【第29話】意地の対価
「いやね、私どもとしては再びあなた方をお迎えに上がるつもりでした。それもすぐ……ですが、そちらからお越しいただけるとなれば話は早い。荒神様への不敬を懺悔し、我らと共に御風に付き従う徒となりましょう」
直前の表情からは想像できないほど邪気のない笑顔を浮かべる大風の使徒のリーダー。
ロシュートは返事をせず、ただその仮面的な笑みを睨み返す。それに対し彼が未だ反抗的な態度を取ると悟ったリーダーは何かを思い出したようにポン、と手を打った。
「おお、そうでした。離反者カエデはともかく、あなたは私を知りませんね?これは失礼、無信心者の啓蒙を行う際には名乗るべきだと知りながら……我が愚行、どうかお許しいただきたい」
耳の下まで伸びている緋色の髪を揺らしつつ、大風の使徒のリーダーはうやうやしく頭を下げる。
「私はミスルト・イナストル。大いなる荒神ラ・テンペスタに献身する『大風の使徒』、その偉大さを広める宣教師がひとり。偉大な存在の前では些末なことですが、司祭様の命で他の同胞たちを統括する役を任ぜられております」
「……ミスルト。思い出した。頭は固いが、良い木こりだったというのに」
ヨロヨロと立ち上がるカエデは睨むとも怯えるとも取れない、悲しげな目でミスルトと名乗る男を見た。一方のミスルトは彼女の灰緋色の髪と目、鉄のイヤリングを蔑むように一瞥したのち、吐き捨てるように言う。
「無知蒙昧だった過去の自分を思い出すと反吐が出ます。私は変わったのだ。司祭様から教えを受け、荒神様の偉大な力の意味を知ることでね。戒律に背き、肉親の眠る土地を捨て、天罰を受けて濁ったその身では想像もつかないことでしょうよ」
「私のこの身体は病気がもたらしたものでしかない。当然、病気には確固たる原因が存在する。神の介在する余地なんか、この世のどこにもない」
「あなたは本当にその態度を改める気はないのですね……もとより、離反者となったあなたに期待はしていませんでしたが」
互いに互いを拒絶するのみの応酬。カエデには何を言っても無駄だと確認が終わったミスルトは再びロシュートに向き直り優しい声で問いかける。
「たしかロシュート・キニアス、でしたね。ロシュートよ、あなたはこの国の平和について考えたことはありますか?」
「……あいにく毎日の生活がギリギリでね。そんなこと、考えている余裕なんてない」
顔をずい、と寄せてくるミスルトに、ロシュートはどうにか動揺を悟られないよう皮肉っぽく返す。
だがそんな彼の心を見透かすかのように、ミスルトは大きく手を広げてそうでしょうとも!と叫んだ。決して体格の良いわけではないミスルトのその腕は、しかしロシュートの眼には獲物を捉え離さない肉食獣の大顎のように映る。
「ならばいま考えてみるのです。大自然にあふれるこの国であなたのような無力な弱者を追い詰め、あまつさえこのテンペスタ大森林の中に居てさえその苦痛を忘れさせないようにしている元凶とは何なのか……動物ですか?違いますね。彼らは勝手気ままに生きているだけ。では魔物でしょうか?違いますね。魔物と言っても所詮は動物の延長上にある存在。彼らは危険ですが、あなたが愚を犯さなければ苦痛を与えてくることはありません。ええ、そうですとも」
ロシュートの返事や相槌など元から求めてない。それを表明するかの如くまくし立てたミスルトは彼に人差し指を突きつけると、えぐるような目線で彼を責め立てるようにしながら言った。
「人間ですよ。私たちはこの美しい世界に居ながらその大地を汚し、自ら汚した場所で無知なる他人に苦痛の煮え湯を飲まされながら生きているのです。さながら、生きていることそのものが罪であり、罰であるかのように……」
「何が、言いたいんだ」
口ではそう言いつつも、ロシュートには内心目の前の男の言いたいことは分かっていた。
動物、ひいては魔物は自由気ままに生きているだけだ。彼らの領域と人間の領域がぶつかったとき不運な事故が起こることはあるが、例えば1か月前までリンドの街の防壁が魔物に襲われることがなかったように、本来棲み分けることで人間とその他の動物たちは共存できる。
では人間はどうか。
彼の脳裏に浮かんだのは、1年前。
