【第22話】アニキと魔法と加護と
カエデに手を引かれてロシュートは石造りの建物、工房に足を踏み入れた。彼が真っ先に感じたのは鼻の奥にまっすぐ入ってくるようなハーブの香り、そして木くずと油の匂いだ。
工房は仕切りこそないものの左右で別々の空間に分かれているようで、左の空間には干した薬草や瓶詰めの液体が並ぶ棚やそれらを曳くための鉢などが並んでいる。ハーブの香りは左からだった。
一方右側には大きな机の上に置かれた設計図や工具類、その周辺に散らかっている馬車の車輪等のパーツが見え、それらが木くずと油の匂いの正体であるらしい。
「ふぅん、あの車輪の軸ってこんな風につながってんの」
「見てみるか?ほら、この台に仰向けになりなよ。車輪がついてるから下に入れる」
「いいの!?うへへ、では失礼して……」
その奥にロシュートは壁側にある大きな扉から運び込まれたらしい荷車のそばでミモザと話しながら不気味な笑みを浮かべている妹を発見した。
荷車の構造に夢中になっているユイナより先に彼と入ってきたカエデに気づいたミモザが顔を上げる。奥の方で椅子に腰かけてじっとしていたサーシャもロシュートを見て顔を明るくした。
「あ、カエデ。それにロシュートも。試験は終わったの?」
「終わった。ロシュート・キニアスは合格。午後からは森の調査に同行してもらう」
「ロシュートお兄ちゃん!」
ダダダッと駆けてきたサーシャをロシュートは片手で受け止めた。片手なのは右手がまだカエデに掴まれていたからだが、それに気づいた幼馴染がぶつかったどさくさでさらっとその拘束をほどいてしまったことに彼は気づいていない。
「おめでとうございます!私はロシュートお兄ちゃんなら絶対合格するって信じてました!」
「厚い信頼をどうもありがとうサーシャ、ギリギリだったけど何とかなったよ。最後の試験は危うく死ぬとこだったけど」
「えっ!?」
「ロシュート・キニアス。あれは殺すつもりではなかったと言ったはず。試験の目的と森の調査について説明するからその机の好きな席に座って。ミモザ、机の上を片付けてくれる?」
「少し待ってくれ、すぐどかすよ」
カエデに指示されたミモザが机の上からモノを片付けている間、ロシュートはホコリまみれになるのもいとわず荷車の下に潜って何かをしている妹の飛び出た足を見ていた。
彼が試験に合格しなければ王都の依頼もダメになる可能性があったというのにユイナは荷車の仕組みに夢中になっている。この手の道具やその機構に妹は興味を示しそうだと前々から思っていたが、彼女の眼前ののめり込み具合を見たロシュートは冒険者を止めた後の妹は荷車の修理技師にでもなるのだろうかと夢想していた。
一方のサーシャは持てる限り最大の敵意をもってロシュートの隣に立つカエデを睨みつけていた。と言っても鬼の形相というわけではなく、怒り慣れていない彼女が一生懸命放つ抗議の感情とでもした方が正しい。
程なく机の片づけが終わり、ミモザが荷車の方へ戻るとロシュートはカエデの向かいに着席した。その隣にはサーシャが椅子を寄せて座る。その着席を確認したカエデはスムーズに口を開いた。
「ではまず、試験の個別の目的から説明する」
「ああ、頼みます」
「しっかり説明してもらいますからね!」
「サーシャ、なんか乗り気ってか怒ってないか……?」
「怒ってません!」
ここでカエデはサーシャの眉を吊り上げた表情から敵意を向けられていることに気がつき、その原因にも思い当った。やはり先にここへ移動するように言っておいてよかったな、と再確認したカエデは無表情でロシュートの方を見る。
「今回の試験全体の目的はここ、テンペスタ大森林を無事に探索できるかどうかを見るものだというのは言ったね。1つ目の試験と2つ目の試験はロシュート・キニアス、君の運動能力、判断力、忍耐力を総合的に試すものだった。合格したということはもちろん、君の能力は十分であったということ」
カエデが言ったことはロシュートにも想像がついていた。木の枝のような狭い足場を渡ったり、大きな岩や木を登ることが森の探索に必要になることは容易にわかる。だが、彼がなおさら気になったのは3つ目の試験のことである。
「え、じゃあ3つ目は何だったんですか?飛んでくる矢を避けるなんてそれこそ反射神経を試すようなものだと思うんですけど」
「飛んでくる矢を避ける!?」
「そうだぞ、最後の1本なんか俺の胸に向かって飛んできたんだから」
