【第10話】兄と妹と幼馴染
ギルドからの冒険者召集の命令は端的に言って非常事態であることを意味している。
王都によって非常事態条項が適用された地域のギルドは一般の依頼を制限するほかに、冒険者に対して王都で発行される緊急調査依頼をあっせんする。あっせんとはいっても衛兵も動員されるようなほぼ義務なのだが、傭兵に近い職業である冒険者たちは王都からの評価を得ようと積極的に緊急調査依頼を受けるためほとんどの場合で問題はない。
そしてこの緊急調査依頼の受注時のみ、ギルドは当該依頼のランクに満たない冒険者に受注させることができる。
早い話が、ロシュートは召集の手紙を受け取ってから3日の間にCランク相当の依頼を5つもこなしていた。
ついこの間まで魔物討伐もロクにしたことがなかったというのに草原に出てきた魔物の群れ討伐は3件、街の近くで魔物に襲われた商人の救出が2件、当然ながら彼は相当にくたびれていた。
「それでは作戦の説明を始めます」
そんなロシュートが朝から他の精鋭冒険者たちに混ざってギルドの酒場を貸し切った大規模作戦のブリーフィングに参加しているのは彼の意思ではなく王都からの命令に従った形だ。
「本作戦は森の中を調査した冒険者からの報告を受けて緊急に発行されたものです。報告によれば現在森の中でブラッドワイバーンの動きが活発になっており、他の魔物と同様、多くの個体が群れを成して草原に向かって移動しているとのこと。これらが街に及ぼす影響を危惧し、危害が出る前にせん滅することが本作戦の目的となります。動員人数からわかるようにこれは大規模作戦であり、各冒険者ランクごとに行動が異なってくるためよく理解してください。まずはAランクの冒険者たちですが……」
皆の前でAランクの冒険者から順に作戦を説明するマリーの声に彼はうつらうつらとしながら、各テーブルに1枚配られている依頼書を手繰り寄せて眺めた。参加条件はBランク以上、または魔物討伐の依頼を4件以上達成している冒険者であり、彼はDランクながら条件を満たしていたのである。
「……以上がCランクまでの冒険者の動きになります。そしてDランク冒険者、とはいっても今回はひとりしかいませんが。ロシュートさん、よく聞いてください」
「は、はいっ!聞いています!」
名指しされ一気に眠気が吹っ飛んだロシュートはマリーの顔をうかがったが、その表情は全く変化していなかった。
よく見れば彼だけでなく周りの冒険者たちも疲れた表情をしており、マリーは冒険者たちが疲労していることを承知で作戦説明をしているのだとわかる。他ならない彼女自身、目の下は隠しきれないほど真っ黒になっていた。
「ロシュートさんは参加条件を満たしている唯一のDランクであり、しかもパーティを組んでいない単独の冒険者。よってあなたには衛兵たちと共に南門付近で前線の冒険者たちが見逃してしまった魔物を食い止め、可能ならこれを討伐する役割を与えます」
「それって大丈夫なんですか?見逃した魔物ということは、それこそ強力なブラッドワイバーンとかだったりするんじゃ……」
「問題ありません。先ほども説明いたしましたが、前線の冒険者たちは危険度の高い成熟した個体から優先して撃破します。あなたのところに来るのは数体の竜、それも子竜や手負いの個体になるはずです。あなたが以前撃破したブラッドワイバーンよりは危険度の低い個体となるでしょう」
ロシュートはごくりと生唾を飲み込んだ。
王都のギルド本部からしてみれば、確かに彼はたまたまDランクのままになっていただけの、竜を討伐する実力のある冒険者になっているはずだ。しかしあれは彼が元Aランクの冒険者であるユイナと一緒に達成した依頼であり、彼ひとりの実力ではない。
もしかすると王都もそれを分かっていてもそうせざるを得ない状況なのか?彼はそう思いあたり、改めて事態の重大さを認識した。ロシュートの血の気が引いていくのを見たマリーは安心させようとほほ笑む。
「ロシュートさん、大丈夫。他の冒険者の皆さんも聞いてください。今回の作戦立案にはあのSランク冒険者、『全属性適合』のサトウマコトさんとそのパーティが協力してくれています。彼らのパーティは現在我々に先立ってすでに森で魔物の討伐を始めており、本作戦の防衛前線にも参加します」