希望を抱いてAランク冒険者となった、才能にあふれ、彼よりも将来有望であった妹が他人に心をズタズタにされ、絶望の中で泣いている姿。それを、ただ見ているしかできなかった自分自身の姿だった。
ミスルトは手を胸の前で合わせ、祈るような姿勢を取る。周囲の信者も同時に祈りをささげる中で、心から世界平和を祈る荒神の信徒は囁くように宣言する。
「我ら『大風の使徒』の理想は荒ぶる神、すべてを滅ぼす嵐の神であるラ・テンペスタを復活させ、この国の人間に死の救済を与えること。荒神様は大風と雷雲を伴って罪深き私たちを浄化し、天井の楽園へと導いてくれることでしょう!さあ、あなたも来るのですロシュートよ。自らのためにしか行動できない罪人として、最期の善行を荒神様に捧げてこの国の民を救うのです!」
感極まったミスルトがロシュートに手を差し伸べる。
確かに人間は醜いものだ。自然の脅威から身を守るために一所に集まって身を寄せ合い、それらを制圧し切ったと思ったら身内だったはずの者同士が自らの利益を守るべく諍いを始める。平気で他人を傷つけ、その後相手がどうなろうと知ったことではないという態度の人間もたくさんいる。自然の怒りに触れて滅びた方がいっそ清らかだと主張するそのきっかけはロシュート自身の中にも確かにある。
それだけ理解し、だが、ロシュートはミスルトの手を払った。
「残念だがお断りさせていただくよ。人間が全体として醜くて、自分勝手で、罪深い生き物だってのはよーくわかった。というか俺も知ってたよ。だけどな」
脳裏に浮かぶのは今まさにどん底から這い上がろうとする妹や、現状で良しとせずできる限りの努力を続ける幼馴染の姿。
「だったらなんだってんだ。俺は誠に勝手ながら、自分と仲間たちの行く末を見届けたい。どれだけ醜いあがきだろうと、悲惨な運命が待っているかもしれなくてもな。悪いが、その過程で他の人間がどうなるかってのを想像しながら生きているほど俺は強くねえ」
ミスルトの顔から慈愛の感情が消えていく。だがロシュートはひるまない。
生きる理由なんて、自分勝手でちっぽけなもので十分だ。
「だから、みんなで死のうなんてまっぴらごめんだ。少なくとも、俺と俺の仲間だけでも幸せになれるよう、俺は這いずってでも前に進んでやる」
「……愚かな」
ロシュートの絶縁宣言にミスルトは静かに呟き、一冊の魔導書を取り出す。ロシュートがそれに反応する前に、ミスルトの魔導書が光を放つ。直後、ミスルトの背後にある結晶体が再び発光、高速回転を始めた。
「待てっ!」
魔導書を奪い取ろうとロシュートが一歩前に出るが、周囲の大風の使徒にまでも一斉に魔導書を構えられて躊躇してしまう。その隙に結晶体の近くまで下がったミスルトの魔導書がひときわ大きく輝いた。
ずんっ。
甲高い音を上げた結晶体から発せられた見えない衝撃波がロシュートとカエデの身体を通り抜ける。
「がっ!ぐ、ううう」
「カエデ!クソッ、今度は無詠唱で使えるのかよそれ!」
再び所持品の魔法陣が高熱を発し、魔法陣が刺青として彫られているカエデがうめく。ロシュート自身は違和感こそ強くなったものの痛みはない。彼は結晶体を再度起動したミスルトを睨みつけたが、当のミスルトは顎を指で軽く撫でながら冷酷な目で二人を見ているだけだ。
そして、一言。
「やれ」
とだけ。
ミスルトのその言葉を合図に、周囲の大風の使徒たちが魔導書を手に二人へと近づき始める。ロシュートは戦えそうにないカエデを慮りつつも状況を認識し、ギリリと歯噛みした。
「ち、っくしょうやるしかないっ!」
ロシュートは魔導書ではなく、背負った短弓を手に取った。
ミスルトはまだ結晶体のそばにおり、その結晶体も回転を止めていない。しかも彼は『ミュー・フォース』と呼んでいた魔法を先ほど無詠唱で再使用したのだ。魔法陣を暴走させているように見えるあの魔法を使われるリスクを考えると、魔導書で地属性魔法を使うのはためらわれる。
ロシュートは矢筒から矢を取り出し、短弓につがえた。周囲を囲まれているいま、全員を倒すのは絶対に無理だ。背後の森側の包囲へ穴を開け、そこからカエデを連れて逃亡するしかないと悟ったロシュートは振り返り、背後からゆらゆらと迫る大風の使徒のひとりへ狙いを定める。
訓練通り素早く引き絞り、つがえた矢に飛翔し突き刺さるだけの力を与えたロシュートは、だが矢を放てない。
(少しでもズレたら、殺してしまう……!)
