【第15話】エルフの商人
大陸の東側に位置するルドマンド王国は王都ルドマンドを中心とした6つの街を含む国王直轄地と、その周辺にある貴族の領地からなる国家である。
領地の西側には巨大なキリマラヤ山脈が北にむけて伸びており南に迂回しなければ往来できないうえ、迂回するにしてもキリマラヤ山脈南端と領土南側に広がる広大なテンペスタ大森林の間を縫うように建設されたキリテン街道以外に道はなく、これら自然の要塞に囲まれていたことがルドマンドがひとつの国家として繁栄した要因だと言われている。
さてそんなルドマンド王国の国王直轄地内、王都から見て南西に位置する街『リンド』の南門から伸びるリンド街道の途中、10名弱の衛兵たちがせっせと手を動かしているそばにロシュート・キニアスとその妹のユイナ・K・キニアス、そしてサーシャ・リンドベルトは立っていた。
日はすでに高い位置にある朝、1日を午前・午後に12ずつ分割した時刻で言うところの午前10時である。
「だからさ、2歩くらい歩いた距離を1メートルって言うんだよ。そしたらいろんな長さが統一できるでしょ?」
「ん-それなら普通に何歩分って言った方がよくないか?それで困らないんだし、なんなら足の大きさとか腕の長さなんかだいたい一緒なんだからそっちでもいいじゃん」
「クソッ、やはり工業が発達していないうちはヤードポンド法の方が有利なのかなぁ!?」
ユイナが地面に線を引っ張っていた棒を放り投げつつ頭を抱えて叫ぶ。
一方の兄、ロシュートはまたなんかよくわからないことを言っているなぁ、と妹を温かい目で見守りつつ、そのまま作業をしている衛兵たちに目をやった。
「なんか本当にすみません、そばにいるのに手伝わないなんて」
「いやいいんだよ。今回俺らに命じられたのはこないだ壊れた街道の補修。あんたら冒険者の仕事は行商の馬車を迂回路に誘導することと、何より俺らを魔物から守る護衛なんだからさ」
それだけ言うと、衛兵は再び土を軽く整えつつ切り出した石を並べていく作業に戻った。
彼の言うように、街は現在つい先週に行われた大規模作戦で破損したリンド街道の修復を進めていた。辺境の領地や果ては他国と繋がっていく街道は国家の動脈とも呼べる道であり、早急に修復する必要があるため衛兵が動員されての作業は急ピッチだ。
その一環でロシュート達のような冒険者にもいつもより多くの作業者護衛の依頼が発行されており、彼らはこの3日間衛兵の補修部隊の皆さんと共に街道のそばで日がな一日を過ごしていた。
「くぁ~しかし、結局私も外に駆り出されて肉体労働に従事することになるとは。文明未開の中世的あるいは近世的な異世界さんは頭脳労働者に厳しすぎるよね」
「まだそれ言ってんのかよユイナ。ほら、サーシャを見てみろ」
訳のわからない言葉で自分が労働することに対する愚痴を吐く妹の顔を掴み、ロシュートは衛兵たちに水を配って回っているサーシャに向けた。
どうぞ~、お疲れ様で~す、と笑顔で衛兵たちを励ます彼女はこの3日間で衛兵たちの間で亜麻色の髪の女神として確固たる地位を確立しつつある。
「あれがしっかり働く、見習うべき大人ってやつの姿だ。サボってばかりのお前とは違って、少し目線を合わせただけでほら、衛兵のお兄さんたちもすっかり笑顔」
「サボってるのはアニキも一緒でしょうが。ケッ、優しくていつも笑顔で丁寧でちょっと汗っかきで、なによりやっぱりおっぱいがデカいってのは何にもまして正義ってことなんだよ。男なんてみんなそう。ほら見てあの胸のとこ、あそこだけあんなに汗かくもんかね?」
「何を拗ねているのかは知らんが女の衛兵さんだっているんだからそれは誤解だぞ。それに俺はサボってない。ちゃんと行商の人が来ないか見てるし」
「あでっ!?グーはダメだよグーは!暴力反対!文明人の行為ではない!」
ロシュートは各方面に大変失礼極まりない妹の黒い髪に軽く拳骨を落として持ち場に戻り、街道の先の方を見た。
行商人の荷車を引く馬の鼻先が見えたら黄色い布の旗を手に取り、大きく振って停止させるのが今の彼の役割だ。行商人たちはかなり飛ばしていることもあるため、早めに速度を落としてもらわないとそのまま作業現場に突っ込みかねないのだ。
