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魔法のいろは  作者: ほろほろほろろ
第二幕
9/27

あたしはただ心配なだけだよ!

 ツンデレか? こいつ

 梅雨は過ぎ去ったものの、未だ湿気を多く含む七月の空気。それでも朝早くのこの時間なら、幾分か清々しい気持ちになれる。雲ひとつない澄んだ青空、時折そよぐ風、道端に咲く野花たち。身の回りの全てが、夏の到来を予感させる。

 しかし一人だけ、夏の暑さを通り越して燃え盛っている人がいる。隣を歩く柳瀬詩織がそうだった。


「白峰さんに協力することにしたァ!?」


 急に足を止めたかと思うと、詩織の甲高い叫び声が周囲にこだまする。すぐ隣に歩いていた僕は、思わず顔をしかめて耳を手で塞ぐ。しかし手遅れ.。詩織の声が脳の奥にキンキンと響く。


「うるさいな。急に叫ぶなよ」


「だって、だって……」


 だってもへちまもあるか。こんな往来で急に叫ぶなんて。そのせいでほら、僕の耳は重症だ。

 まあでも、驚くのも当然だ。もし立場が逆なら僕もひっくり返っていたことだろう。何せ昨日まで断固として彼女に協力するまいとしていたのに、今になって手の平をひっくり返したのだから。


「も、もしかして、白峰さんに脅されたとか?」


 だから、詩織がそう訝しむのも無理はない。それに、確かに白峰さんなら脅しを掛けたとしても不思議ではない気がする。

 けれどこれは僕自身で決めたこと。それに、別に白峰さんの活動に協力するわけじゃない。

 声のトーンを少し落とし、詩織の気を落ち着かせようと笑顔を作る。


「まあ落ち着けよ。脅しだなんて、そんな物騒なことあるはずないだろ。これは僕自身で決めたことだし、それに勘違いしないでくれ。別に白峰さんに協力するつもりはないよ。あくまで監視のためだ」


「か、監視……?」


「そう、監視だ」


 わけが分からないと言いたげに首を傾げる詩織に、僕は言葉を続ける。


「白峰さんは日常生活でも魔法を使うことを厭わない。それどころか、むしろ魔法人助けの道具にしようとしている。確かに人助けをすることは立派かもしれないけど、魔法を使うとなれば話は別。いつかきっと、面倒な事態に巻き込まれるかもしれない」


 嘗ての僕のように、苦い過去を背負うことになるかもしれない。


「だから、そうならないように監視することにしたんだ。白峰さんに魔法を使わせないために」


「……そう」


 隣へ視線を向ければ、詩織は元気の無さそうに俯いている。再び歩き出したものの、詩織の歩幅は少し狭い。とぼとぼという擬態語はこういう状態を指すのかと思った。


「『魔法屋』ってのは、白峰さんと二人っきりなの?」


 俯いたまま、詩織は尋ねる。


「多分ね。他に誘ってる人はいないんじゃないか? 魔法を使える人どころか、そもそも知っている人が少ないだろうし」


 そう答えれば、詩織は魂の抜けたような声で「そっかぁ」とだけ答えた。

 詩織のあまりの元気の無さにどうしようかと首を捻る。いつもの快活さからは想像できない項垂れようだ。こんな状態の詩織は滅多に見ない。

 きっと、詩織は僕の身を心配してくれているんだ。昔のこともあるし、魔法絡みで僕がまた傷つくことを恐れているのかもしれない。

 全く、詩織はいつも人の心配ばかり。そこがこいつの良い所なんだけど、やっぱこのままは良くない。ここははっきり言ってやらないと。


「まあ詩織、そう心配するなって」


「え?」


 詩織がひょっこりと顔を上げる。僕は拳を固め、声高らかに宣言する。


「大丈夫。詩織がいなくても、一人でもやっていけるから」


 それは、詩織を安心させてやりたいという気持ちから出た言葉だった。それなのに、どうしてこうなったのだろう。気付けば、僕の左頬に詩織の平手が飛んできていた。


「あいたッ!?」


 パシッと、胸のすく音が響く。はたかれた頬に手を当てながら訳も分からず顔を上げれば、詩織が怒ってるんだか悲しんでるんだか分からない顔をしていた。


「そういうことじゃない! バカ!」


 詩織はずんずんと一人で歩いていく。その後姿を、僕はしばらくの間その場で眺めていた。



 その後、詩織に遅れて学園に着いた僕に対する堂島の第一声はこれだった。


「おい、朝陽。もしかして柳瀬と何かあったか?」


 柄にも無く的確なその推理に思わずたじろぐも、訊けば、


「だってよ、お前と柳瀬が一緒に登校してこなかったのなんて初めてだろ? そりゃ何かあったかと思うさ」


 とのことだった。首を巡らすと教室の隅で友達に囲まれる詩織と一瞬目が合ったが、すぐに顔を逸らされた。うぅん、どうしてそんなに機嫌が悪いんだ? 何かまずいことを言ったかな。

