3. デスゲームに舞い降りたジョーカー ~遺された傷痕~
・謎の悪役令嬢
第一回中間発表、その一位に視聴者貴族および閲覧者貴族の皆様は驚愕したことだろう。わずか10日にして5万PVを叩き出した謎の参加者。誰もが彼こそがデスゲームの覇者になるにふさわしい……そう考えていた。
10日後の第二回中間発表、この謎の参加者は突如の失速を見せ2位に後退してしまう。さらに作品の更新停止に意味深な発言、そして最終発表では、なんとノクターンノベルズ(R18版なろう)から10万PVを叩き出したことで、視聴者貴族の度肝を抜いたジョーカーの存在は、デスゲームに華やかな彩りを加えた。
では中間発表で提出されていた作品とは一体何だったのか? 本デスゲームを裏から観測していた庶民の皆様の掲示板では、第一回中間発表の時には既に作品が特定されていた。苺豆腐先生の『悪役令嬢は今度こそ眠ル』である。なろうで今最も旬なジャンルである悪役令嬢もの。それをひっさげてやってきたのだ。だが、彼女は10月に入ってすぐに謎の消失を遂げてしまう。幻のように消えてしまった悪役令嬢の足跡を辿っていこう。
・分析:PV数
総PV数の推移については以下の通りである。
指数関数的な閲覧数の増え方が特徴的である。本作は投稿2日目に9506PVを獲得すると、コンスタントに4000PVを稼いでいた。しかし、30日に投稿が途絶えるとそれが日間1500PV程に減少する。その後1日に最新話が投稿され日間2700PVまで勢いを取り戻すが、その後尻すぼみに増加幅が減っていった。
本作の日間PV数の動きを見ると、1日でも投稿しない日があるとその日のPV数だけでなく、後々のPV数にも響く可能性が高いことが判明する。物語を書くことを得意としない人にしてみれば、まさに血を吐きながら続けるマラソンである。やっぱりデスゲームじゃないか(憤怒)
・分析:小説そのもの
本作はまず短編にて投稿され、それがPV数を稼ぐことができたことを確認した上で連載に踏み切っている。短編で得た読者をそのまま連載へと誘導できるというのはPV数を稼ぐという意味では悪くない選択である。ここから先はできる限り客観的な視点から分析する。
① 文字数
1話あたりの文字数は平均で1100文字前後。先のドン勝よりも薄い。しかし読み応えがある文章だと思えるのは、地の文の多さが大きく関与しているだろう。
② 文章の硬さ
例の如く文体診断ロゴーンに1話を投入したところ、表現こそ平凡ではあるもののおおよそ良い結果が現れた。悪役令嬢というジャンルにおいては、これくらいの硬さでちょうどいいのだろう。
③ タグについて
例の如く、悪役令嬢に婚約破棄、さらにはざまぁとなろう読者を誘因するタグのオンパレードである。さらにタイムリープタグが良い味を出している。テンプレ悪役令嬢ものとは違った味わいであることを示していることで、作品の味を出そうというところか。
④ 総括
テンプレ令嬢ものというわけでもなく、普通に読み応えのある作品である。短編、連載、共にすべて閲覧したが少し硬めな文章が好きな筆者にとってはかなり合う作品だと言えよう。
だが、この作品の謎は残る。このまま連載を続ければ間違いなくこのデスゲームのドン勝を狙えたと思う。それなのにも関わらずなぜ。なぜ、この作品の更新を止めた上で、あえてノクターンノベルズへと足を踏み入れたのか? ノクターンノベルズで勝負できるのであれば、わざわざこちら側に投稿をせずとも、トップを掴み取れたであろう。ジョーカーの謎の行動の意味。
そのヒントは本作のモチーフ、そして作者の投稿欄の中に隠れていた。
・筆者の考察
ここから先は筆者による考察であることを留意して欲しいし、『作者の人そこまで考えてないと思うよ』と言えばそれまでである。故に、ここから先は筆者の妄想に過ぎないことを何度も強調させていただく。興味ない人は下までスクロールしてね。