速度を落としてもらったら、そのまま街道脇の草を刈っただけの仮設の迂回路に誘導して通過してもらう手順になっている。
しばらくすると眺める先に馬の鼻先のようなものを見えてきたので、彼は早速旗を手に取った。しかしそれを振ろうと思い、こちらに歩いてくる生き物をよく見ると少し様子が違う。
うすい緑色の鱗を持ったそれは四足歩行で、地面スレスレの低い位置にある三角形の頭を振りながら長い胴から突き出た短い足でのしのしと歩みを進めている。口元からは遠く離れていても分かるほどに濃い紫色の細長い舌がチロチロとリズミカルに出入りしており、背後に見える立った尻尾は太く頭同様に左右に揺れている。そしてその体に取り付けられたハーネスは後ろの荷車に繋げられている。
詳細に説明するまでもなく、大人も丸ごと飲み込めそうなサイズのオオトカゲがフードのあるローブに身を包んだ御者に操られるがままに荷車を引いていた。
「馬じゃないこともあるんだ……トカゲの車だからトカ車、かな」
「いや普通にトカゲ車だよ、見たことなかったのか?まあ俺も噂には聞いていたくらいで実物見るのは初めてだけど。実際に使っている人っていたんだなぁ」
妹の推理に身も蓋もない回答をするロシュート。
彼の記憶によれば、オオトカゲは馬に比べて速度が出ないが力が強いので重い荷物を引っ張るのに向いている。
同じような役割で農耕に使われる牛と比べた場合に餌代がほとんどかからず間違っても暴れ出したりしない点は勝るが、一方でオオトカゲは頭が悪いため特定の目的地を目指すとなるとなかなかうまくいかないと聞く。また体温が下がるとすぐに調子が出なくなるため涼しい時期や雨の日には全く使えない、荷車を引かせる役として王道とはとても言えない生物である。
「わざわざトカゲ車で荷物を運んでいるなんて、もの好き貴族かなにかかな……とりあえず迂回路の案内はしないと。ユイナ、あれは旗振ってこっちに来るのを待つよりも直で言いに行った方が早そうだから俺ちょっと言ってくるわ」
「えーじゃあ私も行く。荷車を引くトカゲもそんなの使っている人も見てみたいし、なにより暇だし」
「お前ってば本当就業意識が身につかねえよな」
ロシュートは妹を先導するようにして、旗を振りつつトカゲ車に近づいていく。
向こうの御者もそれに気がついたのか、ただでさえ歩みの遅いオオトカゲをお行儀よく停止させたのが彼らにも確認できた。ロシュートは注目してほしかっただけで別に停止させようとまでは思っていなかったのだが、歩みの遅いオオトカゲが歩いていても止まっていても結局大して速度は変わってないだろうということで気にしないことにした。
そうしてロシュートがある程度荷車に近づいたところで、丁寧にも御者は荷車を下りて彼に近づいてきた。
「すみません止めちゃって。この先で街道の修理をしてまして、迂回路を案内いたします」
「あら、あらあらあら」
急ぎだとかで止められることすら嫌がる商人もいる中で珍しいなと思いつつロシュートが声をかけると御者、おっとりとした声の女性はフードを取って顔を見せた。瞬間、彼は隣で妹が息を呑む音を聞いた。
まず目を引くのは透き通るような金髪だ。同じもののはずなのに街にいる人間の誰よりも細く滑らかな金色の髪は見る者に風にそよぐ花のような印象を与える。ロシュートの説明を聞き、困ったような表情で驚いたように見開かれた瞳は輝く翡翠石のような緑色で、目玉でなく宝石が眼孔に当てはまってしまったのかとすら感じる。
見た目には女性だが背が高く、一般的な男性よりもやや大きいロシュートと同じかそれ以上。すらりと伸びた手足につけた装飾のリングは艶のある木でできており、やわらかく真っ白な布に包まれたスレンダーな体型と合わさり知的な雰囲気が漂う。
なにより、さながら天界から直接降りてきた天使のような外見を大きく特徴づけているのは細長く尖って外側に垂れている耳だ。
「すみません。わたし森から出てくるのは久々で、こんな工事をなさっているだなんて知らなくてぇ」
