【第110話】圧倒的な力
「征け」
アンリットが一言指令すると、整列した衛兵たちが一斉に行軍を始めた。
動きは遅く、単純。だが文字通り一挙手一投足が揃っている。
そんな兵士たちが前後左右から行軍し、天で円を描くように旋回している竜までもがアンリットの『ミュー・フォース・ハーモニクス』によって支配され、その包囲網を狭めてくる。
どうにもならなくなるのは時間の問題だった。
「さて、どうする?」
「それは私に聞いているの」
すた、と着地したヴェルヴェットは傍らの男に問いを返す。
「私が支配を乗っ取っていた竜は制御を奪い返されちゃった。どうも『ミュー・フォース・ハーモニクス』は彼らが有害魔力波から身を守るために使っていた魔法陣を通じて兵士たちの一斉支配を行っているみたい」
「とはいえ他人の神経系の指令をまるごと乗っ取っているんだとしたら、とても並みの人間の脳で処理できる情報量じゃない。簡単な指令のみできるようにしているとしても、数十人ならまだしも、流石にこの国の兵士全員を操っているワケじゃなさそうだよね。せいぜいこの時計塔の周辺だけ」
「あんまりおしゃべりしている時間もないわ。このままだと生ける屍たちに圧殺されちゃうけど」
「かといって俺も疲れてきたし、なんかこう、一網打尽にできる方法が欲しいね」
「皆殺しにでもするつもり?まあお前らしくはあるわね。それともお前のその『なんでもアリ』の力で全員洗脳し返しちゃう?」
「俺を何だと思ってるんだよ!俺には【生命力】の魔法は使えないんだ!殺しちゃうならともかく、洗脳なんて……」
言いかけて、硬直する白衣の転生者。
そう間を置かずに、ウマコトは手をポン、と鳴らして、
「そっか!それでいけるかも!」
「はぁ?全員洗脳するって、本気で?」
「まあまあ耳かしてよ」
「嫌だ。お前の息を浴びたくない。普通に言え」
「こういうのはコッソリ話さないと成功しないの!」
「チッ」
ウマコトは少し屈んで、観念した傍らの女にゴニョゴニョと耳打ちする。
「……本気?」
そして話し終わり、呆れ顔で見上げてくるヴェルヴェットに親指を立ててニッコリ笑い、
「もちろん。俺たち、仲間だもんね!」
「……」
相も変わらないムカつく笑顔。親の仇。
眼を逸らして周りを見ても、さっきよりも狭まった包囲網。見上げれば竜の腹と真っ黒い雲。
結果的にこのいけすかない男の隣にいる時間が短くなるのはどちらか。生き残りやすいのはどちらか。
「あーもうっ」
色褪せた頭を掻きむしり、ヴェルヴェットはギロ、とウマコトを睨む。
「2分で済ませる。終わったら合図するからすぐ動きなさいよ」
「了解!ではいってらっしゃい!」
「いってきますクズ野郎!」
背後の兵士たちの方へと突っ込んでいくヴェルヴェットから罵声を浴びつつ、ウマコトは正面の軍団へ向かい合う。
「それじゃ、俺の狙いは相変わらずボス級ってことなんでよろしく!『白銀の氷槍・絶』!」
「無駄だ」
アンリットの前を守る衛兵たちは発射された巨大な氷の槍に対し集団で魔法をぶつける。
炎に氷に土に風。氷の巨大槍は勢いを相殺され、その狙いをずらして手前の地面へ突き刺さる。何人かの衛兵が巻き込まれるが、彼らはもはやその程度のことに動じない。
進軍を止める気配はない。
「訓練によって統率された動きを取るには限界がある。だが私ひとりが直接操れば、この通り」
指揮官は聞かせる気がなくとも語り、見せる気がなくとも血液で出来た剣で冒険者を指す。
「コンタクト」
瞬間、衛兵たちの動きが変わった。
地上から、空から突き刺さるような視線の群れ。さっきの比にならない殺意の集合にウマコトは苦笑する。
「俺ばっかり狙ってていいの?ヴェルヴェットもあっちで戦ってるんだけど」
「あの女の竜を乗っ取った手腕は見事だったが、今やそれは不可能。最も危険な戦力は貴様だ。それに、あくまで最優先目標が貴様というだけ。私はいかに些末な問題であっても、対処するとも」
「ああそうかいっ」
喋っている間にも兵士たちの動きが止まったわけではない。ウマコトは槍を避け、避けた先に飛んでくる魔法攻撃をかわし、転がった地面へ先読みして振り下ろされる槌を防ぐ。
