【第16話】窮鼠竜を噛む
「あらあら、ラプトルさんたちはこんなところまでついて来ちゃってたのねぇ」
ロシュートの叫びに荷車の後ろの方を振り向いたエルフの女性が頬に片手を当てつつ困ったような気の抜けたような感想を漏らすのを聞き、彼は逆に冷静になった。この人は早く退避させておかないとレイダーラプトルに食われる直前までこの調子でいる気がする、と。
「エルフさん、ここは俺たちが食い止めておくのであなたはあっちの衛兵たちのところまで逃げてください!」
「そういえば名前を言っていなかったわよねぇ?アケイシャって言いますぅ」
「分かったから早く逃げてアケイシャさんっ!」
全く危機感のないアケイシャの腕をぐっと掴んで後方へ投げるように送り出し、ロシュートは手帳サイズの小型魔導書を取り出す。載っている数は少ないが、彼の適正である地属性の魔法を詠唱するための魔法陣が載っている。
「ユイナ、いけるか!?」
荷車をつけていたレイダーラプトルはロシュートが見た範囲で5体いる。彼が妹を頼って声をかけると、ユイナは待ってましたとばかりにいかにも魔法使いっぽい紺色のローブの内側から厚めの紙束と木の枝ほどの長さしかない杖を取り出した。
「今回は準備できてるよ!ぐっへっへ、炎のイリュージョンを見せてやるぜ」
「いったい何の設定だ!?とにかく来るぞ、そっち側は任せた!」
「ガッテンだい!」
ロシュートは妹の返事を耳で確認しつつ荷車に向かって右側に走る。ラプトルの群れもまた荷車の両サイドに分かれて襲撃することに決めたようで、ロシュートの側には2匹が走ってくる。荷車に向かって左、ユイナの側には3匹だ。
「俺のとこの方が戦力は要らねえって判断か?失礼なトカゲどもだが、正直大正解だチクショウ!」
ロシュートの叫びを嘲笑するようにコッコッコ!と喉を鳴らした片方のラプトルが彼に飛び掛かる。
ラプトルのかぎ爪はブラッドワイバーンのそれよりは鈍いものの人間の肉を引き裂くなどワケない切れ味だ。だがロシュートはひるまず、冷静に右手で地属性強化ボールを割って中の土を握り固めた。
「『ソイルショット』!」
短く詠唱した瞬間、彼の魔力が左手に持った魔導書の魔法陣に流れ込み魔法が発動、右手に握っていた土塊は硬化しつつ勢いよく発射され飛び掛かってきたラプトルの細い首を穿つ。キャウン!と叫んだラプトルは空中でバランスを崩し、ロシュートがさっと身をひねるとそのまま彼をかすめて街道脇の地面に倒れこんだ。
その機を逃さずロシュートは地面に手を突き詠唱する。
「『ソイルウィップ』!」
魔法が発動し、ラプトルの喉元の土塊が周囲の土を巻き込んで成長、土の蛇となり倒れたラプトルを地面に縫い付けた。キェッ、と苦しそうな声を上げるラプトルにとどめを刺すべくロシュートは短剣を取り出し、その喉に突き刺した。ラプトルは痛みに暴れるが魔力で強化した土でできた鞭はほどけない。
ロシュートがさらなるとどめの一太刀を突き入れようとしたまさにその瞬間、彼は背後にダダダッと駆け寄る音を聞いた。素早く振り向くと、もう1匹のラプトルが彼の首筋へ噛みつかんと大きく口を開けている。
ラプトルの口内には細かいナイフのような歯が喉の奥に向かって大量に生えており、噛みつかれた獲物が振り払えないようになっている。
だがロシュートは動じない。短剣を持った手をそのまま地面に突き、ラプトルの大口から目を離さずに叫んだ。
「『ソイルタワー』っ!」
