【第18話】エルフ村への道は(妹の)善意で加速されている
リンドを出発してから2時間後。
エルフの行商アケイシャが御するオオカゲに引かれ、ロシュート一行を載せた荷車はのしのしと街道を歩いていた。その速度は人が歩くのとどっちが速いか分からないくらいの低速で、早いところ依頼を遂行して帰りたいユイナは露骨に不機嫌だった。
「荷物はリンドに来た時の半分になっているのに移動速度はあんまり変わんないなんてどういうこと?これじゃ走って行った方がまだ早いくらいじゃん」
「うーん、私はこれだけ重い荷物と人を4人載せてこのペースで走行できるのは中々いいと思いますよ。それにのんびりとした旅もいいじゃないですか。街で依頼に追われる日々から解放された感じというか」
ニコニコ笑顔でフォローに回るサーシャの言葉もユイナには届かない。たくさんの荷物が入った自分のリュックを抱きかかえ、その上に顎を乗せながら頬を膨らませている。
「私は元々依頼なんかあんまりやってなかったから何にも恩恵を感じないんだよ~。やっぱりマジックジャーナルの続きを読んじゃおうかな」
「全然働かないことを開き直るんじゃねえよ。それと本を読むのはやめとけって、さっき気持ち悪くなってたばっかだろうが」
「くそう、なんでこのトカゲ車ってゆっくりなのに乗り心地が悪いんだ。他の4足歩行動物と違って爬虫類の手足が胴の横側から突き出しているからってひどすぎる。こんな時ゲームでもあればなぁ」
「ゲームって戦争盤のことか?流石にここで盤なんか広げたら駒がそこらに飛んでそれこそ無理だと思うぞ、やめとけよ」
「いやそういうやつじゃなくて……まあでもあってもどっちみち酔うかぁ」
ハァ~、とため息をつくユイナ。
あまりにも元気がない妹を見たロシュートは段々厳しい兄でいることにも限界を感じてきた。厳しいと言ってもただ妹の甘えをたしなめているにすぎず、実は世間一般からするとむしろ優しすぎの激甘兄とすら言えるロシュートだが、本人にその自覚はないためなんとかユイナを励まそうと知恵を絞る。
すると、見かねたサーシャが彼より先に口を開いた。
「ユイナさん、私の【生命力】の魔法で気持ち悪さを中和することってできないんでしょうか?もしできるのならご本を読むこともできると思うのですが……」
「乗り物酔いって外傷とか病原体じゃなくて三半規管の乱れからくる神経の問題だから【生命力】じゃどうにもなんないとユイナさんは思うのだよ。ん、待てよでも確かこないだ生命力分野で神経の信号伝達をどうにかしてるっぽい論文が発表されていたような!でもあの論文が載っている雑誌は持ってきたはずだけどそれを読むのすら乗り物酔いと戦わないといけないんだよね。エアーマンが倒せない的な」
「え、えっと……お役に立てずすみません?」
相変わらず魔法のこととなると饒舌なユイナに舌を巻くサーシャを見て、この話題であれば妹の気も晴れるのではないかとロシュートは直感した。ちょうど最近自分が使う分以上の魔法も勉強している彼にとっても聞きたい話があるのだった。
「なあユイナ。魔法の属性についてちょっと聞きたいんだがいいか」
「んあ?私に答えられる範囲ならどうぞ聞いてみて」
「このあいだ属性の分類が一新されただろ。たしか水属性から生命力が分離されたとか……ちょうどサーシャの適性が生命力だし、ちょうどいい機会だから聞きたいなと。お前たぶんそういうの詳しいだろ」
「うわぁ素人質問で恐縮ですがってやつじゃん。でも良いよ、ようやく勤勉になってきたアニキに特別講義をしてあげましょう。サーシャも聞いててね」
兄の読み通りノッて来たユイナは鞄をまさぐり『初学者向け魔法属性学』と書かれた本を取り出して広げた。ロシュートとサーシャはそれを覗き込むが、あまりにも小さくビッシリと書かれたインク文字の羅列に一瞬で目を回しそうになる。
そんな二人を放っておいて、ユイナは中心に載っている図を指さした。
