【第23話】薬草使いの弟子
エルフの老婆、ピンネに招かれたロシュートとサーシャは工房内の左側、薬品の工房へ移動した。なおカエデは調査の午後の準備があると工房を出ていき、ユイナは再び興味が引かれるものがあったのかミモザと修理中の荷車の元へと戻っている。
「あんちゃんはそこに座りな、診てやる」
ピンネは小さな丸い机の近くに椅子を引くと、ロシュートに着席を促した。彼が言われるがままに座ると、ピンネは先ほどサーシャに見せるために剥き出しになった傷を一瞥して言った。
「膝の傷以外はツバでも付けときゃ治るね。ほっとくよ」
「ですよねー。な、言ったろサーシャ」
「で、でも治せる傷も放っておくというのは……【生命力】の魔法ならすぐに治せるのに」
自分の意見を援護するピンネの言葉に少し安心しつつ諭したロシュートに、サーシャはそれでも食い下がった。その胸には分厚い魔導書がギュッと抱きしめられている。その様子を耳で把握し、背後の戸棚から道具や薬草を取り出しつつピンネは言った。
「娘、名前は?」
「サーシャ・リンドベルトです!私は生命力の魔法が使えるんです!だから」
「サーシャ。よく聞きな」
サーシャの方を見たピンネが彼女の言葉をぴしゃりと遮った。その声色は優しく語りかけるようで、しかし芯が一本通っている。その気迫のようなものに押され、サーシャは口をつぐんだ。
「さっきも言ったがね。物事には適した量、適したタイミングってのがあるもんだ。お前さんの魔法は確かにこやつの傷を癒せるかもしれないが、献身とは身を削るもの。度が過ぎれば本当に必要な時に削る身が無くなってしまうぞ。他人のためになりたいならちゃんと判断することが肝要だな、ということだよ。それとも、お前さんはその力を誰かに見せつけたくて使うのかい?」
「違いますっ!私はロシュートお兄ちゃんのお役に立ちたくて……」
ピンネはその言葉にニィと笑うと、薬品やら道具やらをロシュートの目の前にドサッと置きつつ返答する。
「ならなおさら見極めることだ。このババアとて好いている者のためにアレコレ世話を焼きたいという気持ちはわからんでもないがな」
「いやあの!好きとか、そういうそれは、そのっ」
「カッカッ!まあ見ておれ。適切なやり方っちゅーのを盗ませてやるからよ」
まあサーシャはだいぶ前から俺になついてくれてるよなぁ、とロシュートが兄貴分としての思考を存分に発揮している目の前に薬師が薬草等を取っ手のついた円盤でゴリゴリすりつぶすアレ(「ソレの名前知ってる?薬研って言うんだよ!ドヤァ」とは後のユイナの談)を設置したピンネは椅子に腰かけ、乾燥した薬草や木の実、さらには昆虫のようなものまで入れてすりつぶし始めた。
その様子をサーシャはしゃがんで言われた通りに観察している。ロシュートも何となく黙っていると、ピンネの方から口を開いた。
「あんちゃん、名前は?」
「あっ、名乗ってませんでしたね。ロシュート・キニアスって言います」
「ロシュートか。お前さんとサーシャとはどういう関係なんだい」
「妹分というか、幼馴染でして。あとひとり、あっちにいる妹のユイナと3人で冒険者やってます」
「なるほどなるほど。それで、ここには依頼で来たということか。おおかた、カエデにしごかれたんだろう」
「よくわかりましたね。午後からは森に一緒に入ることになってます」
「その傷のつき方見りゃわかる。アタシが何年この村にいると思ってるんだい?」
ロシュートの返事を求めてはいない、と体言するように薬草類をゴリゴリとすりつぶす手を一瞬止め、何かの蜜が入った瓶に手を伸ばすピンネ。
だがそれに先回りするように、サーシャがスッと瓶を手渡した。早くも助手になっているサーシャを見てピンネはフン、と笑うと、受け取った瓶の中身を材料に垂らして再びゴリゴリとし始める。
