未公開資料+閑話
手紙と閑話「願い、呪い」です。
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親愛なるシリウス殿下
突然の手紙失礼いたします。
耳の早い貴方なら、我が息子の事件とハイレス家の一部研究員の失踪はご存知でしょう。近いうちに、いやこの手紙が届く頃には私はこの世にいないかもしれません。可愛い教え子であり、良き友人である貴方との最後の手紙が、遺書のようなものになってしまい、本当に残念です。
さて、本題です。
300年の歴史のある我がハイレス家ですが、王家との盟約の下、5つの協議会のどれにも属することなく研究を続けてきました。そして、我が息子の誕生と共にハイレス家の研究は完成したことが発表されました。必然的に、盟約の効力が切れかかっている所で、研究成果を奪おうとする協議会が現れてもおかしくはなかったのです。
今回の事件は、数年もしくは発表があった15年前から用意周到に計画されたものでしょう。北熊氷協議会の主導の下、東奨雲協議会の助力があったものと考えています。奴らの狙いは、愛する我が息子、そして研究資料。
信頼する友人へ、敬愛する殿下へ、私の願いを聞き届けてください。
貴方に、私の全てを授けます。比喩ではありません。
私の人生だった研究、少ない個人財産、愛する息子を。
私はハイレス家の当主ではありませんが、当家の研究責任者として全て研究資料を、いつか話した宝箱に詰めておきましょう。ちっぽけな個人財産は国営のところに投げておきました。息子とはお別れを済ませ、貴方に頼るように言っておきました。初めてのまともな親子の会話が、こんなものになるとは誰が想像したでしょう。やはり当主である兄は、一生好きにはなれませんね。
同封した私の遺言書の執行者に、貴方を指定しました。我が息子以外のハイレス家を名乗る者が全員死亡したことを確認した後、遺言書を公表してください。
一方的な内容であることをお許しください。合わせて、この手紙の返信を受け取れないことも。
貴方と出会って10年以上が経った。これからの活躍を、かつての教師として見届けたかった。そして、あの子の成長も、親としては難しくても傍で見守っていたかった。
貴方に教えること、与えるものはもうなくなった。だが、あの子への47年分の想いは、あの一時の会話の中では伝えられなかった。代わりに、私が語ったあの子への愛を、貴方が少しでも話してくれると嬉しい。分かっているさ。15年分の愛情は、自らその時間をかけて伝えなければ意味がないことはね。私の人生に悔いがあるとしたら、それだけだ。
最後に先生らしくないことをしたけど、聡明な貴方の師であり、友人であったことを誇りに思うよ。
では、お先に。
統一暦2315年12月1日
グレン・ハイレス
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閑話「願い、呪い」
今まで闇の中だった意識が、ふっと浮上してくるのが分かる。
薄い瞼を通して、光を感じる。自身の温度も、肌に布があたる感触も、消毒液の匂いも、次々と脳に情報を与えてくる。
眼球を覆うカーテンを開け、朝の眩しい白い太陽光をみとめる。首を回そうとしたが、凍ってしまったかのように上手く制御できない。腕も試してみる。ダメだ、動かない。
「起きたのか、ダン」
聞きなれない、だが忘れたことのない声が、右耳に入ってきた。
「……とう、さ、ん」
「ああ、覚えていてくれたのか」
忘れるはずがない。一番好きな声を、毎日聞きたいと焦がれていた声を、父親の声を。
「4日眠っていたんだ。無理に体を動かすことはない。声も、無理に出さなくていい」
人が動く気配がする。黒髪に青灰色の瞳、やや疲れた顔が覗き込むように、視界に入る。
知らない匂い。男の人の匂いと、薬品や薬草の匂いが染みついている。彼の人生を表しているようだ。
「ダン、よく聞いて。これが、私たち親子の最後の会話だ。これを話したら、お別れだ」
未知なるものを触るようにおずおずと、初めて赤ん坊を抱くようにぎこちなく、目の前の男の左手が頬に触れる。触れた箇所から、自分より低い体温を伝えてくる。
寝起きの頭でどこまで理解できるか分からないが、酷く掠れた囁くような声で、はいと返事をする。
「これから、私はいなくなり、ハイレス家もなくなるだろう。そうなったら、シリウス殿下を頼りなさい。彼を覚えているね」
言い聞かせるような声に、数年前の出来事を思い出す。
屋敷の玄関で偶然父親と居合わせた時、雪色と血色を持つ美しい青年を、教師の恰好をした父が連れ立っていた。お互い親子のような挨拶をして、青年の紹介を受ける。その青年がシリウス殿下だった。当時も、今でも二人の間で一番長い会話だったから、あの時の場面を鮮明に記憶している。
懐かしい、大事な記憶をゆっくり頭に再現した後、現実の世界で、はいと返事をする。
「いいこだ。……ダン、ダンフォース。愛する我が息子。これだけは、覚えておいて」
不意に体が近づく。抱きしめられていた。優しく、触れるか触れないかの距離で、薬草の匂いだけが強くなる。
「私が息子にあげられるものは、何もない。宝物も、親の愛も、与えられない。でも、お前は生きろ。ダメな父親からの、身勝手な願いだが、どうか叶えてほしい」
顔を合わせられないのが、抱きしめ返せないのが、離れていく温もりを止めておけないのが、こんなにも悔しい、哀しい。
少しはマシになった首を動かし、離れていく熱の塊を視線だけで追いかける。背中しか見えない。
「父さん」
「……愛してる。お前が生まれる前から、私が死した後も、お前だけを想う」
扉の開閉音が、無機質に響く。
いつからか、涙が頬を伝っていた。冷たいものと、温いもの。
最後に振り向いてほしいと願った呼びかけは届かず、黒一色の姿だけが残像のように脳裏に焼き付いた。
ここから、自分は呪いのような存在になったのだろうか。
今までまともな会話などしていない、血だけが繋がった父親からの望みなんて、叶えたいに決まっている。
そんなもの、生きろなんて、愛ゆえの願いじゃないか。
夢が終わる。曇り空から零れた朝陽が、大きい窓に吸われている。一日の始まりだ。
屋敷の主と、朝食の席に座る。ふと湧き上がった疑問を口にする。
「シリウス様はなぜ、私のことを、アンリと呼ぶのでしょうか」
「私の身勝手な願いさ。君の過去を終わったものとして扱いたいんだ。ハインリヒ・ハイレス、ハイレス家の真の当主。読み方を変えれば、アンリ。君にぴったりな呼び名だと、後に研究も押し付けたのは、私だ」
「いえ、私の人生で一番呼ばれ慣れた名です。これからも呼んでください。必ず返事をいたします」
「……そうか」
私は、今日も生きる。
いつか赦される日が、来るのだろうか。
主人公の父親は息子に会うことを、当主に脅され止められていました。
一族の研究成果・最高傑作としても愛していましたし、血の繋がった息子に対しても愛はありましたが、狂気じみたものを当主は感じていたんですね。
「Heinrich ハインリヒ」と「Henri アンリ」で微妙に綴りも違いますが、こう読みます。
ここまで読んでくださりありがとうございます。