【第117話】道
綺麗な金色の髪が暴風に躍る。
次の瞬間、目も眩むような閃光が俺の身体を貫いた。
と、いうことにならないように、先んじて詠唱を始めていてよかった。
「『タイムキーパー』っ!」
俺の左の手のひらから放たれた光が先にカーネイルを照らした。
翻った金髪、それを濡らしていた雨粒。それらすべての動きが、いや、時が停止する。
「取ったッ!」
右手に握りこんだ風の刃がそのまま男の心臓を貫けるよう、地面に対して平行に構えている。
異世界人だろうと、魔法使いだろうと、血液によって臓器を機能させている生物である以上はそこが急所で変わらないらしい、というのは俺がこの世界にやってきて最初に知ったことだった。
「フッ!」
「うわっ!?」
その呼吸音は判断に遅れて聞こえてきた。足を止めたのはただの直感。
だがカーネイルが抜刀した雷が俺の靴のほんの数センチ先にある地面を焦がしたところを見るに、どうやら正解を引いたらしい。
「もう動き出したのか、やるね」
「あまり舐めないでいただきたいね、Sランク冒険者」
カーネイルは右手に握った雷をバチバチと滾らせながら呆れたように笑った。
「オレが何の手も無しにキミの相手をすると思っているわけじゃないだろ?キミの『タイムキーパー』に関する報告書は読ませてもらった。ただ数秒止められるだけの魔法なら、間合いを適切に保てば何の問題にもならない」
「そう?俺が本気を出していないだけで、もっと長く時を止められちゃうかもよ!」
何か喋りながら作業をするのは昔から得意だ。特に意識してなくても、言葉はいくらでも吐き出せた。
ま、全部ひとり言だったけど。
なんてことを考えているうちに、カウンターのつもりで振った『辻風の剣』は空を斬った。残念。
「最初の一回が過ぎてしまえば、効果時間は大した問題ではない」
「がぼっ!?」
身体を駆け抜ける衝撃と閃光。勝手に痙攣した声帯が言葉にならない言葉を紡ぐ。
「オレの『雷』は瞬きの間にお前を斬る。一度抜刀にさえ成功していれば、キミに詠唱の隙なんか与えないからね」
「いばばっ」
感電によって乱れた神経が滅茶苦茶な痛覚信号を送り出しているはずだけど、受け手の脳もバグっているのでかゆいような熱いような不思議な感覚だ。
とはいえ、人体はそう何度も感電して無事なようにはできていない。
「……おや」
『アブソリュートシールド』、展開成功。
ああ、落ち着くなあ。壁に囲まれていると。
拒絶の意思の表れだとかなんだとか?でも実際、人と関わるのって結構疲れるよね。
ともあれ、ようやくまともに呼吸ができる。
「詠唱破棄は強者の特権、聞いたことない?」
「そんな言葉は聞いたことがないが、まあでも、できなくはないんだろうな」
半透明の壁越しに、カーネイルが肩をすくめるのが見えた。
「オレだってこの『雷』はちょっと意識すればすぐに抜刀できる。だいたい、魔法の名称など伝統的にそう呼んでいるからという理由で決まっているに過ぎないし。魔力を操る方法をそれしか知らないから、詠唱することで魔法を使うやつが多いってだけで」
言いながらカーネイルが赤いペンダントを掲げた瞬間、鼓膜が壊れたかと思うほどの爆音が轟いた。
周囲の樹へ一気に雷が落ちたかと思うと、最後に一番デカイのがシールドに直撃したらしい。
しかも一発ではなく、継続して何十発も。
「へえ、それってそうやって使うんだっ……!」
「『アブソリュートシールド』は一見無敵の盾だが、結局のところ魔力で生み出されている魔法現象であることに変わりがないんだとしたら当然あるはずだよね」
こちらの声はおそらく聞こえていないであろうカーネイル。当然あっちの声もまともに聞こえないが、その口の形が物語っている。
「Sランク冒険者にも、限界ってものがさ」
一瞬、意識が飛んだ。気がつけば、見えているのは曇り切った空とワケが分からないほど巨大な龍。
ひときわ大きな雷が直撃したことで『アブソリュートシールド』が砕け散った。その衝撃で吹き飛ばされた俺は地面を転がり、頭を強く打ちつけてしまったようだ。
「ぐうっ……」
ひどく吐き気がするが、なんとか立ち上がることができた。
ズキズキと痛む頭を抑えたら、ぬるっとした感触が返ってきた。出血しているらしい。
「あーあ、白衣が台無しだし確実に縫い傷になっちゃうよこれ」
