【第128話・終】ああ妹よ、頼むから
「はい、ロシュート・キニアスさん。名前に間違いがないか確認して受け取ってくださいね」
受付のお姉さんことマリーがカウンターへ滑らせた、青色に縁どられた板を手に取ったロシュートはしげしげとそれを眺めた。
「これがAランクの冒険者証ですか」
「そ。色々書式が変わっている部分もあるけど、妹さんが持っていたのと同じものよ」
「いいんですかね、俺らなんかがAランクで」
「災害そのものみたいな龍を退治したあなたたちがAランクじゃなきゃ、誰が適格だって言うの。例外的に、Sランクにしようって話もあったみたいなのに」
「ひええ」
相変わらず自己評価が低めな黒髪の少年の間の抜けた言葉にマリーは苦笑しつつ、
「諸々の報奨金は全部銀行の方に入れる手筈になっているわ。普通に手渡しにしたら袋がいくつあっても足りないし。実物を見ておきたかったなら残念だけど……あなただってその感じだとこれ以上荷物が増えてもらっても困るわよね?腕も、まだ完治はしてないんでしょう」
「恥ずかしながら。本当は魔物退治でもなんでもやりたいくらいですけどね」
ロシュートがわざとらしく腕をぶんぶんと振ってみせると、マリーは微笑み、そして少しため息をついて窓の外に目をやった。
「最近はいろんな噂を聞くの。いい噂も、悪い噂もね。この街だってまだまだ片付けに時間がかかるし、魔物退治どころじゃないわ。まだしばらくはAランクだろうとDランクだろうと雑用以外にロクな仕事なんかないわよ」
「俺としては全然かまいませんよ。むしろその方が性に合ってる気がします」
「らしいっちゃらしいわね」
言ってから、マリーはさて、と区切った。
「でもあんまり無茶はしないでよ。言っても無駄だろうけど、やりすぎるとユイナちゃんから雷を落とされるわよ」
「気をつけます。それじゃ、俺はこれで……」
ロシュートは冒険者証をしまい、重いリュックを背負いなおしてギルドを後にする。
だが、まさにドアを開けようとした瞬間、向こうからドバーン!と誰かが勢いよく入ってきた。
「たのもー!王都土壌調査団の到着であるぞ!ってロシュートではないか。どうした、そんなところに突っ立って」
麗しき金髪の泥まみれ王女スタリーゼ・ルドマンド、もといリゼはぱちくりと目を瞬かせた。
「俺が出ようとしたときにそっちが入って来たんだ。というか、その妙な掛け声は何だ?」
「何って、ユイナが言ってたのだぞ。初めて訪問する場所ではドアを開きざま「たのもー!」と叫ぶのが礼儀正しいふるまいであると」
あのバカ妹は一国の王女になにを吹き込んでいるんだと兄が頭を抱えていると、王女の後ろから白衣の人物が2人、続けて入ってきた。
「おや、奇遇だねぇロシュート。キミも使いっ走りかい?」
「キミも、って」
「わんぱくすぎる女王サマの護衛は立派な使いっ走りさ。この国に最も貢献している頭脳労働者であるボクとしては研究室から一歩も動きたくないっていうのにね?」
「フレストゥリ!また君は王女に向かって乱暴な口を……」
肩をすくめたイヤミたらたらの水色髪少女を金髪の男が諫める。
「だいたい、最初は僕がひとりいれば十分だと女王陛下はおっしゃっていたじゃないか。それを、リンドに行くと聞いた君がゴネてわざわざ同行」
「よしわかったセロリくん、キミを今すぐ黙らせるためにボクは何をしたらいい!?靴でも舐めようか!!!」
「わっ何を馬鹿なことを!こ、これだから『湖の狂人』はっ……!」
「フフ……世界最高の天才であるこのボクが『脱落者』に跪き靴を舐めるだなんて……もはや革命と呼んでも差し支えない歴史の転換点じゃないのかい!?あっ、ロシュート!あとでそちらにお邪魔させても」
ぱたり、と。
ロシュートは後ろ手に扉を閉めて叫び声を遮断し、静かに歩き出した。
あんなのにいつまでも付き合っていたら、時間がいくらあっても足りないのである。
いつものようにリンドの街の中央通りを下りつつ、あれから数か月経過した今でも全く慣れない風景をなんとなく眺めた。