 うんうんと首を捻っていると、堂島が興味深々そうに身を乗り出してきた。


「それで、ほんとの所どうなんだよ。まあどうせ、お前が寝坊したとか、そんなもんだろうけど」


 詩織の機嫌が悪くなったのは僕が白峰さんの『魔法屋』話をしたところからだ。多分、寝坊は関係ないと思う。そもそもゆずのお陰で寝坊はしたことがないから。しかし、前を見れば堂島が自信満々に腕組みをしながらこちらを見つめている。

 白峰さんの話、詩織は一応魔法に関わっているから早めに話したほうが良いと思って話したが、コイツに話すといろいろ面倒そうだ。コイツからグーパンを貰った過去もあるから尚更。保身の為にも、申し訳ないがコイツには話さないでおこう。


「まあ、そんなところだよ」


「あっはっは、やっぱりそうか。朝陽にもそんな一面があるんだな」


 そう決めた僕は、適当にその場の話は流しておくことにした。


 ***


 やがて訪れた放課後。わいわいと会話を続けていたクラスメイトたちも、次々とそれぞれの部活へ向かっていく。


「んじゃ、俺は部活に行くわ。何があったかは知らんが、柳瀬とは仲直りしとけよ」


 そう言い残し、堂島も教室を後にした。

 詩織の機嫌はあれから直ることはなかった。僕のほうから詩織に声を掛けても、ぷいと顔を背けて無視されるばかり。どうしたものかと考えたものの、結局解決の糸口はつかめず、最終的に時間が解決するのを待つのが一番だという結論に行きついた。詩織のことだ、明日にでもなればけろっとしているさ。

 それより、今は詩織のことより白峰さんだ。


『明日の放課後、この広場で待ってる。来てくれたら、わたしたちの拠点に案内するわ』


 昨日の白峰さんの別れ際の言葉。拠点に案内するということは、既にそれなりの準備を済ませているのだろう。あたかも僕が首を縦に振ることを予見していたかのように。今となってはそんなことはどうでもいいことだ。

 さあ、行こうか。

 心の中で呟き、荷物を掴んで教室を後にしようとしたときだった。


「あさひ」


 後ろから呼びかけられた。振り返れば、いまだムスっとした顔が直らない詩織がそこにいた。詩織も鞄に荷物をまとめ、肩に掛けている。

 これまで無視する一方だったのに、どういう風の吹きまわしか。まだ機嫌が直ったわけではなさそうだが、どちらにせよ、いい予感はしない。


「ど、どした……?」


 得も言われぬ恐怖感を感じながら恐る恐る尋ねる。すると、詩織は唇を少し尖らせたまま、気まずそうに目線を横へ逸らした。


「……今から、白峰さんの所に行くの?」


「あ、あぁ、今からな。詩織も部活に行くだろ? 急がなくていいのか?」


 堂島は既に教室を後にしている。時計を見上げれば、部活が始まる時間は間近に迫っていた。しかし、詩織は特に焦る様子もなく、何か言いにくそうに口元をもにゅもにゅとさせている。

 今一考えが読み取れず首を傾げていると、少しして、詩織は顔に強い決意を湛えながらこちらへ振り向いた。


「あたしも行く」


「……えっ?」


 思わず耳を疑った。何だって? 詩織も一緒に行く? 一体何がどうしてそうなった!?