瞬間、彼の背後へと土が集まり、土の槍となって天高く一気に突きあがった。土の槍は肉を貫けないが、強烈なアッパーカットをラプトルの下顎に叩きこんだ。ロシュートはのけぞったラプトルに飛びつくように接近し、その身体の側面から逆手に持った短剣を思い切り突き刺した。肋骨の向きに平行に侵入した刃はラプトルの心臓を貫きその役割を終わらせる。
「よしっ!」
ドカッと倒れる2匹目のラプトルを確認したロシュートは喜びの声を上げるが、目の端に映った影に短剣を構えなおす。
彼が先ほど地面に拘束していたラプトルがヨロヨロと起き上がっていた。ロシュートが魔法を近い位置で連続使用したせいで魔力を帯びた土が『ソイルウィップ』に力を供給しきれなくなり千切れてしまったのだ。
首からドクドクと血を流しながらもその目は飢えた獣。衰えない本能のままにかぎ爪を振るい、目の前の胸を引き裂く。
だが爪はロシュートの胸当ての表面を撫でただけだった。
避けた皮の下に見えるのは赤黒いブラッドワイバーンの鱗。そのまま血を流したラプトルは息絶え、もう一体と同じように地面に倒れた。
「ブラッドワイバーンの出血毒、動けば動くほど傷が一気に広がるぜ。聞こえてないだろうけど」
ロシュートは自分の武器ながら短剣に仕込まれた毒の威力に少し怖くなった。
急所を突いて元から弱っていたとはいえ薄めていてこれなのだから、本家本元の毒の原液なんかまともに貰ったらまず助からないだろう。ロシュートは念のため倒れたラプトルを軽く足先で蹴ってみたが、もう痙攣するだけでまともな反応はない。
「ふ、ふぅ~。胸当てをブラッドワイバーンの鱗で強化してなきゃ大怪我だった、危ねえ」
努めて冷静に保ち続けていた緊張の糸が切れ、ロシュートは息を吐いた。戦闘が終了した今になって、彼の身体には一気に恐怖が戻ってきて冷や汗が噴き出す。
「アニキ、そっちも終わった?」
荷車の陰からユイナが顔を出す。ロシュートはどうにか終わったことを伝えようと右手を上げる。
だがその瞬間、彼の後ろを駆けていく影がある。
「なっ!?」
ロシュートが振り向けばもう1匹のラプトルが通り過ぎたところだった。
群れは6匹いて、1匹が伏兵として潜んでいたのだ。その目線の先にはサーシャと話しているアケイシャの姿がある。
きっとアケイシャが衛兵に話しても要領を得なかったのだろう、衛兵たちはまだラプトルに気づいておらず、話を聞いてやっていたサーシャが目を丸くしてラプトルを見ていた。
「やばっ!」
「アニキ、動かないで!」
サーシャは魔物に攻撃する手段をまだ持っていない。ロシュートが駆け出そうとしたとき、彼の妹は大声で制した。驚いて足を止めた兄を見てユイナはニヤリと笑う。
「当たっちゃうからさっ!『ガイデッド・フレイムキャノン』!」
ユイナが紙束を抱えつつ杖を構えて詠唱した。紙束、彼女オリジナルの魔導書内の連結した魔法陣に魔力が染み渡ると即座に杖先へ巨大な火球が生成され、発射された。
『フレイムキャノン』は炎属性魔法の上級魔法の中でも特にオーソドックスな魔法で、巨大火球を発生し放つものである。その軌道は直線的であり、動いているものに命中させるにはその移動先を読んで詠唱する偏差撃ちと呼ばれる技術が必要になる、ロシュートの知識ではそのはずだ。
だが彼の妹が放った火球は走るラプトルに向かって途中で軌道を変えていく。飛翔速度で勝る火球はそのままラプトルの後ろ足付近に着弾、爆発してその身を吹き飛ばした。
唖然とするロシュート、サーシャ、衛兵たちをよそにユイナはふっふーんと杖をピコピコ振りながら得意げに言う。
「どう?これがこないだ発表された新理論をもとに構築した補助魔法陣『ガイド』の威力!直線的にしか飛ばないロマン火力の魔法もこれを組み込むだけであら不思議!専用の杖で指示した方向に向かってくれるようになるのだ!本当は自動追尾がいいし理論上できそうだけど事故防止のためにビーコン無しのガイドはまだ研究開発中なのでご容赦を!」