王都ほどではないにしろ、交易の要所として栄えていたリンドの街はもはや見る影もない。倒壊した建物の瓦礫はあちこちに残ったままで、人々は瓦礫の中でちいさな市場を作り、なんとか生活している。
「おう!ロシュート、よけりゃこの野菜を……ってその荷物じゃむりそうだな!またあとで!」
廃材で作った台を前に座って野菜を売っていた八百屋のおっちゃんに会釈しつつ歩き、ロシュートはふと空を見上げた。
太陽にすこし雲がかかった、穏やかな空。
「本当に終わったんだなぁ……」
しみじみと、魔力を帯びた雲が空を覆いつくしていたあの日からのことを思い出す。
ラ・テンペスタ消滅後、真っ先に修復された王城でいちばん最初に宣言されたのは国を挙げた復興と、マギ研の閉鎖だった。中心的なメンバーや貴族院の人間が国家転覆を図っていたのだから、当然と言えば当然の措置である。
とはいえ、研究者たちは路頭に迷ったわけではない。新たに王室付きの研究室が組織され、多くの研究者はそこの所属となったようだ。所長はスタリーゼ・ルドマンド王女、リゼである。
目下のところは『スタリーゼ土壌調査団』として、テンペスタ大森林の土壌汚染の回復やラ・テンペスタの崩壊した土殻の研究を行っているらしい。女王の病の原因となっていた土壌汚染薬物も特定され、女王だけでなく多くの人の治療が進み始めている。
また、誰かさんが謎のミミズを放ちまくったラ・テンペスタの土殻は未解明の魔力を多く含み、作物が早く育つことが分かったと発表されていた。さらによく耕されており農業に使いやすい土である一方で、どのような影響があるのか定かではなく、こちらも慎重に調査が進められている。
ちなみに王都の治安回復は衛兵に代わりギルド本部の冒険者たちが請け負ったそうだ。交代した元ギルドマスターは王室付きの研究者、その見習いになったんだとも聞いている。
「おやっ、我らが英雄ロシュートじゃねえか!」
物思いに割り込む声のした方にロシュートが目をやると、リンドの衛兵、ハルベルトがトカゲ車を御しながら片手を上げていた。後ろには大量の瓦礫を積んだ荷車がついている。
「ハルベルト、久しぶり。そして瓦礫の片づけご苦労様」
「こういう非常時の力仕事が俺らの本来の役割だからな。振り返ってみれば竜退治も楽しかったが、あんなのは年に1回でも十分すぎる。嵐の龍に比べたら、お前と俺が戦ったあの竜なんか赤子みたいなものだったとはいえな」
「あの時はあの時で大変だっただろ。ラ・テンペスタは神話だなんだって話のスケールがデカすぎて、俺としてはむしろあのブラッドワイバーンに殺されかけた方がよっぽど記憶に残ってるくらいだし」
「ま、ともかくこうして生きているわけだ。お互い、死なない程度に頑張ろうや」
「おう」
ごつ、と拳を突き合わせると、ハルベルトはトカゲ車を発進させてのたのたと去っていった。
その後ろ姿に軽く手を振りつつ、ロシュートはあるブラッドワイバーン……スピットのことを思い出していた。
結局のところ、スピットは今も王城にいるらしい。というのも、家族であるヴェルヴェットが再投獄されたからだ。
ラ・テンペスタ撃退と王城の防衛に貢献した彼女には恩赦が出たのだが、彼女はそれを丁重に断り、自ら再投獄を望んだのだ。罪は罪、清算すべきものだと。代わりに彼女が要求した調査と彼女自身の証言によって囚人たちを使用した非人道的取引が明るみに出始め、貴族たちは身内の膿を出すのに忙しくしているそうだ。
スピットの世話は冒険者たちの訓練がてらカエデが行っている。彼が寂しそうにするので彼女が見張っているという条件のもと、たまにヴェルヴェットとの面会をさせているそうなのだが、会わせるとしばらくヴェルヴェットの方の様子がおかしくなってしまうので見極めが難しいと手紙に書いてあった。
「ま、なんだかんだ仲良くやってるならいいことか……」
「ロシュートさん、こんにちはぁ。そんなに大荷物を背負ってどこへ行かれるんですぅ?」
