【第21話】弓に睨まれた兄
「お待たせしました、カエデさん」
2つ目の試験終了から数10分後。
登り切った壁からようやく降りて呼吸を整えたロシュートは住宅近くの井戸のそばに立っているカエデに近づき声をかけた。呆けたように空中を眺めていたカエデは彼の声に反応して目線を合わせると、表情筋を全く動かさずにでは、と切り出す。
「3つ目の試験を行う。前の2つとはすこし趣向が異なるけど、平常心で臨んでほしい」
ロシュートが無言で頷くと、カエデは彼に訓練器具が多数設置されたスペース横にあるちょっとした広場までついてくるように言った。歩きつつ、妹や幼馴染はどこに行ったのだろうと目で探すもロシュートには2人を発見できない。
「カエデさん、ユイナとサーシャはどこに?」
「最後の試験はすぐ終わるから先に工房を見ているといい、と私が勧めたからおそらくそこ。工房は広場の向こうに見えるあの建物、君の知る者だとミモザはよく出入りしている」
カエデが指差す先には主に木製の家屋が並ぶウィンディアン村の中でも少し異質な石材でできた2階建ての建物があった。
周辺には修理中なのか荷車が置かれ、煙突からは煙が昇っている。サーシャがどうかはわからないが、妹はああいうの好きだよなぁとロシュートは工房内で見たことのない装置やらなにやらに目を輝かせているユイナを想像した。
「迷惑をかけてないといいけどな……」
「何か言った?」
「いえ!独り言で……ところで最後の試験って何をするんですか?さっきのよりも早く終わるって、俺はてっきりより強烈な試験になるんだと思っていましたが」
「これから説明する。だけど厳しさで言えば一番厳しくなる」
無感情な声で言われ、ロシュートはゴクリと生唾を呑みこんだ。
自分がこの試験を突破しなければまともに森の調査をすることはできない。そうなれば、王都からの指名依頼の達成は本当に困難になってしまう。
責任の重圧を感じる彼だったが、ブラッドワイバーンにだって立ち向かえたんだ、と自身を鼓舞し歩を進める。
「君たち、少しここを貸してくれないか」
「ああカエデさん!3つ目の試験ですよね、どうぞどうぞ!」
カエデの頼みをすぐさま理解し広場にいた何人かのエルフの若者は場所を明け渡した。彼らの去り際、小さな声で話している内容がロシュートの耳にも入ってくる。
「3つ目の試験、懐かしいなぁ。断トツで難しかったわ」
「失敗すると痛いしな。年の数だけ投げられる石を避けるって、本当にキッツイ試験だよ」
エルフは人の倍以上の長寿と聞く。年の数だけと100個近くの石を投げられるエルフの若者を想像し、ロシュートはやや気が滅入った。
だが同時に、人間の自分であれば投げられる数は18個で済む。反射神経を見る試験なのだろうが、エルフの若者が経験するそれよりはラクなはずだと彼が自分に言い聞かせていたところでカエデの足が止まった。
「ここだ。ロシュート・キニアス、少し見ていて」
「ここって、弓の訓練場?」
筋力や剣術を鍛えるスペースから離れた広場の隅には射撃訓練用とみられる円形で縞模様の的が設置されていた。
矢はすべて抜かれているようだが、ロシュートが居る地点から30歩ほど離れた場所からでもわかるほど多数の矢傷が刻まれているのが見て取れた。
カエデはその的の直線状に立つと、背負っていた弓を構え矢筒から矢を3本取り出した。
指で2本の矢を持ち、1本をつがえると弦を引き絞り、弓を大きくしならせて放つ。1射目が的を射抜く頃にはすでに2本目が放たれており、さらに続けざまに3本目の矢が放たれる。すべての矢が的を射抜き、その中央付近に集中して突き刺さっている。
