【第31話】緋銀の咎人
「はぁッ、はあッ!」
全速力で移動したために息を切らしながらも、ロシュートはウィンディアン村のそばまでカエデと共に帰ってきた。
その目にまず飛び込んで来たのは、村の防壁が一部破壊されてできた大穴だった。いつも物見やぐらに居る見張りのエルフもおらず、周囲の土はあらゆる足跡が敷き詰められて荒れていた。
「くそっ!奴らもう……!」
「待て、ロシュート!」
「待てって、カエデ、急がないとっ!」
村の中へ飛び込もうとするロシュートを、しかしカエデは冷静に制止する。
「知らない場所に飛び込むのは危険。まずは敵勢力の数と状況を理解するのが大事」
「でもっ」
「軽率な行動は結果的に死者を増やすだけ」
ロシュートを諫めるカエデの右耳には鉄のイヤリングが揺れている。早まった判断による大量殺戮の証。ロシュートは彼女の過去を思い出し、血が上った頭の暴走をどうにか抑え込んだ。
「……すみません。こうしている今もみんなが危険に晒されていると思うと止められなくて」
「急がないと危険、それも事実。だけど向こう見ずに飛び込むことと、冷静に急ぐことは違う。村に踏み込む前に、まずここからわかることをまとめよう」
カエデの眼にも確かに怒りは宿っている。だがそれを理性で制御しているのだ。
ロシュートはカエデの言葉に強く首肯し、周囲をよく見てみた。地面についた多数の足跡は一見激しい戦闘の痕跡の様。だがまず不自然な点があった。
「足跡がこんなにも入り乱れるか……?見張りは弓で応戦するはずなのに」
ウィンディアン村は外敵が襲来したら村を囲む堀に渡した跳ね橋を上げて村を封鎖し、やぐらから弓矢で敵を追い払うように訓練している。それでも村に侵入してくるようなら、槍を使って敵を徹底的に追い返すのだ。つまり、村の外には出ない。
「そうだな。ここでこんなに足跡がつくのはおかしい。それに、村の入り口でない箇所で壁は破壊されている。簡易的な橋もあるから、正面に来たであろう敵……『大風の使徒』たちはオトリだった。正面を警戒させて、その隙に別の場所から村に侵入する作戦だったように見える」
「じゃあどうして……逃げる敵の足跡と混ざった?」
「そうではない気がする。よく聞いて」
カエデに促されたロシュートが耳を澄ますと、村の中から金属音や悲鳴がかすかに聞こえてくる。敵はもうかなり村の奥まで侵入しているのだ。
「悲鳴っ!やつらまだ中に居るんだ!」
「そう。逆に言えば、いま私たちが行けば挟み撃ちにできる。けど、ならこの正面の足跡の乱れは何……」
「あっ!?」
考え込むカエデの濁った眼では捉えられなかった違和感、その正体をロシュートは発見した。
大量の足跡の中には、よく見れば明らかに人間のものではない足跡がある。そしてさらに、その近くに落ちている緑色に輝く葉っぱのようなものは。
「これ、レイダーラプトルの鱗!?」
「まさかっ」
ロシュートが手にしたそれはトカゲの魔物が身にまとう天然の装甲。足跡もまた同じ。その意味を理解したカエデは堀へ駆け寄り、その中を覗き込んだ。
そこにあったのは堀に落ちた大風の使徒。
その死肉に群がる、深緑に黒の縞模様の体躯。
「ロシュート、分かった!いま村を襲っているのは大風の使徒だけじゃない!むしろ、大風の使徒も村の人も、レイダーラプトルに襲われている!」
「それじゃあ、いま村の中は……!」
立ち上がったロシュートを見て頷くと、カエデは弓を手にして壁に開いた穴、そこに渡された簡易的な橋へと走り出す。
「状況は大体把握できた。いくよ!」
「はいっ!」
カエデに続いてロシュートも壁に開いた穴から村へ入った。壁は本来正門からは搬入できない大きな荷物の出入りに使う幅の広い跳ね橋であり、構造的な弱点を突かれ炎の魔法か何かでこじ開けられてできたようだった。
ロシュート達が橋を渡ると工房の近くに出た。まっすぐ行けば村長のロッジで、少し高くなったロッジの上から弓で敵に応戦しているエルフたちの姿がロシュートにも見える。
だがその道中、所々で蠢く緑と黒の縞模様。
