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本編最終回です。
何度も手紙を送った。屋敷に手紙を届ける使いの者には申し訳ないが、彼らと話ができるまで諦めることができない。
そして、叶ったのだ。9月最終日の午後なら時間が空いてると、アンリも同席させると返信があった。
そして、打ちのめされたのだ。お前は浅はかだと。
そう、私は枢機卿が時間を空けていた意味を正しく理解していなかった。約束を取り付けることに必死で、それが叶って浮かれていた。手紙の文言を考えることに必死で、それよりも重要なことが疎かになっていた。結局、その時も枢機卿を失望させ、アンリを傷つけた。同じ過ちを繰り返す私のほうが、罰を受けるのによっぽど相応しいのではないか。その過ちを赦すアンリのほうが、よっぽど聖人ではないのか。
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「アンリ、5日後の午後にスノウ家の公子を呼んだ。君も同席してくれないか」
手紙は5日に1回ほどの間隔で届けられてきた。あの問題の起きた日の翌日に手紙が来た時点で、次に会う日は決めていたため、受け取るのも煩わしくなり7回目で返事を使いの者に渡した。返事にはアンリも同席させると書いたが、本人には今日まで聞かずにいた。ここで断られたら、公子が嫌われていた、で私には影響がない。
「はい、構いませんが。視察に同行した私に、何か問題があったのでしょうか」
哀れだと思う。公子はこの子に謝罪し和解したいと意気込んでいるのに、この子はそんなこと露ほども思わず、自分に不義があったと誤解している。
「逆だよ。公子が、私とアンリに謝罪したいことがあるそうだ。そんな覚えはないかもしれないが、聞き届けてほしい」
「はい、承知いたしました。5日後の予定は空けておきます」
まず、この認識の違いから拗れるだろうな。次に的の外れた謝罪に、私の指摘が続き、意気消沈するだろうか。政、交渉の駆け引きを親から学んでいれば、それなりの準備はしてくるだろうが、あの夫婦は教育に関与していない。教育者の端くれとして、公子の今後のために教えることも可能だが、そんな義理はないし、したくもない。だから、5日後の会話のやり取りは想像に難くないし、興味もない。
9月最終日の午後は雪がちらつき始め、夜には積もるのではないかと使用人たちが慌てていた。そんな喧騒も屋敷の応接室には届かず、3人は顔を合わせていた。私とアンリがストレートティーを、公子がそれにミルクと砂糖を足したものを口に運ぶ。そして世間話のつもりか、翠緑眼をアンリに向けて疑問を口にする。
「旅の間はミルクティーを一緒に飲んでいたから、てっきり好きなのかと思ったけど」
言外に、なぜストレートティーを飲んでるのか、と聞いている。旅の云々は初耳だが、口出しはしないでおこう。しかしアンリが顔を顰めながらも、砂糖の入った物を口にするなんて何年ぶりだったろうか。
「公子の勧めでしたので、そちらを頂いておりました。私の好みをお尋ねならば、苦味と酸味の強いハーブティーでございます」
「……そうだったのか。機会があれば、アンリのオススメを飲んでみたいものだな」
「はい、機会があればご用意いたします」
アンリの好みを突き詰めたブレンドティーを飲んだことがあるが、薬膳茶以外の何物でもなかった。以来、アンリの味覚がおかしくなるのを恐れて、そのブレンドティーは封印した。一番のお気に入りは数年前から変わらず、赤を濃く淹れたローズヒップティー。
さて、そろそろ本題に入るところかな。
「本日、私がここに足を運んだのは、アンリに謝罪をするためです。そして、その経緯をワイクグルス卿に説明し、1つ提案をさせていただきたいです」
アンリには事前に言っていたからか、謝罪という発言に驚きはしないものの、困惑の表情を浮かべていた。
「アンリ。私の発言で、貴方を不快な思いにし不安にさせた。私の発言と、あの旅の責任者として、貴方に謝罪する。申し訳なかった」
「不躾な質問で大変申し訳ありませんが、公子のどのお言葉でしょうか。生憎、公子の発言によって私が不快不安になった覚えはなく、むしろ私のほうが無礼だったのではございませんか」
「アンリが無礼だった時はない。私の会話に質問に丁寧にこたえくれた。だから謝りたいのだ。そんな相手を、私の発言が原因で気を病ませたことを」
「……申し訳ありません。やはり思い至りません。道中悩んでいたことはありましたが、公子の発言ではなく、己の言動が原因の物です」
これ以上は話が進まないだろう。それに、アンリが自分を責め始めることは阻止せねば。
「アンリ、公子と2人で話がしたい。いい頃合いになったら、お茶を持って来て」
「承知いたしました。公子、失礼いたします」
他所の家の子に説教なんて、我ながらお節介焼きになったものだ。
