【第30話】スローター
「まさかグレース・ロックベルト?どうしてここに、それにオイラたちって……」
「そ、みんな来てるぞ!もちろん、オイラが一番乗りだけどな!」
カエデにグレース、と呼ばれた筋肉質な女は血と臓物にまみれた顔で豪快にガッハッハと笑った。
突然のことに状況を全く追えなくなってきたロシュート。その横顔、至近距離を何かが風を切って過ぎ去ったかと思うと今度は彼の背後に迫っていた大風の使徒のひとりがどさりと倒れた。
ロシュートが慌てて振り返ると、彼の背後にあったのは赤いローブを着た死体。何かの衝撃で首があらぬ方向に曲がっており、その額には十字に光り輝く何かが突き刺さっている。
彼が驚く間もなく、状況について行けず硬直していた他の大風の使徒たちの額にも飛来した十字が突き立てられていき、あっという間に死体の山を築き上げた。
「ロックベルトさん、その暑苦しい巨体はもう少し小さくなりませんか?わたくしがせっかく異端の者どもを神の御元へ送ってやっているというのに射線が確保できないのですが」
木の上から何者かが飛び降り、グレースの隣に歩いてきた。
紺色のヴェールに包まれた頭部は顔以外の皮膚どころか頭髪の大部分が露出しておらず、すっきりとした目鼻立ちが逆に目立っている。首から下もまた紺色の修道服に身を包んでいるが、その輪郭は彼女が女性であることを示している。右手に携えたクロスボウのような武器はかなり大きく、光る十字が装填されているのが見て取れた。
「カエデ、無事でしたか?この血まみれ汚物と化した筋肉の山に何かされませんでしたか?そうだ、今すぐ聖水で清めて差し上げましょう。お会いするのも久しぶりですしね」
「いや、いい。気づかいをありがとう、リリシア・コースタス」
「もう、まだ人をフルネームで呼ぶ癖はそのままですのね。わたくしは、あなたにならリリスって呼ばれてもいいのに……残りのゴミ共は他に任せて、わたくしと久々にじっくりお話をしませんか?」
言葉に棘のある修道女、リリシアは真っ白な手袋をした手でカエデの頬をすりすりと撫でまわしており、未だ手に力が入らないカエデはそれを押しのけることができないでいた。
周囲の血の海から切り離されたかのような光景にロシュートは眩暈がして、とりあえず状況を把握しようとこみ上げる吐き気をこらえて背後にいるはずのミスルトの方を見る。
そして、そこに広がっていたのは更なる大虐殺だった。
「おっ、おおおおっ!いいねいいねえ!発明は大成功だ!やっぱりボクって天才!肉を溶かす酸性を確保しつつ、植物の身体は傷つけず時間がたてば土に還る薬はこれで完成だな!よーし逃げ回れならず者のクズども!極悪に落ちたそのクズみたいな人生、最期くらいはその身でボクの役に立て!」
白く丈の長い服に身を包んだ、背の低い女は水色の髪を振り乱しつつ、笑い声を上げながら手にした筒状の武器で逃げ惑う大風の使徒たちに謎の液体を浴びせかけている。液体を浴びた大風の使徒たちの皮膚は煙を上げながら焼けただれて溶け落ち、その下の組織をすべてさらけ出しながら声の限りに苦痛を訴え倒れていく。
「フレスちゃん、相変わらず悪趣味だニャア……わざわざンなにグロく殺さなくたって死ぬことに変わりはないんだから、サクっとやっちゃう方がいいと思うんだけども」
黄色の髪をなびかせながら高速で移動しているぼろ布のようなマントを纏った獣人の女は、頭の上に三角形の耳を一組ピクピクさせながら、その耳が向いた方向に投擲に特化している短剣を投げつけ、的確に大風の使徒たちの喉を切り裂いて絶命させていく。彼女を捉えようとする大風の使徒もいたが残像が見えるような速度で移動する獣人を捉えることはできず、あっという間に喉笛を切開されて血を噴き出して倒れて行った。
「き、貴様らこんなことをしてただで済むと……」
「この集まりのリーダーはあなただね?悪いけど、俺の友人を傷つけた罪は重いんだ」
「異教徒のクソ共が!貴様らは『大風の使徒』全体を敵に回した!この森から生きて出られるとッ!?」
それら惨劇の中央。粉々に破壊された結晶体のそばで、真っ黒な服に身を包んだ男が無言で発動した魔法により発生した氷の槍がミスルトの腹を貫いた。
「最期まで三流のセリフお疲れ様。次に転生するときはまともな人間に生まれ変われるといいね」
「貴様ァ……!呪ってやる、その顔、覚えたぞ……!」
「んーせっかくだから顔だけじゃなくて名前も覚えてくれる?俺の名前は佐藤誠。俺を転生させた神様とかに会ったらよろしく言っておいてくれるとうれしいな」
「ウマ、コト……絶対に、許さな……」
ニッコリと笑った男の手元でミスルトは最後まで言い切ることなく途絶えた。それを確認した黒髪の男はその遺体をそっと結晶体のそばに横たえると、ハッと何かに気づいたように飛びのいて叫ぶ。
