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【第3話】兄の心妹知らず

 サーシャと分かれたロシュートとユイナはそのまま街の出入り口のひとつである南門に来た。


 街は王都ほど高い防壁に囲まれているわけではないが、魔物の侵入を防ぐために大人の男性二人分ほどの壁と矢倉、そして槍や剣で武装した衛兵が門のそばの詰め所に配置されている。衛兵は魔物を監視するほかに、通行人の検査の役割も兼任している。


「止まって。今日は魔物が多いから街の外に出るなら許可証を……って、ロシュートじゃねえか。なんだ今日は討伐依頼か、珍しいな」


 詰所から出てきた衛兵が二人を制止しようとして、ロシュートに気づいて手を振った。普通に暮らしていればあまり縁のない衛兵だが、ロシュートは日ごろから依頼(ざつよう)で街中を駆けずり回っているため勿論知り合いだ。


 衛兵の名はハルベルト。歴代衛兵の家系に生まれた男で、彼が衛兵という立場にしてはロシュートに対してフレンドリーなのは人柄に加えて同じ18歳であることも関係している。


「運よくいい感じの依頼を受けられたんだよ。ほら、これ通行許可証」

「なるほど、フォレストクラブか。依頼書(これ)にも書いてあるけど、あいつら普段もっと森の方にいるはずなんだがね。午前中の報告じゃ群れが街道脇の草原の方に出てきちまっているらしい。一気に相手にすると危険だから慎重にやれよ」

「ああ、今回はユイナも連れているから。チャンスではあるけど無茶はしないつもりだよ」


 衛兵らしい警告をするハルベルトに軽く返答しつつ、ロシュートは自分の後ろに隠れた妹の肩をポンポン、と叩いた。あれだけ威勢がよかったユイナだったが、あまり関わりのない人、しかも衛兵の男ともなると少し怖いらしかった。


「例の妹か。元々冒険者だったんだって?」

「そ、そう!今日はCランクのアニキをこの元Aランク魔法使いであるユイナさんが手伝ってあげるってわけ。じゃ、私は先に外に出て待ってるから!アニキも早く来てよね!」


 ハルベルトに顔を近づけられたユイナは早口で言いたいことだけをまくし立てると、脱兎のごとく門の外へと駆け出して行った。ロシュートは一瞬焦ったが、門から出た当たりからこちらをチラチラとみている妹を見てとりあえず安心する。彼女はやはり衛兵が苦手なのだ。


「俺そんなに怖かったかな」

「この一年ほとんど人に会ってなかったから仕方ない。今回の依頼で他人と関われるだけの自信を取り戻してくれるといいんだけど」

「自信だけはあるように見えるけどな、まあとにかく気をつけろ。ああ、それと……」


 ハルベルトはユイナの事情にはさして興味もなさそうに注意したあと、民を守る衛兵の顔をして言った。


「もしヤバくなったら発煙筒は絶対に躊躇するなよ。このごろ魔物どもの様子がなんだかおかしい。お前の事情は分かっているつもりだが、何よりも大切なのは命だ。くれぐれも忘れないでくれ」


 発煙筒、腰につけたポーチのすぐ取り出せる位置にあるそれをロシュートは強く意識する。


 発煙筒は、簡単に言えばギルドで購入できる任意の保険だ。


 依頼を受けた冒険者の帰還予定時刻を過ぎるとギルドは捜索隊を派遣するが、発見される頃には魔物に食い荒らされて手遅れになっているか、そのまま行方不明として処理されることが少なくない。中には危険地帯で消息を絶ち捜索すらされないことだってある。


 発煙筒はそのような最低限の保険に頼らずに済む方法だ。発煙筒の煙を確認したギルドは直ちに救助隊を派遣する。煙が上がるため救助精度も高く、ほとんどの冒険者はこれを最低一つは携帯している。


 問題は発煙筒を使用するとギルドからの評価が下がることにある。低ランク冒険者にとって評価の低下は冒険者生命にかかわる問題で、そのために危機的状況で発煙筒を使用せずに命を落とす低ランク冒険者は後を絶たない。


 このことに関して依頼をする側にも受ける側にも問題意識はあるのだが、王都のギルド本部発案の制度のため街ではどうしようもない。


「一番大事なのは命だ、わかってるな?」


 ハルベルトの念押しに無言で頷き、ロシュートは衛兵としての職務に戻る彼の横を小走りですり抜けて南門を出た。


 腰に手を当て、やや待ちくたびれたといわんばかりに立つ妹の背後に伸びる一本の街道と、その両脇に広がる草原、さらに奥には深い森が見える。


「何をおしゃべりしてたの!カニ退治の依頼なんかちゃちゃっと終わらせて報酬をもらわなきゃ」

「そう急がなくてもいいだろ。心配せずとも、これが終わったら一冊くらいは本を買ってやるから」

「なっ、なぜ私の考えていることが分かったんだ……」

「兄貴だからな。お前の考えなんてお見通しなんだよ」


 ほら行くぞ、とロシュートは歩き出す。後ろからついてくる妹が口でごちゃごちゃと言いつつ兄の手を掴もうとしてはやめていることに気づかず、彼はハルベルトの言葉とギルド受付に言われたことを考える。


