【第1話】働かざること妹のごとし
Dランクの朝は早い。
ロシュートは毎朝陽が昇る頃に起きて、街じゃ珍しい黒髪をろくに整える間もなくギルドへ赴く。新たな掲示物を確認するためだ。内容は商店の広告、人探しのポスター、領主サマのありがたいお言葉などなど。そんなに量があるわけではないが、ギルドには毎日何かしらの紙束が届く。
ロシュートはそれを街中駆けずり回って、各所の掲示板に鋲で貼りつけていく。報酬そのものは安いが、ギルドとの継続契約は彼にとって貴重な安定した収入源だ。
「おう!ロシュート、今日も張り切ってんな!」
市場で店を開ける準備をしていた八百屋のおっちゃんがロシュートを見て声を張り上げた。それを聞いた彼は足を止めると、手のひら大の木の板を取り出しつつ返事をする。
「おはようおっちゃん!今日はなんか俺に頼み事ある?」
「そうだな、ちっと運んでもらいたいものがあるから昼ごろ来てくれると助かる」
「了解!ご依頼承りましたっと!」
ロシュートはそう言いつつ、八百屋のおっちゃんの顔が描かれた小さなチップを取り出して木の板の『正午』の欄に置いた。
そのスケジュール表は使い込まれてボロボロだが時刻ごとに列が区切られており、街の人々の顔が描かれたチップを置けば、チップ内の磁石が板の中に仕込まれた薄い鉄板にくっつく仕組みのなかなか便利な代物。これのおかげで依頼をすっぽかすことがあまりないため、彼の評判は下位ランクにしては良い方である。
八百屋に別れを告げたロシュートは再び走り出した。数分もしないうちに市場の掲示板にたどり着くと、慣れた手つきで掲示物を貼りつけていく。
「さて、急いで残りの掲示板にも貼っちまわねえと……」
「あらロシュート!おはよう。実は頼みたいことがあって」
「おお、服屋のおばちゃん!何?」
ロシュートはいつも急いでいるが、彼の朝仕事が早く終わることはあまりない。彼のスケジュール表は街の人々が思いつきでする依頼でいっぱいになるのだ。
「あーごめんおばちゃん!今日はその時間はムリなんだ。明日ならできるんだけど……」
「あらそう?じゃあ明日頼むわ」
「そうしてくれ!」
だが今日は少し違う。彼のスケジュール表には、午後の欄に『ギルド』のチップがすでに貼ってある。
今日は久しぶりに、街の外に魔物の討伐依頼に出る日なのだった。
「よっ」
「あ、ロシュートおに……じゃない、ロシュートさん。おはようございます。お久しぶりです」
掲示板に請け負った掲示物を貼り終わり、ギルドから報酬を受け取ったロシュートはその足で『リンドベルトの憩いの宿』にやってきた。
彼の幼馴染でこの宿の看板娘、サーシャ・リンドベルトは彼を見るなり受付から飛び出し、亜麻色の長い髪をなびかせながら駆け寄ってそう言った。その表情は明るく、見るものすべてを幸せにすると街では評判である。
「最近はちょいと忙しくてね。9日ぶりか?」
「10日ぶりですね。あの、よければ朝食を食べませんか?ちょうど用意しているのですけれど……」
「いや大丈夫。それより10日だったな。ほい」
ロシュートは手にした袋に手早く硬貨を1枚足すと、サーシャの豊かな胸元に差し出した。サーシャは少し表情を曇らせながらもそれを受け取ると、中の硬貨を確認する。
「……はい、確かに10日分の宿代を頂きました」
「悪いないつも後払いになっちゃって。でも迷惑だったらいつでも言ってくれよ」
「そ、そんなことっ!ロシュートお兄ちゃんが迷惑だなんて、本当はこんなのいらないのにっ」
語気を荒げて袋を突き返そうとするサーシャの手を、ロシュートはやさしく押し戻した。
「おいおいまた宿屋モードが解けているぞ。こういうのはちゃんとしとかないと、商売人失格だぞ?大丈夫大丈夫。俺も今は結構余裕あるし、今日はちょっと大きい依頼もあるんだ。心配すんなって」
「でも……」
ロシュートはそれでも不満げな彼女をなだめようと頭に手を伸ばしかけ、昔の悪い癖だと思いなおし、軽く肩に手を置いた。それで彼の考えが伝わったのか、サーシャは表情をスッと切り替えた。