レイダーラプトルが槍で応戦する村人や赤衣の大風の使徒たちを数頭で囲み、その鋭いかぎ爪で獲物を引き裂かんとギャアギャアわめいていた。すでに手遅れで、悲鳴を上げる肉塊へレイダーラプトルが黄色い嘴を突っ込んでむさぼっている姿もある。
その数、合計で10頭以上。
「な、なんでこんな数のレイダーラプトルが……」
「しっかりして、ロシュート。とりあえず村人たちを助ける!私は右から。左を頼む!」
「分かった!」
疑問に支配されそうになった頭から雑念を振り払い、ロシュートは魔導書と短剣を取り出した。村長のロッジへ続く道の左側で、子供を庇いながらエルフの青年が槍で3匹のラプトルと戦っている所へ走る。
不快な鳴き声を上げながらかぎ爪を振り上げるラプトルの背中へ相対し、ロシュートは自身の足元へ手を触れ即座に詠唱した。
「『ソイルタワー』っ!」
勢いよくせり上がる地面を踏み台に跳躍し、背後の叫び声に気づいて振り向いたラプトルの喉元に出血毒の滴る短剣を突き立てる。ロシュートはそばにいるラプトルが襲撃者に反応する前に、1匹目に突き立てたままの短剣の代わりに取り出した地属性強化ボールを直接2匹目に叩きつけて詠唱した。
「『ソイルショット』!」
ロシュートの手のひらとラプトルの身体のわずかな隙間に生成された岩のつぶてが至近距離で発射されたラプトルの肉体は細切れに裂け、保護すべき内臓まで貫かれて絶命する。他の2匹が倒れたことで機の不利を悟った3匹目のラプトルは大きく飛びのき、村の外へ向かって猛ダッシュし消えて行った。
息を詰まらせてその背を睨みつけるロシュートに槍で戦っていたエルフの青年は頭を下げた。
「ロシュートさんありがとう、助かったよ!」
「はっ、大丈夫ですか!?怪我は……」
我に返ったロシュートが返答すると、エルフの青年は血を流す左腕を抑えながらニコリと笑った。その顔をよく見れば、左腕と同様にダメージを受けたのか左耳がズタズタに裂けて出血していた。
「僕の方は怪我しちゃったけど、問題ないよ!安心したらちょっと痛くなってきたけど……」
「アダンお兄ちゃん、大けが……!」
「ああ、大丈夫大丈夫。キクちゃんがイタイイタイしなくてよかった」
庇っていた子供、キクと呼ばれた幼子が涙目で心配するのをなだめたエルフの青年は表情をこわばらせてロシュートの手を取った。
「ロシュートさん、僕はキクちゃんを守らなくちゃならない。ここは大丈夫だから、あなたは村長のロッジとみんなの家を見てきてほしい。みんなあなたの手助けを必要としているはず!」
「もちろんそうするつもりだ!キクちゃん、俺は他の人のところに行くから、ちゃんとアダン兄ちゃんの言うことを聞くんだぞ」
青年の言葉に頷いたロシュートはしゃがみ、少女の目線に合わせてその頭を撫でた。少女は涙目になりながらもコクコクと何度も首を縦に振る。その姿はロシュートに幼いころのサーシャや、村に来たばかりの頃のユイナを思い起こさせる。
あの2人をなんとしてでも守らなくては、と焦りや怒りとも似た決意を再確認したロシュートはロッジの方を見る。他の村人たちに襲い掛かっていたラプトルはすべて頭を射抜かれて絶命していた。カエデの矢だ。ロシュートは周囲の村人たちをカエデに任せ、ロッジへ向かって駆け出した。
ロッジへの道には大勢の人々が倒れ、ラプトルの餌になっている。それらの脇を通り抜けていく中、ロシュートは叫ぶような悲鳴の方へ視線を向けた。
「た、助けて……!誰かっ」
赤い衣に身を包んだ男が首から大量の血を流し、手足をラプトルに噛みつかれ、身動きが取れなくなっていた。
それを一瞬助けようとして、しかし、ロシュートは再び顔を正面に向けた。
「大風の使徒の連中を助けている暇は、ないっ……!」
自分に言い聞かせるように小さく呟き、ロシュートは速度を緩めずに駆けていく。
どのみち、あの状態からでは助からないだろう。それに、大風の使徒は今回の襲撃の主犯のハズ。助けるべきは、より助けるのに値するのはユイナやサーシャ、そして自分が世話になったウィンディアン村の人たちに決まっている。
Dランク冒険者として生きているうちには絶対に遭遇することのなかった命の取捨選択を、しかし思ったよりも簡単にできてしまっている自分がロシュートは嫌いになりそうだった。おそらくその判断は、数十分前に見た『正義の大虐殺』、その中心となったいけ好かない男と同じ思考だから余計に。