「まあまず魔法っていうのがマナと呼ばれる生物の体内に見いだされるエネルギーを何らかの形に変換して放出しているものだってのは知っているよね?その変換先が個人によって異なって、どういう形になるのかを分類したものが属性ってことも」
「い、一応はな。基本的な分類は【炎属性】【風属性】【地属性】【水属性】だろ」
「そうそう、炎が出たり風が起こったり土とか水を動かせたりね。例外的に【雷属性】を使える人がごくたまにいるらしいけど、まだ十分に研究できるレベルのサンプルはなくてこの本にもちょっとしか記述がないから今回はいいや」
ユイナが基本属性の属性が描かれた図をそれぞれ指さしながら答える。そして水属性と書かれた丸の横にもうひとつ小さな丸ができているところへ指先を滑らせた。
「で、こないだできた新分類がこの【生命力】。いままで水属性で【回復魔法】と呼ばれていた魔法群がこれに当たる。生命力は主に生き物の自然治癒能力に影響する魔法で怪我の治療に使われてきたし、時には病気も治せる。『血液を操っている』ように見えるから水属性だったわけだけど、研究が進んで流石に違うだろってことで今回分離されたわけ」
「分離にそんな背景が……確か元々炎属性だった魔法もいくつか生命力に分類されたんですよね?」
「筋肉を強化するやつね。体組織に影響しているからアレも新分類じゃ生命力魔法だ。この分類の真に面白い部分は『魔法の適性はひとり1属性』の原則が崩れる例が出てきたことにある」
魔法の適性はひとり1属性の原則が崩れている例として真っ先にウマコトの顔が思い浮かんだロシュートだったが、水を差すまいと言葉にせず胸の内にとどめた。だんだん早口になってきたユイナは続ける。
「確かに元々水属性の適性なのに回復魔法を使えなかったりその逆だったりという例があったから不思議だったんだけど、裏を返せば元から水を操ることも回復魔法を使うこともできた人だってたくさんいるんだよ。炎属性の例もそう。だからこの分野はいま研究が盛んで次々論文が発表されているんだけど、国が秘匿しちゃうものもあるって言われている」
「秘匿?なんでそんなことをするんだよ」
「兵器に使う予定だったり、国内秩序の乱れへの懸念だったり、ウワサだけは色々あるね。ただ私が個人的に確信を持っているのは、この研究が進めば今までの魔法が根幹から大きく変わるってこと。特に最近提唱されている【無属性】の概念は属性の概念を消し飛ばすほどのインパクトがあって……まあここら辺はアニキたちに話せるだけの知識がまだないから、また今度ね」
ユイナが話し終えると、ロシュートとサーシャは自然と拍手を送っていた。
それを受け満足げなユイナを見て、日ごろ部屋の中で遊んでいるように見えるがやはり妹は出すところに出せば十分活躍できるだけの知見を持っているのではないかとロシュートは考える。兄ゆえにひいき目に見ている可能性もあるが、現在はほとんど貴族階級の職業である王都の魔法研究者にだってユイナはなれるのかもしれない。
ならば兄として妹がいつでもその選択肢を取れるように出来ることならいくらでも協力しようとひそかに決意を固めるロシュートを他所に、ユイナは荷車の外に身を乗り出していた。
「ねえアケイシャさん、さっきよりもオオトカゲさんの速度落ちてない?気のせい?」
「そうねぇ。ちょっと涼しくなってきちゃったし、お天気も悪いしぃ……あ、ほら噂をすればぁ」
ユイナに急かされてもゆったりと受け答えするアケイシャが言い終わらないくらいのところでポツポツと雨が降り始めた。雨脚はそこまで強くないがオオトカゲはあっという間に濡れてしまい、その鱗を光らせている。
「オオトカゲさん、濡れると元気なくなっちゃうのよぉ。いったん街道脇で雨がやんでオオトカゲさんの元気が戻るのを待つしかないと思うわぁ」
「ぐぐぐ、こっちは一刻も早く村に着きたいっていうのに……どうして異世界でも変温動物なんだ爬虫類っ!」
到着がさらに遅れる予感に歯噛みするユイナ。こりゃまた荒れそうだなぁとロシュートが雨模様と連動するであろう妹の機嫌を予報したとき、そのユイナがポン!と手を叩いた。