 冒険者証を失効させないためにはまずこの依頼に成功することは絶対条件。妹を危険な目に合わせるわけにもいかないが、彼女の加勢がひきこもりの脱却以前に心強いのは正直なところ事実なのだ。


 もちろん妹が危機的状況になれば発煙筒を使うことに躊躇はない。しかし発煙筒を使えば、彼は妹を支援する手段を完全に失うことになる。


 板挟みの状態だが、妹は絶対に守り切る。そのために今日まで頑張ってきた。ロシュートは街から離れるにつれて肥大化する不満が心臓を押しつぶさないように、拳を強く握りしめた。




 出発から約一時間後。


 衛兵の詰め所横にある矢倉も小さく見えるほど街から離れたロシュートは、歩き疲れてへたり込んだユイナに合わせて休憩していた。少し街道から外れた丘の上に生えた一本の大きな木の木陰に、誰が置いたのか座るのにちょうどいい丸太が横たえらえていたので、それに腰かけてしばしの休憩だ。


「ねえ~。まだカニのいるところにはつかないわけ?」

「依頼書によるとフォレストクラブの群れが確認されたのはあと少し歩いたところだな。この丘からもしかすると見えるかもしれないが……なあ、本来フォレストクラブは森の中にいるんだから草原に出てきているらしい今回は歩いていないほうなんだぞ。そんなんでよくAランクの冒険者やれていたな」


 妹のあまりの体力のなさに呆れたロシュートがついそう言うと、大の字に倒れていたユイナはムッとして起き上がった。


「あの頃はこんな徒歩じゃなくて馬での移動だったもん。アニキがDランクなのが悪いんじゃん!」

「ないものはない。お前も以前言っていただろ?ヨソハヨソ、ウチハウチって。なあ、本当に大丈夫か?今からでも俺ひとりでやってもいいんだぞ」

「う、うるさい!やる!やれるんもん私だって。頭でっかちの使えないやつなんかじゃないんだから!」


 ロシュートが心配から提案すると、ユイナは顔を赤くして怒り出した。その目には涙が浮かんでいる。


 またやってしまった、とロシュートは額を押さえた。


 たまにこうして妹とうまくコミュニケーションが取れないことが彼の悩みだ。彼は基本的に妹を思いやっているのだが、どうしてか思いもよらぬ怒りを買ってしまうことがあるのだ。


「わかったよ、ごめんな。確かに俺ひとりだとやはり心もとない。一緒に頑張ろう」

「……うん」


 謝りつつロシュートが肩に手を置くと、ユイナは顔はまだ赤いものの、すぐに涙を引っ込めた。1年以上のブランクがある彼女が魔物討伐に出ることがどれだけ勇敢なことなのかを考え、彼は改めて決意をし直す。


 妹には好きにさせる、でも、絶対にケガはさせないと。


「よし、そろそろ移動するぞ。元々森にいたとはいえ、フォレストクラブは水辺を好む。目撃情報もあそこに見える池の近くだ。行こう」

「私疲れたからアニキが背負ってよ」

「わかっ……危ねえ同意するところだった!さすがに歩くのは自分でやってくれ!」

「ちぇー」


 と、いった感じで度々言い合いながらも二人は池の近くまで移動した。


 出発から二時間弱。腰ほどの丈の草むらに身を隠して水辺をうかがうと、湿った泥の上に6つほどうごめく影があった。フォレストクラブだ。


「うっわカニども久しぶりに見たなぁ!確か火に弱いんだったよね。よぉしユイナさん頑張っちゃうぞってあれ?魔導書はどこにしまったっけな……」

「準備するならもう少し静かにしてくれ……!せっかく不意打ちできそうなんだから」

「わかったけど、不意打ちなんか必要ないよ。私が一帯を火の海にすればいいんだから」

「なんかの間違いで火事になったらどうするんだ!とにかく様子を見るぞ」


 妹としばし小突きあいつつ、ロシュートはフォレストクラブたちの様子をうかがう。


 フォレストクラブは名前の通り普段は森にいる、子供なら2人は座れる岩ほどの体格で虫のような脚と大きなハサミを持った魔物だ。


 甲殻の色は暗い茶色で、土や木の根元で保護色になっている。頭から背中を覆うような大きな甲羅を背負っており、柔らかな腹部を守ると同時に湿気を好む彼らを日差しから保護する役割もあると言われている。