罪悪感を振り払うように全力で走ったロシュートはすぐに村長のロッジへ到着した。今にもロッジの階段を駆け上がり、あるいは飛び超えてエルフたちを害さんとするラプトルたちをどうにか寄せ付けずにいるのは多数の弓と、見覚えのある長い刃。
亜麻色の髪を持つ少女が、エルフの老婆と共に薙刀を振るっていた。
「サーシャっ!」
「ロシュートお兄ちゃん!無事でよかった!」
「待ってろよっ」
ロシュートは二個目の地属性強化ボールを右手で砕き、前方に向かってばらまく。見た目に分かりづらいが、ラプトルたちの周囲の土まで魔力を練りこんだ土で『道』が繋がった。その開始点に手を突いて、ロシュートは詠唱する。
「『ソイルウィップ』!」
瞬間、手前の2匹のラプトルの足元まで蛇のようにうねる土が盛り上がりながら突進し、周囲の土を巻き込んでその規模を増しながら突き進む。あっという間に手前のラプトルを絡めとって拘束すると、そのさらに奥の数頭まで一気に土の触手を伸ばして巻き付いた。
「みんな、今だっ!」
「やるじゃないかロシュートの坊や!」
拘束されたラプトルたちへ向けてロッジの上から一気に矢が放たれ、さらに一人の老婆が薙刀を手に飛び降りたかと思えば拘束から漏れていた残りの数頭のラプトルの足を斬り払い、喉を突いて無力化、死に至らなかった個体も撤退していった。
ロシュートが駆け寄ると、自らの身体よりも大きい薙刀を立てたエルフの老婆、ピンネはふぃ~、と額の汗を拭った。
「お見事だよロシュート!さすが冒険者だ、こんな老いぼれでも動かない的ならいくらだって斬れるもんさね」
「ピンネさんが倒したのは俺の『ソイルウィップ』で拘束し切れてなかったラプトルだったようにも見えたけど……」
「そうかい?気のせいじゃないか」
尋常ではない状況にもかかわらずカッカッカ!とピンネは愉快そうに笑った。ロシュートが少し毒気を抜かれたような気分になっていると、聞きなれた声が切羽詰まって割り込んで来た。サーシャがロッジの階段を駆け下りてくる。
「ロシュートお兄ちゃん、はやく住宅の方へ!ユイナさんがずっと戦っているんです!」
「っ!わかった、行くぞ!」
妹がずっと戦っていると聞いた瞬間にはもうロシュートの脚は動き出していた。サーシャも彼を追って走るが、この2週間テンペスタ大森林を走破してきたうえに全力疾走する彼とは体力的な差が開きすぎていてかなり遅れてしまっている。
そんな後ろの幼馴染を気にする余裕などないロシュートは走りながら自身の心臓の音をうるさいほどに聞いていた。
彼女を、妹を危険から守ると誓った。ユイナに危険が降りかかるなら、自分が払ってやればいいだけのことだと。そう思って共に冒険者パーティで活動することを許容したのだ。テンポを増していく脈拍に噴き出す冷や汗。最悪の事態を想像して短剣を強く握りしめる。
訓練広場を真っすぐ通り過ぎ、住宅のある区画が見えてくる。井戸を通り過ぎればすぐそこだ。
「ユイナっ!」
井戸の陰から飛び出したロシュートは妹の名を叫ぶ。
叫んで、呆然としてしまった。
「おっ、アニキじゃん!そっちは無事~?」
なんとも気の抜けた返事をする妹は巨大な魔法陣の中心に立っていた。住宅街を背にし、多くのエルフの住人や大風の使徒を庇いながら右手に木の枝ほどの短く細い杖、そして左手には見たことのない大きな杖を持っている。
妹の眼前にはこれまでの比にならないほど多くのレイダーラプトル。だがその群れはユイナひとりに対して完全に硬直してしまっていた。その中でひときわ大きいボス格の個体と数匹の部下だけがユイナに立ち向かっている。
ユイナがよそ見をしたところを見計らってボス格が飛び掛かる。左右にはねながらフェイントをかけ、通常のソレよりも大きく凶暴に発達したかぎ爪で少女に一太刀浴びせようと振り上げている。
だが。
「えいや」
ユイナが左手の大杖を振りつつ、右手の小杖をラプトルの方へ向けるとそこから巨大な火球が発生し、高速で飛翔しながらボス格のトリッキーな動きを追尾、直撃する。