「森に入る、ねえ。最近この辺りはヘンなやつがウロチョロしてて鬱陶しいったらない。しかも鬱陶しいだけじゃなく、そこら中で不信心ごとを働いている、今に凪神様のバチが当たるね。お前さんも気をつけな」
「凪神様?それってこのテンペスタ大森林を守っているという、『嵐の神』の話ですか?」
「街の方ではそう呼んどるらしいな」
『嵐の神』の神話はルドマンド王国では鉄板のおとぎ話だ。
その昔、大国の圧政を逃れ絶え間なく雷が降り注ぎ大風が吹き荒れるだけだったこの地に逃亡してきたルドマンドという男は貧しかったが、あるとき森の中で怪我をした鹿を見つけた。大きく立派なその角を恐れなかった男は鹿を治療し、なけなしの食料を分けた。
すると鹿は美麗な人間へと変化し、男に王権を授け、さらに災害のような悪天候は豊穣をもたらす夏の大雨に変わった。彼はそれから豊富に取れるようになった食料で圧政から逃れる無辜の民たちを助け続け、恩義を感じた人々が集まって男の粗末な家はいつしか国となり、彼はルドマンド建国王となった。という建国神話である。
それ以後でも国の南を攻めようとする蛮族を神が嵐を起こして押し戻した等々、『嵐の神』に関するおとぎ話は多い。神風の大森林の由来もここにある。
「神はこの地で眠りにつくために嵐の力の一部を我らにお与えになり、その力で我々は森を騒がしくする者らを追い払う。森が騒々しくて神が眠れずにいると、神は怒り大嵐が吹き荒れ、我々もろとも不埒の輩を根絶やしにすると恐れられておるのだ。だから我々エルフはかの神が静かに寝ていられるようにと祈りと畏敬を込めて凪神様と呼ぶ」
「では、エルフの皆さんは神話を信じていると?」
「いやぁ?あたしも含め、ほとんどの者は本気じゃありゃせんよ」
「えっこの流れで!?」
思わずロシュートが突っ込んでしまったのをピンネはカッカッカ、と笑い飛ばした。
「まあ言ってしまえば信仰の問題だな。突き詰めれば森は静かな方が気分がいいと言うだけの話だろうよ」
「そんなあっさり……それこそバチ当たりなんじゃないですか?」
「そうかもしれん。だがな、我々は神の実在を信じちゃいなくとも信仰に何らかの意味はあるとは考えている」
ピンネは言いながら円盤を脇に置くと、十分にすりおろした薬のペーストを小さな木のスプーンで集めて掬い取った。
「この森は広く、あたしのようなババアのエルフでもわからないことが多い。だから、もし森で生きていくために必要なことを、凪神様に関するしきたりの中で知らぬうちに行っておっても誰にも分らないのだな。ならば、今まで通りにしていた方がいい。信仰を続けていた方が都合が良いってことだ。ホレ、膝小僧を出してみろ」
言われるがままにロシュートが膝の切り傷を見せると、ピンネはスプーンに取った薬のペーストを指に移し、彼の膝の傷口に丁寧に塗布した。さらに薬の余りを傷口の周りにやさしく撫でつけ、不思議な円状の模様を描いていく。
サーシャが先に、続いてロシュートがそれに気づいたが、その模様は魔法陣のそれにかなり似ていた。
「これって【生命力】の魔法陣ですか!?」
「んな大層なもんじゃねえさ。これは先祖代々の『おまじない』。凪神様が傷の治りに手を貸してくれて傷が早く、綺麗に治ると信じられている。どうやらたまたま最近の魔法研究で発見された新しい魔法と似ているらしいがな。こないだの論文にも近いのが乗っとったのう?」
「ピンネさんも最新の研究を追っているんですか!?」
驚くサーシャにピンネはニヤリと笑って言った。
「森の奥にじっと隠れているエルフの耄碌ババアだって見くびってもらっちゃ困るね。こちとら200年は生きて、それでもまだ使い切れないほど時間がある。エルフの老人で時代の変化について行けないやつは暇すぎてとっくに死んでるよ!カッカッカッ!」