「ロシュートさん。201号室の鍵を取ってくるので少々お待ちください」
「おう。話が早くて助かるよ」
完全に宿屋モードに切り替わったサーシャが201号室の鍵を取ってきた。ロシュートがうなずくと、彼女は宿の階段を上り始めた。彼もそのあとに続く。
ぎし、ぎしとやや古びた階段が一歩ごとに音を立てる。まるで彼ら二人以外に、空気の重さとでも言うのか、見えない重圧がかかっているかのようだ。
その重圧の発生源を二人は知っている。201号室。その『住人』。会おうとすると腰が重くなり、顔を合わせようとするとため息が出る。
だがやらねばならない。少なくともロシュート・キニアスはその責任を人一倍感じていた。彼がやらなければ、この宿屋の2階に吹きだまる悪性の瘴気を取り除くことは、いかなる解呪術式を用いても不可能だろう。
やる気がなくなり何もかも放っておきたくなるような瘴気を振り払い、二人は201号室の前にたどり着いた。
「ロシュートさん、これを」
サーシャが2階と彫られた鍵をロシュートに差し出した。その表情は真剣そのもの。これから対峙する脅威と戦うのだと、覚悟を決めた顔だ。
彼はその覚悟に応えるように、差し出された鍵を無言で受け取った。そして『201』のプレートがかかった木製の扉にずい、と近づき、扉の隙間から漏れ出る拒絶の意思に逆らってその鍵穴に鍵を差し込み、ひねる。
がちゃり。扉はあっさりと開錠された。
ロシュートはすぅう、はぁあと深呼吸をして呼吸を整える。傍らのサーシャから香るやさしい花の香水の匂いを貫通して、なにやらすえたニオイがする。
その正体もまた、二人は知っていた。
「いくぞ……!」
ロシュートはドアノブに手をかけてひねると、勢いよく扉を開けた。手前に向かって開け放たれたドアの向こうに見えた景色。
そのなかに、ヤツはいる。
乱雑に積まれた皿は何日前のものだろうか。料理の汚れがこびりつき、洗うのには一苦労どころの話ではない。
そこらあたりに散らばった本はどれも分厚いものばかり。この光景だけ見れば、実はこの国で書物は結構な高級品なんですよなどと言っても信じてもらえないに違いない。
ぐしゃぐしゃに丸まってベッドサイドに吹っ飛ばされているシーツは、ここが街どころか王都ですら人気の有名宿『リンドベルトの憩いの宿』の一室であることを忘れさせてくれる。
そして何もないベッドの上、さらりとした肌触りの良い寝間着を半ば脱ぎ掛けの状態で転がっていたぼさぼさの黒髪の人間(この状態を見て、その人間を女だと見抜くのはかなり困難である)はむくりと起き上がると、もう日も高くなろうというのにヤニをくっつけた目を眠そうにこすりつつ、一言。
「あ、アニキ。ちょっと買ってほしいものがあるんだけど」
「ハァ~~~~~~~~~~~~~~~~~」
「ロシュートお兄ちゃん、気を確かに……!」
すこしクラっときて倒れそうになったところを傍らの頼れる幼馴染に肩を支えられながら、ロシュートは人生で一番長いため息時間を更新した。
どうしてこうなってしまったんだろうか。いや、彼には原因はわかっているのだ。わかってはいるが、自問せずにはいられない。
とりあえず、大幅に削られた彼のMPで言えることはひとつだけだった。
「妹よ、頼むから働いてくれ」
「またそれ?このユイナ・K・キニアスには頭脳労働こそが適しているって何度言ったらわかるの」
ややぷよついた腹を晒しながら自称頭脳労働適正者のユイナはやれやれ、と首を振りながら言った。
「頭脳労働ってお前な。ずっと宿の一室に引きこもって意味わかんねえ本を読み漁っていることのどこが労働なんだよ」
「この私がただニートしているだけに見えているのなら、それはアニキの怠慢だね。私はひとり魔術研究に没頭する研究者なのよ」
ユイナはサーシャと比較してやや薄い胸を張りつつそう言った。
その恥を恥と思わぬ堂々とした態度にあきれたロシュートがちらりと目をやれば、部屋の隅でサーシャがせっせとユイナが放置した食事の皿を片付けている。その姿は勤勉に働く立派な大人だ。
そんな彼女と1歳しか年が違わないというのに、と彼は改めて妹、ユイナの顔を見る。