「くそっ、どこもかしこも置き攻撃まみれにしやがって!」
「当然だろう。全て私なのだから。立て直しの隙など、与えん」
空から突っ込んでくる巨体。その猛毒のかぎ爪をなんとかかわしたウマコトはしかし、2匹目が振るった尾を避けられない。
「ぐふっ!?」
自身のミシミシと骨が軋む音が響く。ウマコトは吹っ飛ばされた勢いを【炎属性】の魔法でなんとか殺しつつ着地し、軽く身体を触ってその無事を確認した。
「痛いなぁもう。ギリギリひびで済んでるかな。内臓はあとで確認するとしてッ」
ひとり言を呟いていた冒険者はすんでのところで詠唱した『ソイルタワー』で地面を舐める灼熱のブレスを避けた。だが、完璧に統率の取れた兵士たちがそれを逃すはずがない。
「うわぁっ!」
次々撃ち込まれた矢と火球にウマコトはバランスを崩し、土の塔のてっぺんから転落。だが地面へ落下した衝撃が来る前に、その身は横殴りの衝撃を受けていた。
「ぐぅ……!ちょっと握力、強すぎ……!」
空中で爪に絡め取った冒険者の身体を、竜はギリギリと締めあげていく。
その力もさることながら、ウマコトにとって最もマズいのはその爪から滴っている黄色っぽい液体。
ブラッドワイバーンの出血毒は血液成分を破壊し、傷口の治りを阻害する。それだけでなく逆に傷口を広げ、さらなる出血を強いる猛毒。
ロクな応急処置もできないこの状況でそんなものを浴びてはまず助からない。
「仕方ない、『手のひらに太陽を』っ!」
ヒュガッ!と、閃光と爆発が竜のかぎ爪をこじ開けた。
だが至近距離の爆風をまともに浴びて術者が無事なはずもない。口いっぱいに広がる鉄サビの味を噛みしめながら、さらに詠唱。
「『抜ける天底』!」
大量の水が発射され、落下の勢いを殺す。
「ガハッ……!」
とはいえ高速で泥の上に叩きつけられた冒険者は衝撃に息を詰まらせる。
「拘束しろ」
「ッ!」
もちろん休んでなどいられない。ウマコトが身体を横たえた地面がずっ、と盛り上がり、大量の土の蛇となって襲い掛かる。
それに絡め取られれば一巻の終わりだ。しかし魔法で吹き飛ばそうにも、地面を背に寝ている今の状況では逆に自分の身体が爆風の圧力に耐えられずにつぶれてしまう。
それを理解しているからこそ、ウマコトは切り札を出すことを躊躇しない。
「『タイムキーパー』ッ!」
無色透明の閃光。それを浴びた触手たちの動きは突然鈍重になる。その隙を見逃さず、ウマコトは詠唱した『辻風の剣』で触手の森を切り開き脱出。直後、動き出した触手たちは互いが互いを食い合い、泥の柱へと成り果てる。
「時間制御の魔法か。ハッ、何属性なのだろうな、それは。とことん無法だな、冒険者」
「あいにく『普通』じゃないものでね!」
「だが今まで見せずに取っておいたということは、そう連発できるものではないのだろう?」
指揮官は即座に敵の弱点を見抜く。たとえ、冒険者が玉のように浮かべている額の汗が暴風雨のなかに誤魔化されてしまっているとしても。
「もう一度防いでみろ、『なんでもアリ』」
「クソっ!」
自身に覆いかぶさる巨影に気づいたウマコトが飛びのいた瞬間、立っていた場所へ竜のかぎ爪が食い込んだ。さきほど冒険者を捕まえ、片脚を吹き飛ばされた瀕死の竜。
その急降下攻撃を無事避けたはずなのに、ウマコトは背筋が凍るような感覚にハッとする。
追撃の衛兵たちが待ち構えていないのだ。動きは簡単に読めたにもかかわらず。
「まずいっ!」
「起爆だ」
目の前にいる竜の、その巨体に刻まれた魔法陣が赤く輝く。
「『ソイルウォール』!」
ウマコトは【地属性】の魔法によって壁を作ろうとして、気づく。
「高さが足りない!?」
自らの足元の土を使って壁を作る魔法『ソイルウォール』。
だがウマコトの足元の地面はとっくに土がほとんどなくなっており、半端な高さの土壁を生成したのちに残ったのは敷きつめられたレンガのみ。
今更気づく。
花壇の真ん中。しかも、土は衛兵たちの『ソイルウィップ』に使用されほとんどなくなった、乾いたレンガの桶に自分は立っていたのだ。
(誘導されたッ……!)