「や、矢が胸に!」
「大丈夫か?サーシャ、なんか苦しそうだけど」
「大丈夫ですっ……!判断するのは、話を聞いた後……!」
想定していた危険を遥かに上回る状況に自身が抱ける感情の許容値を超えてしまい、サーシャは頭がくらくらした。それでもなんとか話を聞かなければと喝を入れた彼女は、遠のく意識を身体に繋ぎ止める。
その様子を見たカエデは申し訳なさそうに薄い緋色の眉を寄せ、すまなかった、と謝罪した。
「3つ目の試験は本当は私が軽く投げる石を避けてもらうというものだった。だが君はその前の2つの試験で十分実力を示し、別に気になることがあってあのようにした。もちろん矢は私が放つときに風の魔法で軌道をコントロールして最初から君を傷つけないようにしていた。試験に影響しないよう黙っていたが、これは最初に君と君の仲間たちに説明するべきだった」
「風の魔法ってあの矢に集まってた空気の流れみたいなやつですよね」
カエデの弁明を聞き、ロシュートは矢を射られた時のことを思い出した。確かに彼女が矢を放つ直前、何か風のようなものが矢に絡みついているのを見た気がするのだ。逆に言うと、それが見えていなかったら避けられていなかっただろうな、とも彼は思った。
ちなみにサーシャはその横で傷つけるつもりがなかったのなら無罪か、いやしかし……と腕を組み唸っている。
「なんだ、脅かさないでくださいよ。こっちは本気で死ぬって思いましたもん。それより別のことを確認したかったって、一体なんなんです?」
思わぬ種明かしにようやく安心したロシュートが軽くそう尋ねると、カエデは声に感情が乗りにくい彼女にしては珍しく疑問の色を多分に含んだ声色で返答する。
「ロシュート・キニアス、いま君がなんとなく口にしたそれが理由。やはり君は何かしら『加護』を受けているはず」
「……カゴ?」
突如として身に覚えのないことを言われたロシュートはマヌケに首を傾げた。カエデはそんな彼に首から下げたネックレスを掲げて見せた。小さな木のリングが紐に通されて揺れている。
「私たちエルフ族はほとんどの者が生まれついてこの森の神から『嵐の加護』を受けていると信じられている。その加護は風と密接に関わっていて、我々の魔法の適性はだいたい【風属性】。これは昔からそう、例えばみなが伝統的に身に着けているこのリングは風属性魔法を手助けする効果がある」
そう言ったカエデが目を閉じるとリングがほのかに光り、閉じた室内にそよ風が吹いた。
「おぉ……」
「このように、詠唱をある程度省略することができるようになる。あとは、これ」
「えっ、ちょ、ちょっと!?」
風属性魔法の実演を見て感心しているロシュートの前でカエデは席を立ったかと思うと、突然胸周りにきつく巻いてある布をほどき出した。
彼が止める間もなくあっという間に布は取り去られ、日に焼けた部分と見事な境界線を引く白色の肌と、その下に隠されていたものがでん、と一応隠している彼女の腕の上下左右からはみ出た。
「急に脱ぐなんていったい何を!?」
「見苦しいものを見せてすまない。だけど見てほしいのは背中」
サーシャは今まで見たエルフのスレンダーで慎ましやかな印象を粉々に破壊するソレを見て「うそ、負けた……」と打ちひしがれ、ユイナが見ていれば「着痩せってレベルじゃねーぞ!」と叫ぶこと請け合いな裸体。ユイナと共に荷車に夢中になっているミモザが居れば止めただろうが、それを見せることに何の羞恥もないといった様子のカエデは動揺するロシュートに見当違いな謝罪をすると、くるりと背中を向けた。
突然の事態に目がくぎ付けになったり泳いだりしていたロシュートはその滑らかな背中の隠されていた部分、肩甲骨のあたりに大きな模様が描かれていることに気づいた。
刺青。
昆虫と同じ透明の翅、ここでは伝承にある森の妖精のそれだろうか。肩甲骨に沿って八の字に描かれた楕円形に近い輪郭の内部には細かい模様が刻まれている。
ロシュートが見とれていると、カエデが発動した魔法で再びそよ風が吹き、翅の刺青も木のリングのように薄く発光した。
「この刺青は一種の魔法陣になっている。エルフ族は伝統的に、生まれた子供が10歳になったときにこの伝統的な模様を彫る。うまく『嵐の加護』を受けられるように。それとエルフ族は目が良く、弓もうまいがそれらも『嵐の加護』のおかげだと信じられている」