「縫い傷だけで済むわけないじゃんっ!」
「っ!『タイムキーパー』!」
少し離れた位置から雷の刀を構えたカーネイルの動きを止めようと詠唱するが、一手遅れた。
間合いを超越し、文字通り光の速さで着弾した雷が目の前の地面を吹き飛ばしたところまでは見えたが、次の瞬間にはまた空を見上げて倒れていた。
「おや」
俺が立ち上がるのを丁寧に待ってくれていたカーネイルは微笑む。
「今度は数秒も止まらなかったような。もしかしてその時を止める魔法、すでに使い物にならなくなってる?」
「それは、どうかな……?」
負けじと笑い返すが、流石にもう見抜かれていそうだ。
「なるほど。そういう仕掛けだったのか」
呟いたカーネイルは握っていた雷を消滅させ、手を広げた。
「どうした、攻撃しないのかい?絶好のチャンスだっていうのに……なんて、言ってもしょうがないか。キミ、もうロクに魔法が使えないんだろ」
「……いま使うのはもったいないってだけだよ」
試しにそう言ってみたら、アハハ、と心底退屈そうな声が返ってきた。
「昨日の夜から飛行魔法『エンジェルウィング』の長時間使用にはじまり、『アブソリュートシールド』の連続発動、それを含めたアンリットや衛兵たちとの戦闘……普通は立っても居られないくらい消耗しているはずだと考えると、そこはさすがだね。異世界人」
「お褒めにあずかり恐縮です」
「おおかた、あの詠唱破棄で相当な魔力を食ったんだろ。そりゃそうだよな、たかだか人間に溜め込める魔力の量なんてたかが知れているんだ」
美しい金髪を片手で払いながら、自称・神の末裔は龍を見上げた。
「ラ・テンペスタ。『嵐の龍』の神話の正体。あいつは神様でもなんでもないただの魔法生物だけど、その魔力蓄積量はまさしく神がかっている。体内に特殊な魔力路があるらしくてね。注ぎ込めば注ぎ込んだだけ魔力をストックする。そしてそれを取り出すのも簡単だ」
カーネイルの手元で赤色が輝き、俺の身体を閃光と衝撃が貫く。
「ぐ……」
雷が直撃した人間が意識を保てているとは考えにくいから、手加減はされているのだろう。けど、意識はすでにぶっ飛びまくっているし、気がつけばまた地面に倒れている。
「魔法機経由で特殊な波長の魔力波を『受信』させてやることでコントロールできる。あの龍の頭についているのは、以前頓挫した魔物を操縦するための魔法の開発過程で生まれた副産物でね。装置の起動にそもそも莫大な魔力を必要とするから、そこらの魔物に『受信機』を取り付けたとしても起動に足る魔力を吸い上げられなかった失敗作。逆に言えば、膨大な魔力を溜めこむ性質を持つ『嵐の龍』専用の制御魔法機なのさ」
言ってる言葉の半分も頭に入ってこない。
「なあ、ウマコトくん」
カーネイルがしゃがみ、倒れている俺の顔を覗き込んできた。
心底哀れむような眼だ。
これまでも何度も見たことのある、他人が俺を見る眼。
「どうしてキミは、力を持つ者なのに改革を望まない?」
「……」
「オレはキミの記憶を見た。忌々しい秘伝の術を使ってね。ここではない世界のことはよくわからないが、キミは優秀だったが故に周囲から疎まれていたじゃないか。既存の価値観でしかモノを測れない、伝統にしがみつくことしか能がない愚かな奴らに、ひどい目に遭わされていただろう」
言いながら、カーネイルが頭に手をかざしてきた。
テンペスタ・デ・レクエルド。
他人の記憶に共感するための術。
強制的に描き起こされた記憶は、俺のものじゃなかった。
「何をするにも伝統、慣例、習慣……生まれた時から周囲に決定されている運命ほどつまらないものもない」
荘厳な儀式、神話を引き継ぐものとしての義務、知的好奇心による探求の禁止。
神の末裔の、苦い記憶が流れ込んでくる。
それはまるで。
「そうだ。オレはキミに同情しているんだ、ウマコト」
神の末裔が甘く、優しい声で語りかける。
「物心ついたときから定められた道をたどらされるだけの退屈な人生。先へ先へと進んでみても、結局は決まりきった運命を早めに消耗しているに過ぎない。そのことに気づいていたから自分と同じくらい、あるいはそれ以上に賢く、それでいて死の運命によって定められた道から早々に退場できそうな少女に惹かれたんだろ?」
羨ましくて、たまらなかったんだろ。
