【第13話】前門の妹、後門の幼馴染
なんか、手がすごく温かい。
極めて単純で優しい違和感にロシュートは目を開けた。ぼやけた視界が徐々に鮮明になっていくと、彼は自分が天井を眺めていることに気づく。目だけで右を見ると開いた窓から青々とした木の葉の隙間からこぼれる日光が差し込んでおり、風に吹かれてさわさわと揺れている。
「なんだ、ここ……どこだ?」
寝ぼけ眼を擦りつつ身を起こそうとするもうまく力が入らず、困ったロシュートは首を横に向けて今度は左を見た。
部屋の四隅には彼のもの以外はそのどれもが空であるもののベッドが設置されており、ここが街の教会に併設された救護院の病室であることが察せられた。ロシュートは記憶をたどり、おそらく自分はギルドの大規模作戦が終わってけが人として担ぎ込まれたのだろうと考えた。
「しかし俺以外誰もいないのか……ボッコボコにされたのは俺だけだったってこと?」
自発的に無茶をしたとはいえ、自分だけ飛びぬけて弱かったかのような感覚にうなだれるロシュート。そもそも、彼だけDランクの冒険者なので当然と言えば当然なのだが。
と、そこで彼はようやく左手の温もりの正体に気がついた。
ベッドに顎を乗せたまま動かない亜麻色の髪の女の子、サーシャだ。彼女は小さな椅子に腰かけ、ロシュートの左手を握ったまますやすやと寝息を立てている。そのてのひらはしっとりとして温かいが力強く、日ごろの彼女の努力がうかがえた。
ロシュートはもうしばらくこうしていたい気持ちもあったが、自分が目覚めたことを伝えるために左手を動かし指でサーシャの顔をつついた。その感触はふにふにとしていて、少し楽しくなる。
「サーシャ?おーい、起きろー。俺は起きたけども」
「んぇ……」
彼が声をかけながらしばらくつついていると、サーシャはうめきながら目を開けた。顔をつつく指に気づき、ロシュートの顔にゆっくりと焦点を合わせる。
「おはよう、サーシャ」
「んっ!?」
サーシャと目が合ったロシュートがそう言った次の瞬間だった。
目を見開いたサーシャはガバァ!と跳ね起きると、自分が頭を横たえていた部分を見て取り出したハンカチで一生懸命に拭った。何かに気づいてそのままの勢いで手も拭くと、バタバタと手で髪をとかし、もう一度ロシュートの顔を見た。
「お、おう。俺、いま起きたところなんだけど、起こさないほうが良かったか?なんて……」
なんだか気まずくなったロシュートが冗談めかして誤魔化そうとすると、彼女の顔ははみるみる赤くなりその大きな目からは涙があふれ出した。
「ロシュートお兄ちゃんっ!」
「ぶえっふ!?」
次の瞬間、獣もかくやという速度で突っ込んできたサーシャの頭が胸部に直撃しむせるロシュート。もはやその程度のダメージなど気にしていないと言わんばかりにサーシャが喋り出す。
「比較的安全だって言ってたのに!腕も足も骨折して丸一日目を覚まさないくらい大けがをするなんて聞いてません!しかも自分から危険な竜の群れに着地も考えずに飛んで突っ込んだとか、意味が分からないにもほどがありますっ!」
「それ誰から聞いたの」
「ウマコトさんです」
「あの野郎……」
「その態度は何ですかっ!ロシュートお兄ちゃんが最初にここに来たとき、死んじゃったのかと思ったんですよ!あんなボロボロで意識もなく!私が『生命力』の魔法で治療をお手伝いしている間、どれだけ心配だったと思っているんですか!?命を大事にしてくださいっ!それと、それと!うぅっ!」
「ご、ごめん!ごめんなさい!」
サーシャは怒りをぶつけるようにロシュートの胸を殴った。その威力はポカポカと音が聞こえそうなほど全く力の入っていないものだったが、彼の胸を叩きつつ言葉に詰まりとうとう嗚咽しながら号泣し始めたサーシャを見てロシュートはとてつもない罪悪感を覚えた。
かといってどうしたらよいのかもわからず、彼はサーシャの頭を撫でながらただひたすらに謝り続けることしかできない。
そのまま数分が経過し、ようやく泣き止み始めたサーシャは彼の胸に顔をうずめたまま静かな声でロシュートに語りかける。
「自分のどんなところが悪かったかわかりましたか。言ってみてください」
「帰りを待たせている人がいるのに命を捨てるような行動をとったことが悪かったと思います」
「次からはどうしますか」