① 人魚姫の最期
『悪役令嬢は今度こそ眠ル』は連載しているものだけでなく、短編として投稿されたものと繋げることで、作者が書きたかったものの輪郭が何となく見えてくるように思う。
この作品は『人魚姫』をモチーフにしていることは作中からも明白である。特に、人魚姫の最期が大きく関与しているとみていいだろう。
人魚姫の最期。人魚姫は2つの選択肢を迫られる。『王子の愛を得られず呪いに蝕まれ泡となって消える』か『王子を刺し殺して人魚として天寿を全うして死ぬ』か。人魚姫にしてみれば苦渋の決断だ。だが、人魚姫は第3の選択肢『王子を殺さず、自己犠牲の精神を以て王子の結婚を祝福して死んだ』。最終的に神の恵みによって、風の精霊になることで物語は終幕する。
だが本作の短編では、結婚相手の姫君を刺し殺したところで話が終わる。以下『悪役令嬢は今度こそ眠ル(短編版)』より引用。
物語の中で人魚姫は王子を殺せば人魚にもどれると短剣を渡された。
だけれど、心優しい彼女はそんなことはできず、自分の死を選ぶ。
そんな悲しい物語の結末だった。
だけれど、私は一つ思いついたのだ。
王子も人魚姫も生き残る方法を。
「純粋無垢な人魚姫から王子を奪った悪役令嬢を倒して、人魚姫は真実の愛を手に入れましたとさ……」(引用終了)
さて、ここで人魚姫の呪いについて話す必要がある。人魚姫が人間の身体を手に入れる際に、『王子の愛を得られなければ海の泡に消える』呪いを受ける。だが、その後『王子の返り血を浴びることで人魚に戻れる』ナイフを手に入れることになる。
……もうお気付きだろう。仮に姫君を刺し殺したところで、人魚に戻れるわけではない。かといって、王子の愛が得られるとも限らない。物語が本来迎えるはずだったハッピーエンドはバッドエンドへと早変わりしてしまったのだ。
そしてこのバッドエンドを継承したまま連載が始まる。婚約は破棄され、人魚姫は王子の愛を手に入れることができるだろう。だが時間は巻き戻る。二巡目の世界では、王子と姫君は結ばれ、人魚姫は誰にも看取られることなく崖から身を投げる。正史と同じような展開。それこそがハッピーエンドになるはずだった。だが、もう一度世界は巻き戻る。
人魚姫の存在が抹消されたまま。
② 三巡目の世界
三巡目の世界において象徴的なのは白紙の本の回だろう。本人が読みたいと思う小説を読んだ気にさせる本を姫君は読めなかった。そこに書き殴ったこれまでの記憶。侍女はこれが夢ではなく現実であると姫君を諫める。このシーンが示唆するもの。
二巡目は夢の中の世界であり、三巡目が現実の世界、あるいは人魚姫という概念が存在しない世界、と考えれば都合がいい。そうなるともう一つの疑問。
一巡目の世界とは一体なんだったのか? 短編と連載。繋げて読むとおかしくなる。だが別々に読めばどうだろうか?
そもそも、人魚姫と思しき存在は各世界において別個体であると考えられる。一巡目は金髪、二巡目は乙女色、三巡目は空色。すべての世界において顔こそ似ているが、髪の色によって明確に区別されている。
さて、ここでキリスト教の話をしよう。キリスト教圏では人間のみに魂が宿るものとし、牛や馬などの家畜、魚や野菜などの食料には魂が宿らないものという考え方が広く根付いている。人魚姫が人間になるという展開も、魂を得るという考察があるほどだ。
この考察に則れば、一巡目の世界では姫君が死ぬ。だが死んだ姫君の魂は輪廻し、二巡目の世界に受け継がれる。ただし、転生したのは元の姫君の魂である。そうすれば、短編と連載を繋げて読むと辻褄が合わない部分も解消されるのだ。
『短編と連載において魂が違う』。作者は暗にそれを伝えている。そしてそれは、異世界転生というジャンルそのものを皮肉っているのだ。三巡目の世界において、最終的にはハッピーエンド然の終わり方をするのは短編とは対照的であることを考えれば、この考察も近しいものがあるのではないだろうか?