200歳を超えているとは到底思えない底知れぬ胆力にロシュートとサーシャが圧倒されているうちに、ピンネは彼の膝の傷に上から蜜でできた蝋を塗りつけて、ポン、と叩いた。
「よぉしいっちょ上がり!乾くまで触るなよ。これでもう明日の朝にはツルツルのピッカピカな肌になっているはずさ!」
「それはすごい。ピンネさん、ありがとうございます。正直感動しました」
「ハン、老人のたわごとで煙に巻かれているようじゃまだまだ若造の証拠だね。その若さで森を荒らす不届き者どもを成敗してやってくれよな」
深々と頭を下げるロシュートの背中をバシバシと叩くピンネ。『老い』という現象に対する若人たちの認識を完全に書き換えてしまったそんなパワフルばあちゃんエルフを、熱のこもった視線で見つめている娘ことサーシャはロシュートに負けじと頭を下げながら言った。
「ピンネさん、いえピンネおばあ様!私にもっとこの村の医療のことを教えてください!」
「なんだい弟子入りか?お前さんはロシュートと森に行くんじゃなかったのかい」
「あ、いえ……サーシャはカエデさんから許可してもらってなくて」
「ありゃりゃ、あの娘のカタブツっぷりも相変わらず徹底してるね」
2人のやり取りを聞いて自分は森に入れない、つまり直接お兄ちゃんの役に立つことができないと再確認したサーシャはさらに頭を下げて、もはや地面に頭を擦ろうかという勢いで続ける。
「私、生命力の魔法を勉強したんですけど全然使いこなせてなくて。むしろ私よりユイナさんの方がよく分かっているぐらいで……ユイナさんはすごいんです。いろんなものを作って、ピンチのロシュートお兄ちゃんを助けて。部屋からはあんまり出てこなかったけど……だから私もロシュートお兄ちゃんの役に立とうと躍起になってたんです」
ロシュートは少し上ずったような声で心情を吐露するサーシャが泣いているのかと思ったが、顔を上げた彼女は少し涙を浮かべてはいたものの、むしろ自らに向き合う覚悟を決めたすがすがしい表情をしていた。サーシャはピンネの顔を睨みつけるようにして言う。
「でも今のままじゃダメだって、さっき分かりました。私にはまだ圧倒的に知識も経験も足りてないんです。だからピンネおばあ様、私を2人の隣に立てる女に鍛えてください!」
お願いします!とサーシャは再度頭を下げた。そんな彼女を見て、ピンネは呆れて鼻から長い息を吐いた。
「カタブツはこんなところにもいたか」
そして、口角を上げて告げる。
「おばあ様、ってのはちょっとむずがゆいね。師匠とお呼び!」
その言葉にサーシャは顔を上げ、ぱぁっと表情を明るくした。
「は、はい師匠!」
「弟子入りなんて何年ぶりの話だか。しかもここにはほんのちょっとしかいないんだろう?人間のスケールに合わせてビシバシ鍛えてやるから覚悟しな!」
「はい師匠!師匠!!」
「師匠は1回でいい。普通ははいの方が増えるんじゃないか、こういう時は」
がっしり握手を交わす2人。
それを見ていたロシュートはすごいことになったな、と思うと同時に胸がざわつくのを感じた。
なんだ、この感情は。
今の彼ではとても形容できない胸の痛みを、ロシュートはいったん知らないふりをした。
「さて、じゃあまず最初に教えることがある。ロシュート、お前さんも森に入るなら知っとった方がいいだろう」
余った手製の傷薬を小さな瓶に手早く詰めると、ピンネは工房のドアを開けた。様々な匂いが充満している室内に土の香りがする森の空気がなだれ込む。
「何かを学ぶなら考え方の根幹を把握するのが学問の基本だからね。ついておいで、凪神様の祭壇に案内するよ」
ピンネに案内されたロシュートとサーシャがたどり着いたのは村の端の方、石垣の中に土が盛られ周囲より少しだけ高くなったその広場には石碑が並び、中央奥には大きな鹿の像がある。その様子から、2人はピンネに言われずとも『祭壇』が兼ねている役割に気づいた。