 基本的には森の中でじっとして獲物を待ち伏せるタイプであり積極的に人を襲うことはあまりないが、繁殖場所などの関係で群れになると強気になるのか行商の馬や人を襲う厄介な性質を持つ。


 ユイナの言葉を借りるなら「これあの狩りゲーにいたカニじゃん!すげー、ゾウガメくらいの大きさあるよこれ」。もちろんロシュートにその意味はよくわからない。


「よしやるか。ユイナ、合図したら攻撃を始めてくれ。俺があいつらの動きを止めておくから」

「え、ちょ、ちょっと待って!いまいい感じの火力の魔法を準備してるから」


 えーと、とかうーんと、とか言いながらわたわたと準備している妹を見て、ロシュートは一瞬やはり自分でやってしまおうかと考えたが今日は妹に花を持たせようと決めたのだ。


 彼が再び草むらに息をひそめたその時だった。


 ギィギィ、と硬いものが擦れる音が一斉に鳴り出した。見れば、さっきまでのんきに泥をつついていたフォレストクラブが一斉に二人の方を向いている。


 ロシュートは気のせいだと思いたかったが、この状況を説明できる現実(りゆう)は一つしかない。


「まずい、気づかれた!」

「えっ、嘘!だってフォレストクラブの感覚器はそんなに鋭くないはずじゃ……!」

「そうかもしれんがもうこっちに向かってきている!ユイナ、草むらから出るなよ!」


 ロシュートは妹にそう言うと返事を待たずに草むらから飛び出した。6匹のフォレストクラブが甲殻を擦る不快な音をたてながら彼を追う。


「落ち着け俺!一斉に相手にする方法を練習してきたじゃないかっ」


 隠れていた草むらから十分離れたことを確認し、ロシュートはフォレストクラブの群れに向き直った。


 威嚇するようにハサミを振り上げ、目の前の敵を切り刻み餌に変えようとする意志を示すように泥の中を前進してくる。


「本当は動いていないときにやりたかったけどっ!」


 ロシュートはポーチから小さなボールを取り出し、飛び出ている紐を引いた。


 彼はボールの表面に亀裂が入ったことを確認せず、フォレストクラブが前進してくる手前の泥に向かって投げつける。割れたボールの中から粉が飛び散り、その上を甲殻類の節ばった脚が耕していく。


 ロシュートは迫るハサミの群れをなるべく考えないようにして手帳を取り出し、もう片方の手で地面に触れ、叫ぶ。


「言うこと聞いてくれよ……『ソイルウィップ』!」


 その瞬間、彼が取り出した手帳ーーー小さな魔導書の1ページに描かれた魔法陣が光る。


 吸い上げられた術者(ロシュート)の魔力が魔法陣で増幅されて流れ出し、地面に触れた彼の手を通してフォレストクラブたちが踏んでいる土に意思を宿らせた。


 泥の中から蛇のようにしなる土の鞭が飛び出し、蟹たちの脚やハサミをあっという間にからめとって動きを封じる。


「よ、よっし成功した!」


 Cランク魔法『ソイルウィップ』は自身の魔力を帯びた土を鞭のように操る魔法だ。ロシュートに突出した魔法の才能はないが、この程度であれば適性を合わせて正しい魔法陣と正しい手順を使うことで誰でも発動できる。


 彼の適性は『地属性』。あらかじめ彼の魔力を帯びた土をボール内に仕込んでおき、効果発揮までの時間を短縮するテクニックも併用している。原理はよくわからないが、すべて彼が一冊だけ持っている手帳サイズの小さな魔導書の手順に沿って発動したり、用意したものだ。


「あとは、一体ずつ慎重に……」


 彼は震える足で拘束したフォレストクラブの一体に近づき、取り出した短剣でかるくつついて動けないことを確認すると、その甲羅と頭の甲殻の隙間に短剣をグッと押し入れた。


 甲羅の健ごと比較的やわらかい甲殻の急所を貫いた刃は一瞬でフォレストクラブを絶命させ、その岩のような体が泥の上に倒れこみ甲羅がずり落ちる。


 同じことを一体、また一体と繰り返していくロシュート。単純な作業で、拘束できているとはいえ単純な動物の枠を超えて魔物扱いされている生物と相対するのは初めて討伐依頼をこなす彼にとってはやはり恐怖だ。とどめを刺す際に最後の力を振り絞り、拘束を破って襲い掛かってきたらという予感が消えない。