「無茶はせず、危なくなったら逃げます。そもそも危なくならないようにします」
「約束できますか」
「それは……なるべく、そうするようにする」
本当は、しない、と誓いたかったが、冒険者をやっている以上危険が避けられないこともある。ここで嘘をつくわけにはいかないと考え、ロシュートは正直に答えた。それはサーシャにも分かっていたため、彼女はため息をついて、というかため息をつくフリをして言う。
「仕方がありませんね。今回はその答えで満足してあげます」
「本当か!?」
「ただし!条件があります」
言葉を遮り、サーシャは少し顔を上げ上目遣いになった。彼女がひそかに練習していた必殺の視線にロシュートは抵抗できず動揺してしまう。その表情変化を見て狙い通りの効果があることを確認したサーシャは続けて言った。
「さ、サーシャがこの世でいちばんかわいいって、言ってくれたら、許してあげます……けど……」
「……えっ?」
質問の意図が掴めなかったロシュートが聞き返そうとしたとき、病室のドアが勢いよく開いた。
「サーシャ?アニキの様子はどう、ってなんだ起きてるじゃん」
部屋に入ってきたユイナは目を開けた兄を見るなりあっさりと言うと、その身体の上で硬直しているサーシャを見て指をあごに当てて気味の悪い笑みを浮かべた。
「おやおやこれが看病イベントってやつですかァ?まあお約束と言えばお約束ですけど、今回の場合はお医者さんだってもう大丈夫と言ってたんだからそもそもこんなつきっきりでいる必要はなかったわけだし、サーシャ君の目的はやはりアニキと病室でイチャつくことだったのかな?タハーッ!こりゃ一本取られましたな」
「ななな何の話しているのユイナさんっ!だ、だいいちロシュートお兄ちゃんは病み上がりなんですよ!そんなに騒いじゃダメですよっ!?」
「そうかなぁ、さっきまでここで大泣きしてた人もいたみたいだけども?」
「ぐっ、やっぱり聞いてたんじゃないですか……」
自分が優位と知って病室に入ってきたユイナは絶好調だった。いつもは勝てる部分のないサーシャを言い負かしたところで満足し、兄の顔を見る。
一方ロシュートは妹のいつになく上機嫌な様子に何か隠しているのではないかと疑ってしまう。
「な、なんだよ」
「アニキ、やっぱ元気そうだなと思って。この感じならもう道具の使用感とか聞いても大丈夫かな~と」
「少しは労いの言葉とかないの?」
「うーん、こういう負傷をするのもギルドの想定通りなわけでしょ?大けがした分の治療費が報酬から差っ引かれちゃうのは一応お疲れ様って感じではあるけど」
「治療費に関してはまあ仕方がない、むしろ足りただけよかったよ。にしてもなんてかわいげのない妹なんだ……」
「かわいげのないとは失礼な。こうしてお見舞いに来てあげてる健気な妹なんだぜ?」
妹は手にした菓子の包みをぷらぷらと見せつける。ロシュートが贈ったものと同種の品だ。
「ま、とりあえずお帰り」
そして、ニッと笑いつつそう言ったのだった。
「あら、ロシュートさん。無事に治ったみたいでよかった」
翌日。ロシュートは日の出と共に起床すると、救護院で働くシスターさんに外出を伝えてギルドに来ていた。目の下のクマがすっかり取れた受付のマリーは彼をみるなり復帰を祝いつつ微笑む。
「おかげさまで。骨折まで治るとは、『生命力』の魔法はすごいですね」
「基礎属性からの再分類で以前にもまして一気に研究が進んだみたいね。そんな最先端技術について行っているこの町の救護院はかなり優秀だと個人的には思っているわ。さて、大規模作戦の報酬を受け取りに来たのは分かるとしても、どうしてこんなに朝早くから来たのか聞いてもいいかしら?」
マリーの見透かしたような質問にロシュートは照れくさくなり、誤魔化すように笑った。
「実は掲示物がないかと思いまして。まだ契約は有効ですよね?アレをやらないとやっぱり落ち着かないというか」
「呆れたわ。病み上がりにあれをやりたがるなんて本当あなたも変わり者よね。でもその通り、もちろんまだ受けられるわ。だけどその前にとりあえず大規模作戦の報酬から処理させてね」
マリーは笑いつつ、よっこいしょ、と受付の下から二つの袋を取り出して置いた。どちらもいつもの布ではなく皮でできた袋でかなり重量感があり、王都のシンボルが刻印されている。
