【第19話】緋銀のエルフ
「ん……」
ゴトゴトと揺れる荷車の音でロシュートは目を覚ました。
荷車後方から外を見ればすっかり暗くなっており、日が暮れているだけでなくいつの間にか街道を外れてテンペスタ大森林の中に入ったのだと推測できた。荷車の後ろに伸びる道は舗装されておらず、少し湿った土の上に荷車が通った轍が刻み込まれていく。
荷車に持たれて寝ていたロシュートは身を起こそうとして、両脇から何かに掴まれていることに気づいた。見れば両隣をスヤスヤと眠る妹と幼馴染に固められている。
いつの間にこうなっていたのかは全く自覚がなかったが、彼は二人を起こさぬよう自分のいたポジションに適当な荷物を押し込むと荷車前方、御者のアケイシャの方へ移動した。オオトカゲの速度は元に戻っており、ランプに照らされた薄暗い道をのっしのっしと前進している。
「あら、起きたんですねぇロシュートくん。おはようございますぅ」
「おはようございますアケイシャさん。2人はいつから寝ているんですか?」
「ユイナちゃんとサーシャちゃんは森に入ったところでオオトカゲさんを元に戻したから、それからはずっとかしらねぇ。2人ともマナを結構使ったみたいだから疲れたんだと思うわぁ」
「その件は無茶を言ってしまってすみませんでした」
「いえいえいいのよぉ。私も楽しかったしぃ」
ロシュートが申し訳なさそうにしてもアケイシャは変わらずおっとりしていた。彼がその表情を伺っても、街からずっと手綱を握っているはずの彼女には全く疲れがないように見える。
「アケイシャさんは休憩などなさらずに大丈夫ですか?妹はああ言っていますが、ここらで野営しても問題ないと思いますよ」
「お気遣いどうもぉ。でも大丈夫、私たちエルフは森の中にいるだけで元気になっちゃうのよぉ」
「そんなことがあるんですね……」
エルフ族は元来森の奥深くで自給自足をして暮らしている種族だ。ロシュートも消耗したエルフは森で英気を養い、時には土に半身を埋めて回復するという話を聞いたことがあった。
いわゆる普通の人間と似た姿をし、意思疎通もできるがエルフには特別な力があると考えられているのも実例を目にすると納得である。
「それにね、実はもう到着しちゃうのよぉ。明かりが見えるでしょう?」
促され、ロシュートがアケイシャの指さす方を見ると確かに暗闇の中でいくつかの明かりが揺れているのが見える。高く掲げられた明かりはランプではなく松明のようだが、せわしなく右往左往しており何やら慌ただしい。
「なんだか忙しそうですね。やっぱり急いできちゃったのはマズかったかな、予定より5日も早いわけだし」
「ん~別にいいと思うけどぉ。5日なら早くなっても遅くなってもそんなに違いはない気がするしぃ」
時間に対するスケール間の違いが手前方向にも適用されているのは意外だったがアケイシャは時間を勝手に遅らせることはないため、きっちりするところはきっちりしているが持ち前のおっとりで柔軟な判断もできるのだとロシュートはますます感心した。
半面、全てのエルフがこのレベルでおっとりだとすこしやりづらそうな気もするのだが。
程なくして村の様子がおぼろげに見えてきた。
小さな堀と木でできた壁に囲まれた土地は村というにはそこそこの広さがあり、ロシュート達が通行している道の先には門、その手前に小さいながら跳ね橋、そして脇に監視用のやぐらがあるところはリンドと共通するところがある。
そして村の方からも荷車の接近が見えたのか、松明を持った青年が近づいてきた。木の皮の繊維で編んだ素朴な服装に尖った大きな耳、暗闇では分かりづらいが金髪であるのを見てロシュートはエルフの村に来たことを強く実感した。
「止まれ!ここはウィンディアン村、今は部外者を受け入れている余裕はない。来た道を引き返せ」
「あれ、歓迎されてない……?」
少年の排他的な態度にロシュートが面食らっていると、落ち着き払ったアケイシャが口を開く。
「私よぉミモザ。リンドからお客様を連れてきているわ、王都の依頼を受けている冒険者さんよぉ」
「姉ちゃん!?もう帰ってきたのか」
アケイシャの声で警戒が解けたのか、ミモザと呼ばれたエルフの少年はトカゲ車の方に駆け寄ってきた。降りようとするアケイシャに押し出されるようにしてロシュートも荷車から降りると、ミモザは彼をジロジロと品定めするように見た。
「そっちが冒……」