③ 打ち捨てられたラブコメ連載
作者は期間中に4つの作品を投稿している。1つは短編で、もう1つは連載だが、5話書かれた時点でエタっている状況だ。PV数も先の作品と比較すれば低いので割愛するが、私はこの作品に作者が何かしらのメッセージを遺しているのではないかと勘繰り、投稿されているすべてを閲覧した。そして確かにメッセージは存在していた。
そのメッセージは、『小説家になろう』への怨嗟。おそらく作者が感じていた『なろう』という空気そのものへの憎しみが詰まった呪いだ。
だが、その呪いは他者に向けたものではない。それは自らを縛る鎖のように思えた。人気要素が入った小説を書かなければ読んですらもらえないという絶望。ネガティブな感想を受け取ったことによる悲愴。そして自らに才能がないことを示される惨苦。『小説家になろう』という底辺でもがき続ける人間ならば一度はそんな辛苦を味わっているはずだ。
そして提示された条件。それはハーレムものという軍門に下れという最後通牒だった。自らが書きたいものではなく、受け入れられるものを書け。たった5話のみの短い作品ではあるが、その意志をひしひしと感じさせる。それは、エタるという本来ならば何の意味もない行為によってその意味を増すことになる。
④ 止まる世界
好きなラノベがあったとしよう。その出会いは様々だ。本屋でたまたま見かけた? 友達が推してきた? 暇つぶしで入った図書館にあった? 出会い方は十人十色である。さて、ライトノベルの世界はシビアなもので、売れなければ続刊は出ない。では続刊が出ない作品の世界はどうなるのだろうか? その答えは分かりきっているじゃないか?
止まる。
作者の気まぐれで動かすことがなければ永遠に止まったままだ。筆者が図書館で出会ったものも同じ憂き目に遭っていた。よりにもよって一番盛り上がるシーンで!
この作者が上手いところは、あえて世界を止めることで表現をしてみせる余韻を与えているということだ。人魚姫は止めることで世界を永遠にそのままにできるという永続性。ラブコメは主人公がその選択を受け入れられなかったことの示唆だ。
⑤ 読者は神様です
もう一つの短編。そこには読者の感想に振り回される作者の像が描かれていた。読者の感想に振り回され、評価ポイントのためにと読者の期待に応え続けた結果、誰もいなくなってしまった。
タイトルはざまぁしろ問題と銘打たれている。しかし、ざまぁする程でもないキャラクターまでもが毒牙にかかっている。そもそもざまぁする動機すら存在していない。それなのにも関わらず、読者はざまぁを求める。『小説家になろう』というサイトそのものが辿る顛末、或いはこのデスゲームそのものに対する自嘲だろうか?
評価ポイントやPVという数字に捕らわれた結果、自分が求めていた世界とは真逆のものが出来上がってしまう。だって私たちは物語の主人公とは違って『チート』など持ち合わせていないのだから……
⑥ 結論
この作者はなろう執筆デスゲームという企画を利用して見事に『小説家になろう』が抱える癌を指摘してみせた。
異世界転生から生み出されるものが必ずしもハッピーエンドにはなり得ないと人魚姫と悪役令嬢の最期から映し出した。好きなものではなく喜ばれるものを書かなければならないという、なろう作家の宿業をラブコメから。そして読者に振り回されズタズタにされた世界の末路をざまぁしろ問題から。
作者はそんな『小説家になろう』というジャンルへの怨嗟を分割してネットの海へと放流した。流れた怨嗟をかき集める物好きがいることを望みながら……
……あくまでも、これは私がすべての作品を読んだ上で考察したものである。
どうかここに書き散らしたものが『作者の人そこまで考えてないと思うよ』と断罪されることを願って。それこそ人魚姫のように泡に消えてしまえばどれほどいいだろうか……
・個人的感想
文章だけでなく、言外に込められたメッセージなどを捉えて読むと面白いと思います。……ほんと考えすぎだってなってくれればいいんすけどね。なんとなくバトロワのラストシーンのビートたけしを思い出しました。
・追記(10月22日)
悪役令嬢もの以外の作品が非公開になり、代わりに謎のデスゲーム短編が置かれていました。それが何を意味するのか、それは作者のみぞ知る……
なろうに関してはメチャクチャ詳しいというわけではないので一部ガバがあるかもしれません。
また、今回紹介した小説はこちらです。
https://ncode.syosetu.com/n0016gn/