「いいこと思いついた!」
「ユイナ、一応試す前に俺に教えろ。ヤバそうなら止めるから」
「ぜ、全然信用されてないね私」
素早くけん制した兄に苦笑いを返す妹。ロシュートは妹の実力は信用しているのだが、彼女には『リンドベルトの憩いの宿』を半壊した前科がある。その弁償もまだ終わっていないというのにエルフの荷車を吹っ飛ばしたともなればひとたまりもないのだ。
「ご存じの通り私には炎属性の適性があって、私の魔力が続く限りは火の玉を出すことができるじゃん?それでオオトカゲを温めれば雨の中でもちゃんと進んでくれるかなと思って」
「一瞬いい考えかなと思ったけど、マズいんじゃないか?加減を間違えたらオオトカゲに火傷させちゃうと思うが」
「それに関しては今回は大丈夫!雨が降っているから逆に温度が上がりすぎないようになっているはず!」
「はずってお前。だいたい、オオトカゲも荷車もアケイシャさんのものなんだぞ」
「それは違うわぁ。村のみんなのものよぉ」
「……訂正、エルフ村の皆さんのものなんだぞ?アケイシャさんの許可がないことには」
「なんか面白そうだしやってみてもいいわよぉ」
「マジか」
「ッシャア!じゃ、ちょっと待っててね準備するから!」
提案がすんなりと通ったことにロシュートが驚いていると、ユイナはどこからか魔法陣が刺繍された布を取り出した。広げると1人が座れる大きさの絨毯のようである。それをアケイシャの隣に敷いて座るとユイナは杖を構えた。
「多分これでいけると思うんだけど……ふんっ」
そしてユイナが何か力のようなものを込めた瞬間、尻に敷かれた魔法陣が輝き杖の先から人の頭くらいの大きさの火の玉が出現した。
「わ、もしかしていま詠唱しないで魔法を使ったんですか!?」
ユイナが詠唱せずに魔法を発動するところを初めて見たサーシャが目を丸くしている。それを見て得意げな彼女はすらすらと説明する。
「実は適切な魔法陣の設定をすれば小規模な魔法は詠唱をせずに発動できるんだよ。しかもこの魔法陣は手に持つ必要がないから、杖の向きさえ正しければ座るだけで魔法を使える!」
「魔法陣を尻で踏みつけてるやつなんか初めて見たぞ」
「ふふ、一部界隈じゃあこれを利用してもういろんな発明ができているんだよアニキ。時代の最先端ってやつ」
「さすがユイナさん、すごいですねぇ」
おそらくあまり理解していないアケイシャが雑に持ち上げても心地よいらしいユイナは鼻高々である。
兄として呆れるばかりではあるものの、ユイナの当初の狙い通りオオトカゲはむしろ今までよりも速いスピードで歩き出した。それでもまだ『歩いて』いるのだが、雨の中ではまともに行動できないというはずのトカゲ車における革命なのではないかと思われる走行法だった。
そういうわけでロシュートはすでにかなり感心していたが、ユイナは満足していなかった。
「さすがにもう1人座る幅はないか……でもアレつかえばいける?試す価値はあるかも……」
ブツブツ呟いていたかと思うと、ユイナは杖を前方に向けつつサーシャの方を振り返る
「サーシャ、私の鞄から同じ感じの魔法陣をもう1枚取り出してくれない?」
「えっ?少し待ってください……これですか?」
「それそれ!んじゃちょっと腰浮かせておくから端っこを私のお尻の下に押し込んで!布の印を合わせる感じで!あとサーシャの杖も貸してね」
「えっと、何するつもりなんですか?」
困惑しながらも、サーシャはユイナの指示通りに魔法陣を敷いた。ちょうどユイナが尻に敷いている魔法陣のフチと新しく敷いた魔法陣のフチが重なる8の字のような形だ。
「よし、じゃあサーシャはそこの魔法陣に座ったら今度は鞄の中にある『魔法属性学会論文集』って書かれた本の最初の論文に載っている『サンプル4』の魔法陣の魔法を発動してよ。普通の杖で狙う感じで」
「ええっ!?」
「おいお前なにさせようとしてる?」
「大丈夫大丈夫。たぶん速くなるから」