 なんだか嫌な予感がする。詩織と白峰さんが会う? これは絶対良くないことが起こるぞ。

 未来を予見し慄く僕は、声を震わせる。


「どど、どうしたんだよ急に。一緒に行くって、お前も部活があるだろ」


 詩織はバスケ部に所属している。話を聞けば、日曜以外は毎日練習があるとのこと。勿論今日も部活があるはずなのだが……。


「部活は、今日は休むって友達に言ってあるから」


「そ、そう、なのか……」


 詩織は、簡単にそう言ってのけた。

 仮病でも使ったのか。部活を休んでまで僕に付いてくるとは、詩織は一体何を考えているんだ。何が詩織をそう駆り立てるのか。


「それにしても、どうした急に。もしかして、詩織も白峰さんの話に興味があるのか?」


 恐る恐る水を向ければ、詩織は弾かれたように声を上げた。


「まさか! そんなことあるわけないでしょ! あたしはただ心配なだけだよ!」


「心配って、何が……?」


「そ、そりゃあその、あんたと白峰さんが……あぁ、もう! そんなの何でもいいじゃない!」


 ムシャクシャした様子の詩織は、強引に僕の向きを変えて背中を押してきた。何度も躓きそうになりながら、僕はよろよろと歩を進める。


「おい、詩織! 何すんだ! やめろ!」


「もういいから! 早く行くよ!」


 詩織は一向に僕の制止を聞かない。

 一体何を考えているのか。結局詩織の考えが読み取れなかった僕は、半ば諦めの情を抱きながら、背中を押されるままに廊下を歩いていく。



 昇降口を後にした僕らは、夕日の中を並んで歩く。僕らの間に会話はない。緊張感漂う空気の中、お互い何も話を切り出すことなく進んでいく。この空気の感触がなんとももどかしく何度も話を切り出そうとしたが、結局何を話せばいいか分からない。苦し紛れに場を和まそうとゆずの話をすれば、


「え? あぁ、そう」


 と生返事を返された。これが決め手となり、自分から話題を振ることを止めた。

 それにしても、詩織のやつ、一体どうしたんだろう。白峰さんと初めに会ったときから険悪ムードだったし、かと言って今度は一緒について来ると言うし。これが女心というものなのか。男の僕にはよく分からん。

 重たい空気を引き摺りながらいろいろ思案しているうちに、広場へ下りる階段が見えてきた。真っ向から照らしてくる夕日の赤が目に眩しい。


「よし、行きましょう」


 詩織が独り言のようにポツリと呟く。それに頷き、僕が先頭を行く。

 パッと見ではまだ広場には誰もいない。僕は一段一段踏みしめるように階段を下りていく。やがて広場に下りたとき、視界の脇から声が掛けられた。


「あら、桐江君、いらっしゃい。待ってたわ」


 振り向けば、そこにはベンチの上で小さく手を振る白峰さんの姿と、彼女の腕に抱かれたダイキチの姿が目に入った。


 ***


 詩織がどうして僕に付いてくると言ったかは分からない。何かを心配しているようだったが、それが何かも聞き出せなかった。けれど、僕の心配事は的中した。詩織と白峰さんを会わせて良いことがあるはずがないのだ。


「それで? どうして貴女がここにいるのかしら?」


 ベンチに足を組んで座り、挑発的な視線で睨む白峰さん。


「あたしが何処にいたって、あんたには関係ないでしょ。そもそもここは、あんたのものでもないんだから」


 白峰さんと向かい合い、睨み返す詩織。

 嫌な予感は的中した。絶対こうなるって分かってたのに、僕の力では詩織をどうすることも出来なかったのだ。

 しかし、起きてしまったものは仕方がない。僕は広場の隅でダイキチと共に二人の行く末を見守ることにしよう。


「論点をずらさないで頂戴。桐江君は自分の意思でここに来た。それなのに、どうして貴女みたいな付属品が付いてきたのかしら」


「あさひの意思で? そんなの信じられない! どうせ言葉巧みにあさひを丸め込んだんでしょ! あたしは騙されないから! 『魔法屋』だかなんだか知らないけど、そんな意味不明な所にあさひを置いてはおけないわ!」


「ちょっと、二人とも……」


 お前は僕の母親か、と心の内でツッコミを入れる。実際に口を挟めないのは、目の前の面倒事に割り込める自信が無いから。

 ベンチに座り、膝上のダイキチの背を撫でる。この子が傷を負っていた時に比べ、随分毛並みが良くなった。手の平に感じるもふもふが心地良い。

 あぁ、ダイキチを愛でているとこんなにも心が穏かになるのに、どうして目の前の二人はこんなに言い争っているんだろう。


「別に、貴女に信じてほしいだなんて一言も言ってないわ。貴女がどう思おうとわたしたちには関係ない。ていうか、桐江君が自分の足でここに来たのだから、そもそも貴女に口を挟む権利なんてないでしょう?」


