【第11話】兄なるもの
妹と幼馴染に見送られながら『リンドベルトの憩いの宿』を出たロシュートは南門に到着した。
Dランク冒険者(今回は彼一人)と衛兵はここで集合し、防衛用の荷物を積んだ馬車と共に防衛地点まで移動することになっている。
「ロシュート、来たな。俺たち衛兵は街を守っちゃいるが本格的な魔物退治なんかしたことがねえ。ブラッドワイバーンを倒したことある冒険者が力を貸してくれるなら百人力だぜ」
「だから俺ひとりで倒したわけじゃない。てかお前も事情は知っているんだろ、担ぐなよ」
多くの衛兵が準備をしている中で彼の到着に気づいたハルベルトが笑いながらそう言い、ロシュートは背負わされる期待の重圧に恐れを通り越して呆れて肩をすくめた。
だがいつもの鎖でできたチェーンメイルではなく鉄の板でできたプレートメイルの鎧を着こんだいつもより重装備のハルベルトを見てしまうと、いよいよ危険な戦いが始まるんだなという意識が嫌でも高まる。
ロシュートの言葉と目線から彼の胸中を察したのか、ハルベルトは豪快に笑いつつも神妙な顔をして呟くように言う。
「悪い悪い……だがよ、正直なところお前の存在は本当に俺らの心の支えになってるんだ。いつも街中で顔を見るお前がいてくれれば、いつも通りに街を守れるって、そう思える」
ハルベルトの拳は強く握りこまれ、少し震えている。
彼らも怖いのだ。敵わなくても降参すれば命は助かるかもしれない人間と違い魔物は人に危害をもたらす危険生物をそう呼んでいるだけであり、結局のところ獣だ。冒険者たちがそうであるように、衛兵であるハルベルトたちは魔物に殺され食い漁られた遺体を何度か目にしている。
魔物に立ち向かおうといういま、その光景を思い出さない者はいなかった。むごたらしい死への根源的な恐怖を振り払うように、ロシュートは拳を突き出す。
「大丈夫、俺はDランク冒険者だ。俺が配属されるような場所に勝てないような相手は来ねえよ」
「なんだよその慰め方。でもまあ」
それに呼応するようにハルベルトも拳を突き出す。
「無事に生きて帰ろう、ロシュート!」
「もちろんだ。空飛ぶオオトカゲ共に人間の底力を見せてやろうぜ!」
どしっ、と力強く拳がぶつかり合わせ、彼らは迎撃用の物資を積んだ馬車と共に出発した。
もう後には引けない。やることをやるだけだ。
衛兵たちとロシュートが馬車で数分も経つと待機場所に到着した。
ロシュートが馬車を下りあたりを見渡すと、街道の脇、小さな丘の上に佇む木には見覚えがある。ブラッドワイバーンと相対したあの日、妹とすこし休憩をした場所だ。
まだ南門が少し見えるこの位置が、彼らに任された防衛線ということになる。あの時、妹がこの場所で発した言葉が頭を離れない。
おそらくウマコトのパーティに所属しているときに言われた言葉、ならどうにかしてあのいけすかない顔に叩き返したいところだと、そんなことを考えながらロシュートは丘にのぼる。
森の方を見ればちらほらと冒険者の一団が見える。前線を守る高ランク冒険者たちだ。遠くからでもわかる高性能な装備に、彼はなんとなく恐怖が和らいでいくのを感じた。
もしかしたら魔物は自分たちのところまで来ないんじゃないか、ロシュートがそう思った矢先だ。
ドォッ!何かが爆発するような音と共に、森の中から爆風が吹きあがった。木々の隙間から多数の鳥たち、それを遥かに凌ぐ数の影が飛び立つ。
「ブラッドワイバーンだ!」
衛兵の誰かが叫ぶ。数十頭ものブラッドワイバーンは息を合わせたように森の中から飛び立ち、前線の冒険者たちに襲い掛かり始めたのがロシュートからも見えた。遅れて街の方から角笛の音が聞こえ、作戦開始の合図であるのろしが上がった。
「クソッ、不意を突かれているのか。予想より竜の進行が速かったんだ!」