「ここはお墓、ですか?」
「そうさ。この村で死んだ者を弔う場所」
サーシャの言葉にピンネは端的に返答した。彼女はすぐ近くにあった墓石に近づき、少し屈んでそれを撫でる。
「私の娘と、その夫はここで弔った。まあ、いつまでも気落ちしている程でもないのさ。幸い、孫のアケイシャとミモザが元気でやってる。ただ、何度弔っても無念は消えないねぇ……サーシャ、エルフの一番多い死因は何だと思う?」
「えっと……」
言葉に詰まっているロシュート同様サーシャは答えに窮したが、少し考えて回答した。
「事故死、だと思います」
「正解。我々エルフは寿命は長いが、身体がそのぶんだけ頑丈ってわけでもなくてね。病気だったり、処置が間に合えばある程度治せているが、こんな森の中に住んでいる以上は獣に襲われたり、崖から落ちたりしてあっさり逝っちまうことが多いのさ」
寂しそうに言うピンネが撫でている墓石に書いてある文字をロシュートは読んでみるとアルビジア、ここより旅立つと読み取れた。彼が読んだことに気づいたピンネは立ち上がり、中央の像に向かって歩きながら再び口を開く。
「エルフは事故によって死ぬ。だから身体を持って帰れないことだっていくらでもある。だからか、昔からエルフが死んだらその魂は風に乗って天に運ばれると考えられている。そして、その魂の旅路を案内する神様がいるのさ」
「それが、凪神様」
「正解だ、ロシュート。ここにも凪神様は出てくる」
ピンネに倣い、2人の冒険者は大きな鹿の像に手を合わせた。鹿は一見して普通だがその鼻から額にかけては鱗があり、目は4つ。うち2つがトカゲの目をしている。そして、まるで大木の枝のような立派な角を持っていた。
「我々は死者の持ち物だけを墓に入れる。するとその持ち物と村の名前を使って凪神様は風に乗って彷徨っている死者の魂を呼び止め、天まで案内してくれるのさ」
「持ち物と、村の名前を?それはどうして……」
手を合わせ終わり、解説を続けるピンネにロシュートは尋ねた。するとピンネは気づかなかったかい?と言ってこう続けた。
「エルフは名字を名乗らない。なぜなら村の名前がそのまま名字なんだ。あたしはピンネ・ウィンディアン。孫のアケイシャ・ウィンディアンに、ミモザ・ウィンディアン。村長はシーダ・ウィンディアンで、他のやつもだいたいみーんなウィンディアンだ。血が繋がっていようがいまいが、村全体で名前の一部を共有しているのさ。誰にも見つからずに死んでも村の墓と持ち物さえあれば凪神様は魂を特定できるし、住み慣れた村からなら天まで迷わずに案内される。どっちかと言えば、この話があるから村の名前を名字にしたんだろうがね」
エルフに代々伝わるしきたりを信じちゃいないと断言したピンネは少し呆れたようにそう言うと、それでも湧きあがる感情を呑みこむように空を仰いだ。
「エルフの身体は森に還り、魂は風に還る。それらを世話してくれるのは全部凪神様だ。あたしらは亡くした肉親の冥福を祈り、どんなに悲惨な最期だったとしてもあっちでは元気にやっているだろうと自分を納得させるために信仰するのさ。サーシャ、ロシュート、ここを離れても忘れないでいてほしい」
ピンネは2人を見て、老齢を感じさせない凛々しい表情で言った。
「エルフは、森と共に生きている。だから森の異変を解決するためにはいくらでも協力するし、森を荒らしまわる輩は許せない。ちょっとの間だけど、凪神様と私たちの森をよろしく頼むよ」
2人はピンネが頭を下げるのを待つことなく、力強くはい、と首肯した。
日は高く昇り、森の中には木漏れ日があふれていた。
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