【第25話】三射の矢
「『大風の使徒』?もしかしてお前らが最近村の周りをうろついているっていう」
「宣教活動と言ってほしいものです。そういうあなたはエルフではありませんね?街から派遣された冒険者の方ですかな。我々は神を信ずる無辜の民、武器は下ろしていただきたい」
大風の使徒と名乗った赤いローブの要求に、しかしロシュートは短剣を下ろさない。
確かにただの一般人であれば剣を向ける必要はなく、むしろコトと次第によっては彼の方が衛兵に拘束されかねない。
だがロシュートの隣で弓を構えるカエデは赤いローブの2人に躊躇なく矢を構え、なお下ろしていないのだ。ウィンディアン村でずっと狩人をしている彼女の判断が間違っているとは思えず、ロシュートは迎え入れるように両手を広げる男を睨みつける。
「今すぐここを離れろ。それ以上近づくと射る」
「怖い声で脅されては動くに動けませんね。それに武器を手にしていない者に弓を射かけるなど違法行為では?」
「この国に暮らす民には自分の身を守る権利がある。そしてこのテンペスタ大森林で狩猟を行う者は野盗等に襲われた際、防衛の手段として狩猟道具を用いることが許可されている。何を隠し持っているかわからない恰好で名も顔も明かさずに近づく不審者に対する行動としては合法の判断が下る可能性が高い」
「では仕方ありません。おっしゃる通り、ここよりそちらには一歩も近づきませんとも」
ローブの男が煙に巻こうとするのをカエデは相手にせず、突き刺すような眼をローブの2人に向けたまま弓を構え続ける。一方で男も全く動じずに手を下ろした。隔てるものなどないはずの森の中に充満するかのような異様な雰囲気に呑まれ、一筋の汗がロシュートの頬を伝う。
一歩前に出たローブの男、そしてその後ろに立つもうひとりは示し合わせたように同時に腰を折り、うやうやしく礼をすると口を開いた。
「私たちは先ほども言ったように宣教師、救いをもたらす教えを広める活動をしているだけのこと。これからウィンディアン村に赴こうとしていたところにお2人を見かけ、声をかけただけ」
「このツカイジカに妙なものを食べさせたのはお前たちか」
「はて、どうでしょうか。私たちは狩人ではない。その鹿の様子におかしいところなど何も感じませんでした。ただ……」
カエデの問いにしらばっくれるような返答をしたローブの男は、フードに隠れてよく見えなくともわかる口角が裂けるほどの笑みを浮かべて続ける。
「大変良い声で哭いておりました。大いなる荒神もさぞお喜びでしょう」
悪意とも違う狂気……いや、深い信仰とでもいうべき感情が練りこまれた声色にロシュートの肌は粟立った。
彼が以前イメージしていた敬虔なエルフ族のそれとは違う方向性、すなわち神との調和ではなく、神への隷属を選ぶかのような暗き信心。譲歩や相互理解はなく染め上げていくのみの思想。だが彼は森の異変を調査する責任感で自分を奮い立たせ、どうにか声を絞り出す。
「大いなる荒神って、この辺りで信仰されている『凪神様』のことか?」
「異教ではそう呼ぶようですが。おお、我らが偉大なる雷よ、ラ・テンペスタよ。無知に迷える者どもを啓蒙し、その身を縛る枷を解いて差し上げるまでもうしばらくお待ちください……」
「な、なんか完全に自分の世界に入っちゃったなこの人」
祈るように手を組み俯いてしまったローブの男にロシュートが戸惑っていると、会話を引き継ぐようにして後ろに立っていたもうひとり、声を出した段階でようやく性別が分かった赤いローブの女が喋り出す。
「あなたも見たでしょう、エルフたちの信仰を。嘆かわしいことに彼らは荒神を『凪神』などと置き換えてその力を奪い、封印してこの森を我が物顔で闊歩しているのです。そこのツカイジカも神の遣い、狩ってよいわけがありません。我々にはこの地上の愚劣なる同胞を啓蒙し、荒神様を復活させる使命を負っているのです」
「同胞……?」
「耳を貸すなロシュート・キニアス。彼らは信仰だなんだと理由をつけ、森のあちこちで破壊活動をしているだけ。ロクなものではない」
ロシュートの疑問に割り込むようにしてまくし立てるカエデ。ほんの少しだけ普段の冷静さを欠いた声色に彼の疑問は膨れ上がるが、あはは、と笑い声をあげたローブの女がそれに回答する。
「同胞と言えば同胞でしょう?離反者カエデ・イナストル」
突如カエデの名前が出たことに絶句するロシュートの目の前で女はフードを取った。
その下からまず覗いたのは長く尖った耳。一瞬でエルフのそれとわかる身体的特徴を撫でるようにそよいでいるのは長い緋色の頭髪、同じ色の瞳。濁りのない澄み切った緋色はしかし、見通すことができない深淵をたたえている。カエデが表情をこわばらせたのを見て、女は嬉しそうに微笑んだ。