ひとり呟いたところで、ロシュートはおっとりしたエルフの女性、アケイシャに声をかけられた。
「これから戻るところです。これもおつかいの荷物ってやつで」
「大変ですねぇ。今日も盛況みたいですし、お身体には気をつけてぇ」
「そちらこそ」
去り際、彼女が思い出したように荷物を持つのを手伝おうか、と進言してきたのを丁重に断りつつ、ロシュートは再び歩き出した。
元々テンペスタ大森林に住んでいたエルフたちはラ・テンペスタに関する考古学的な調査への協力をしつつ、引き続き各所に散っている。森に撒かれていた薬品はやはりというか魔力暴走を引き起こすものであり、当然のごとくカーネイルの部隊による除染は進行していなかった。それどころかむしろ悪化していたことが発覚したため、まだまだ帰ることができないらしい。
「まあでもぉ、長くても20年くらい待てばいいって聞きましたのでぇ。まだちょっとだけお世話になりますぅ」
とは、アケイシャの談。ロシュートは改めてエルフのタイムスケールの違いを実感させられたのだった。
ちなみに、リゼが『ミミズ重騎士』による除染を提案したところ、検討不十分で却下となったらしい。嵐の龍の魔力を帯びた土殻内ですら生存・増殖する生物の強化版を森に放つとなれば、慎重になるのも当たり前だ。ロシュート自身、ラ・テンペスタの土殻残骸内にいる『ミミズ騎士』が何か重大な事態を引き起こさないか、ちょっと心配だったりする。
災害は過ぎ去ったが、あとに残された課題は瓦礫のように山積みだ。遺体のない犠牲者も多く、街全体はまだ悲しみが漂っている。
だが、皆前向きに生きている。前向きに生きてさえいれば、そのうち何とかなるだろう。
そんな風にロシュートが持ち前の楽観的な性格をひとりで発揮していると、曲がり角からひとりの少女が現れた。
少女は彼に気づくと亜麻色の長い髪を揺らしながら、嬉しそうに小走りで近づいてきた。
「ロシュートお兄ちゃん!」
そして、ガシッとその右腕に抱き着いた。
「ギルドに行った帰りですか?あ、お荷物持ちます!」
「いや、荷物は持たなくていい」
「じゃあわたしはこうしていますけど、構わないですか?」
「まあ、構わない、が……」
ロシュートはにこにこと笑いながら右腕にぴたっとくっついて離れないサーシャを見てなんとも言えない気分になり、空に視線を泳がせた。
「その、お前は恥ずかしくないのか?」
「何がですか?」
「こうして、俺にくっついているのが」
復興中とはいえ、街の大通りだ。当然人の往来も比較的多く、すれ違う人は皆驚いたように、あるいはニヤニヤ笑ってこちらを見ている。
「まあ、なんといいますか」
うーん、とサーシャは少し唸ったあと、
「恥ずかしいとか恥ずかしくないとかで目を離してたら、ロシュートお兄ちゃんはすぐ危険なことに頭を突っ込もうとしますから。もう止めはしませんけど、せめてわたしも一緒に頭を突っ込ませてほしいと、そう思ったのです」
「それは、申し訳ない……」
「いいんです。もうキスもしてしまいましたしね!」
ぎゅぎゅう、とさらに強く腕を引っ張られる。
いや、まあ。
そりゃあ、ちょっとは察していた。
この亜麻色の髪の妹分的幼馴染が、自分に好意を抱いているであろうことくらい。
だが自分はといえば何かと妹の方を優先しがちというか、妹の世話を焼くことに夢中で、我ながら中々そういうことを考える隙が無かったのだ。
だからこそ、こうして直球で向けられる剥き出しの好意に対しては、正直戸惑いが大きい。
という事情も、正直に伝えたのだが……。
「わたしは待ちますよ。ロシュートお兄ちゃんが気持ちを整理できるまで」
心中を察したように、傍らのサーシャは言う。
「だって宿屋の娘ですもの。大事な人を待ち、もてなすのは得意中の得意ですから!」
未だにはにかみの残る笑顔を直視していられず、ロシュートは再び目を逸らした。
「……頑張ります」
「はい!少しずつ頑張ってください!」
少しずつ、前に進む。