シュルシュルと手際よく布の中に胸を格納しながら巻きなおしたカエデが再び席に着く。先ほどの大きな2つは一体どこに消えたのかとロシュートは猛烈に気になったが、大事な話に茶々を入れるまいとこらえて問いかける。
「それじゃあ、カエデさんは俺にもそんな加護があると?でも俺が育った村じゃ別にそんな伝統的な儀礼なんて……」
「そうかもしれない。だけどロシュート・キニアス、私の矢に集う風を見たと言ったが、先ほど2回魔法を発動させたときはそれが見えた?」
彼の疑念に覆いかぶさるようにして核心を突いた問いかけにロシュートはハッとし、どうやら理解してもらえたようだ、とカエデは続けた。
「私は正直信仰や儀式によって得られる神の加護には懐疑的。だが私の経験上、魔法のような『加護』を受けているとしか思えない人は存在する。例えば全属性に適性を持つ者がいる。あれは血筋に影響を受けるとされているただの適性などでは到底説明がつかない」
「それって……!」
「おやぁ?もしかして魔法の話をしていらっしゃりますね皆さん!」
カエデの言葉にあるいけ好かない顔をした男のことを思い出したロシュートが聞き返そうとするとした瞬間、机の真横からユイナが文字通り頭を突っ込んできた。どうやら荷車の仕組みについては十分見学が終わったようで、彼が見る限りその埃と油まみれになっている妹の顔は満足げだ。
「ユイナ・K・キニアスか。いまは『加護』についての話をしていた」
「あーミモザくんから聞いたよ。なんかエルフのみんなに共通する魔法的・そして身体的な特性のことだよね?」
目を輝かせて確認する妹を見てとりあえずウマコトの話を聞かれていなかったようであるとホッとした彼が荷車のそばに目をやると、上半身を裸に剥かれ床にへたり込んでいるミモザが居た。
あちらはあちらで『加護』の話をしたようだが、とりあえず妹はあとで叱っておかなくてはと兄は思う。
そんな兄の傍らでユイナは饒舌に喋り出す。
「『加護』と同じものかはわからないけど、最近人が無意識的に発動している魔法についての研究報告が多くなされているのは知ってる。それらによると、魔物が体内器官を魔法陣として魔法を発動するように、人間の体内器官も何かしらの魔法陣として機能しているんじゃないかという仮説が有力視されているらしいね。確か『生命活動としてのマナ循環に取り込まれた個人的特徴として発露する魔法技能』……単に『スキル』と呼ぶことも多いみたい。フフフ、すごいよね。確かに無いなぁ~って思ってたんだよパッシブスキル!まさかこんな形で学術的研究から発見されるものだなんてもうユイナさんワクワクが止まりません!」
「相変わらず何言ってるか分かんねえな……」
「つまり『加護』とは人が活きる間に半ば自動で発動している魔法『スキル』であるという仮説か」
「おっ!もしかしてカエデさんわかるクチ!?」
いつも通りの出力をぶっ放してきた妹にロシュートが頭を抱えている隣で高い理解力を発揮し要約したカエデの手を取り、ユイナはブンブンと振った。
「君の説明をただ言われたように理解しただけ」
「あのですねえカエデの姉貴、実は私のアニキみたいな人はこういうのちーっとも理解できないんです!ひどくないですか?こんなにかみ砕いて説明してるのに」
「それについては後で時間があるときにゆっくり話そう。今は話を進めさせて」
カエデは兄よりも上手にユイナをあしらうと、改めてロシュートを見て言った。
「ロシュート・キニアス。君の妹の言葉を借りるなら、君には何かのきっかけで集中力が高まると魔法の発動に際して起こる魔力の流れのようなものを察知できる『スキル』があるのではないか。それを確かめるための3つ目の試験だった。君は1つ目、2つ目の試験両方とも1回でパスした。『嵐の加護』を受けているエルフたちが何回も失敗するようなものを。気づかなかったかもしれないが、あの試験中の君の動きは並の若いエルフたちのそれを遥かに凌駕している。訓練した今の彼らならともかく、何の訓練もしていないのにあれだけできるのは珍しい」
「そ、それは一応俺だって日ごろの依頼で鍛えられたというか……盗賊っぽいことばかりだったけど」
「私はロシュートお兄ちゃんの特技は決して盗賊みたいなんかじゃないって思ってます!狭いところを歩いたり鍵を開けたり、器用で頼りになりますし!」