「ミモザぁ~~~」
そしてミモザが何かを言いかけた瞬間、アケイシャは口を塞ぐようにミモザに抱き着いた。彼の持っていた松明が地面に落ちる。
「ただいまミモザ、いい子にしてたぁ?」
「も、もがっ!姉ちゃんやめてよ!客人の前、なんでしょっ!?」
その長身に押し潰されそうになったミモザがアケイシャを押しのけようともがく。
ロシュートが推測するに二人は姉弟のようだが、長身のアケイシャに対しミモザは少々小柄だ。彼の背丈はサーシャより少し大きい程度で、もはや姉と弟というより母と子の体格差である。姉のハグ地獄から抜け出すころにはミモザは顔を真っ赤にし息も絶え絶えになっていた。
「姉ちゃんも、少しは、時と、場合を、わきまえろっ!」
「だ、大丈夫か?少し落ち着いて呼吸を整えた方がいい」
「ハァハァ……ふぅー。ありがとう、落ち着いてきた」
とどめとばかりに大きく一呼吸すると、ミモザは落とした松明を拾い上げて改めてロシュートに向き直った。弟に拒絶されしょぼくれている姉と同じ翡翠色の目で客人の顔をじっと見て、少し笑った。
「ごめんよ帰れなんて言って、俺はミモザだ」
「気にしてないから大丈夫。俺はロシュート・キニアス、君のお姉さんのアケイシャさんのトカゲ車を護衛するのと、王都からの依頼でこの森の調査を命じられて来たんだ。あと2人そこの荷車の中で寝ている仲間がいて、この村に滞在することになると思う。大丈夫かな?」
「ああ、やっぱり王都からの連絡にあった冒険者たちでしょ。さっきのは今日の朝連絡が来たのにもう到着するなんて思っていなかったから驚いただけだ、歓迎するよ」
ロシュートはミモザに差し出された右手を握り返す。その感触は華奢だが皮が厚くなっている職人の手であり、彼はミモザが何か物を作っていたりするのだろうと直感した。握手を終えたミモザが松明でやぐらの方へ合図すると、向こうもまた松明を振り返す。
「よし、もう入ってもいいはず。姉ちゃん、オオトカゲが寝ちゃう前に荷車を中に入れて」
「しくしく……ミモザはお姉ちゃんのことキライなんだぁ……」
「別にそんなわけじゃ……ハァ。ロシュート、ちょっとこれ持っててくれない?」
「おう?」
さめざめと涙を流して動かない姉の後ろ姿を見てミモザはため息をつくと、ロシュートに松明を手渡すと両手を広げた。何をするんだろうと思ってロシュートが見ていると、ミモザはもう一度ため息をついて覚悟を決めたように言う。
「はい、どうぞ」
「ミモザぁ!」
ロシュートにはガバァ!と音が聞こえた気がした。ラプトルが獲物に襲い掛かるような勢いで弟に飛び掛かったアケイシャはその髪の毛に顔をうずめながら何やら聞き取れない言葉をわめきながら彼の全身を抱きしめたり撫でたりしてもみくちゃにしてしまう。
「ふぅ。じゃ、お姉ちゃん先に帰ってるからねぇ」
数分後、満足したアケイシャはトカゲ車に乗り込み、そのまま村の中へと消えていった。あとに残されたのは全身余すところなくひな鳥の居なくなった鳥の巣のような状態にされたミモザ。彼はロシュートを振り向いて言う。
「改めまして、ウィンディアン村にようこそロシュート。歓迎するよ。あんな変態は姉くらいしかいないから安心してね、たぶん泊まるのは俺らの家になるけどさ」
笑顔の裏のレイヤーいっぱいに広げられた疲労の色を見てしまったロシュートは苦笑することしかできなかった。
翌日、アケイシャとミモザの住む家に宿泊したロシュート達はパンに木の実のジャムを塗った簡単な朝食の後、家主の二人にウィンディアン村の一番大きいロッジに住んでいる村長の元へと案内された。
村の長とはやはり豪勢な家なのだろうかと考えていたロシュートだったが、露骨に高級な調度品などがあるわけでもなく、清潔に掃除された室内には木彫りの小さな像が飾ってある程度で質素ながらも気品を感じさせる内装だった。
「これはこれは、手紙にあった冒険者の皆さまですね。ようこそおいでくださいました」
ロシュート達が応接室に入ってくると、村長は不思議な模様の彫られた立派な椅子から立ちあがり深々とお辞儀をした。
村長というには見た目に若く、ロシュートの感覚では40歳前後の中年の男性に見える。だが椅子と同じような模様の刺繍が施された威厳のある服や頭の後ろに流してある上質な布のような金髪、静かな湖面を思わせる落ち着いた金色の目はその見た目以上に聡明な印象を感じさせた。