心中歯噛みするウマコトだが、もう遅い。
「いくら無敵の冒険者でも、魔力が尽きる瞬間は存在する」
竜が破裂する。その瞬間に指揮官は問いかける。
「ならば、この最終局面においては『アブソリュートシールド』などという強力な魔法ではなく、もっと一般的な魔法で魔力を節約しようとするだろうと想像するのはそんなに難しくないとは思わんかね?」
音が消える。
竜が体内に溜め込んだ大量の血液が弾丸となり、爆発によって飛ばされた鱗や爪、骨、肉の破片までもが殺傷力となり白衣の転生者に襲い掛かった。
「……」
血と土で出来たカーテンが暴風に洗い流されていく。
その奥に立つ影を認め、指揮官は眉をひそめる。
「防ぎ切ったか」
「なんとかね……!」
ヨロヨロと、負傷した左腕を庇って立つ冒険者はそれでも笑っていた。
「全く、とんだ爆弾だよ。こんなに傷だらけであんな量の血を浴びちゃったら破傷風は不可避。やっぱその血液魔法とやら、使用禁止にしないと疫病が流行りまくってヤバいことになりそうだね」
「なぜ生き延びている、と聞くのは野暮だな。単に私が貴様の余力を見誤っていただけのこと。次はそうはいかん。貴様らが何を勝算としているのかは知らんが……」
咳こみ、血を吐きながら、アンリットは血液の大剣を再度地面へ突き立てる。
「私はそれを凌駕してみせよう」
「……そろそろ」
再び動き出した軍を眺め、ウマコトは、
「そろそろだよね、ヴェルヴェットっ!」
それでも笑顔で、仲間への信頼を口にする。
そして呼応するかのように、その瞬間はやってきた。
ピィーーーーーーーーーーーッ!と。
甲高い指笛の音が暴風雨に混ざり、鳴り響く。
「来たっ!『エンジェルウィング』!」
「何っ」
ウマコトは光の翼を背負い、後方へ一気に飛んだ。アンリットは予想外の動きに一瞬面食らったが、すぐさま意識を切り替えて衛兵たち、竜たちを追撃に向かわせる。
「……まだそれが使えるほどの余力があったか。いや、それはない」
アンリットは自問自答しつつ、更新する衛兵の後ろをゆっくりと歩む。
「底なしに見せかけた最後の意地。追い詰められたネズミの虚勢。そうだろう」
そして歩みを止め、問いかける。
「そうなのだろう、冒険者。そして、脱獄者」
衛兵が、竜が囲むその中心。
ズタボロになった白衣の転生者と、身体中から血を流している色褪せた金髪の女は互いに背中を合わせて立っていた。
「うわ、すごいボロボロじゃないか。大丈夫?」
「それはこっちのセリフ……!お前、最強無敵の冒険者って触れ込みじゃないの?」
「他の人がそう言っているだけさ。僕はいたって『普通』なつもりだったんだから。ところでさ」
ニッ、と笑い、ウマコトは背後の女に問いかける。
「うまくやってくれたんだね?ヴェルヴェット」
「当然」
鼻で笑い、ヴェルヴェットは背後の男を肘で軽くどつく。
「そっちこそ、ちゃんとやり通せるんでしょうね?」
「もちろん」
ウマコトは両手を広げ、堂々と宣言する。
「俺はやれないことはほとんどないSランク冒険者、佐藤誠だからねっ!」
アブソリュートシールド。
詠唱と共に、2人をちいさく囲む球状の結界が出来上がる。
「……なにをするかと思えば、最後の寿命稼ぎか」
アンリットはフゥ、とため息をつく。
『ミュー・フォース・ハーモニクス』の使用限界が近づいてきているのが自分でも分かる。本来、発動後は即座に敵を圧倒・制圧している前提の魔法だから仕方がないのだが。
個にして群、指揮官にして兵。
単独における欠点を完全に克服した生命体。
それがこんなちっぽけな2人の人間を征圧できないわけがないのだ。
「ならば、貴様らが尽きるまで付き合ってやろう」
怒りにに似た感情は兵士へと伝播していく。
「その最後の魔力が尽きた時が、貴様らの最期だ……!」
一斉攻撃の指令が伝わり、半透明の壁に向かってあらゆる攻撃が撃ち込まれる。
「武器による攻撃も、魔法攻撃も、竜の爪も通さない絶対の盾。常人には詠唱不可能とされた伝説の魔法」
アンリットは嘲笑するように語る。
「蓋を開けてみれば、異世界人ごときに詠唱されてしまうとはな。おとぎ話にしか出てこない『アブソリュートシールド』が純然たる力として振うとは恐ろしい存在。だが伝説の終わりはこうだ」
伝説に語られる存在でしかない魔法。それを使いこなし、邪竜を打ち倒した術者の最期は。