Sランク冒険者の名前が出ると冒険者たちは一気にざわついた。南門の一件もあり、彼らは全員ウマコトの強さを知っているのだ。この3日間もウマコトとその仲間たちはそれぞれ単独でAランク以上の依頼をこなしていて、その達成数は単一のパーティとしても個人としても断トツで多い。
心強い味方がいる、それだけで疲れ切った冒険者たちに活力が戻っていく。
だがそんな中でロシュートは冷静だった。ウマコトのことは嫌いだが、もちろん彼とてSランク冒険者としてのウマコトの実力は大いに認めている。何ならその実力を近い記憶だけでも3度見せつけられているのだ。彼の仲間だって彼と同じくらいの実力者であるという噂は聞いていた。
だからこそ、彼がいるのになお大規模作戦が実行されることの意味を考えている。
活性化したブラッドワイバーンを一撃で倒すような冒険者が居てなお手が足りないなど、森の奥、ギルドの目が届かない暗闇でいったい何が起きているというのか。
「それでは正午より作戦開始とします!合図となる角笛とのろしの煙に注意していてください。それでは、解散!」
ギルドを出たロシュートはいったん宿泊している安宿に戻ると、使い古した皮の胸当てや肩当て、もも当てを身に着ける。ただ布製の服にブーツを履いているだけよりかは無いよりかはましのはずと自分に言い聞かせ、肩当てに刻まれたあのブラッドワイバーンの爪が引き裂いた痕を見て逃げ出したくなるのを必死にこらえた。
防具をつけたら、道具の入ったポーチを腰に巻き付け、中身を確認する。以前使った魔力を帯びた土の入ったボール、製作者が呼ぶところの地属性強化ボールはここ数日で使い切ってしまっている。
「予備、たしかアイツが持ってたっけ。貰っとかなきゃな、よしっ!」
自身の両頬をぱしぱしと叩いて気合を入れると、ロシュートは腰のホルダーに短剣が差してあるのを改めて確認して部屋を出た。目的地は『リンドベルトの憩いの宿』、厳しい戦闘に備えて妹から物資を補充するべく彼は足を向ける。
物資の補充は口実に過ぎず、本当は無性にユイナやサーシャの顔が見たくなっただけなのだということはロシュート自身よくわかっていた。本来身の丈に合っていない危険な任務に向かう自分を止めてくれることを少し期待してもいることも。だが彼はそれに気づかないふりをする。
「俺が行かなきゃ、あいつらはもっと危険にさらされるんだ……!」
ほとんど強迫観念に近い覚悟に背中を押されるようにして、ロシュートの脚はほぼ無意識的に動き出していた。
ロシュートが『リンドベルトの憩いの宿』の扉を開けるとそこにはサーシャと、部屋から出てきているユイナが待っていた。現在街には非常事態条項が適用されているのもあり、他の客の気配は全くない。
「その装備……ロシュートお兄ちゃん、やっぱり行くんですか」
ギルドの大規模作戦のことはすでに街中に伝わっている。その上でいつもと違う装備の彼を見てサーシャは確信しながらも尋ねずにはいられない。彼が短くうなずくと、彼女は抑えきれない感情を言葉としてはき出し始めた。
「宿に泊まっていた他の冒険者さんたちが今回の作戦はかなり危険な戦いになるだろうと言っていました。彼らはBランクでした。お兄ちゃんよりも2つもランクが高い人たちが危険だと言っているのに、どうしてお兄ちゃんまで行かないといけないんですか!?もしかしたら、大けがじゃすまないかもって」
普段の彼女からは考えられない勢いで怒ったようにまくし立てるサーシャは震えていた。ロシュートはそんな彼女をなるべく動揺させないようにと、努めて冷静に見えるように意識して静かに返答する。
「俺も正直危険だとは思う。けど、前に言ったろ。この冒険者証を持つということは、こういう時にしっかり前に出て戦わなくちゃならない。ランクに関係なく、みんな平等にそれを覚悟して冒険者をやっているんだ。俺だけ嫌だと思ったら免除なんて都合のいい話はない。なに、それでも俺が任された役割はランク相応の比較的安全なやつだよ。心配することはないさ」