ロシュートはまだ戦闘の準備ができていない衛兵たちを手伝うべく丘を駆け下りようとしたその瞬間、先ほどとは違う連続した爆発音を聞いた。音のする方を見ると、悪夢のような数のブラッドワイバーンの群れが一瞬で目に見えるほど撃ち落されていくその中心に飛び回る人影が見える。
飛行しながら複数のブラッドワイバーン戦うなどという無茶ができる冒険者は限られている。おそらくウマコトだ。彼がさらに別の方向を見れば、空を飛ぶブラッドワイバーンの多くがかなりの速度で撃ち落されている。それらもまた、平均ランクAを超えるというウマコトのパーティメンバーが中心になっているに違いなかった。
「アレってウマコトさんだよな。すげえ……」
「これならいけるぞ!ってか俺たちって要るのか?」
衛兵たちも彼と考えることは同じで、遠くの空で繰り広げられるまるで別次元の戦いに目を奪われている。ロシュートは衛兵たちのその呆けた様子を見て逆に気合を入れなおした。
あんな何でもアリの天才野郎に負けてられるか。
「みんな、見ての通り作戦は前倒しで始まっちまったらしい!とっとと準備しねえとこっちにもいつ魔物が来るかわかんないぞ!」
ロシュートは丘を下りつつ衛兵たちに声をかけ、けが人が出たときに退避させるための担架や予備の武器などが入った箱を馬車から下ろして作業を始めた。前線の冒険者たちと違い個人の戦闘能力が低いため、こうした備えをしているかどうかで明確に生死が分かれるだろう。
だが作業を始めてすぐにハルベルトが叫んだ。
「ロシュート!カニ共が来た!」
「さっそくかよっ!」
ロシュートが顔を上げると、街に向かって草原を前進するフォレストクラブが何匹か見えた。地属性魔法の魔導書を取り出し、右手には短剣を構える。
これがロシュートや衛兵たちに任された役割。
最前線で高ランクの冒険者たちは主にブラッドワイバーンの群れを相手にするが、そうなると当然パニックになった他の魔物が街側に逃げてくる可能性がある。それらをすべて最前線で相手にすることはできないため、不幸にも街へ向かってしまったそれらの獣をロシュート達が防ぎきるのだ。
森に面した南門につながる街道さえ守れば、小型の魔物は街の小さな防壁と残りの衛兵で十分程度対応できる。
「俺が足止めする!ハルベルトたちは甲羅と頭の間に槍でも剣でもぶち込め!『ソイルウィップ』!」
ロシュートが地面に右手を突きながら叫び、手にした魔導書に刻まれた魔法陣が光り輝くと彼の手元から伸びた土は蛇のようにフォレストクラブたちに絡みつき、その動きを止めた。数日前に初めて実践した使い方だが、二度目ともなると彼も慣れたものだ。
しかも今回は多数の衛兵がロシュートと共に戦っている。ものの数分でフォレストクラブたちはその全てが絶命した。
「うお、こんなにあっさり倒せるんだな。今まで戦うときは顔を槍で突きまくってどうにかしてたのに」
「フォレストクラブはちょっと素早いけど弱点を突けばこんなもんだ。身体の構造的に頭の上の隙間から奥に隠れた胴体を剣かなんかでぶった切ればあっという間。本当は炎の魔法を使えれば早いんだけど、俺が地属性魔法の適正だったから足止めだけでどうやったら倒せるかを考えたんだよ」
あっけなく魔物を倒せたことに感嘆しているハルベルトたち衛兵に、ロシュートは自嘲気味にそう言った。彼は以前フォレストクラブ討伐の依頼を受けることが決まったとき、妹から散々お使いに行かされていた本屋で購入していた危険生物図鑑で勉強していたのである。
「お前そんなこと調べてたのか……やっぱ竜を倒すようなやつは違うな」
「臆病で腰抜けなだけだよ。全然実戦経験がないから、こうでもしないと上手くやれねえ」
ハルベルトの言葉を適当に流しつつ、ロシュートは倒したフォレストクラブたちの腕関節を短剣で壊してハサミを取り外した。以前拘束を解かれて襲われたことを思い出し、今回も万が一生きていたら危険だからという理由だが、そんな彼の背中へ衛兵たちはベテラン冒険者のような頼もしさを感じていた。