「むかッ!」


 詩織が押されている。バスケ部ではバリバリのエースを張り、相手側には手を出す隙もないと専らの評判だが、白峰さん相手には真逆に手も足も出ないようだ。言い返したいのに言い返せない。怒りともどかしさの入り混じった顔で詩織は白峰さんを睨む。僕とダイキチはハラハラしながら見守る。


「それに貴女、いかにも桐江君のために、みたいに言ってるけれど、貴女の言葉は桐江君自身を否定しているのよ? 彼は彼の意思でわたしに協力すると言っているのにそれを邪魔するなんて。少しは人の気持ちを考えたらどうなの?」


「ぐぬぅ」


「全く、幼馴染だか何だか知らないけど、変にいちゃもんつけないでほしいわね。これはわたしたち二人だけの問題よ。『魔法屋』と無関係のあなたの出る幕はないの。分かったら、これ以上わたしたちの活動の邪魔をしないで頂戴。さ、話はこれでお終い。桐江君、行きましょう」


 詩織は何も言い返せず、俯き押し黙る。そんな詩織を尻目に、白峰さんは僕の元へ歩み寄る。


「ちょ、白峰さん!?」


 彼女に腕を掴まれ、強引にベンチから立たされる。力は強く、振り解くことができない。


「待ってくれ! 急に行くって、どこにだよ!」


「もちろん、わたしたちの活動拠点よ。もうここには用はないから。さぁ」


 急かされ、彼女の後をついていく。けれど、何度も心配になって振り返ってしまう。詩織は変わらず俯いたまま。その足元を、同じく残されたダイキチが顔を上げてうろうろしている。

 あぁ、やっぱり詩織をここに連れてくるべきじゃなかった。もし白峰さんと顔を合わせたらどうなるか、簡単に想像できたのに。

 罪悪感を感じつつ、顔を正面へ向ける。しかし、僕らが広場を出ようとしたそのときだった。


「待ってッ!!」


 背後から詩織の声が響く。振り返った先には、顔を上げ、こちらを真っ直ぐに見るめる詩織がいた。

 僕より先に、白峰さんが口を開く。


「何? もうお話は終わったでしょう? 無関係のあなたはさっさと帰りなさい」


「無関係じゃない! あたし、決めたから!」


 詩織は叫ぶ。僕の隣で、白峰さんが動揺したように眉を動かす。


「き、決めたって、何を……」


 それに対する答えを、きっと既に彼女は察していたんだろう。さっきまでと打って変わり、その声に自信が篭っていないから。

 そして僕も、詩織の言葉が容易に想像できた。

 詩織は真っ直ぐこちらを見つめたまま、力強く右脚を踏み出す。


「あたしも! 『魔法屋』ってのに参加する!」


 ***


 先導する白峰さんに僕と詩織が続く。夕日の差す海岸沿いの道。白峰さんは明らかに不機嫌そうだった。重苦しい空気を引き摺る道中は、やたら長く感じた。

 それでも遠くでカラスが鳴く頃、白峰さんはふと足を止めた。彼女の言う『拠点』に着いたのだろうか。


「着いたわ。ここがわたしたちの活動拠点よ」


 振り返る彼女の先には、一軒の建物が。若干の古さを感じさせる木造の二階建て。玄関周りは小さい植物が彩り、壁に取り付けられた小ぶりの窓からはほの暗い内部の様子が窺える。そして一際目を引くのは、玄関の上部に掲げられた大きな文字。そこには『白峰古書店』と書かれていた。

 ……ん? 白峰?


「ここって、まさか」


 僕の言葉を察したように彼女は口元に笑みを浮かべ、玄関口へ手を広げる。


「気付いたみたいね。そう、ここはわたしの家。実はわたしの親、古本屋をやってるの。そしてこれからわたしたち『魔法店』の拠点にもなるわ」


「ええぇぇ!?」


 僕と詩織は揃って驚きの声を上げる。だってそうだろう。拠点というから秘密基地的なものを想像していたのに、着いてみれば自分の家だなんて。しかも白峰さんの家が古本屋だったとは。何気に新情報だ。