「全てを拒絶する力を持った勇者は、その不気味さゆえに全てから拒絶され、死に果てる。馬鹿な者よな。その力を個人の範疇に留めず、兵器として広く運用可能なものにしていれば自らその力を振るわずとも王によって重宝されたであろうに。伝説に何を言っても、不毛なことだがね」
アンリットは嗤いながら魔導書を取り出し、手を当てる。
「聞けばその障壁、魔力波も通さないそうじゃないか。ならば、いま『ミュー・フォース』の出力を上げたところで貴様らには届かん。暴走魔力を利用されることもなく、私の支配力を増幅するだけに使える。それどころか、暴走魔力は魔法出力を上げて制御することが可能なのであったな?貴様がやってみせたように」
ちっぽけな存在を、圧倒的な力で潰すために。
「なら、私にできない道理もない。私の末端をいくらか使えば十分調整する猶予はある」
生物としての完全体、拡張された己の存在を見せつけるために。
「死ね。不完全な者ども」
詠唱する。
「『ミュー・フォース』、出力上昇!」
キィイイイイイイイイン、と特徴的な音。赤く光り輝く時計塔。
それと同時に『ミュー・フォース・ハーモニクス』によって高出力魔法を発動させられた衛兵たちが何人か破裂したが、群としてはすぐに安定して高出力魔法が放たれるようになった。
「ハハハハハッ!やはり、やはり個人の才能など所詮はこの程度!『群としての個』こそが完全なる生命、完全なる力!」
半透明の壁がひび割れていく。
「それが壊れた瞬間だ!暴走魔力を利用する隙があると思うなよ、一瞬で消し炭に……」
圧倒的優位に、その光景に、言葉が詰まる。
「……な、なんだ。何が起きている!」
確かに冒険者の作り出した障壁はひび割れている。兵士たちは高出力魔法を撃ち、竜たちは溜め時間なくブレスを吐く。
だが、その何割か。
およそ半分程度、障壁ではなく、周囲の味方に攻撃している者たちがいる。
「ぐうっ!?」
瞬間、襲い掛かる激しい頭痛。
いや、頭痛などではない。
何か、意志のようなものが、いっぺんになだれ込んでくる!
「国を、守る……!敵を、殺す……!な、なんだこの単純化された、雑な指令はぁっ!?」
アンリットは流れ込んでくる苦悶、苦痛を耐えることができない。
脳のキャパシティを超えた意識のフィードバック。その発生源に、なんとか気づく。
「私の兵どもの、魔法陣……!?」
「ま、ちょっと薄い勝算ではあったんだけど」
指揮官の処理能力がパンクしたことで、兵士たちは制御を失い互いを攻撃しあっている。もう収拾はつかない。
その中心、白衣の冒険者はビシッとアンリットを指さした。
「俺がお前を相手にしている間、ヴェルヴェットは後方の兵士たちの魔法陣を上書きして回っていたのさ。彼女が過去にも使ったエルフの『加護』……いや、自らの意志に準じる心だけ残して身体を強化する『メサイア』の魔法陣にね」
「『メサイア』、だと……!」
「仕組みは単純だよ」
ヴェルヴェットは呆れたように肩をすくめながら、
「アレは暴走魔力によって発動するようになっている、『ミュー・フォース』とセット運用が前提の魔法。だからその魔法陣は高出力の魔力波を浴びれば自動発動するようにもできるんだよ。『狼』から聞かなかったか?」
「あんたが全部の兵士の制御を掌握していると聞いてピンと来てね。どうだった?軍の半数程度から暴走する『意志』のフィードバックを貰った感想は」
「貴様らっ……!」
アンリットは怒りのまま、空を飛んでいた飛竜を一匹呼び寄せる。
「殺す、絶対に……!何年かかっても、必ず!」
『竜装具』で制御されているブラッドワイバーンに『メサイア』はそこまで効果がないはず。これで戦線を離脱し、後で必ず殺す。
「いい意地だ」
その殺意を、復讐を感じ取ったヴェルヴェットは呟く。
「けど、視野が狭まっているようだね」
ハッと気づいたアンリットが見上げた時にはもう遅い。
「スピット、やれっ!!」
『竜装具』のついていない竜。ヴェルヴェットの唯一の家族は指示に従い、血まみれとなっていた男をその脚で握り、締め上げ、黙らせる。
「復讐心は目を曇らせる、ね。よーく見せてもらったよ」
ヴェルヴェットは再びため息をつきつつ、久しぶりに見るその姿がぼやけているのに気づき、涙を拭った。
「おかえり、スピット!」
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