いつか絶対、その気にさせてみせるから!
魔法というより、もはや怪奇現象
それから次の日も、そのまた次の日も、白峰さんからのアプローチは変わらなかった。昼休みの度に僕のクラスを訪れては、屋上へ半ば強制連行される。放課後になれば彼女は教室外で僕を待ち伏せ、一緒に帰ろうと誘う。白峰さんと会う度に男子からの視線が恐ろしかったが、断ればそれはそれで悪い未来しか見えなかったので、渋々従っていた。
その一方で、初めは何かと恨み言を言ってきた堂島も、最近は逆に慰めの言葉が増えてきた。
「朝陽、大変かもしれないが、まぁ、頑張れよ」
そう言い残し、今日も堂島は教室を後にする。夕日を背負うその後姿がやけに大きく見えた。
教室内に詩織の姿はない。あいつも部活へ行ってしまった。頼れる仲間は居ない。今日もまた、自分一人で彼女に立ち向かわなければならないのだ。
深呼吸をし、僕は荷物を掴んで教室の外へ。ドアを開いて外へ出れば、斜め前の壁に背中を預けている白峰さんの姿があった。水道水でも持ってきたのか、彼女の手の平の上でくねくねと形を変える一塊の水が浮いていた。
その光景を目の当たりにし、さっと周囲を見回す。見た限り、人影はなかった。
小さく安堵のため息をつく。そんな僕の存在に気付くと、彼女はその水を近くの流しに放り投げ、僕の前に歩み寄る。
「あっ、やっと来た。遅いよ~、女の子を待たせるなんてよくないぞ?」
「白峰さんが勝手に待ってるだけじゃん。僕は待っててと頼んだ覚えも、一緒に帰る約束をした覚えもない」
「もぉ、相変わらずつれないなぁ」
彼女へ目を遣ることもなく廊下を歩いていく。その隣で、白峰さんがつまらなさそうに天井を見上げている。
この状況を他人に見られたらどう思われるだろう。放課後、赤の射す廊下を並んで歩く僕と白峰さん。十中八九、見た人全員が間違った印象を抱きそうな画だ。でもどうか間違えないでほしい。僕はただ付きまとわれているだけなんだ。
このままでは埒が明かない。これからどうしようかと思い、ふと隣へ目を遣れば、白峰さんの指先に小さな明かりが点っていた。彼女が天に向けた指先をくるくると回すと、それに合わせて明かりも回る。
その一瞬、僕は心臓が止まりかけた。
「ちょっ! 白峰さん!」
「えっ、何?」
彼女の手元を覆い隠し、辺りへ視線を巡らす。差し掛かっていた教室のドアと窓はすべて閉まっている。廊下には前方に二人の生徒が見えたが、彼らも僕らと同じ方向を向いていた。
よかった。誰にも見られてない。
安堵の息をつき、彼女から手を離す。白峰さんといえば、まだ状況が飲み込めていないといった顔をしていた。
もはや、怒りを通り越して呆れてくる。
「白峰さん、誰かが見てるかもしれないんだから、こういうところで魔法を使うのは止めてくれ」
すると、彼女は怪訝そうな面持ちで口を開く。
「え? どうして? 別に見られたっていいじゃない」
「よくない。僕らが魔法使いだってバレたらどうするんだよ」
僕はぴしゃりと言いきった。それが気に食わなかったのか、白峰さんは頬を膨らましている。
「別にバレたりなんてしないって。現代で魔法を知ってる人なんて極少数だし。それに、例え見られたとしても、手品ですって言えば納得してもらえるわ。っていうか、そもそもバレたって何も問題ないじゃない」
「そんな単純な話じゃない」
全く、彼女には緊張感も危機感も無さ過ぎるんだ。他人に『魔法』という存在を知られ、僕らがそれを使えることを知られれば一体どうなるか。
「白峰さんは周囲を見なさ過ぎるんだ。さっきのことと言い、今のことと言い。街中でもどもでも平気な顔で魔法を使うじゃないか。それでもし外の人にバレたらどうなるか、考えたことがある?」