その正確な早業に周囲で見ていたエルフの若者たちに同調するようにロシュートも感嘆の声をあげた。
「ロシュート・キニアス、しっかり見たか」
弓を下ろし、カエデは振り向きつつ言った。
先ほどの矢がもう1本こちらに放たれたかと錯覚するような鋭い濁緋の目線に思わずロシュートはたじろぎそうになるが、どうにか平静を保ち頷く。もしやこれの真似をするのが最終試練の内容なのだろうか、と聞いた話と様子が違うような気がしてきた彼はその動揺を悟られないように無言でカエデの言葉を待った。
「よし。ではあの的のそばに行って」
そして程なく下されたカエデからの指示に、ロシュートは嫌な予感がした。
まさか、いやそんなはずはない、自分の不安をどうにか押しつぶそうとし、彼は素直に指差された的の方へと歩く。
当然、周囲のエルフの若者たちもざわめきだす。え、ホント?マジでそんなことするの?我がごとでないことにホッとしたような、前代未聞の事態に興奮しているような声が聞こえるが、ロシュートは聞こえないふりをする。
そしてとうとう的のそばまで来たロシュートはカエデの方を振り返った。一瞬視界に映った的を射た矢が手のひらほどの範囲を射抜いていることにもできれば気づきたくなかった。
一方、ロシュートの準備が整ったと判断したカエデは、どこにも石など持っていない手で矢を3本取り出し、1本をつがえた。先ほど彼に見ろ、と言った姿勢と全く同じ動作。それが当然とばかりに声の表情は変えないまま、彼女は声量を上げて試験の内容を告げる。
「最後の試験の内容を説明する。私が今か君を狙って3回連続で矢を射るから、避けて。射るタイミングはさっきと一緒。1射目までは動いてはいけないけど、矢が放たれた瞬間からは何をしてもらっても大丈夫。矢を受けて血が出たら不合格。準備ができたら手を挙げて」
絶対無理だろそんなの!と叫びたくなるのをロシュートはこらえたが、周囲からは悲鳴に似た全く同じ声があがった。
彼に投石がどの程度の難易度だったのかを知る術はないが、少なくとも矢を避けるなどという無茶苦茶よりかは簡単だったのではないかと思う。
一方で彼にはここで試験を止めてほしいと言えばカエデは躊躇なく中止してくれるだろうという確信に近い直感もあった。
彼女はそういう人だ。同時に、彼や彼の仲間が森を探索できなくなることも確実である。
「これは試験、俺を殺すようなことはしないはず。だけど血が出たら不合格と言っていた。そうやってナメた態度でいれば痛い目を見る上に不合格になるだろうなぁ……クソッ、当てるならせめてかするくらいにしてくれよ……!」
心の中ではなく、口に出して言うことでロシュートは覚悟を決めた。
「カエデさんほどの精密射撃の腕ならきちんと狙った場所に撃ってくる。ならば動作をしっかり見ていれば身を躱して避けられる、というかそういう風にしているはず!」
半ば神に祈るように、ロシュートは右手を挙げた。
「準備、できましたッ!」
周囲からどよめきが聞こえる中、彼が腰を落としたのを見たカエデは頷くとそのままつがえた矢を引き絞り始めた。最終試験が始まったのだ。ロシュートはさっき見た彼女の射撃を思い出しつつ、その手元をにらみつけた。
だが。
(ヤバい、ここからじゃ動作なんか見えねえぞ……!)
カエデが弓を構えている場所から30歩は離れているので、当然手元の様子などロシュートからは見えないのだ。
弓のしなり具合を見るにしても、横から見るならともかく彼のように真正面から向き合っている場合は視野への東映面積が狭すぎて当てにならない。
こうなればもう頼れるのは最初に彼が見た射撃と同じタイミングであるという矢が放たれるまでの時間と、そして。
(カンで避けるしかない!)