「って!ウマコトじゃなくて佐藤誠だって!もー、なんでこんなにも分かりやすい名前なのに死ぬほど通りが悪いんだこの世界は!俺が昨日今日来たばっかりというわけでもないのにさぁ」
ひとしきり自分で演じきった男は、はぁーとため息をつくとパッパと服についた汚れやほこりを払うと、ロシュートが立っている方を振り返ってぱぁっと顔を明るくした。
「どうやら無事だったみたいだねロシュート!それにカエデも!間に合ったみたいで良かったよ」
「な、何を、して……」
周囲の大惨事、大量殺戮などまるでなかったかのように血の海を横切ってニコニコ笑顔で近づいてくる黒髪の男に、ロシュートは今まで抱いたことのない感情が湧きあがるのを自覚する。
怒り、恐怖、驚き、焦り、疑問、違和感、そして気味悪さ。
ロシュートには視界いっぱいの凄惨の中、幸福な空間から切り取って上から貼りつけられた絵のように周囲となじまない振る舞いを見せるその男が、自身の知っているいけすかない冒険者と同一人物とは到底思えなかった。
「やあ、久しぶり。ちょうど森の調査をしてたらサーロッテが騒ぎを聞きつけてね。本当はリリシアに頼んでもうちょっと静かに始めようと思ったんだけど、グレースが先走っちゃって。まあそれならってことで、俺らも一気に攻めちゃおう!って風になったわけ。おかげで大騒ぎになっちゃったよ」
「助けてくれ、たけど。お前たちは、平気、なのか……?」
ロシュートがどうにか絞り出した疑問の声に、黒衣の男は首を傾げる。
「平気って?おっと危ないロシュート!」
ロシュートの目の前まで近づいてきたウマコトは彼の右腕をガッ、と掴むと、彼の真横からヨロヨロと起き上がった大風の使徒の生き残り、その心臓へロシュートが握っている短剣をそのまま突き刺した。
ロシュートの手に、骨を削り、肉を分け、鼓動する心臓に刃を突き立てる感触が返ってくる。さらにその刀身にたっぷり付着したブラッドワイバーンの出血毒は心臓にできた傷口を瞬く間に広げ、生まれる前からずっと停止することのなかったその機能を確実に破壊した。
「うぐっ!?」
「ふぅ、間一髪だったね。ってええ!?急にうずくまって、大丈夫かい?」
胃の内容物をすべて吐き出しそうになるのを、ウマコトの目の前という事実とプライドで無理やりねじ伏せたロシュートは涙ぐんだ目で目の前の男の顔を見上げた。返り血の乾いたその顔は、心の底から彼を心配する表情が読み取れた。
「あーあ、まーたやっちまってるニャ。ウマコト、お前の感覚はいわゆる世間一般とはズレてるって、何度言ったらわかるんだよ」
「え、またなんかおかしかったかな?サーロッテ」
ロシュートの背をさすろうとしていたウマコトは獣人の女、サーロッテにたしなめられて疑問を呈する。その純真無垢な表情を見てサーロッテは深いため息をついた。
「何度も言ってるけど、普通の人間は殺しなんかしねーんだよ。だというのにこんだけ散々見せつけておいて、さらに勝手に武器借りて不意打ちで殺しの感覚体験会開催だなんてワザとだとしたら悪趣味にもほどがあるニャ」
「うーん、ロシュートを助けるのには必要だと思ったからやっただけなんだけど……」
「オレだって敵対した以上は殺し合いなんだから、殺されても仕方ないとは思うニャ。だけどやり方を考えろっつってんだよ。よく見ろよ、たぶんそいつお前のこと悪魔か何かに見えているぜ」
「うう……すまなかったね、ロシュート。今度からは君の武器は借りないようにするよ」
ロシュートの常識外の会話をサーロッテと交わし、イタズラをしかられた子供のようにしょんぼりとしたウマコトは頬についた返り血を拭いつつ頭を下げた。もう完全に脳の処理能力がパンクしてしまっているロシュートはただ頷くことしかできない。
それを見たウマコトは彼から許しを得たと判断し、よかった、と笑みを浮かべたあとカエデの方に歩み寄った。カエデはリリシアの手によってすっかり『聖水』で清められた顔を彼の方に軽く向ける。その濁った目に浮かぶのは無感情ではなく、悲しげな光だった。
「やあカエデ。そっちも無事なようでよかった」
「……サトウ・マコト。助けてくれたのは感謝している」
「うんうん、やっぱりちゃんと誠って呼んでくれるのはカエデだけだよ。」
「だが私は必要以上に君と関わるつもりはない。無事を確認したのなら、去ってくれないか?」
友好的に話しかけたウマコトの血濡れた顔を視線で押しのけるように、カエデは冷淡な態度でそう言った。その理由に思い当たる節があるのか、ウマコトは眉を下げて目を逸らす。
「そのイヤリング……あのこと、まだ怒っているんだね。残念だけど仕方ない。その眼じゃ君をまたパーティに入れることはできないけど、いつかまた友人として話せることを願っているよ」