今までは自分のことなど見えていなかったが、これからはそうじゃない。
自分のことを大事に思ってくれる人のためにも、ゆっくりでも、一歩を踏み出していかなければ。
「あ、来週リンドにお父様とお母様が来るそうです!こんどこそぜひ、ロシュートお兄ちゃんに会いたいと言っていました!色々話したいことがあるそうですよ」
「な、なるほどね」
……本当に少しずつ、ゆっくり、だろうか?実はブレーキの壊れたトロッコの上に乗せられていたりはしないだろうか。
冷や汗がロシュートのこめかみを伝った直後、路地の方から何やら悲鳴が聞こえた。
黄色い、悲鳴のような歓声が。
「……おでましか」
「みんな、もう少し離れてくれない?これじゃロクに歩けないじゃないか……おや、ロシュート!奇遇だね!」
ロシュートのため息に呼応するように路地から出てきたのは白銀の髪のいけすかない男、ウマコトだ。
男は白衣についたほこりをパッパと払いつつしわがれた声で周囲の女の子たちに何か言うと、その中から数名---岩のような大女と、目つきの鋭い修道女と、黄毛の獣人を連れてロシュートの元へニコニコと近づいてくる。
「お前また取り巻きの数が増えてないか?」
「いやぁ、俺は別に何もしてないんだけどね。こんな髪の色も抜けて、声も枯れて、魔法も何も使えなくなった男についてきても何も面白いことなんかないのに」
「リーダーはちょっとやかましいだけで元々魅力的な男だぞ!」
「むしろ無能になったリーダーに庇護欲をそそられる方もいるでしょうし」
「何しろ元から顔だけはカッコイイからニャア」
「ねえそれ褒めてる!?けなしてる!?褒めてる風でちょっとディスってる高等テクニックを使われてないかなぁ!?」
「ウザさだけは相変わらずだなホント……」
ロシュートはため息をつき、目の前のいけすかない男の顔を見た。
ウマコトは最終的に、『なんでもアリ』の力を失った。それどころか、魔法は基礎的なものですらも使えなくなってしまったのだ。
時の流れを操る法外の魔法『タイムキーパー』の代償。
それは体内の魔力路自体を消耗する、というものだった。生命力そのものである魔力が通る路を激しく消耗したことで、彼は魔法が使えなくなったばかりか、髪や声など身体機能にも支障をきたすようになったのだ。
あれからまだ数か月だが、彼が能力の全てを失ったことはそれを示す外見も相まってあっという間に知れ渡り、財産も大半を失って『Sランク冒険者』という肩書だけが残った。
ので、普通なら相当に困窮するはずなのだが……。
「それで、調子はどうなんだ」
「それがさ、大きな案件がひとつ終わってようやく暇ができてね!王族の人が俺を専属の医者として手元に置いておくって聞かなくてさぁ。それをなんとか説得して解放してもらったところに、ちょうどフレストゥリがリンドに来るっていうからさ。いまは迎えに行く途中だったんだ。それがいつの間にかこうなっちゃって。もう2回もお昼ご飯をご馳走になっちゃった」
「はいはい、その話を聞いてる俺がごちそうさまだよ」
神の雷に身を焼かれ、死の淵にいた少女を魔法でなく『医術』で救った。
ただでさえ【生命力】魔法を信用せずに高い金を払って医者を呼ぶ金持ちは多い。それが、神話級のウデを持つと尾ひれのついた噂が広まっている医者となれば、なおのこと引く手数多だ。
「……それで、ユイナは元気?」
「ピンピンしてるよ。死にかけてたのが信じられないくらいだ」
静かな問いにロシュートがそう答えると、医者はゆっくりと目を細めて笑った。
「それはよかった」
その顔を見たとき、ロシュートは彼がなぜこんなにももてはやされるのかが、少しわかった気がした。
少し悔しいが。
「それじゃ、僕はもう行くよ。ユイナによろしくね!」
「ああ」
「じゃあまた、ロシュートさん!」
「こんどはフレストゥリも連れてそっちに行くニャ」
「次にわたくしが行くまでにユイナからあのエルフのガキを引き離しておいてくださいね」
黄色い声と共に一団が去っていく。
「……相変わらず強烈な人たちですね」