 あまりのことに口をあんぐり開けていると、玄関からドアベルの音と共に人影が現れた。その人は、物腰柔らかそうな初老の女性だった。


「なぁに? 店の前で騒がしくし……あら彩葉、お帰りなさい。それと、あなたたちは彩葉のお友達かしら」


 僕たちを認めるなり、彼女、白峰さんのお母さんは目尻にシワを寄せて笑いかけてくる。その表情を見て、あぁ、確かに白峰さんのお母さんだと思った。

 彼女とそっくりな笑顔で白峰さんは口を開く。


「ただいま。えぇ、そうよ。こちらが桐江君で……こちらが柳瀬さん」


「どうも……」


「い、いつも白峰さんにはお世話になっております」


 唐突の紹介に戸惑いつつ会釈すると、白峰さんのお母さんも深く頭を下げてきた。


「あらそうなの。こちらこそ、いつも娘がお世話になっております。立ち話もなんですから、どうぞ上がって下さいな」


「うん、さぁ、上がって頂戴」


「お、お邪魔します……」


 白峰さん二人に促され、僕たちは妙に縮こまりながら白峰さん宅の玄関をくぐる。

 通されたのは古本屋の奥、お店の裏側の居住スペースだった。階段を上り、二階の隅の部屋。ドアの前には『いろは』と書かれた札が下がっていた。つまりここは白峰さんの部屋ということだ。

 あの、学園のマドンナである彼女の部屋。


「さあ、遠慮せずに入って」


 そう促されつつおずおずと足を踏み入れる。すると、そこには意外な光景が広がっていた。

 八畳程度の部屋で、壁には淡いピンクの壁紙と、床には濃淡のついた同じくピンクの絨毯。部屋の中央には丸いテーブルが置かれ、壁際にはベッド、勉強机、背の高い本棚、洋服ダンス、姿見などが置かれている。その中で一際目を引くのは、やはりあのベッドだろうか。壁紙などと同じようにピンクを基調としたベッドには、両手で抱えきれないほどのぬいぐるみが並んでいた。

 この部屋の雰囲気や少女趣味的なぬいぐるみ。学園でのクールな彼女を考えれば、何とミスマッチな空間だろう。僕も思わず目を疑ったほどだ。

 しかし、その中でも一箇所だけ雰囲気が違うところがあった。それは部屋の角に置かれた本棚。古本屋の娘だけあってか、そこには黒やこげ茶色をした背表紙のいかにも古そうな本がずらりと並んでいた。背表紙の文字は、多くは掠れて読めなかった。