訓練通りの動きで矢は飛び、標的に深く突き刺さるだろう。この至近距離であればなおさらだ。この二週間で実際に森に出て、罠へかかった獲物へロシュートがとどめを刺したことも何度かあった。
だが、人を殺すという覚悟は、ロシュートにはまだできていなかった。
(なるべく致命傷になりにくい場所へっ!)
人間の身体は意外と脆い。身体のどこであれ、矢が突き刺されば死ぬ可能性は常にある。
そして何より、弱点であるほど当てやすい。胸部や腹、太ももなど面積の大きく、身体の中心側にあるからだ。だがそこを射抜いてしまっては、一撃のうちに致命傷となりかねない。心臓と、そこから伸びる太い血管を撃ち抜けばほぼ確実に殺せる。殺せてしまう。
ロシュートは大風の使徒の魔導書を構えている右手へ矢を向けた。力いっぱいに引いているうえ、緊張感が手を震わせる。絶対に手を射抜かなくては。失敗すれば自分がやられるか、相手が死ぬ。だがこうしている間にも、相手はこちらに迫ってきている。その焦燥感が彼に重くのしかかった。
そして重圧を振り払おうと、ロシュートが瞬きをした直後だった。
(……来たっ!)
時の流れが粘つき、すべてが遅くなる感覚がロシュートの身体を駆け巡る。カエデの言っていた『加護』、あるいはユイナの言う『スキル』。彼の体内で何が起きているのか彼自身はまだ知る由もないが、ともかく絶好の機会に発動したそれをロシュートが逃すことはない。
震えの止まった手で矢を引き絞り、大風の使徒の手元までの弾道すら見えるようだった。
ロシュートは呼吸を止め、一拍置いて矢を解放する。矢は狙い通りの軌跡を描いて、まっすぐに標的へと吸い込まれていく。
だが、ロシュートには再び見えてしまった。
カエデの矢を避けたときにも見た風の流れ。大風の使徒の周囲を巡るそれはロシュートの放った矢に反応するかのように集まると、それが直撃する直前で分厚い空気の壁を作り出し左方向へと逸らしてしまった。
「そうか『嵐の加護』っ!」
時の流れが元に戻った世界でロシュートは舌打ちする。カエデをはじめとしたエルフの人々に刻まれている『嵐の加護』は当然ながらイナストル村のエルフにも刻まれていたのだ。彼の矢を阻んだ風はおそらく魔法で起こされたものであり、その証拠に逸れた矢の行く先を軽く振り返った大風の使徒はにやりと笑っていた。
「く、っそお近寄るなっ!」
ロシュートは続けざまに矢をつがえて放つ。だが、まともに狙いをつけていないうえに風の防壁に対抗しうる風魔法を使えない彼の矢はわざとそうしているのかの如く逸れ、命を奪うどころか傷ひとつつけることができない。
「さあ迷える異教徒よ。自らの罪を受け入れ、我らと共に来るのです」
そうしている間にも大風の使徒はロシュートのすぐ近くまで迫ってきていた。魔導書を持たないほうの手を伸ばし、彼の頭を掴もうとしている。ロシュートが嫌な直感にしたがってその手を払いのけると、直後に大風の使徒が手にした魔導書が輝いた。
何らかの魔法。それも、ロシュートに直接触れてから発動しようとしていたものだ。
「精神を、侵す、魔法っ!」
「それって……!」
カエデはふらつきながらもどうにか声を絞り出した。
「イナストルに伝わる秘術。元は、暴れる獣を大人しく、するもの……!人間に、使っては、いけないはず!」
「ええ、そうですとも。離反者カエデ・イナストル。ですがひとつ訂正すると『知性のある人間』には、使ってはいけません」
傍らからさらに迫る大風の使徒のひとりがカエデに手を伸ばしながら言う。