「……ああ」
「荷物、持ちましょうか?」
後には疲れと、サーシャのやさしさだけが残った。
「ロシュート!」
家まで戻ってくると、エルフの少年、ミモザが駆け寄ってきた。
「おかえり!それが例の?」
「ああ。頼まれてたやつだ」
「了解。それは中に置いといて!サーシャもアレは届けてくれた?」
「はい、間違いなく」
「ありがとう。本当にごめんな、2人とも。全然人手が足りなくてさ」
「これだけ客が居たらそうだろう」
ロシュートは家からズラーーーーーーーっと伸びた行列を眺めて言った。
「今日はかの有名な『雷の発明少女』をひと目拝もうと、街の外からも団体で人が来ているんだ。ただの魔法道具を売ってるだけだってのにさ」
「『雷の発明少女』、ねえ」
兄はため息をつく。
あの日、ユイナはウマコトとロシュートの手によって生還を果たした。色々あったがその後順調に回復し、いくつかの後遺症はあったが無事に日常生活を送れるようになったのだ。
それで、ユイナに提示されたのは王室付きの研究者として生きる道。
彼女の功績から考えれば当然だし、ロシュートもまた、妹は当然その道を選ぶだろうと考えていた。
だが、ユイナはそうしなかった。
「まさかアイツが、本当に店を開いちまうとは……」
「もう人手が足りなさ過ぎて!今度小型のウィンドライダーを試験的に配達に使おうって話になってるくらいなんだ」
前とは違い、ユイナは自分の発明の有用性を街の皆にまざまざと見せつけ、証明した。ネームバリューも十分で、担保となる資金も確保できる見通しが立った。
というわけで、銀行からはあっさりと融資が降りてしまったのだ。
店名は単純明快『ユイナの魔道具』。
日用品のほか、注文に応じた品も特注で開発するのがウリだ。
「そういうわけだからさ、ロシュート。俺もう戻らないと。列がまたバラバラになり始めちゃってる!」
「あ、それならわたしも手伝います!」
「助かるよサーシャ!」
「ロシュートお兄ちゃん、またあとで!」
慌ただしく2人が去っていく。
「さて……」
ロシュートは家の方に目をやった。
妹は自室にいるはずだ。
リビングに大荷物をいったん下ろし、ロシュートは階段を上り始めた。
ぎし、ぎしとやや古びた階段が一歩ごとに音を立てる。重い荷物を持っているわけではないが、何か空気の重さというか、緊張感が漂っていた。
その緊張感が発せられているのは廊下の奥の部屋。そこの『住人』。会おうとすると肌がピリピリして、毛が少しだけ逆立つ。
だが行かなくては。少なくともロシュート・キニアスはその責任を人一倍感じていた。彼がやらなければ、この家の2階に溜まった静電気とやらは取り除けないのだから。
ロシュートは意を決して廊下の奥まで突き進むと、そのままドアノブに手をかけた。
「痛ってえ!?」
「もー、兄ちゃん。ドアを触る前に、ノブの横にある黒い板に触ってねっていつも言ってるでしょ?」
ドアを開けた部屋の主、ユイナはすぐさま部屋の奥へと引っ込みながら手招きして兄を招き入れた。
部屋の中はもはや寝るスペースもあるか分からないくらい散らかっており、机の上に置かれたいくつかの小物類以外は少女らしいものもなく、一見ガラクタにしか見えないものがそこら中に転がっている。そして、常に何の音かもわからない音が鳴っていて、少しうるさかった。
「頼んでたものはもってきてくれた?」
「一階に置いてあるよ」
「ありがと。あとでミモザに持ってこさせるよ」
ソファらしき場所にできた隙間にすぽっと収まるように座ると、ユイナは伸びた黒髪をサッと払って笑った。
「おかえり、兄ちゃん」
その手からは青白い光が舞った。
「お前のその後遺症、結局まだ何もわからないのか?」
ロシュートは適当な場所に腰を下ろしつつ問いかける。
「うーん、もうこれは体質として受け入れるしかないと思うんだよね、ここまで来ると」
ユイナはキャミソールに短パンというあまりにも無防備な格好で胡坐をかき、さらに服をバタバタと扇いで涼んでいる。