いつもよりも明らかに大きなその袋のサイズに、ロシュートは目を丸くした。
「これ全部俺の報酬ですか……?」
「すごいでしょう。片方は普通の報酬、言ってしまえばお金ね。あなたの治療費をすでに抜いてあるのにそれだもの。持ち上げてみたら分かりやすいわ」
「どれどれってうおっ!?」
マリーが指し示すのに従いロシュートは左の袋を持ち上げてみた。その瞬間明らかに骨への負担を感じ、慌てておろす。生命力の魔法で治療したとはいえ、一朝一夕ではまだ骨が完全には再生していないのだ。
ロシュートは真面目に報酬を持って帰れるかが心配になってきた。
「感じてもらえたかしら?でももう片方の袋もかなりのものよ。見て」
マリーはロシュートの反応に微笑みつつ、右の袋を閉じている紐をしゅるりと解くとその口を開けて中を見せた。そこには赤黒い鱗や皮がぎっしりと詰められている
豪華すぎる中身にロシュートは一瞬驚いたが、改めて自分がブラッドワイバーンを倒したことを自覚した。
「これブラッドワイバーンの素材ですよね?どうやって取ったんですか。俺の記憶だと竜は跡形もなく消滅した気がするんですけど」
「それは違うわ。バラバラになった死骸があちこちに飛び散っていただけ。まあ、千切れ飛んだ翼やら脚やらを拾い集めてくれた回収部隊の皆さんには感謝したほうがいいかもしれないけど」
ブラッドワイバーン消滅事件の答えを聞き、ロシュートは広範囲に散った竜の残骸から彼に渡す分に加えて研究・貯蔵に回せるだけの素材を回収して回る苦労に思いを馳せた。
そもそもブラッドワイバーンがバラバラになっていること自体意味の分からない事態のはずであり、それなりに混乱もあったであろうことが容易に想像できる。
「次見かけたらお礼言っておきます……それにしてもこっちもすごくたくさんですね」
「一緒にいた衛兵たちの証言であなたの貢献度はかなりのものだったことが証明されたからこその量よ。売ればお金になるし、冒険者向けに武具を販売しているお店に持っていけば立派な鎧を仕立ててくれるはず」
「それはまた、大袈裟な感じですねって、そうだ衛兵!ハルベルト、みんなはどうなりました!?」
「彼らはみんな無事よ、ハルベルトさんもね。全員あなたの活躍を讃えていたから安心なさい」
竜との激戦を思い出したロシュートが慌てて尋ねるとマリーは笑いつつ答えた。彼がとりあえずほっと胸を撫で下ろしたところで、マリーはわざと深刻そうな表情を作った。
「そしてロシュートさん、よく聞いてください」
「えっ、なんですか急に」
「実はまだもうひとつあるの」
「まさか……」
謎の圧に生唾を飲み込むロシュートの目の前に、マリーはゆっくりと短剣を置いた。彼が持っていたものとは明らかに違う、上質なホルダーに包まれた真新しい短剣だ。
「王都の職人があなたの倒したブラッドワイバーンのかぎ爪を最新技術で加工して作った短剣、これもあなたの報酬よ」
「す、すごい……それで、どんなところが最新なんですか」
「柄のところにボタンがついているのがわかるかしら」
ロシュートが短剣を手に取りホルダーを外すと、かぎ爪のうねりを残しつつ鋭く加工され、鈍い光沢を持つ刃が出てきた。そしてブラッドワイバーンの小さい鱗を選んで装飾された赤黒い柄の部分にはたしかに小さなボタンが取り付けてある。
「これか!押すと何が起きるんです?火を吹くとか?」
「いえ、ブラッドワイバーンの出血毒が分泌されるわ」
「押すところだった危ねぇ!」
ロシュートはボタンを押しかけていた指をどうにか横にスライドして事なきを得た。そしてよく見ると確かに刀身の付け根に小さな管らしきものがあり、そこから毒が分泌されるのだと推測できる。
「ボタンを押すとブラッドワイバーンの毒腺から分泌される毒の原液を油で5倍に薄めた毒液が出るとのことよ。一度斬りつけた相手の傷口は塞がらず、むしろ時間が経つほど広がっていく猛毒ね。普通に使っていれば定期的に油を補充してやるだけで10年は大丈夫なうえ、刀身を保護する役割もあるんですって」
「怖すぎる!うっかり自分で触っちゃったら大変なことになりますよ!?」
「心配には及ばないわ。ボタンを押さなければ毒液は出ないし、使い終わったらふき取っておけば普通の刃物としても使える。理論上、それでお肉を切って食べても大丈夫らしいから」