「おおーすごいですねぇ」
「でしょー!もっとこの天才魔法使いを褒めるのだ……!」
パチパチパチとドのんきエルフことアケイシャが拍手を送るのでユイナはさらに増長し鼻高々だったが、衛兵たちの唖然がウルトラ新技術のデモンストレーションにあるわけではないことを察していたロシュートはそんな彼女の肩をポン、と叩いた。
「ん、どしたのアニキ。感動のあまり直接感想を言いに来たとか?」
「いやまぁ、すごい。すごいし助かった。ありがとう。だけど我々は何をしにここに来たんだっけ?」
「何って……街道を修復する工事の護衛、あ」
ロシュートは何かに気づいた妹の目線を誘導するように、親指でクイクイ、と背後の爆発で吹き飛んだ街道の穴を指し示した。
「何か言うことは?」
「え、えと……ちょっと強すぎる魔法だったかな?」
「加減しろバカ!」
「いっだい!体罰反対!この野蛮人!」
妹に本日2回目の拳骨を振り下ろす兄と、反省する気がない妹を見て、実は襲撃時にも微動だにしていなかったオオトカゲは眠そうに大あくびをした。
高く昇った日が降り注ぐ陽気な昼。昼寝するのにはちょうど良い快適な空模様であった。
アケイシャの荷車を街の方へ見送り、補修箇所を増やしてしまった罪悪感からロシュートたちも修復作業を手伝って今日の分の作業が終了したのはすっかり夕方になってからだった。彼らがギルドへ報告に帰るといつも通りのオトナな笑顔でマリーが歓迎してくれる。
「おっ、『ブラッドマウス』の皆さんじゃないの。報告待ってたわ」
「……やっぱ慣れないですねパーティ名で呼ばれるの。名前そのものもなんだかむずがゆいし」
「何を言うかねこのアニキは。この妹が考えてあげた素晴らしい名前でしょ?窮鼠猫を嚙む、ならぬ窮鼠ブラッドワイバーンを噛むってやつ、パーティの成り立ち的にピッタリだって何度も説明したじゃん」
「キューソってのは瀕死のネズミのことなんだろ。そんなのに例えられてもあんまり嬉しくないっていうかさ」
「あの、私は頑張ってブラッドワイバーンを倒したロシュートお兄ちゃんはかっこいいと思いますけど!」
「はいはい両手の花とイチャイチャするのはそれくらいにしてね。パーティ名はもう登録されているんだしその名前で呼ぶのは当然でしょ?早く慣れて頂戴。変更するなら変更手続きの書類を揃えて更新手続き料を払って変えることもできるけど、やんないでしょ?」
マリーはいつも1人で報告に来ていたのにこんなに賑やかになっちゃって、とロシュートの状況を微笑ましく思いつつも話を進めるために痴話げんかを仲裁した。
意外にも素直に鎮まった二人の女にどちらも花であることとイチャイチャしていることを否定しなかったなと面白く思いつつ、マリーは今回の護衛依頼の報酬袋を取り出す。
「あれ?報酬の袋がいつもよりも小さいですね。もしかして報酬減っちゃいました……?」
「そうじゃないわ。今回から少額でも中身を銀貨にできるようになったのよ、見たらわかるわ」
いつもよりも痩せた報酬袋にギョッとしたロシュートの言葉を予期していたようにマリーは袋の中身を見せる。彼が覗くと確かに1枚の銀貨が袋の底に輝いていた。
「実は今日からようやくリンドでも銀行手続きができるようになったの。今の時間は閉まっているけど、あっちの方に窓口がある。これでギルド内にある銀貨、金貨の量が増えたから今までのように銅貨がパンパンに詰まった袋を渡すことは少なくなると思うわ」