「初めまして。俺がこのパーティのリーダーを務めています、ロシュート・キニアスといいます。そっちの2人がパーティメンバーで」
「ユイナ、キニアス、でしゅ」
「サーシャ・リンドベルトです!」
サーシャが元気よく返事をするのと打って変わってユイナは死にかけたような声で挨拶した。ユイナはトカゲ車を走らせるためにマナを大量に使った疲れがまだ抜けておらず眠いのだ。
無礼極まりない妹の態度にロシュートは肝を冷やしたが、村長は特に怒るそぶりも見せずニコニコ笑っている。
「リンドベルトとは、あのリンドベルトですかな?」
「はい、おじい様が『リンドベルトの憩いの宿』を経営しております」
「私も街へ行く折には利用しております。そしてそちらの2人はご兄妹のようですが、お若いのに互いを助け合っているのでしょう。立派なことです」
「あ、はは。どうもありがとうございます」
立派、という言葉にロシュートは思わず隣で立ったまま船を漕いでいるユイナに目をやってしまった。よだれまで口の端に光らせて、今の彼女は立派の対極に位置していると言っても過言ではない。
そんなロシュートの心中までも見透かしたような落ち着きで、村長は丁寧に改めて頭を下げた。
「申し遅れましたが私はシーダ・ウィンディアン、この村の長を務めております。あなた方が活性化した魔物の調査でこの村に滞在することは聞いております。今回はそのことで話しておきたいことがございまして。ささ、座ってください」
「あにゃ?すみません、いまなんてっぐぅ!?」
シーダが座ると、未だ寝ぼけている妹の脇腹に肘鉄を入れて目を覚まさせ、ロシュートは促されたままにシーダの向かいの長椅子に座った。その両隣に涙目のユイナと真剣な表情のサーシャも腰かけるのを待ち、シーダは話し始める。
「実は先日のブラッドワイバーンの騒動の少し前から、この村の周辺でも魔物の気性が荒くなっておりましてね。外はかなりせわしなかったでしょう?アレは村を守る壁や堀を修理しているのですよ」
「壁の修理ってことは、魔物が村を襲っているんですか?」
ユイナの質問に、シーダは頷きつつも難しい表情をした。
「ええ。魔物とて本質は動物、壁を壊してまで村を襲うことはいままで滅多に……それこそ10年に1度、あるかないかという程度でしたので驚いています。ですが、問題はそれだけではないのです」
「魔物以外の問題、ですか」
サーシャが相槌を打つ。その表情は真剣そのもで、まだやや眠そうにしているユイナとは対照的だ。
「実は最近、森の中に怪しい人間がうろついているのです。赤色のローブに身を包み、何やら神を信仰しているようなそぶりなのですが村のものが度々強引に入信を迫られております。中には脅されたと言うものもおり、魔物の凶暴化は彼らの仕業で、もうじき彼らも襲撃に来るのではないかと皆おびえているのです」
「それで壁を。襲撃があれば俺らも手伝います」
「ありがたい申し出ですが、襲撃は我々だけで十分対応できます。ロシュートさんたちは、どうか気を付けて調査を進めてください。森を案内するものも紹介いたしますので……そろそろ来るはずですが」
ロシュートの申し出を丁重に断りつつ、シーダがそう言った丁度その時、応接室の扉が開いた。入ってきたのはエルフの女性、だが同じエルフでもアケイシャとは全く雰囲気が違う。
取り回しのよさそうな弓と矢筒を背負っていて、背丈はロシュートよりも少し小さい程度。肩の位置までに切り揃えられている少し赤みがかった銀髪に白く濁った緋色の瞳。鍛えられた手足はしなやかに長く、首から下げた紐に木のリングを通したネックレスが揺れる胸元には木の繊維でできた白い布をきっちりと巻き、逆に腰回りは腿の位置に切れ込みが入れてある動物のなめし皮でできた短い腰布が覆っており足回りの自由性を確保している。
他のエルフとは違う独特の恰好は彼女が狩人であろうと推測するのに十分だ。その表情は冷たく、細く長い右の耳には銀色の輪の耳飾りが3つついている。
「カエデ。シーダ村長の頼みで、君たちに森の案内をすることになっている者だ。よろしく頼む」
緋銀のエルフはどこか達観したような眼でロシュート達を見ながら、冬の風のように冷たい声でそう名乗った。
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