「わぁエルフさんなんて私初めて見た!ねえ、アニキ……アニキ?オラッ」
「いってえ!?あ、はい!そうなんです工事してて!急なことで申し訳ないんですけども」
あわあわとした御者の女性が見開いていた目を細めつつやわらかい声で謝罪するのを呆けた表情で聞いていたところ、妹から肘鉄をぶち込まれてロシュートは我に返った。慌てて早口に状況説明をすると、行商のエルフの女性はうんうんと頷いた。
「しかしすごい量の荷物ですね。トカゲ車で引っ張るわけだ」
「そうなんですよぉ。たまにしか街に出てこないので、いっぱい運ばないといけなくてぇ。村の方からオオトカゲさんに頑張ってもらっているんですよぉ」
ロシュートはふとエルフ女性がオオトカゲに引かせてきた荷車に目をやり感嘆の声を漏らした。普通の行商が引いている荷物の3倍ほどはあり、彼の素人目に見ても馬ではなくオオトカゲに引かせているのは納得である。
「ねえ、たまにって言ってもどれくらい?やっぱり何か月かに1回とかなの?それとも半年に1回とか?」
ユイナの唐突でぶしつけな質問にもエルフ女性はニコニコ笑って答えた。
「前回来たときはそんなに昔じゃなくて……たしか4年前だったかとぉ」
「もう露骨に寿命長いやつだ!タイムスケールが完全に一般人間のそれと違うやつ」
ユイナが妙なテンションで突っ込んでいるのを傍らで聞いてロシュートも心の中で突っ込みかけた。
妹と違い常識があるという自負があるので声にこそ出さないが、エルフは長寿ゆえにもの凄くのんびりとしている人が多いという噂がまさか本当だったとは。思い返せば確かに彼は2年前からリンドに住んでいるが、エルフは見たことがなかった。
ユイナにしたって、冒険者にもエルフは多くないためAランク冒険者をしていた彼女がその性質を知るのは初めてだったのである。
「えっ!それじゃあ森から来たって言ってたけどさ、もう何日も歩いてるの?」
「何日もってほどじゃないですけど、10日くらいかとぉ」
「かーっ!これだ!これこそ異世界エルフ!欲しい答えをくれる感じ!」
エルフを見たことで異常なほどテンションが上がっているユイナの言葉の意味が分からずエルフの女性はとりあえずあいまいに首を傾げている、少なくともロシュートにはそう見えた。
早いところ解放してあげなくては、と思いつつも森の方からねえ……と彼はエルフの女性が来た方向を見た。
リンドの南にある森にはエルフたちが住む森があり、ルドマンド王国は森の中でのエルフの自治をある程度認めている。交流があるのもそのためで、エルフたちはエルフの村で独自の文化に従った生活を送っているのだ。
そんな神秘的なエルフ村に思いを馳せるはずが、ロシュートはあまり見たくないものを見てしまった。
「エルフのおねーさん?もしかして森を抜けてくるときに魔物に襲われたりしなかったですか」
「襲われたりしてませんよぉ。ラプトルさんたちはたくさん見かけましたけど、みんないい子でしたよぉ」
「そっかぁ……」
ラプトルというのは危険生物の一種、いわゆる魔物である。
かぎ爪がついた二本の短い前足を手のように使い、尻尾でバランスを取りつつ発達した後ろ足で二足歩行を行う肉食のトカゲで、背丈は大人の男ほどもある中型の魔物だ。
トカゲにしては賢い知能で群れを作り、陰に身を潜めながら狡猾に機を待ち、獲物を追い込み、最後に飛び掛かってかぎ爪と牙で肉を裂く。時には獲物を何日も追跡するほどの執念深さが厄介な点として、ロシュートの持つ危険生物図鑑に解説されている。
体色によって分類され、森に生息しているものは木々に溶け込む深緑色に黒い縞模様が特徴のレイダーラプトルだ。
そう。ちょうどロシュートが見つけてしまった、ずっと森からつけてきて荷車が停止した今を好機と思い今まさに飛び掛かろうとしているトカゲの群れなんかがレイダーラプトルである。
「これに気づかねえのはさすがにのんびり過ぎるだろぉっ!」
ロシュートの魂の叫びを合図とばかりに、レイダーラプトルたちは一斉に飛び出した。
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