ロシュートには時の流れがずいぶん遅く感じられた。
世界全てが苗木が大木になるかのような速度で動く中、彼の心臓だけが早鐘を打つ。頬を伝う汗がそよ風に撫でられ、その冷たさがカエデの詳細な様子ではなく輪郭を捉えるようにロシュートの脳を切り替えたような感覚がした次の瞬間だった。
カエデの周囲で一気に風が動いた。いや、正確には風ではないかもしれないソレは彼女の足元から吹きあがり、つがえられた矢に向かって渦巻いて絡みついていく。
そしてその全てが絡み切ったのを見たとき、ロシュートの身体は危険を避ける本能に従い身体を屈めつつ重心を左に傾けた。スドンッ!と彼の背後にある的に矢が刺さる音が聞こえる。
そのタイミングですでに第2の矢が発射されることを知っているロシュートは左に傾けた重心をさらに左へ放り投げ、横方向に飛び込み転がった。2番目の矢は風切り音を伴ってさっきまで彼が居た空間を貫く。
転がった勢いのまま身を起こし、顔を上げた彼の目が捉えたのはカエデの手元に絡みついた何かが霧散する瞬間だった。
そう、もう矢は放たれている。
ロシュートが重心を投げるのを予測したカエデが放った偏差射撃、予定通りの位置に転がり込んでしまった彼の身体へ鋭き一閃が飛翔する。身体の勢いを減速したばかりのロシュートに第3の矢を避けることはできない。これは物理法則上の摂理であり、矢がその身を貫くのは必然だ。
(俺は……!)
射られる。彼自身も本能的に理解した痛みを伴う必然の到達を、しかし真っ向からねじ伏せる手段へロシュートは手をかけ、力の限りに振るった。
(こんなところで負けられないっ!)
キィン!と金属がぶつかり合うような快音が広場を駆け抜けた。
ロシュートが左の腰に差していた短剣を抜刀、自らを貫くはずだった矢を弾き飛ばした音だ。
彼の視線が目を大きく見開いたカエデの表情を捉える中、宙を舞った矢がクルクルと回転し、彼の真横の地面に突き刺さる。
ワアアアアアアアアアアアアア!と。
ほぼ同時に周囲からあふれた歓声の嵐にようやくロシュートを内包していた時間が本来の速度を取り戻した。地面にへたり込んだ彼は世界の情報量が一気に元通りになっていく中で、湧きあがった感情を口から出るのに従って叫んだ。
「俺を殺す気かああああああああっ!?」
自分のところへ大股で歩いてくるカエデに向かって咆哮し、立ち上がって思いの丈をぶつけようと思ったロシュートだったが腰が抜けて立てない。命の危機を乗り切った安堵と情けなさで思わず笑いが出てきてしまった彼の前まで来たカエデは、何よりも先にまず頭を下げた。
「怖がらせてしまってすまない。あと殺すつもりはなかった」
「ぜ、絶対ウソだ!最後のひとつなんか完全に俺のボディを貫くコースだったでしょ!?」
「それはない。あのままの軌道であれば君の胸当てが矢を弾くようにしていた」
「ああ、そういう……ってイヤイヤそれでも流石に死を悟りますって!だってソレ正確には心臓を貫くコースだし!?第一なんでそこまで正確に射る必要があったんですかウワサじゃ昔は石だったって聞いたんですけど!」
「すべて説明する。だがとりあえず工房へ移動する。ここにいては若者連中にもみくちゃにされるだろうから。立てる?」
差し伸べられたカエデの手を取ったとき、彼は大木のような力強さがありながら、同時に枯れ木のような弱さを持っているようなその不思議な感触に気づいた。
思わず彼女の無表情の中にその理由を探そうとしてしまうが、白く濁った緋色の瞳が見つめ返すのみで読み取れるものは何もなかった。
「すぐ移動しよう。君の妹とも話しておきたいことがある」
「あ、あのっ!?」
グイ、と手を引くカエデにロシュートが抵抗すると彼女は怪訝そうに振り返った。それを見て悪いなと思いつつ、これだけされたのだから当然聞く権利くらいあろうと開き直った彼は質問した。
「一応、合格ってことでいいんですよね?」
ロシュートの率直な確認にカエデはあっけにとられたが、やがて少しだけ口角を上げて微笑むように宣言した。
「もちろんだ、ロシュート・キニアス。君には森を調査できるだけの能力が十分にある、私が保証する」
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