ロシュートは怪しい挙動を見せる妹を制止しアケイシャの方を見るが、当の本人はうんうんと頷くばかりで止めようともしない。
あきらめて傍観することにしたロシュートの目の前でユイナはサーシャから受け取った大きめの杖を持ちづらそうにしつつも左手に構え、一方のサーシャは言われたとおりに本を開きユイナと背中合わせに座ると、心配そうに彼女の方を振り返った。
「できた?じゃあそのままその本持って『サンプル4』って詠唱したら発動すると思うからさ」
「あの、本当に大丈夫なんですか?」
「理論上は問題なし。ささ、やっちゃってよ」
「うう……」
ユイナからあふれる謎の自信に押されるようにして、サーシャはぎゅっと目をつぶって叫んだ。
「さ、『サンプル4』!」
瞬間『魔法属性学会論文集』とサーシャの尻の下にある魔法陣、そしてユイナの尻の下にある魔法陣がほぼ同時に光り、ユイナが左手に持ったサーシャの杖から何かの光線が発射されオオトカゲに直撃した。直後からオオトカゲの呼吸が荒くなったのを見てロシュートは妹の肩を掴む。
「おい何やったんだいま!なんかオオトカゲの様子がおかしくなってんぞ!?」
「いや、大丈夫のはず。そろそろ効果が出てくるから捕まった方がいいかも」
「ハア?おわっ!?」
「ロシュートお兄ちゃん!?」
妹の冷静な返答に困惑していたロシュートは次の瞬間荷台の方へ転がった。
荷車、というよりオオトカゲが突然走り出したのだ。
魔法を発動させたサーシャが転んだロシュートに飛びつくようにして抱き起す。彼に怪我がないことを確認すると、ユイナの方を振り向いて声を上げる。
「ユイナさん危ないじゃないですか!」
「ごめんごめん、でもこんなに効果が出たのはサーシャの気合が入ってたからかもよ」
「えっ!?私が、ロシュートお兄ちゃんを危険に……?」
「サーシャ、大丈夫だ。全部あいつが悪いから気にするな」
顔面蒼白になりかけていたサーシャをフォローしつつ、ロシュートはオオトカゲの方を見た。御者同様に非常にのんびりしていた生き物と同じ生物とは思えないほど手足が俊敏に動いている。
『サンプル4』の効果が一体何なのか、彼にも流石に察しがついてきた。
ちなみにだが、一連の騒動の間アケイシャは微動だにせずただひたすらおぉー、と言っているだけである。そんな彼女の横で満足げなユイナが口を開く。
「『サンプル4』は生命力魔法の分野で新たに検証されている血液循環と呼吸器を強化する魔法なんだよ。本来トカゲの心臓じゃ酸素交換がヘタだから長距離は走れないんだけど、ワニみたいな例外的に循環血液の分離が十分な心臓を持つ爬虫類もいるじゃん。まあこっちの世界じゃどうだか知らないんだけど、簡単に言うと『サンプル4』はあのオオトカゲの心臓を馬レベルに強化する魔法ってこと。それを生命力適性のあるサーシャに試作の連結魔法陣を通して私が借りた杖から発動してもらったってワケよ!すごいでしょ!」
「すごいですねぇ。オオトカゲさんも頑張っていますねぇ」
へっへーん、と胸を張るユイナの隣で突如加速したオオトカゲを御し切るというスゴ技をやってのけているアケイシャの方がすごいような気がしたロシュートとサーシャはハァ、とため息をついた。
「もう何でもいい、俺は疲れた……」
「私もです……」
「寝てていいよ!でもサーシャは定期的に声をかけるから、そのときはまた魔法使ってね!」
満足感でツヤツヤしている妹に促され、ロシュートはサーシャの隣で荷物にもたれかかるようにして目を閉じた。心労と日ごろの肉体的な疲れがたまっていた彼は乗り心地が悪化した荷車の上ながらすんなりと眠りにつく。
(なんか、こうして寝ているロシュートお兄ちゃんを見るの久しぶりかも……)
一方のサーシャはいろんな意味で寝れなくなってしまった。
様々な想いを載せて弱い雨脚の中爆走するトカゲ車がウィンディアン村に到着したのはその日の夜のことであり、予定日より実に5日も早くなっていた。
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