 中央のテーブルの周りには座布団が敷かれており、僕らはそこに腰を落ち着けた。丁度三人でテーブルを囲うように。

 テーブルの上には、白峰母が気を遣って持ってきたジュースと菓子が無造作に置かれている。それらに手をつけず、僕と詩織は白峰さんへ目を向ける。彼女は一度頷く。


「集まってもらって早速だけど、本題に入りましょうか。」


 その言葉に続き、僕は右手を挙げる。


「何かしら、桐江君」


「初めに、もう一度聞かせて欲しい。この『魔法屋』の目的を」


 彼女は一度頷くと、喉の調子を整え、居住まいを正す。


「えぇ、分かったわ。わたしの目的、魔法屋が目指すのは一つ。それは、魔法の復興。この世界から忘れ去られようとしている魔法を、もう一度復活させるのよ」


 普通の人が聞いたら笑い出しそうな言葉。しかし、彼女の目を見ればそれが本気だということが分かる。

 彼女の言葉に続き、詩織が口を開く。


「復活させるって、具体的にどうやって? 魔法屋ってことは何かを売るの?」


 一瞬、白峰さんが眉をぴくりとさせる。


「そうね。物を売るというよりかは、お手伝いかしら。魔法を使って困っている人を助けるのよ」


「確認だけど、僕は魔法を使うつもりはない。勿論、白峰さんにも。僕は魔法を使わないで済むならそれに越したことはないと思ってる。それでも、僕がここにいていいのか?」


「そうね、やっぱり魔法使い以外は除名ってことにしましょうか。そうすれば余計な邪魔が入らないだろうし」


「むっ!」


 その瞬間、詩織が白峰さんをきつく睨みつけた。広場での一件もあってか、白峰さんが珍しく詩織に押し負けている。


「あはは……これは冗談。人助けができるなら結果オーライってことでいいわ。それに、あの時の言葉は本気だから」


 あの時の言葉。昨日の放課後のことか。


『いつか絶対、その気にさせてみせるから!』


 随分と大見得を切ったものだ。今思い出せば、少し笑いが込み上げてくるほど。

 表情が崩れるのを堪えつつ、言葉を続ける。


「そう、わかった。ところで、肝心のお客さんはどうやって募集する? 人助けするにも困ってる人を見つけないといけないだろ?」


 すると、白峰さんは待ってましたと言わんばかりににんまりと笑みを浮かべた。


「ふふ、実はもうほとんど準備は出来てるの」


 彼女は立ち上がり、勉強机の方へ。その引き出しを引き、何かを取り出す。それはポスターのような大きな紙で、筒状に丸めてあった。

 元いた位置に戻ると、白峰さんは僕らの前でそれを広げて見せた。


「じゃじゃん、これがわたし力作の集客用ポスターよ」


 自信満々に掲げられたそれを僕と詩織はしげしげと眺める。パソコンで作ったのか、やけにカラフルな配色の上に文字が並んでいる。

 ええと、なになに? 『魔法屋始めました。あなたのお悩みやお困り事を何でも無料で解決します。探し物から害虫退治、果ては濡れた本の復元まで。大小様々なお悩みやお困り事を、魔法であっという間に解決します。興味のおありの方は、是非カウンターまでお越しください』

 ……なんだ? この胡散臭い売り文句は。いや、現代に魔法という単語を出す時点で無理があるんじゃないかとは思っていたが、それでもこれは……。


「こんなんで本当に客は集まるのか?」


 ため息混じりに訊けば、白峰さんは自信満々に頷く。


「当然よ。完璧なポスターじゃない」


 一体どこからそんな自信が湧き出てくるのか。呆れて物も言えない。

 だって、『魔法』で『あっという間に』困り事を解決。しかも『無料』で。この世界のどこにそんな虫のいい話があるのか。こんなのに不信感を抱かないのなんて、小学校低学年くらいなんじゃないか?

 ちらりと詩織へ視線を送れば、詩織も同じように眉を寄せて首を捻っている。どう反応したらいいか困っているようだ。

 そんな僕ら二人の反応に、白峰さんは不満があるようだった。


「な、何よ二人とも。わたしの力作が信じられないって?」


「で、でも、あたしは可愛いと思うよ、その絵とか」


 詩織のフォローが一層白峰さんの自信を傷つけたようだった。

 彼女はすくっと立ち上がり、僕たちを見下ろす。


「そんな気遣いいらないわ。見てなさい。今にこの古本屋はわたしの魔法を求める人で溢れることになるんだから」


 そのセリフは古本屋の娘としてどうなのかと、ふと思ったのは内緒である。


 ***


 結局、白峰さんの詐欺広告、もとい魔法屋宣伝ポスターは、古本屋のスタンド看板に張られることとなった。街の外れだが人通りも少なくなく、人目に触れることも多いだろう。それでどれだけ効果があるか。

 ともあれ、どの道今すぐに人がやって来ることもないので、僕らは早々に白峰宅を後にした。今は帰り道だ。


『柳瀬さんも、暇があったらいつでも来て頂戴。歓迎するわよ』


 白峰さんの帰り際の言葉。初めの絡みから二人の仲は悪そうだったが、あまり心配はなさそうだ。それより、一番の心配の元はゆずだ。

 ゆずは詩織から白峰さんのことを聞いているはずだが、何を脚色されたのかそれとも勘違いからか、ゆずは僕がストーカーに付きまとわれていると思っているようだ。その認識のまま今の状況を知られれば、ゆずから何を言われるか分からない。

 ここは情報漏洩を防ぐため、詩織にはしっかり口を閉じていてもらわなければ。


「詩織、一つ頼みたいんだけど」


「うん、何?」


 今度は詩織の目を見て。


「このことは、ゆずには言わないでくれ」


 すると、詩織は察したようにころころと笑った。


「あはは、そうだね。ゆずちゃん、あさひのことになるとすっごい心配症になるもんね。分かった、ゆずちゃんには言わないどく」


「助かるよ」


 よかった。これでゆずに下手な誤解をされることもないだろう。頼りになる幼馴染だ。

 ほっと安堵の息をつく。さて、今日はもう家に帰るだけ。あとはゆっくり休んで明日からに備えよう。明日からの出来事は、きっと予想がつかないから。

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