「イナストルではあなた以降ひとりも離反者は出ていません。村は一体となって偉大なるラ・テンペスタの復活に向けて行動しています。しかるべき処罰を受ける覚悟があれば、あなたのような不信心者でも私たちは受け入れます」
「私は帰らない。お前も知っているように、とうに帰る理由もなくなっている」
「濁り切った瞳、枯れた髪。それに……鉄の咎、痛々しいことですね。離反者とはいえ、あなたならひょっとすると我々の理想に共感していただけると思っていたのですが」
強い風が吹き、カエデの右耳に貫通した3つの鉄輪が揺れてチリチリと金属音が鳴った。それで我に返ったのか、俯いていたローブの男が顔を上げる。
「鉄の咎!なんとも哀れな烙印であることか!しかし、私たちの理想が実現すればそれも荒神様が許してくださるだろう。約束の時に自ら進んで神の先兵となればなお、信心をよく示せるというもの!」
興奮して叫ぶ男をカエデは鼻で笑う。同時に男の足元に矢を放つと、たじろぐ『大風の使徒』の2人に彼女は弓を下げてハッキリと宣言した。
「神などいない。あるのは法則とそれに従う生命のみ。存在しないもののための犠牲などあってはならないもの。去れ、次からは無警告で射る」
カエデの言葉に男はぐっ、とうめいて吐き捨てるように言う。
「……いいでしょう。ようやくあなたに接触できたのですから、今回の目的は達成しています」
「ええ、十分です。行きますよ、同胞」
対照的に余裕の表情を浮かべる女は去ろうとし、ふと気づいたようにロシュートを見た。
「私たちは共感していただけるのであれば種族を問わず受け入れています。そこの離反者のような不敬を捨てるのであればあなたも歓迎しますよ。では、また近いうちに……」
全く悪意を感じない笑顔でそう言った赤いローブのエルフにロシュートが何も言えないでいるうちに、2人組は森の奥へと消えた。
「量が多いから流石にすべては持って帰れない。すまない」
ナイフでツカイジカを解体しながらカエデが申し訳なさそうに言った。ロシュートはそれにいえ、とだけ短く返答し、鹿の内臓の中でも調査に使えそうな部位を選別していた。
彼らが観察する限り、ツカイジカには心臓を貫く矢傷と罠にかかった後ろ足の擦り傷以外に目立った外傷はなかった。だがその口元はカエデが最初に指摘したようにかぶれており、口内も赤く腫れていた。ロシュートがその詳細をメモに残したところで、鹿の肉や皮を持って帰るために解体しているのである。
中々切れない筋や組織に苦戦し汗を拭いつつもテキパキと鹿を解体するロシュートを見て、カエデが不思議そうに呟く。
「ロシュート・キニアス。君は動物の解体に慣れているように見える。街で暮らしている若者にしては珍しい」
「そう言われると少し恥ずかしいですけど……この間魔物の体組織を勉強する機会がありまして。鹿を解体するのは初めてですけど、同じ動物ですからね。似たところも多いので、とりあえず食べたものが影響しそうな内臓を確保している感じです」
「自由に様々なことを学ぶのは良いこと。きっとユイナ・キニアスも調査しやすいはず」
短く会話を交わし、2人の間に再び沈黙が横たわる。単に話題が無くなったようにも見えるが、ロシュートはカエデが何を考えているのかなんとなくわかっていた。ツカイジカの解体を始めてからというもの、カエデは少しそわそわしている。
冷静沈着な彼女らしくないとロシュートは考えつつ、その原因は間違いなく赤いローブの2人『大風の使徒』が残した言葉だ。
同胞。
カエデをそう呼んだ緋色の髪に緋色の目のエルフから聞いたことを、正直ロシュートはまだ咀嚼しきれずにいる。神話的存在の『嵐の神』とそれを『凪神』と呼ぶウィンディアン村のエルフたち、それを『荒神』と呼ぶ赤いローブたち。
どちらの主張が正しいというものでもなく信仰の問題なんだろうとは考えつつ、やはりそれだけでは片付けられないことが多すぎる。沈黙も耐え難くなってきたところで、ロシュートは思い切って聞いてみることにした。
「あの、カエデさん。ひとつ聞いてもいいですか」
「私とやつら『大風の使徒』との関係についてか。私の過去、離反者ということも」
作業の手を止めて彼をじっと見つめるカエデに、ロシュートは無言で頷いた。するとカエデはふぅ、と息を吐いてから、落ち着いたトーンで喋り始める。
「私は元々ウィンディアン村の人間ではない。あのローブたち、顔を見せた女の方と同じイナストル村の出身」