囁き声に、気がつけば首肯していた。
その通りだ。
俺は唯奈が羨ましかったんだ。
親よりも、周囲のどの人間よりも強大な、死という力で退屈な人生から引きはがされそうになっている彼女は、他の何よりも輝いて見えた。
高い確率で死がすべてを終わらせてしまうと宣告されていた彼女は、だからこそ、定められた道の上にいるとは思えない発想で未来を語った。
彼女の語る未来が、俺の決まりきった未来に交差することを何度も夢想した。
そんなことはありえないから、いくらでも夢想できたんだ。
だから、彼女が未来を語らなくなったとき、どうして自分がこんなにも悲しいのかと混乱したものだ。
唯奈は来るはずのない未来を語っていた。
逆に言えばその未来は、来なくたって構わないはずだった。
だって来るはずがないのだから。
そんな未来が訪れる前に、彼女は死ぬのだから。
けれど、実際にそんな未来は無いと現実に突きつけられたとき、変わり果てた彼女の姿に心を乱されたときにようやく気がついた。
「俺は本当は、彼女の語る未来が本当にやってきてほしかったんだ」
ひとり言が鼓膜に跳ね返る。
音が反響するたび、唯奈が語った未来が再生される。
病気が治って、学校に行って、授業の範囲をとっくに追い越していることを自慢して、他人の宿題を手伝い、テストを受けて、放課後や休みの日には遊びに行って、卒業し、進学し、学者になって、記録に残る発見をし、自身の名を歴史に刻む。
荒唐無稽な、夢のような未来。
「だからキミは願ったんじゃないか。今度こそ、彼女を病から救ってみせると」
「けど、この世界で唯奈は、もう病気じゃなかった」
唯奈はもう自分が語る未来を掴める。
死んでしまったはずの兄も蘇っている。
じゃあ、俺はなんだ?
俺は、何をしにこの世界へ生まれてきたんだ?
こんな『普通』ではない力をもってして、いったい俺に何をしろというんだ?
無意味な存在として、執着と後悔だけを引き継がされて。
俺が交わることのできない『未来』を見せつけられて。
いったいこれは……何の罰なんだ?
「ならば、キミの役割はなんだ?ウマコト」
神の末裔がささやく。
度重なる電撃に焼かれた脳へ、単語に分解された言葉が反響していく。
「俺の、役割は……」
耳鳴りがする。
高い、唸り声のような音が大きくなって。
「『ソイルタワー』ッ!」
土に手を突き、詠唱。
いけ好かない金髪野郎の顎を、せり上がった土が殴り飛ばした。
「なっ……!」
「危ない危ない!未来のことを考えるのをやめて以来忘れていたけど思い出した!俺が彼女に教えてもらった、俺自身が望む未来のことを!」
ポケットからケータイ、じゃなかった。『コール』用の端末を取り出し、操作する。
「俺はいつの日か、唯奈をひとり占めしたいと思ってたんだった!」
頭上へ近づいてくる甲高く唸る音に負けないように言わないとね!
「唯奈!一生に一度のお願いだ、助けてくれ!」
『オーケー、ちょっと待ってろ』
カーネイルの手元で閃いた雷は『タイムキーパー』で一瞬ラグを作って命中地点をずらしつつ、
「『ウィンド』!」
軽く発生させた上昇気流で、落下してきた美少女をゆったりとキャッチ。
もちろんお姫様抱っこで。
「親方!空から美少女が!」
「バカなこと言ってないでとっとと下ろして」
「アッ、ハイ」
彼女は俺が屈むのも待たず身をよじって地面に降り立つと、ぱっぱ、と砂埃を払った。
そして、こちらをちら、と振り向いて、
「何ボロボロになってんの。バカじゃないの?約束した通り、助けるのは本当にこの一回だけだからね」
「ありがとう唯奈!最高にツンデレ可愛いよ!」
「キモ」
うーん、懐かしくも美しい言葉だ。
空を見れば、脩人兄さんが操縦しているらしい空飛ぶバイクが飛び去って行くのが見えた。
「よぉし!久しぶりに二人で共同作業だね、唯奈!」
「うわぁやっぱ久しぶりだとウザさも数倍増しね。一緒にいるとムカつきが止まらないわ」
だから、と区切った唯奈が細身の杖を取り出し、正面でリア充爆発しろの表情をしている金髪に向けた。
「さっさとカタをつけましょ」
「そうだね!俺らのリア充っぷりを見せつけてやろう!」
「死ね」
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