ロシュートはそう言ってサーシャに微笑みかけたが、その奥にある真意を見抜けないほど彼女は幼くなかった。
だがそれと同時に彼の覚悟を揺らすようなことをしてはいけないともわかっている。
サーシャは身体の内側から雪崩れようとするものを抑えるように、唇を固く引き結んでうつむく。一方でユイナは手に持った袋をゴソゴソとあさり、一歩前に進み出て手のひらをロシュートに差し出した。そこには小さなボールが2つ乗っている。
「ほら、アニキ。これ取りに来たんでしょ」
「よくわかったな、ありがとう。ん、これ前のやつとちょっと違う?」
「私を誰だと思っている?当然、改良済みさ!」
サーシャと正反対にユイナはまったくいつもの調子で得意げに胸を張った。
「前のは紐を引っ張って割れやすくする必要があったでしょ?今回の地属性強化ボール改はなんと、ただ放り投げるだけでぶつかった場所で割れてくれる!その代わり投げる前にちょっとだけ魔力を吸っちゃうんだけどさ。しかも込められる魔力容量が当社比倍!さらにさらに!今回は特別にこの私があらかじめ魔力を込めておいたのでアニキはただ投げれば使えるから、魔物と戦いが始まったら迷わずに投げるように!」
「お、おう……なんかいろいろ凄くなったんだな。とりあえずすぐ使えるのは助かるよ」
すごくシリアスな気持ちでここを訪れたロシュートがちょっと引くくらいに絶好調なユイナはさらにさらにさらにぃ~と言いつつ袋をまさぐると、彼にとってはかなり馴染みのある手のひらサイズの板を取り出した。
木の蝶番がついて見開きができるようになっていたが、それは間違いなく彼のスケジュール表だった。
「じゃーん。スケジュール表からスケジュール帳にバージョンアップしました!見開きでたくさん予定をメモすることができるようになったよ。これで私の分までいっぱい外で働けるね!」
「お前、なにもこんな時までニート全開じゃなくても……」
「だから私は研究者なのであってニートではないと何度言うたら!」
思わず口からこぼれた呆れ声に取ってつけたような謎のなまりで反発してくる妹を見てロシュートは全身の脱力を感じていた。サーシャもちょっと噴き出した気がする。
そんな微妙にぬるくなってしまった空気など意に介さず、ユイナは喋り続ける。
「それでね、このスケジュール帳には重要な機能が追加されてるのだ!裏面を見て、裏面を」
「裏?」
ロシュートは妹に言われるがままにスケジュール表もといスケジュール帳を裏返してみる。
すると、裏表紙にあたる部分になにやら魔法陣のような模様が刻まれていた。彼がすこしかじっている地属性のものではなく、またほかのどの属性にも当てはまらないようにも見える。
彼の顔に疑問が浮かんでいるのを見て、ユイナはそのままのトーンで解説する。
「そこに書かれているのはある種のまじないなんだよね。あんまり名誉ある雑誌じゃないんだけど、最新の論文で発表された神様とやらの存在を仮定してそこから未知の魔力エネルギーを分けてもらおうという試みなんだ。怪しいっちゃ怪しいけど一応結果みたいなのも出てたみたいだからまあ気休めに……」
「つまり?」
「つ、つまり……」
何を言っているのかやはり理解できなかったロシュートが要約を求めると、ユイナはらしくなく言いよどみ、口をわなわなと震わせ、目をあちこちに泳がせる挙動不審を披露した挙句にぼそりと呟いた。
「……お守り、だよ」
「え、なんて?」
「このメルヘンファンタジー世界においてすらオカルト全開のお守りだって言ってんの!いつもはそんなことないのに何で急に突発性難聴を発症するんだこのアニキはぁ!?」
わけのわからないニホンゴ特有の謎単語を散りばめながら顔を真っ赤にして怒り出したユイナを見て、ロシュートは思わず笑ってしまった。流石にあからさますぎて、彼はそれが妹の照れ隠しだとすぐにわかったのだ。サーシャももはやこらえきれないとばかりに思い切り笑っている。
「笑うな!人の善意を笑うな!」
「いっ、いやホントごめん。マジ、マジで悪気はないんだ本当にっ」
ロシュートはひとしきり笑ったあと、スケジュール帳をポケットにしまいつつ改めて妹がガラにもないお守りを持たせた理由を考える。