「だから名前、カエデ・イナストルって……」
「エルフの村と名字のこと、知っていたか。ピンネさんから聞いたのかな」
カエデは木々の隙間に覗く空を仰ぐ。灰色に濁った緋色の眼で、どこか遠くを見ているかのように。
「イナストルは元々戒律の厳しい村だ。『凪神様』を信仰し、そのための宗教儀式やあらゆるルールは厳格に定められている。エルフでも珍しく、彼らは完全に菜食主義。元々のエルフはそうだったらしいけれど。私は戒律ばかりの暮らしにうんざりして、15年前に村を出た。村から出るのは重大な戒律違反。私は『離反者』として破門され、イナストルには戻れなくなった」
「じゃあ、帰る理由もなくなっているというのは」
「私が村を出ることを決意したのは母が死んだから。家族もいないのに、わざわざ破門されたイナストルに戻る理由なんかない……それからしばらくは各地を転々として過ごした。戒律から自由になって、初めて生きていて楽しい時間だった」
肉親の死。それを感じさせないほど、過去の思い出に浸るカエデの表情は明るい。ロシュートは、自分が表情変化の少ないカエデの感情の起伏をなんとなく読み取れるようになってきていることに気がついた。
「10年前にウィンディアン村に受け入れてもらって、イナストルを出てから鍛えた弓をつかって狩人として生きることにした。戒律に完全服従して生活のすべてを委ねるイナストルより、こっちの方が性に合っている」
エルフの若者たちを鍛え始めたのはそのころなのだろうか。ロシュートは自分が受けた試験の内容も同時に思い出しつつ、戒律が好きではないというカエデの話を意外に感じていた。だが彼女の心から嬉しそうな顔を見て、本当のことを言っているんだなと確信する。
だからこそ、その表情がまた一転して曇ったのを彼は見逃さなかった。
「……流れが大きく変わってしまったのは5年前のこと。ウィンディアン村にある冒険者のパーティが訪れた。リーダーは幼かったが、彼らが実力者なことは誰が見てもわかった。そんな彼らから私はパーティ加入の誘いを受けた。ちょうど遠距離攻撃ができる者が辞めるということで、村の皆からも背中を押されるようにして私はその勧誘を受けた」
「カエデさん、冒険者をやってたこともあったんですか?」
「元Aランク」
「元Aランクがポンポン出てくるな俺の周り……」
ユイナ・キニアスのことか?とカエデは少し笑ったが、続きを話し出すときに濁った緋色の目を伏せた。彼女の右手は右耳についている3つの鉄のイヤリングに触れている。
「3人」
「……何が、ですか」
短い言葉だったが、ロシュートはその一言で何があったのかを察した。だがその先の言葉を受け止めるには一言挟まないと、自分には耐えられないと思い反射的に聞き返す。
カエデは言った。
「私はそのパーティに所属してから2年の間で3人の人間を殺した」
「……っ!」
冒険者には基本的に直接人を害せよという依頼が来ることはない。
だが護衛などの過程で仕方なく攻撃をしなくてはならない場合に賊などを傷つけ、結果的に殺めてしまっても計画的・謀略的に殺人したのでもない限りは罪に問われず、正当防衛となる。
「最初は私たちを襲った賊の男を射たときに誤って急所を射抜いてしまった。動揺する私をリーダーは慰めてくれた。これは襲われたのだから仕方ない、当然だと。2人目は私たちの滞在していた街で強盗を働き、人質を取って逃げようとした男。リーダーは正しく生きる民を救うためだと私に言った。私もその時はそれを信じ、強盗の頭を射た。だけど……」
カエデは生々しく状況を語る口をいったん止め、考え込むようにして目を閉じた。その唇はわずかに震えている。ロシュートがそれ以上を話さなくてもいいと止めようとしたとき、静止を振り払うように彼女は目を開けた。
「強盗の男は脅されていた。そのとき一帯を騒がせていた盗賊団に娘を攫われ、身代金を用意できなければ娘を殺すと。リーダーはそれを知ると、ギルドに盗賊団の討伐をさせてほしいと進言した」
「犯罪者と戦うのは兵士の仕事……でも、Aランクの冒険者パーティには」
「そう。例外的に、Aランク以上の冒険者には盗賊団などの討伐依頼が発行されることがある。ランクの高さに裏打ちされた信用がそれを可能にする。私は討伐依頼への参加を断ろうとも考えた。だけど、私が殺した強盗の男が最期に浮かべていた表情が頭を離れなかった」
カエデはそこにある空虚を眺めるように、ツカイジカの血が付いた手のひらをじっと眺めた。