その腹には縦に大きな手術痕が残っている。彼女の腹を開け、魔力路を修復した痕跡だ。
だがそれ以上に手術の痕跡として残ってしまったのは、今も彼女からふわふわと舞っている青白い光。
「まさかラ・テンペスタの最後の雷をくらったばっかりに、常に雷を帯びてしまうようになるなんてな」
「龍の血というか電撃を浴びてその力を得るなんて、もういよいよファンタジーだよね。私の推理だと、そもそもあのラ・テンペスタの雷が繁殖のための何かだったんじゃないかって思ってるくらい」
心配そうな兄と対比して、妹は明るく笑い飛ばした。
「龍の苗床にされちゃったわけだ。マジでウケる」
「お前なぁ……無理はしなくていいんだぞ?」
「いやいや、本当に私としては楽しい状況なんだよ。自分自身が未知の研究対象になっちゃったんだから!自分が一番興味深いって、これもある種のナルシズムなのかな?」
妹はケラケラと笑って、
「それに、毎日が来るのを楽しみに待てるしね」
静かに一言付け足した。
「お前……まぁ、いいか」
ロシュートは出かかった言葉を呑み込む。
姿は少し変わってしまったが。
世界も少し変わってしまったが。
未来に臨む妹の元気な姿が見られるのだ。
これほど幸せなことはないだろう。
「それで、あの買ってきたのは何に使うつもりなんだよ」
「アレ?アレは今度ウィンドライダー2号機を作るのに使うんだ。ミモザがどうしても乗りたいっていうから。しかも私と二人で。もう理論上は動力をひとり分の魔力で賄うことができるはずだから、わざわざ私とでなくてもいいのにね?」
「……なるほど」
あまり人のことも言えないが、どうも妹はとことんニブいらしい。
そのあたりも、これから教えてやらなきゃいけないな。
また、明日にでも。
「じゃ、ありがと兄ちゃん。もう行っていいよ」
「……なあ、前から思ってたんだがお前が店番をしたらどうだ。外のみんな、お前をひと目見たくて集まってるらしいぞ」
「えーいいよ別に。私、結構忙しいから。ホラ、こうしてる今も」
「今も……?」
ロシュートの目には、何やらよくわからないガラクタを弄り回しながら、よくわからん分厚い本を読んではニタニタ笑う妹が映っている。
「なあ、ユイナ」
「キャアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」
「なんだっ!?」
外から聞こえた悲鳴に、ロシュートはガラクタをかき分けて窓に張り付いた。
そして、がっくりと肩を落とした。
「ロシュート!ロシュート大変だ!ウマコトが来たんだ!おかげで列が大変なことに!もみくちゃにされてるアイツの仲間の一人が怒りだしてるし!なんか白衣の、水色の髪の子が!ユイナに会わせろって!」
階段を駆け上がってきたミモザが息も絶え絶えに報告してくる。
再び窓の外を見れば、サーシャが棒を使って列を強引に成形していた。
ウマコトに握手するためと思われる、謎の行列を。
行列が行列と交差してるし、水色の髪の白衣の少女がこっちに走ってくるし、他のやつもやりたい放題しててもうしっちゃかめっちゃかだ。
そして、ロシュートは視線を戻した。
心底嫌そうな顔をしている、妹の顔へと。
「ああ、妹よ」
ロシュートは心の底から懇願する。
「頼むから、働いてくれないか……?」
「私はここでめちゃくちゃ働いてんの!それでも需要に足りてないからこうなってるの!人前に出て足を動かしまくる以外の働き方もあるんだって、兄ちゃんにもいい加減分かってほしいんだけど!」
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
気がつけば結構長くなっちゃいましたね。
たぶんそのうち同人誌か何かにするので、ながーいあとがきなんかはその時にでも。
続報はTwitterにて待ってくださるとうれしいです!
あと感想もお待ちしてます!
ではまたどこかで。
次回作は学園ラブコメか、それともファンタジーか……?