「うおおっ!?」
直後、轟音と共に火球は大爆発を起こし、ロシュートは思わず声を上げた。彼が今まで見たものとは少し違う、かなり高威力の爆発。その爆風はブラッドワイバーンを一瞬で爆散させたあの長距離砲撃魔法を思い出させた。
ボス格が吹き飛ばされ、ひるむ直属の部下たち。しかしすぐに立ち直り、ボスが居なくなった次に群れを仕切るのは自分だとばかりにユイナへ突撃を仕掛ける。
それを見たユイナは足元の魔法陣……の、上でへたり込んでいるエルフの少年、ミモザを軽く踵でつついた。ミモザはどうやら足に傷を負っており、それがユイナがそこで戦っている理由だった。
「ミモザ、私の杖に合わせてもう一度風の魔力を供給してね。ちょっと別のこともやってみたい」
「は、はいぃっ!」
ミモザが魔法陣に手を突くと、魔法陣はかすかに緑色の光を纏う。そこでユイナが左手の大杖を天に掲げ、右手の小杖で正面に円を描くとポッポポポポ……と小さな火球がいくつもそこに生成された。魔法陣はさらに赤色に発光し、混ざりあって不思議な色合いを見せている。
なお突進を止めないラプトルたちを見て、ユイナはニィ、と笑って高らかに叫んだ。
「『試作火力増強&追尾&拡散エンチャント・フレイムショット』、発射ァ!」
ドガッ、と目を覆うばかりの閃光と爆音が響く。
ユイナの目の前に浮いていた無数の火球、それがすべてラプトルたち1匹1匹へ叩きこまれ、そのサイズからは想像もできない威力で爆発したのだ。至近距離にいた勇気ある精鋭ラプトルたちにはさらに複数発が叩き込まれ、その身は黒く焦げて弾け飛んだ。被害は待機していた残りのラプトルたちへも及び、群れの半壊を悟った生き残りたちが散り散りに逃げていく。
村を襲撃し、惨状を作り出したレイダーラプトルたちを一歩も動かずに、しかも単騎で撃退してしまった元Aランク冒険者の実力を目の当たりにし、ロシュートは思わず呟いた。
「俺の妹、強すぎ……」
あまりのことにもう立ち尽くすしかない兄の視線の先で、強すぎる妹はフラフラと目を回していた。
「いやぁ、ちょっとこれは、強烈過ぎたかも?光と音で人間は三半規管が大変なことになっちゃうって忘れてた……い、いかん、前が見えないし音も聞こえねえ。なんか、この調子なら閃光弾的な魔法も開発できそうな気がしてきたけども、うう」
「お、おいユイナ。大丈夫か……?」
ふらついて今にも倒れそうなユイナ。その後ろで彼女を盾にしたことで辛くも閃光と爆音の衝撃から免れたミモザが心配そうに彼女へ呼びかける。彼らの背後で趨勢を心配そうに見つめていた人々も、歓声を上げつつも彼女を見守っていた。
そして、その集団の中から赤い衣の男が一人飛び出すのを、ロシュートは見逃さなかった。
「神にあだ為すものに、死の祝福をーーー」
小さいながら人を害するのに十分なナイフを持って妹の背後から襲い掛かる大風の使徒。
その動きが、ロシュートにはゆっくり見えていた。
彼に与えられた『加護』。それを存分に活かし、素早く弓を構えて引き絞る。
ロシュートはその男の目的を一瞬で理解していた。だからこそ、弓を引き絞る手に躊躇などない。
悪者だから、相容れないから、合法だから、向こうもその気だから。
そして、必要だから。
人の命を奪う、その先駆者たちの言葉が彼の頭をよぎる。
そうだ、これは必要なこと。
あの男は、死んでもしょうがないんだ。
構えた矢は男の心臓へ、驚くほどぴったり狙いをつけることができた。ロシュートはそれを確認すると、静かで、激しい怒りと憎悪のままに弓の弦を解放した。
狙い通りに飛翔する矢は男の心臓へと吸い込まれていく。男はロシュートに気づいていない。『嵐の加護』が矢を阻むことは、ない。
だが、ロシュートの予想に反して矢の進路を阻むような風のラインが見えた。
それは男が発動した『嵐の加護』ではなく。
ロシュートの矢に並走するように放たれた矢は纏った風魔法で彼の矢を弾き飛ばすように弾道へ割り込んだ。
「ぐっ!?」
割り込んだ矢が男の心臓を射抜いた。
走る代わりにじたばたと手足を動かした男はユイナやミモザに届くことなくその手前に倒れ込むと、緋色の髪を振り乱してしばらく這いずったが、そのまま動かなくなった。