「理屈の上ではそうなんでしょうけども!まあでも、ちょうど短剣を無くしてしまいましたし、魔物を倒すのにかなり役立ちそうだからありがたくもらっておきます」
火が出るよりもよっぽど実用性がわかりやすい短剣のホルダーをロシュートは腰のベルトに差した。すると彼自身にとっても意外なことに、ブラッドワイバーンの鱗で装飾された柄が少し見えているだけで少しだけ自信が湧いてきた。
思いのほか装飾というのも侮れないらしい、とロシュートの表情は明るくなった。
「これで大規模作戦の報酬受け渡しは全部終わり。ロシュートさん、本当にお疲れ様。受けたければ一応そこに今日掲示を依頼されている掲示物がまとめてあるから、持っていくといいわ」
「ありがとうございました。じゃ、さっそく行ってきますね」
とりあえず報酬はいったん宿泊している安宿にでも置いてきて、いつも通り街の掲示板を回ろうとロシュートが受付を離れようとしたとき、彼の手はガシッと掴まれた。
やっぱりごまかせないか、と諦めてロシュートはマリーの方を向く。
「3日。これが何の数字かわかるはずよ」
「ええ、まあ……」
3日後、月は変わり、このままでいけばロシュートの冒険者証は失効する。
「本当の話、もしかして冒険者を続ける気はないってことなのかしら?あと3日で2人のメンバーを見つけなきゃいけないってのがどういう状況か理解しているわよね」
「ぐ、ぐぬう」
「ぐぬうじゃないの。そもそもの話、今回の報酬がこれだけ多い原因はあなたが倒すのに貢献した1匹のほかに謎の魔法、ウマコトさんの証言によればあなたの妹の魔法が5匹のブラッドワイバーンを倒したからなの。あなたがどう思っているかは知らないけど、ユイナ・K・キニアスは確実に冒険者としてかなりの適性がある。冒険者を続けたいなら四の五の言っていられる状況じゃないわ。なんなら私の方からお手紙を出してあげましょうか。実際、遅かれ早かれ王都は彼女の実力に興味を持つだろうし」
「いやそれはやめてください!自分で、言いますので」
慌てて頭を下げるロシュートに、マリーは過去最長のため息をついた。
「女なんて男が心配するよりずっと強くて丈夫で図太くてしたたかなもんなの。心配なのはいいけど、あんまり度が過ぎるとかえってよくない影響があるって話。可愛い子には旅をさせよ、とウマコトさんの故郷では言うらしいわよ」
「……では、掲示板を回ってきますね」
「はいはい、よろしくね冒険者ロシュートさん」
一度安宿の部屋に報酬を置き掲示物の依頼が終わった後、ロシュートは市場でたっぷりと時間をつぶしてから救護院に戻った。
日の出とともに出かけたのに時刻はすでに昼前、本当は妹やサーシャに会うのを避けたかった彼だったがまだ荷物と退院手続きが終わっていなかったのである。
そしてロシュートが病室に入ると案の定二人が待っていた。
「お、アニキ。ようやく戻ってきたか」
「ユイナか……珍しいなお前が外に出ているなんて。俺がもうなんともないのは昨日で分かったんだしまた引きこもっているかと思ったよ」
「かわいいかわいい妹サマが自分の代わりに労災に遭った兄のお見舞いに来てやるのがそんなにおかしいかね?」
「ローサイ……?ま、まあいいや。サーシャも来てたんだな」
「はい!ロシュート兄ちゃんはギルドに行ってたんですか?」
「大規模作戦の報酬を受け取ったり、色々とね」
どこか白々しいユイナとは対照的に元気がいいサーシャ。ロシュートはふとサーシャは宿屋の業務を放っておいても大丈夫なのだろうかと気になったが、そのことを聞く前にサーシャの方が心配そうに口を開いた。
「それで、ロシュートお兄ちゃんの冒険者証の話はどうなったんですか?確か期日までにメンバーが集まらないと失効だって……」
「あっサーシャそれちょっと!」
慌ててサーシャの言葉を止めようとするロシュートだったが時すでに遅し。
「冒険者証の失効?アニキ、それ何の話だ?」
ユイナは兄の冒険者証が失効するという初耳の情報に首を傾げた。
そう、ロシュートは自分の冒険者証が失効の危機にあることを妹に話していなかったのである。
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