「数日のうちに、私たちのパーティと一般の兵士からなる盗賊団討伐隊が組織されてアジトを直接叩くことになった。思えばこのころから目がおかしくなってきていた。ぼやけ始めた視界で味方を誤射してしまうことを恐れ、私は討伐作戦中は徹底的に足を狙うようにした。足なら太ももさえ避ければ滅多に殺すことがないから。作戦の最後、追い詰めた盗賊のリーダーは開き直って今まで行った悪事のすべてを話し始めた。このときの私は冷静じゃなかったと思う。ぼやけてよく見えない視界が赤くなった気がした。そして怒りに任せて矢をつがえて、放った」
震えた声は続ける。
「世界がゆっくりになった。ろくに見えない目で射たのに、肩を狙ったはずなのに、なぜだか矢は軌道を変えて男の心臓の方へ吸い込まれていく。声を上げる間もなく、私は3人目を殺した」
もう取り返しがつかない。そう告白するような声にロシュートは息を呑んだ。
「そして冷静になって周りを見たら、ぼやけた視界でもわかる。死体だらけだった。討伐と言っても、生きて捕らえて罪人として罪を問う方法もあったはず、けどリーダーはそうしなかった。アジトにいた盗賊、その全員を1人の例外もなく殺しつくした。私の矢が軌道を変えたのも、リーダーが魔法でアシストした結果だとその時気づいた」
「それじゃあカエデさんは……!」
「私の弱さが招いた結果なの。しかも、3人というのは正確には違う」
「えっ」
疑問の声をかき消すように、しかし低く小さな声でカエデは言う。
「その場にへたり込んだ私に剣を持って向かってくる人がいた。2人目、私が殺した強盗の男の娘。彼女は盗賊たちから父親を殺したのが私だと聞いていたようだった。私はもうそこで、死を受け入れることにした。血を浴びたのは、その直後。リーダーが女の子を斬ったと分かったのはそのさらに後」
「なんて……」
「リーダーは言った。危うく犯罪者に怪我させられるところだったね、でももう殺したから大丈夫だよと。確かに剣を持って襲い掛かった時点で殺人の意思があるとして、冒険者たちが反撃でその人を殺しても正当防衛になる……私はその依頼から帰った後、パーティを抜けた。目の病気であることを話すと、代わりはすぐ探すから大丈夫だとリーダーは快く受け入れてくれた」
絶句して言葉も出ないロシュートに、カエデは何かをあきらめたように微笑んだ。
「よく覚えていないけど、そのままウィンディアン村に帰って娘の血を洗い流したらもう髪はこの色になっていた。私も本当はあのローブの女と同じ髪の色だったんだ。罪悪感で眠れなくなってしまった私はイナストルの戒律に従い、人を殺した咎としてこの鉄輪を殺した人数だけつけた。強盗の娘の分をつけなくてもよかったのは、戒律に『自らの武器で殺した者の数』と指定があったから。それからは不思議と眠れるようになったんだ。戒律から逃れたくて故郷を捨てたのに、自由を手にしたとたんに人を殺して、心を守るために別の場所で自分だけの戒律に従うとは我ながら皮肉なもの。この目と髪、そして『鉄の咎』は私の罪の証ということ」
ひとしきり語り終え、カエデは深く息を吐くとロシュートの方を申し訳なさそうに見た。
「長く話してしまったな、すまない。でもこれで大風の使徒のやつらが言っていたことは分かってもらえただろうか」
「こちらこそ過去を詮索するようなことを聞いてすみませんでした……でも俺にはカエデさんに罪があるとは思えません。あなたの行動は立派だったとすら、思っています」
「私の視点で語っているからそう見えるだけ。私は立派だと言われるような人ではない」
笑いながらそう自嘲すると、カエデは解体したツカイジカをまとめて立ち上がった。
「予感が当たるのが嫌で、今日までずっと大風の使徒に接触するのも避けていた。だけど彼らがイナストルの者たちだと分かったいま、過去から逃げるわけにもいかない。そのことに気づけたのはロシュート・キニアス、君のおかげ。礼を言わせてほしい」
「そんな、俺は何もしていませんし、むしろカエデさんの足を引っ張って……」
「カエデ、でいい。敬語もいらない。帰ろう、ロシュート・キニアス。森の案内だけでなく、今後の調査にも協力させてほしい」
いつも通りの真顔だが、口角を少しだけ上げつつ手を伸ばすカエデに笑い返し、ロシュートはその手を取って身を起こすと彼女の隣に立った。
「じゃあ俺もロシュート、でいいよカエデ。そして協力の申し出、喜んで受けさせてくれ!」
「わかった。改めてよろしく、ロシュート」
互いの信頼を確かめるように、2人は互いに強く手を握り返した。
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