「我らの崇高なる大義を理解しない離反者、異端者どもは果たして『知性』を持っていると言えますでしょうか?」
「外道どもめっ!カエデに触るな!」
抵抗できないカエデに掴みかかるその手をはねのけたロシュートが周囲を見渡すと、彼らの四方に居た大風の使徒たちは手を伸ばせば届いてしまいそうな距離まで迫っていた。
もはや人で出来た壁。
こうなってしまっては、ロシュートには選択肢はひとつしかないように思えた。
「……っ!ロシュート、それは」
カエデが何か言おうとするのを無視し、ロシュートは腰に差した短剣を取り出した。
赤黒い鱗に覆われた中からすべてを引き裂く漆黒のかぎ爪を加工した刃が覗くブラッドワイバーンの短剣。その柄にあるスイッチを、ロシュートは強く押し込む。
短剣の刃の根元にある隙間から黄色っぽい粘性の液体が漏れ出し、あっという間に刀身を覆った。
少しでも傷口に入れば組織を損壊し、致命傷になるまで傷を広げ続けるブラッドワイバーンの出血毒。5倍に薄めてはあっても、急所を突けばその威力は絶大。あっという間に傷を破壊しつくし、大量出血のショックで獲物を死に至らしめる。
「それ以上、近づくな……これを、使わせないでくれ……」
震える手で短剣を構えるロシュートの表情は恐怖と焦燥で完全に固まっていた。だがそれを見ても大風の使徒たちは止まらない。赤いローブに包まれた無数の手が、彼らの理性を揺さぶり狂気を上書きしようとなだれ込んでくる。
そしてついに、ロシュートの正面に立つ大風の使徒の左手が、彼の額に触れた。
「う、うわああああああああああっ!!」
瞬間、ロシュートは絶叫した。
彼の中に蓄積されていた恐怖が振り切れたのだ。
ロシュートは触れた手をはたき、短剣を逆手に持って振り上げる。
目の前の赤いローブ。
精神を破壊しかねない恐怖の濁流から逃れたい一心で、鮮血のようなその布に包まれた歪な笑顔へ、あふれ出した感情の切っ先を叩きつけて破壊するために。
短剣を振り下ろす。その直前だった。
「えっ?」
ずるり、と。
目の前の歪んだ笑顔、その持ち主がずれた。
目の前だけではない。ロシュート達に迫っていた正面の大風の使徒たちが、一斉にずれる。
ロシュートは一瞬理解できなかったが、それはずれている本人たちも同じ。
一瞬の、しかし奇妙な瞬間に、カエデだけが何が起きているのかを把握していた。
「グレース・ロックベルト……?」
カエデが女の名前を呟く。
それと同時、巨大な刃で下半身と切り離された赤いローブの上半身たちが水っぽい音を立てて地面へ落下する。二本足で立っていた肉体が役目を終えたことを自覚するように制御を失い、鮮血と内容物をそこらにまき散らしながらドサドサと倒れていく。
真っ赤な雨を浴びながら、何が起きているのか全く分かっていないロシュートの前に立つ影がひとつ。
見上げれば山のようにすら見える巨体。岩のように盛り上がった肉体は動物の皮で出来た袖のない粗雑な服を内側から盛り上げ、大木のような腕はその得物、四枚の刃が円形に並べられた大斧を棒きれのように振り回すのに十分だ。
突然の惨劇を生み出したその巨人は右肩に大斧を担ぎ、血に濡れた橙色の短髪をかき上げると表情を眩いばかりの満面の笑みを浮かべてカエデを見た。
「おっす!ひっさしぶりだなぁカエデ!オイラたちが来たからにはもう安心だぞ!」
読んでいただきありがとうございます!
次話はまたもや明日投稿する予定です!
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