背後の視線には気づかないまま、全てのフォレストクラブの無力化を確認したロシュートは立ち上がって背筋を伸ばす。
森の方を見れば前線の冒険者たちが発動した魔法によるものと思われる爆発や土埃が見える。かなり激しい戦闘が行われているようで、苦戦している雰囲気は遠く離れた彼らの方にも伝わってきた。彼の隣に立つハルベルトも同じ緊張感を持ち、街道の向こう側を見つめている。
「なあロシュート。なんだって急に、こんなに魔物が暴れ始めたんだろうな」
ふとハルベルトが口を開いた。胸の内にある疑問が自然と漏れ出したような、純粋な疑問だ。
「魔物が暴れ出した原因か、考えたこともなかった。確かにこいつらもブラッドワイバーンも危険だけど、縄張りの外の人間まで襲うような凶暴性も知性もないはず。ましてや大挙して街を襲撃するだなんて普通はありえないよな」
口で言いつつ、ロシュートは自分自身の記憶を振り返る。確かに、本来比較的大人しいはずのフォレストクラブは群れを成して襲ってきたし、ブラッドワイバーンは森という縄張りから草原まで出てきた。おまけに、本来ならまだ使わないはずのブレスまで吐いてきた。考え込むロシュートを見て、ハルベルトはゆっくりと続けた。
「これは俺の想像でしかないが、もしかするとやつらが森から出てくるのには街を襲うためじゃない、何か別の理由があるんじゃないか」
「それはどういう……ヤバい!みんな伏せろ!!」
聞き返そうとしたロシュートは会話を切り上げ、ハルベルトを突き飛ばすようにして共に伏せた。
直後、彼が目視した影、一体の竜が二人の頭上をかすめ、衛兵たちの上も通過して後ろの街道に落下した。
ロシュートが見たのはこちらに向かってフラフラと飛行する影だった。ソレは片翼に魔法攻撃を受けるもどうにか滑空し、防衛網をすり抜けて彼らの元へと墜落したのである。
「おいロシュート!まさか……」
「ああ、お出ましだぜ」
砂埃のなかに揺らめく影は立ち上がると、翼の羽ばたきでそれらを吹き飛ばして姿を現した。
その巨体は人の数倍、さらにはロシュートが以前遭遇した竜よりもさらに一回り大きい。
返り血のような赤黒い鱗に覆われた身体のあちこちは焦げ、背中の甲殻はほとんど削れているうえに右の翼は翼膜のほとんどが吹き飛んでいる。だが大人を丸のみにできそうな大きな口にずらりと並んだ短剣ほどもある牙、それを支える強靭な大あごと獲物の肉を引き裂く嘴や街道を踏みしめて破壊する伸びきったかぎ爪、一振りで人を絶命させることができる棘の生えた長く太い尾、そして真っ赤に血走った目に睨まれればそんな傷など気にもとまらなかった。
ソレは自らの生存本能に従い、衛兵たちとDランク冒険者へ容赦のない殺意と闘志を向ける。
「嘘だろ、ここには弱い魔物しか来ないはずじゃ……!」
「うろたえてる場合じゃねえぞ、構えろ!来ちまったものはしょうがねえ!」
現実逃避をしそうになっている衛兵に向けて怒鳴りながらロシュートは立ち上がり、短剣を構える。その手は震えているが、彼は笑っていた。というか、あまりにもヤバい状況にもはや笑うしかない。
彼は自らを奮い立たせるように叫んだ。
「ブラッドワイバーンの成熟個体!BランクどころかヘタすりゃAランク級の化物だ!かなりの手負いだろうが油断すると死ぬぞっ!」
ゴアアアアアアアアア!!
彼の叫びに呼応するようにブラッドワイバーンは翼を大きく広げ、ただでさえ大きな身体をさらに大きく見せ巨大な影となって吠える。この咆哮が終われば竜は動き出すだろう。地鳴りのように響く空気振動の中、ロシュートはベルトに挟んだお守りに心の中で祈った。
どうか、どうか生き残れますように。
本当は覚悟なんか決まっていない。
それでもロシュートは恐怖を見ないふりで、思い切り地面を踏みしめる。
人間と竜、生き残りをかけた戦いが幕をあけた。
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