カエデの拒絶を悲しみつつも受け入れたウマコトが真っ二つになった死体から親指を切り取っているグレースの方へ行くと、代わりに白衣の女が彼女の前に現れた。フレスちゃん、と呼ばれていたその女は挨拶をすることもなく、ん~、と品定めするようにカエデを頭からつま先までジロジロと眺める。
「なるほど、キミが以前にパーティに居たって言うスゴ腕弓使いのエルフだね?確かにイナストル村の生まれのようだけれど、その髪と眼はどうしてそうなっているんだい?病気……ではあるだろうけど、一時的な症状でもなく突如こうなってしまって治癒魔法も効かなかったというのは珍しいね」
「あなたは誰」
ひとりでベラベラと喋り倒した白衣の女にカエデが当然の問いを返すと、女はこりゃ失敬、とひとつ咳ばらいをした。
「ボクはフレストゥリ・モレイク。特技は研究、趣味は研究さ。ちょっと気になることがあると周りが見えなくなっちゃうのが悪い癖でね。こんなに素晴らしいウマコトのパーティを自主的に抜けたって聞いた人物の話は聞いていたから興味があったんだよ」
「素晴らしい?」
「そうさ。報酬は多いし、自由な時間には特に行動を制限されない。しかもウマコト自体がなぞに満ち溢れた身体をしているうえ、彼について行けば致死性の発明でも合法的に実験できるからね。いやはや、冒険者特権って素晴らしいね!命の危険があると判断した相手になら何をしてもいいんだから!ほら見てくれよ、この『アシッドガン』も水属性の基礎的な魔法『スプラッシュ』に新たな魔法的特性を付加した画期的な……」
「わかった、もういい」
先ほどまでの虐殺を思い出し恍惚とした表情を浮かべるフレストゥリの話をカエデは途中で遮る。いつもは無表情なカエデが心底嫌そうな表情を浮かべるのを傍から見ていたロシュートは、ようやくこの異常事態を正しく認識している仲間を見つけたように感じた。同時に湧いてきた怒りに似た感情をぶつけようとロシュートがウマコトの方を見ると、ちょうどウマコトも彼の方に向き直ったところだった。
「さて。グレースの殺した証集めも終わったし、俺たちは逃げた残党連中を一掃してくるよ」
「おっ!また悪い奴らを成敗できるんだな!ウオオオ燃えて来たァ!」
「うわっ暑苦しい。まったく、異端者どもの指など集めて何が楽しいのだか」
更なる殺戮の合図であるウマコトの言葉に盛り上がる彼のパーティメンバーたち。
ここでようやく、彼らの本質を理解するに至ったロシュートの背筋が粟立つ。
命を奪った人間の返り血を浴びたまま笑顔を浮かべる彼らを見て、抱いていた感情も雲散霧消してしまった彼が返せる言葉はひとつしかなかった。
「お前ら、人を殺して、なんでそんなに笑っていられるんだよ……」
脱力したような問いにウマコトたちは一瞬きょとん、としたが、各々すぐに返答する。
「なんでって、悪者は死んで当然だろ」
「異端者には当然しかるべき裁きが下るべきですし」
「合法なんだから気に病むことなんか当然ないじゃん」
「まぁ、殺されたくないから当然死んでもらうしかないわけでニャ」
ただひとり、ウマコトだけはロシュートの表情から何かを読み取り、少しだけ躊躇するように寂しげに笑って、だが答えた。
「その時々で必要な手段だから、俺はそうしているだけだ。もうこっちの世界にも慣れちゃったしね。君が俺を理解できないのなら、悲しいけど受け入れるしかない。俺も、君を理解したかったよ」
ロシュートがその言葉の真意を理解する前に、ウマコトの合図で彼とその仲間たちは素早く森の中へ消えた。
「……」
「ロシュート。帰ろう。こんな夜中にこれだけ血の匂いのする場所に居てはいつ魔物に襲われてもおかしくない」
冷たく、優しくそう言ったカエデは笑っていた。大虐殺によって赤黒く彩られた舞台で、彼女が以前所属していたパーティ、その過去を象徴する右耳の鉄の咎が月光を反射し輝いている。
ロシュートにとってその光景はまるで、彼女の背負う罪が地の底から這い上がって来たかのようだった。
「くくっ、帰る……?」
だが、まだ終わらない。
あざ笑う声の源をロシュートが探すと、積み上げられた死体の山の中心。
腹の内容物を傍らにぶちまけながら、ミスルトは迫る終わりへ向けて狂気的な笑みを浮かべた。
「離反者を受け入れた村もまた、離反者と同じ罪人……ええ、今ごろは同胞たちが『浄化』に向かっていることでしょう!」
それを最後まで聞くことなくカエデとロシュートは駆け出す。
2人の焦りを縁取るように、静寂が支配する森の中に足音だけがこだましていた。
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