自虐する彼をサーシャがフォローするも、ロシュートはむしろその部分が盗賊然としているなと考えていたのでやりとりが微妙にズレている。それをみていたカエデはフッ、と笑ってロシュートに右手を差し出した。
「ロシュート・キニアス、改めてだまし討ちのような真似をしたことを謝罪する。だが君にはテンペスタ大森林を調査する能力と、危機的状況をひっくり返せるだけの技能もあると確認した。是非森の異変の原因を突き止めてほしい」
氷のように冷たい反応ばかりのカエデが表明した信頼を、ロシュートもまた笑って受け止めた。彼女の緋濁の目を見て、しっかりと手を握り返す。
「ああ、こちらこそ頼りにさせてもらいます!」
「ねえ少し前から気になってたんだけどこれは私の指名依頼だよ!なんでさも自分が受けた風に振舞ってるのさアニキは!」
「ユイナ・K・キニアス。君の指名依頼なのは承知だが、試験に不合格だった君を森に連れて行くわけにはいかない。私たちが狩った獲物や持ち帰った情報から調査を進めてほしい」
「ぐぅ」
元Aランク冒険者の矜持でカエデに挑んだものの見事に返り討ちに遭ったユイナは大人しく引き下がった。それと入れ替わるようにしてずい、とサーシャが前に歩み出る。眉はまだやや吊り上がっており、口元にも不満が現れている彼女はカエデをじろりと見つつ右手を差し出した。
「カエデさん!ロシュートお兄ちゃんも気にしていないようなので、今回は許します。でも次からはわざとお兄ちゃんを危険な目に遭わせるのはやめてください!お兄ちゃんはちょっと目を離すと死ぬかもしれない大怪我もいとわない暴走をするんです。森の調査中は色々あると思いますけど、無茶はさせないと約束してください!」
「おい人聞きの悪いことを言うなよサーシャ」
「事実ですっ」
サーシャの小柄で優しそうな見た目からは想像できないほど力強く差し出された手を見て一瞬戸惑うように硬直したカエデだったが、すぐにその手を握り返す。
「約束しよう。この村の狩人として、調査中にロシュート・キニアスが無茶をしないように監督する。元々、それが私への命令でもあるから」
「頼みましたよ!もう」
未だぷんすかぷん、といった感じではあるもののサーシャはひとまずそれで納得するとロシュートに向き直った。その目はじとっと湿っている。
「ロシュートお兄ちゃん、手、それと脚を見せてください。試験で怪我しているかもしれません」
「あっても擦り傷だ。問題ないよ」
「むむむむむ」
「あっちょっと!分かった!見せるからベルトに手をかけるな!短剣とか危ないから!」
実力行使で傷の確認をしようとするサーシャを落ち着かせるべくロシュートは手袋を外し、椅子に座って衣服の裾をまくり上げて腕と脚を見せた。彼自身あまり気づいていなかったが、確かに手のひらやすねに擦り傷と軽い切り傷ができている。
「やっぱり。こういうのを放っておくクセが大怪我につながるんですよ。私が生命力の魔法で治してあげますから」
「いやそんな大げさな」
「問答無用です!さあ見せてください」
「ひぃ!なんだかいつもより積極的!?」
装丁の立派な生命力の魔導書を取り出しつつじりじりと迫る妹的世話焼き幼馴染にロシュートがたじろいでいると、彼らの背後からこれこれ、と第三者の声がした。
「あれもこれもとマナを消費しては長生きできんぞ、旅の娘。物事には適性適量というものがあるからの」
ロシュートとサーシャが修理工房の隣、薬品の工房の方を見ると部屋の奥、2階へ続く階段のそばに老婆がひとり立っていた。
かなり淡くなっている金髪にしわの多い顔。一見してただの年老いたエルフ。だが全く輝きが失われていないまま彼らを見つめる翡翠色の目は大木を見ているような迫力がある。また元は高いであろう背を小さくする腰の曲がり、それをいたわるように後ろに組まれた手すらも悠久の時を生きた強靭さを感じさせる。
決して大きくない声ながら力強く空間に通ったその声に、服を着て荷車いじりに戻っていたミモザが顔を上げた。
「ピンネばあちゃん!今日の日向ぼっこはもういいのかよ?」
「はンっ!客が来ているというのにのんびりうたた寝などできるものか」
ピンネと呼ばれたエルフの老婆はカッカッカと笑うと、硬直しているサーシャとロシュートを見て手招きをした。
「こっちへ来な。あたしがもっといい方法を教えてやる」
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