引きこもってばかりいるのにまるで幼い子供のような輝きを残す黒い目に、不摂生からややもっちりした輪郭。サーシャのそれと違い、長くはあっても伸ばし放題にしただけといった様子の黒髪はボサボサで、毎日風呂に入りたいと贅沢なことを言ってロシュートに泣きついていたのが遠い昔のようだった。肌はもはや病的に真っ白で、心配性の医者が不治の病を診断しかけたことすらあった。
「ま、ニートって言っても伝わんないか」
「知らないけど、大体の意味は掴めたぞ。働いてないやつのこと、つまりお前だ」
「ぶぶー!15歳から34歳までの、家事・通学・就業をせず、職業訓練も受けていない者のことですぅー!」
「えっと、お前は16歳になったから……やっぱりお前じゃないか」
そして時折する奇妙な言動からわかるように、ユイナは異世界、ニホンから来た少女だ。少なくともロシュートはそう本人から聞いていた。
異世界からの転移、そんな話は到底信じられなかったが、自分と同じ髪の色をしているカワノユイナという女の子を放っておけるほど彼は冷血人間ではなかったのである。
そんなわけでロシュートはユイナに自分の名字を与えてギルドとして役所に提出、紆余曲折あって、このニート状態に至ったのであった。
「だいたいお前な、ちょっといい加減に風呂に行ったらどうだ。まるで徹夜で丸一日労働したギルドの職員さんみたいなニオイがするぞ」
「ふ、ふん。ちょうど今日の研究がひと段落したら行こうと思ってたよ。でもアニキがわざわざ言うからやる気なくなってきたかも」
口をとがらせて拗ねるユイナ。ロシュートがすこし説教するといつもこうなってしまう。彼は妹をうまく扱えない自分を省みて、再びため息をついた。
何か、どうにかしてユイナにやる気を出させる方法はないのかと、ロシュートが悩んでいた時だった。
「あの、ロシュートさん!お時間大丈夫ですか?今日は大事な依頼があるとかって……」
「そうだった!」
サーシャが汚れた皿を片手で抱えつつ、心配そうにロシュートの袖を引っ張った。彼は慌ててスケジュール表を見直す。昼に市場で八百屋のおっちゃんその他の依頼が数件と、午後にようやく受注できた魔物討伐の依頼がある。
「あーそれ私が作ってあげたスケジュール表じゃん。やっぱ便利でしょそれ。詳しい感想とか聞かせてよ」
「ああその点は感謝している!けどすまない、俺はこれから仕事があるんだ。サーシャの言うことちゃんと聞いて、せめて部屋は片付けろ!いいな!」
得意げにニヤニヤしていたユイナの発言を半ば遮るようにして、ロシュートはドアの方に振り返ってドタバタと部屋を出ようとした。話を聞いてもらえず不機嫌になったユイナは唇を尖らせ、その目には悲しげな影が落ちる。
「なんだよ仕事仕事って。別に感想くらいくれたっていーじゃん、久しぶりに来たのに。私のこと嫌いなの?」
「お前が仕事しないから俺がこうしてあくせくしているんでしょーが!お前が働くなら話なんていくらでも聞いてやるって」
妹が不貞腐れるのには慣れているロシュートは彼女の構ってアピールを適当にあしらい、ドアノブに手をかけた。
「じゃあわかった!」
と、そこで彼は信じられない言葉を耳にする。
「一緒に行く!今日のその大事な仕事とやら、私が手伝ってあげるから!」
硬直。
夢か幻か、ロシュートは彼のよっぽど必要な用事以外で全く外に出ようとしなかった妹が自分の仕事を手伝うと宣言したのを聞いた。サーシャを見れば全く同じことを考えていたようで、同じく唖然の表情でこちらを見返してきている。
ロシュートの胸にはいま様々な感情が渦巻いていた。ユイナが外に出ようとしてくれていることの喜び、仕事へ意欲を持ってくれるかもしれない期待、危険な目にあうのではないかという不安。
だがその全てを差し置いてでも、これだけは言っておかねばなるまいと彼は判断し、口を開いた。
「まずは風呂に入ってこいアホ妹!話はそれからだ!」
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