「まず公子から話を聞きましょう。貴方からの説明と提案とは、何でしょう」
「今回の旅は、周りに無理を言って始めたものでした。私は、祓魔師の地位向上を目指していたので、祓魔師の同行をお願いしました。彼らのことを知りたかったのです。しかしアンリの祓う姿を見て、美しいと、彼を知りたいと思いました。本来の目的を忘れ、彼に話したくないことも強要したかもしれません。……私の注意不足で、どの言葉が彼を傷つけたか見つけることができないのです。なので今日、彼に聞けば気づけると思いました。でも、分からなくなりました」
「それが説明ですね。では、その話をもって何を提案するのでしょう」
「私が彼を傷つけてしまったこととは別に、彼の言動の自由を解放していただきたい。鎖に繋げているのは、もう十分ではないでしょうか」
私は冷めた紅茶を飲み、口を湿らせる。前回とは違い、己の紅玉を翠緑の宝石から外さずに語る。
まず、貴方がアンリを傷つけたと知ったのは、私の独り言の内容だ。あの時点で、私はアンリと話をしていない。私の勘違いを含んだものとは思わなかったのでしょうか。結果、あの子の話から、貴方の言葉がきっかけではありましたが、私の行動が事の発端だと分かりました。皮肉でしょう。
あの子は優しい子だが、私から見れば痛々しく、時々自分が無意味に思えてくる。今回もそうだった。
正解をお教えしましょう。一冊の小説です。私は、あの子が祓魔師として旅立つ時、小説を持たせます。私がどんな心持ちで書いたのか、どんな意図で作ったかなどは伝えますが、刷った冊数などくだらない指標だと思っていました。けれど、あの子には必要な情報だったようです。
私になぜ話さなかったのかと責めればいいのに、あの子は思考を底無し沼に堕とし、罰を求めてくる。それを何回も繰り返すたび、見ていられなくなる。
今回は、私とアンリ、2人の問題で、公子は関係なかったのですよ。だから、あの子に謝る必要も、ましてやあんな提案をする意味もない。
それに、成人していないとは言え、貴方はスノウ家の人間。私とアンリについて、表に出てない情報まで探ることは可能です。調べる時間もひと月ほど許しました。その情報を手にしていたならば、正義感よりも同情を抱き、自由よりも安寧を望み、貴方はあの提案をしなかったと断言します。貴方はお優しい方なので。
では、異議はございますか。
「……謝罪と提案を受け入れないと」
「ええ、長々と話してしまいましたが、拒否いたします。それと、今後は表立って連絡なさらないように。私と貴方の御生家の因縁をご存知ならば」
「……迷惑をかけた。今後、考えなしの行動は控える。だが、今まで貴方のように指摘してくれる者が、私の周りにはいなかった」
「“聖剣”を扱う者は心が清らかであるべき、だと古臭い考えが残っているんですよ。私のような打算と嫉妬に塗れた獣など、側に置くはずがない」
「貴方が獣など。理性的な人間そのものではないか」
「後に分かりますよ、私が屍に群がる獣だと。それを必死に隠している。公子、選択肢は与えられる物ではなく、自ら拡げる物ですよ。貴方が当主になれば、少しはこの国も変わるのではないでしょうか」
「当主の座は兄上の物だ。そんな考えを持ったことはない」
「ふふ、こうやって相手を煽り、群がるんですよ。政など所詮騙し合い。貴方には必要ないものです」
ノック音が響く。入室を許可すると、ティーセットを持ったアンリと、ラベンダーの香りが入ってくる。
「失礼いたします。公子へハーブティーをご用意させていただきました」
「ああ、早速ありがとう。頂くよ」
3人とも無言でラベンダーのお茶を堪能する。リラックス効果のある香りは、今一番必要なものだったと思う。その沈黙を静かにアンリが破る。
「外で、公子の謝罪のことを考えておりました。一つだけ、ほんの少しですが、私が不満に思った発言がありました」
「それは何だっ」
「私の年齢です。年が近いのに落ち着いているので見習いたい、と公子は仰っていました。いくつだと思ったのですか」
「私に付いていた従者と同じくらいだと思ったんだ。18か20あたりかと予想をつけたが、違ったのか」
「……」
「ふふ、ははは。良かったじゃないか、若く見られて。公子、アンリは今月で27歳の誕生日を迎えた。君より一回り年上だよ」
「シリウス様、貴方も私の年齢を忘れる時がありませんか。8歳しか違わないのに、あの親のような過保護っぷりは何なのですか」
「心配だからに決まってるだろう。腰も腕も足も細いし、私の事情で閉じ込めてるし、好き嫌いも激しい。それに」
「言葉を遮るようで申し訳ありませんが、それ以上はおやめください。……公子、私の歳を覚えていていただけるのなら、公子の謝罪を受け取りたいと思います」
「……12歳も離れていたのか。それはとんだ失礼をした。改めて謝罪を。そして貴方のことを覚えておくと約束しよう」