「確かにこの間なんかは殺人級に重かったですもんね……しかしなぜ今になって急に?銀行って王都にしかないものだと思っていましたけど」
ロシュートの疑問は彼の言う通り、今までルドマンド王国の銀行機能は王都ルドマンドと直轄地内の一部にしか存在しなかったことを指している。
銀行と言うのは貯蓄の他に貸付や両替なども行うために大量の貨幣のストックが必要なので、直轄地内とはいえ突如街に新しく出来たというのはかなり驚きの出来事なのだ。
それに対しマリーは少し困ったように笑って返答する。
「私もかなり驚いたんだけど、実は最近一部の冒険者に支払う報酬が膨大になっちゃって今まで通りギルドの手持ちの銅貨だけで運用するのが難しくなっちゃったのよね」
「ウマコトですか」
なんとなく原因に想像のついたロシュートが自称異世界から来たいけ好かない男の顔を思い出して聞くくと、マリーは嬉しい悲鳴なんだけど、と前置いて続ける。
「ご名答。あの人のパーティ、依頼をこなす速度が異常で……流石Sランクってところかしらね。それで弱っていたところに先週の大規模作戦の報酬支払いでギルドの機能が麻痺しかけたからウマコトさんが中心になって交渉して急遽銀行機能をここリンドの街にも置くことになったってワケ。騒動の原因になった本人が銀行を持ってきちゃうんだからホント何でもアリよね」
「凄まじいもここまで来るともう呆れるレベルですね」
「……ふんっ」
ロシュートも苦笑いで返すそばで露骨に不機嫌になるユイナ。思わぬところからウマコトの名前が出たことで場の空気が悪くなってしまい、何か別の話題はないかとロシュートが頭を悩ませていると丁度そこで救世主が背後から現れた。
「こんばんはぁ。ギルドへの近況報告兼、帰り道の護衛を頼みに来ました、って昼間の冒険者さんたちじゃないですかぁ」
ロシュートたちが振り返ると金髪に翡翠石のような眼を持つスーパーおっとりエルフ、アケイシャは相変わらず眼を細めながらゆったりとあいさつした。
「あ、昼間の商人の……アケイシャさんですよね?」
「そういうあなたはサーシャちゃんでしょぉ?亜麻色の髪、綺麗だったから覚えてるわぁ」
「アケイシャさん、あんた確か俺らよりも先に街に向かってたような……」
「オオトカゲさんのお世話をしていたら日が暮れてしまっていて、急いできたんですよぉ」
相変わらず微塵の毒気も感じない声でマイペースに話すアケイシャはロシュート達の呆れた顔をものともせずそうだ、と手を叩いて言う。
「マリーさん、村までの護衛はこの子たちに頼みたいのだけどいいかしらぁ」
「へっ!?」
突然の提案にロシュート一同が面食らっていると、背後のマリーはそれにさらに乗っかった。
「あら、いいんじゃないかしら。『ブラッドマウス』の皆さんが良ければもう手続きしちゃうけど」
「指名依頼は嬉しいですが急すぎませんか!?俺達は明日も街道補修の護衛をしようかと思っていたんですが」
「それが、ちょうどいいタイミングなのよねぇ」
マリーは動揺するロシュートの前に1枚の紙を差し出した。王都の印がついた依頼書だ。
「Cランク冒険者ユイナ・K・キニアスさん、王都からの指名依頼が発行されているわ。簡単に言うと、エルフの暮らす村にしばらく滞在しつつ、森の調査をしてほしいそうよ」
「えっ……私?」
いつも自分は天才だと言ってはばからないユイナだが、王都からの指名依頼という以前Aランクだった時にすら経験しなかった事態に凍り付いてしまっていた。
読んでいただきありがとうございます!
次話は3日ごとに投稿する予定です!
評価や感想をもらえると嬉しいです!




