であれば特殊な武具に変えることもできる。冒険者が残した残りの部分は、利用価値のある分はギルドの回収部隊がかき集め市場に流通したり、国の貯えとなったりする。そのあとの残りは、買い取る学者が現れない限りは土に還る。
「やあ、久しぶり。間一髪だったね」
そんなロシュートの後ろから声をかける人物がいる。彼が振り返ると、そこにはいけ好かない顔の男が立っていた。
「やっぱお前か、ウマコト」
「いやマコト!佐藤誠!きわめて一般的な佐藤に言べんに成る!こんなに覚えやすい名前なのに、いい加減憶えてほしいな」
ロシュートは極めてうざったく意味不明な自己紹介をしたその男を改めて眺める。
黒くて長いコートになんとなく伸びただけの黒髪。ハキハキとしていけ好かない声に、それとなく美形ないけ好かない顔。
自称ニホンから来た異世界人にして王都の歴史上初、『全属性適合』の異名を持つSランクの冒険者。
名をサト=ウマコトというその男を、ロシュートは正直嫌いだった。
「相変わらずムカつく声にムカつく顔にムカつく存在だな」
「ひどいなぁ。俺はむしろお礼を第一声で聞けると思っていたのに。ほら、ちょっと面白いものを見せてあげるから機嫌直してよ」
おどけて言いながら、ウマコトは人差し指をスッと飛んでいる蝶に向けた。蝶はその瞬間、まるで時の進みが遅くなったかのようにゆっくりと羽ばたきながら空中に静止したかと思うと、数秒してすぐに動き出した。
「俺は『タイムキーパー』って名づけている。まだほんの一瞬しか効果はないけどね」
「……また得意の『なんかおかしいですか?』か?でたらめなことばかりしやがる」
「そういわないでくれよ。最初のころは本当にこれくらい普通にできると思っていたんだから」
「それを踏まえて言ってんだよ」
ウマコトはふつうは一人ひとつで、ふたつもあれば大騒ぎになる魔法適性がすべての属性においてBランクの特異体質だ。平均すればBランクだがその何でもありっぷりと活躍を評価されSランクの冒険者になっている。
その才能の発覚時、彼は本気で「これが普通だと思った」とのたまい、とうとう時を操る魔法まで使えるようになってきている。ロシュートは時間に干渉する魔法はいったい何の属性なのだろう、とぼんやり考えた。
「まあ、さっき助けてくれたことは感謝しているよ」
「なんのことだか」
「ブラッドワイバーンのブレスの溜め時間はきっかり10秒だ。10秒以上も発動しないはずがない。何かの奇跡かと思ったが、お前だったんだな。礼を言うぜ、ありがとな。もう用はないだろ?帰ってくれ」
「いやいやコレの解体を手伝うよ。ついでだしね」
ウマコトはロシュートのそばにしゃがむと、何の魔法なのかわからない魔法の刃を無詠唱で生成し鱗をはがし始めた。手際の良さから相当に慣れているのがロシュートにも分かる。
「ついでって、なんのついでだよ」
ぶっきらぼうな彼の問いかけに、ウマコトはいつも顔に浮かべている微笑みを絶やさずに返答した。
「やっぱり彼女のことが気になってね。彼女ほどの発想力と実力を備えている人物がひきこもっているだなんてもったいないじゃないか。彼女なら俺の『無属性魔法』をもっと良いものにしてくれるかもしれない」
「ハッ、自分でパーティを追い出したくせによく言うぜ」
ユイナは二年前からウマコトのパーティに所属していた。
ギルドに登録しに来たその日にウマコトにスカウトされ、王都でAランクの冒険者、魔法使いとして活動していたのだが一年前に彼に解雇された。
すべての自信を喪失した彼女はロシュートを頼って街まで戻ってきて、現在に至るひきこもり生活が始まった。どうして解雇されるに至ったのか。ロシュートが妹から事情を聴くことはできていない。
「あの時は他のメンバーの手前、仕方なくね。彼女にもそう説明したはずなんだけど、なかなか会ってくれない……もしかして、君がそう言い含めているのかな?」
ウマコトはロシュートに顔をずい、と近づけた。ロシュートはそれを片手で押し戻す。
「ユイナがお前に会わねえのはアイツの意思だよ。あきらめろ」
「そう?俺は、君が大切なパーティメンバーを手放したくないのかと思っていたけど。そろそろ期日だもんね」
「……アイツは、妹はパーティメンバーじゃない。俺はひとりでやってきたんだ。危険な目に遭うのは俺ひとりで間に合ってる」
「ふぅん」
言葉少なに黙ったロシュートを品定めするように眺めると、ウマコトはスッと立ち上がった。
「まあいいや。彼女がフリーになったらまた勧誘しに来るよ、魔法研究ができる貴重な戦力だからね。それじゃあ、お兄さん。またね」
「お兄さんって言うな気持ち悪ぃ。二度と来るな」
風の魔法か、ウマコトはどこかへ飛び去った。毒耐性があるのか、ちゃっかり一番高価な猛毒のかぎ爪が数本なくなっている。元々ロシュートには取り扱えない品物だったのでギルドに引き渡すつもりだったが、「俺もほら、討伐に貢献したし?」というウマコトの顔が浮かぶようだった。
彼は深いため息をつく。
「パーティメンバー、ねえ」
王都で法律が変わった。
冒険者を保護するための法律における冒険者が満たすべき最低要件に『必ず3人以上のパーティメンバーで構成されるパーティに所属すること』が追加されたのだ。
Dランクのロシュートも例外ではない。街で冒険者は彼ひとりじゃないが、彼のように毎日雑用をこなしているようなのはいない。引きこもりの妹を養っていることに理解が得らえるかも不明であり、そのリスクから彼はずっと独りで依頼をこなしていた。
月末までに要件を満たしていない冒険者証は失効する。分かっているが、彼にはどうしても一番身近な人をパーティメンバーに勧誘する決断ができないでいた。
「……帰ったらユイナに謝らなきゃな」
ロシュートはしっかりフォレストクラブの素材も回収してて帰路についた。皮肉にもブラッドワイバーンのおかげでフォレストクラブは早く討伐できているので、彼がどんなにトボトボ歩いても日没までには街に帰れる。
読んでいただきありがとうございます!
次話は3日ごとに投稿する予定です!
評価や感想をもらえると嬉しいです!