やはり、自分が逃げるわけにはいかない。
街のために、この二人のために戦い、生きて帰る。自分でその意思を確かめると、不思議と彼の心から恐怖は消えていた。
「とにかく、ヤバいって思ったらそれに手を当てて祈ってよね!魔力を通すことで、きっといいことが起こるから!」
「わかった。是非そうさせてもらう」
上気したユイナの顔を見てロシュートは強くうなずくと、拳をこつんと突き合わせた。これは彼がユイナから教えてもらった、絆を確かめるためのおまじないのようなものである。
「さて、それじゃそろそろ」
「待って、ロシュートお兄ちゃん!」
彼が去ろうとするのを察知したサーシャがロシュートの服にしがみついた。彼の腹に顔をうずめて肩を震わせる彼女が我慢していた涙をこらえきれなくなったのは顔を見なくてもわかる。
「お願い。私、やっぱりロシュートお兄ちゃんに行ってほしくない!行かなきゃいけないのはわかってる!でもお兄ちゃんがもし、もしいなくなったら……どうしたらいいの。私は、どうしたら……」
サーシャは村での療養を終えて宿屋を手伝う中で精神的に大人へと成長している。しかしその間には朝方送り出した宿泊客が戻らず、後日訪ねてきた遺族に遺品を渡すということも数回あった。亡くなったのは全員が冒険者であり、そのたびに徐々に蓄積していた『ある日ロシュートが居なくなる』という不安、それが現実になる恐怖がサーシャの心を押しつぶそうとしている。
ロシュートはサーシャになんと言えばいいのかわからなかったが、ふと彼女が服を掴む力はものすごく弱々しいことに気がついた。ともすれば振り払えてしまいそうな、本当に、ただ掴んでいるだけ。
サーシャは恐怖と戦っているのだ。この街で暮らす大人の一人として、街を守る冒険者を信じて送り出すための最後のひと押しを待っている。
彼はサーシャの震える肩に右手を置く。
「サーシャ、また宿屋モードが解けているぞ。いまは緊急事態、みんなができる形で街を守るべきときなんだからちゃんとしてなきゃだめだ。街の人を手伝うことは修行のうちだってフォートさんも言っていただろ。『生命力』の魔法が使えるお前はけが人の手当てが手伝えるはず。魔物と戦って負傷する冒険者のためにも、貴重な力を使わないでどうするんだ」
ロシュートは厳しい言葉で大人としてのサーシャ・リンドベルトに諭す。強くも優しい幼馴染が自分の意思で歩き出せるように。すると彼女の震えはゆっくりと引いていき、すすり上げるような呼吸も落ち着いた。
これでもう大丈夫だ、ロシュートがそう思ったとき顔をうずめたままのサーシャが口を開く。
「撫でてください」
「ん?」
「肩はダメです。ロシュートお兄ちゃんが私の頭を撫でてくれたら、言いくるめられてあげます」
「お、お前なぁ……」
日ごろほとんどわがままを通すことのないサーシャの予想外な言動にロシュートは面食らったが、彼女はこれと思うとかなり頑固なところがあるのも彼は知っていた。取引に応じざるを得ないだろうと確信し、ロシュートはサーシャの左肩に置いていた手をその後頭部に移動させ、彼女の亜麻色の髪を撫でた。
「ふふふ、頭の後ろを撫でてもらうのは初めてですね。いつまでもやってもらいたいくらい」
「おい」
「冗談ですよ、ロシュートさん」
サーシャが手を放して顔を上げる。ロシュートが見ればその目にはまだ涙がたまっており、まだ少し肩を震わせてはいたが彼女は力いっぱいに笑って言った。
「それでは気をつけて!帰ってきたら、今回の報酬でユイナさんの宿代を3ヶ月分前払いしてもらいますから!」
「そ、そりゃ大変だな本当に。てかユイナが3ヶ月は引きこもっている前提かよ」
「私は当分あの部屋を出る気はないぞ」
「お前もちょっとは心を入れ替えろ」
言い合ってまた少し笑ったあと、ロシュートはドアノブに手をかけ大きく息を吸った。
「いってきます!」
「アニキ、信じているからな!」
「はい!いってらっしゃいませ!」
大切な妹と幼馴染の言葉に背中を押され、ロシュートは一歩を踏み出す。
日はすでに頭上高く昇っていた。
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