「はい、そのお言葉、しかと胸に。これで、私のことで公子が憂うこともありませんね」
本当に、他人への気遣いは人一倍するのに、自分には苦しみばかり与える。
改めて己のが胸に誓おう。この子に、敬愛と思いやりを持って、何ものからも守ろう。例えそれが、私の欲であっても、この子の絶望であっても。彼の生より、尊いものはないのだから。
10月某日
執務室の窓から見える空は、薄い青色。午後の休憩にお茶を飲みながら、この時期には珍しい空模様を思う。
「本当によろしかったのですか。今日でなくとも、もう少し残っていただくこともできましたのに」
「アンリの生き方を、私には否定できない。それに、少しは生きることに前向きになったと思うよ。でも、君の心配はアンリじゃなくて、私の仕事意欲だろう」
「我が主人を最優先に考えるのが、執事でございましょう。あの方がいらっしゃる時、協議会の仕事も執筆作業も、普段より早く終わっていましたからね。いつまでも居てほしいですよ」
「……前より、頻繁に帰ってくるようにすれば、君も満足だろう。ここ2か月で3冊も書いたんだ。休ませてほしい」
「しばしの休息でしょう。1月に予算案会議がありますから、来月からご機嫌取りと睨み合いが始まりますよ」
この国の5つの協議会が一堂に集まり、その先1年間の予算を決める会議は、ほぼ毎年同じ結論だ。その考えを覆すのが私の目標の1つであり、我が悲願の達成に必要な成果だ。復讐に生きる人間など、愚かな存在だと言うなら嗤うがいい。私に、復讐以外の人生はないのだから。
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白い雲は浮かんでいるが、薄青いキャンバスを見たのはいつぶりだろうか。新たな心持ちで出発する旅――祓魔師の仕事の初日に、私には、似合わない。
自身の身体、いや私の生そのものが呪いのような存在に、さらに罪を重ねた咎人は、今日も生きる。贖罪と、あの方のために。
引き継がれた研究は、その結論を求め彷徨い、着地点を決めあぐねている。私も迷う。
私の罪は「敬愛を忘れたこと」。
その贖罪に「“敬愛を忘れた者”の成れの果てを目に焼き付け、呑み込む」を課した。祓魔師として生きることが天命の、この身体で今も死に抗う。
私は赦されない。
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数ヶ月ぶりの晴天の中、学校からの帰路に着く午後に心がざわついている。今朝方、とある資料が届いたからだ。4か月前なら想像もつかなかった行動と心境に、内心自分も驚きながら自室に急ぐ。
公開資料の傍、その5倍の量の紙が積まれた非公開資料に、この国の陰を見る。非公開資料には、黒塗りの外された文書、非公式文書、取り引き時の契約書、聞き取りメモ、憶測が並べられている。明日学校がないことをいいことに、夜更かしをしてでも全ての資料を一気に読んだ。しかし謎が深まってしまった。
ダンフォース・ハインリヒ・ハイレスの生死は不明。現在生きていることを示す目撃情報はあるが、すでに死亡し影武者である可能性もある。情報を撹乱したシリウス・カーマイン・ワイクグルス=ベス=シェーダニアの弱点になり得る。今後も調査の必要性あり、と締め括られていた。呪いの祓い方と年齢、容貌などはアンリと合致するこの人物。私もこの目で、苦しみながらも生きている姿を見た。しかし手元の文書を読むほど、あの姿は亡霊だったのかと思ってしまう。もしかしたら、彼にはこの世を儚んでほしいとも思ってしまった。10年前より以前の彼の過去は、私の理解を超える過酷なものだった。
その情報を手にしていたならば、正義感よりも同情を抱き、自由よりも安寧を望み、貴方はあの提案をしなかったと断言します。
その通りだ。今、情報の海に溺れた頭でも分かる。アンリにあんな過去があるなら、死を選び取れる自由よりも、大事な人に不自由を強いても心の安寧と生を望むだろう。
僕は、貴女が欲しい
精霊たる証のその鮮やかな碧の瞳が変わろうとも、貴女が守護する花畑が消えようとも、身勝手な僕は、貴女だけが欲しい。
僕だけを生きる意味に、僕だけを瞳に映し微笑んでほしい。
貴女に出会い、心が高鳴った。貴女に敬愛の念を抱きながら、貴女に強く恋焦がれ、我が物にしたいと願う憐れな男、強欲な人間。
それでも僕を選んでほしい。
夜空の君、闇の花、太陽に恋焦がれた憐れな貴女、無欲な精霊。
僕が、貴女の、君だけの太陽になろう。
貴女が頷く。僕たちは抱きしめ合う。
朝陽が僕たちを照らし、妬いている。夜の姫を人間なんぞに盗られ、さぞ悔しいだろう。
僕は、君だけの太陽。いつまでも、貴女の瞳に宿る、傲慢な太陽。
――著:S.C. Wikegles『碧に濡れて』 最終ページより抜粋
ここまでお読みいただきありがとうございました。
次回から、人物紹介や最後に登場した資料を投稿できたらいいなと思っています。