 そうして最後の一体に短剣を当てたその時、予感は的中した。


 ガギャァ!と甲殻を鳴らしながら暴れだしたフォレストクラブは『ソイルウィップ』の拘束を破壊し、ロシュートに向けてハサミを振り上げる。


「やばっ!」


 予感はあったが突然の出来事に慌てて、ロシュートは泥に足を取られる。フォレストクラブのハサミは太い木の枝程度なら軽々両断する力がある。人間が挟まれれば重傷は免れない。


 思わず体を丸めて頭を抱えたロシュートに、しかしハサミは振り下ろされなかった。


 ゴォッ、と空気を割いて飛翔した火炎球がフォレストクラブに命中したのだ。体勢を崩した巨大蟹の体へさらに続けて2発の火炎球が命中し、その命を奪い去る。


「あ、危ない危ない。最後まで油断しちゃだめだよ、アニキ!」


 ロシュートが見れば、草むらから出てきたユイナは左手に大きな魔導書を持ち、右手に手折った木の枝ほどの大きさの杖を持っていた。彼女が魔導書を用いた魔法で先ほどの火球を生み出したのだ。杖は、魔法の軌道を制御し正確に命中させる別の魔法を起動する役割がある。


「どうだ!最初から私に任せておけばよかったの!この元Aランク冒険者の手にかかれば無言詠唱もなんのそのなんだから!ほら!」

「ありがとう、助かったよ」


 得意げに言いながらユイナはロシュートに近づき手を差し出したが、妹の手を泥で汚すのも悪いと思った彼は自力で立ち上がった。そのことについて妹が物申す前に、ロシュートは懸念を口にする。


「これで6匹倒したけど、依頼では群れは20匹以上いるはずなんだ。残りも探して……そうだな、10匹倒せば十分だろう」

「えーまだ続けるの?一応街道近くの群れを倒しはしたじゃない」

「こういう魔物の群れの討伐依頼の時は全体の半分を倒せば少し報酬が増えるらしい。お前も準備できたみたいだし、ほかの群れも遠くないところにいるはずだからちょっと素材を回収したらすぐにいこう」

「んー、そりゃ報酬は大事だけどさぁ」


 妹は文句を言いつつも納得したロシュートは、群れを探してあたりを見渡す。依頼書では群れは近くに数匹ずつのコロニーを作って点在しているはずだったが、彼が見る限りいま倒した6匹以外はどこにも見当たらない。


「おかしいな、一体どこに行ったんだ……ん?」


 ふと、ロシュートは水辺周りの草むらが一方向に倒されている箇所を見つけた。あたりに泥がたくさんはねており、そのまま水辺から離れて少し先の森の方へと続いている。


「森に帰ったのかな。にしてはなんか荒れているような」

「アニキは何ブツブツ言ってんのさ。森に帰ったんなら追撃する必要はないんじゃない?『草原』の群れを討伐する依頼なんでしょ」

「それはそうなんだけど、違和感があるんだよ」


 ロシュートが疑問に首を傾げつつ丁寧に推論を組み立てている(フラグをたてている)と、森の方からたくさんの鳥が飛び去るのが見えた。続いて地鳴りのような振動。ズン、ズンと明らかに超巨体が移動し、木々がなぎ倒される音がする。


「待って!アニキ、森の中だ!こっちに出てくる!」


 異変の正体に気づいたのはユイナの方だった。今でこそひきこもっているが、Aランクの冒険者をやっていたことがあるためだ。


 すなわち、異変とはより危険な魔物。


 先ほどロシュートが見つめていた先の森の中から、何かが跳ね飛ばされたように飛び出した。地面をゴロゴロと転がり動かなくなったそれはフォレストクラブだ。同じものが続けて2個飛び出し、ロシュートがそれを行った者の正体にちょうど気がついたとき、それは現れた。


 木々をなぎ倒し咆哮と共に森から飛び出した巨体は、筋肉で隆起した甲殻や大きな翼の先まで赤茶色と深緑色のまだら模様になっている鱗で覆われている。大木のように太い脚の先にはあらゆるものを傷つける太いかぎ爪が生えており、太くしなやかな長い尾はその背後から威嚇するフォレストクラブを叩き潰した。そして尻尾と同じく長い首の先には獲物の骨ごと砕き飲み込む堅牢な(くちばし)と牙が生えた大顎を備え、その生物が肉食であることを示す正面を向いた大きな眼が2人を見据えている。


 竜。


 ニホンでは空想上の存在で、こちらの世界の人類が命をかけて戦ってきたその魔物は端的にそう呼ばれている。


「ブラッドワイバーンの幼体か!よりにもよって今日遭遇するなんてよ……!」


 突如現れた身に余る脅威に、ロシュートは思わず毒づいた。

読んでいただきありがとうございます!

4話以降は3日ごとに更新予定です!

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