「えっ……」
呆然とするロシュート。その隣に、緋銀色の髪が踊った。
「カエ、デ……」
「ロシュート。さすがだ。一番必要な時に、その覚悟が決まる者は少ない。だけど」
自らの殺意を遅れて自覚したロシュートは、震える手から弓を取り落とした。捨て置かれた民家の扉のように、ガチガチに固まってしまった首の関節を動かして声の主の方を見る。
「君まで人殺しを覚える必要は、まだない。こういうのは、慣れているやつに任せればいい」
4人目の命を奪ったカエデは、ロシュートにその罪を感じさせないよう、灰で濁った緋色の目を細めて微笑んだ。一切の悪意のない笑顔と、その隣で揺れる鉄製の輪飾りがもたらすグロテスクなコントラストに、ロシュートは立っていられず地面にへたり込む。
「同胞殺しに躊躇なし。流石だね、離反者カエデ」
直後、彼と立ち尽くしているカエデとの間に割り込むように聞き覚えのない声が届いた。声のする方へ振り向いたカエデが睨みつける先、声が届くはずのない遠方の民家の屋根にひとりの女が立っている。
大風の使徒であることを示す赤いローブは、しかし部下や宣教師のソレよりも更に紅の色が濃く、むしろ暗く乾いた血の様ですらある。首元には人の両手の骨で出来た首飾りを下げたその女は、しかしエルフではない。明るい金髪であったのだろう長い髪の毛はほとんどが色が抜けた白銀で、髪と同じく金色の右目は狂気に満ちている。狂気の源泉を示すかのように左目は大きな刃傷でえぐられており、そこに瞳があったのだと分かる左のまぶたは縫われて閉じていた。
白銀の女はせせら笑いを風魔法に乗せ、カエデに届ける。
「その右耳、鉄の咎の記念すべき4つ目だ。でもやっぱり、1人分は忘れようとしていたんだねぇ」
「貴様、なぜ私の名を……」
「お前は私を覚えていなくても、私はあなたを覚えている」
女はローブをひるがえした。その下には素肌があり、衣服の代わりに包帯を巻きつけている。
女は服を着ない、いや、着られないのだ。彼女の病的に青白い素肌には左目の刃傷がそのまま下腹部まで切り裂いた跡があり、その上からさらに刃物で無理やりに刻んだ刺青、いや魔法陣がにじむ血液の赤色に薄ぼんやりと輝きを放っている。
「この傷が見える?ああ、目は見えなくなってるんだっけ。じゃあ大ヒント、あなたは私のお父さんの仇だよ」
「っ!?まさか、なぜ!?」
カエデの意思など関係なしに彼女の身体は震え始めた。その震える手で、右耳につけた鉄の咎、その2つ目に触れる。
瞬間、記憶に蘇ったのは殺した2人目、脅されて強盗を働いた男の死に顔。
そして、その娘。
リーダーが斬った、金髪の少女だった。
「地獄から蘇ったってことにでもしておいてよ。今日は失敗だったけど、もうすぐお前も、お前の家族も全員殺してやる。災厄の龍ラ・テンペスタはこの私、大風の司祭ヴェルヴェットが復活させるんだ。せいぜいあがいてよね。じゃないと、復讐のし甲斐がないでしょ?」
一方的な宣戦布告をし、ヴェルヴェットと名乗った司祭の女は右手で指笛を吹いた。
ゴアアアアア!と。
聞くものすべてを恐怖の底へ陥れる竜の声がしたのはその直後。
「ブラッドワイバーン!?」
幾度となく聞いた獣の声に顔を上げたロシュートが見たのは巨大な赤黒い竜が、ローブを纏った女の近くに飛来し着地した瞬間だった。女がその翼によじ登り背に捕まると、それを待っていたかのように竜は飛び立った。
「ま、待てっ!」
カエデは手の震えをどうにか抑え、取り出した弓で竜を射落とそうと矢を放つ。
風魔法で軌道を修正しながら飛ぶ矢は、しかしニヤリと笑ったヴェルヴェットの風魔法に対抗され、あらぬ方向へと逸れる。こちらの反撃など気にも留めない様子のブラッドワイバーンはそのまま読闇に紛れて飛び去った。
血の匂いの充満するウィンディアン村には、不吉なまでの静寂だけが残されていた。
読んでいただきありがとうございます!
展開がちょっと重いので連続更新でした。
次話からはまた3日ごとに投稿する予定です!
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