僕が喋る間、白峰さんは手を後ろに回し、そっぽを向いてむすっとしている。その態度から察するに、絶対碌に考えてないだろう。
ため息をつきつつ再び口を開こうとする。すると、白峰さんが急に飛び出した。少し走ったところで彼女はくるりと振り返り、不機嫌そうな声を響かせる。
「もう、小言なんて聞きたくない。わたしは先に帰るから。じゃあ、また明日ね」
そして身を翻すと、白峰さんは足早に廊下を歩いていく。やがてその姿は、曲がり角の先へ消えていった。
僕は俯き、手の平を広げる。さっきの明かりの熱がまだ残っている気がした。
白峰さん。君はきっと知らないんだ。自分が他人より多くの力を持っていることを。
魔法は中途半端な力。魔法を使えば、それは確かに便利かもしれない。けれど、だからと言って何でもできるわけじゃない。例え魔法が使えたって、難病が治せる訳でも、自然災害を止められる訳でもない。たった一丁の銃にさえ、魔法の力は敵わないのだ。
だから、白峰さんのやろうとしていることは間違っている。魔法を使って人を幸せにする? そんな出しゃばるようなマネをすれば、いつか自分に跳ね返ってくるよ。自分の力を過信しすぎれば、絶対に痛い目を見る。
そのことを、君は分かっているのかい?
***
僕の懸念していた事態は思いの他すぐにやってきた。
あれから数日後のこと。梅雨も過ぎ、ぬるい暑さが次第に強さを増してきた頃。広場の小犬と戯れた後、帰り道を歩いていた途中のことだった。
「ダイキチ、今日も元気そうでよかったね」
いつの間にか小犬の名前はダイキチになっていた。名付け親の白峰さん曰く「縁起良さそうだし、可愛くない? ダイキチ」だそうだ。可愛いかどうかは微妙だと思ったが、ダイキチ本人が喜んでいたので、まあ良いかと思った。
今日はダイキチと遊びすぎたせいか、既に日は落ちていた。西の水平線に薄い赤を残すのみ。町は夜の闇に染まっていた。
僕らの歩く道を、頼りない街灯が照らしている。見上げれば、何匹もの羽虫がその光の下に集まって飛んでいた。たまに虫が街灯にカチカチとぶつかる音だけが鳴る。静かな夜だった。そして、事件は唐突に起こった。
「ひ、引ったくりいいぃ~!」
前方から耳をつんざく悲鳴が聞こえたかと思うと、一つの影がこちらへ向かって突進してくるのが見えた。全身黒ずくめの男だろうか、影は分岐路のないこの道を真っ直ぐ突き進んでくる。その小脇には小さいバッグを抱えていた。
引ったくり犯。犯罪者だ。
まずい! 何とかしないと! そう焦りを感じた時、しかし白峰さんは既に動いていた。彼女は引ったくりの真正面に移動し、両手の拳を胸の前で構えた。
「あいつが悪者ね。わたしに任せて!」
自信満々に言い、彼女は軽くステップを踏む。その様子に一層焦りを覚えた。まさか肉弾戦に持ち込む気なのか? いやいやまさか。相手は明らかに男。それは白峰さんも分かっているはず。
とは言え白峰さんは魔法使い。いつものように魔法を使うはずだ。きっと突風の一つでも吹かせて、相手が怯んだ隙にノックアウトすることだろう。
そう思って少しばかり安心したものの、僕の予想図は次の瞬間粉々に砕け散った。ぱっと周囲が明るくなったと思ったら、なんと白峰さんの拳が炎を纏っているではないか!
「悪には正義の鉄槌が下るのよ! 覚悟しなさい!」
意気揚々と拳を振る彼女に愕然として声が出ない。まさか本当に格闘で挑むとは。
このままではまずい。白峰さんならあの悪人を捕まえられるかもしれないが、もしかすると彼女に怪我をさせてしまうかもしれない。それは避けなければ。
しかし、どうするか考えていられる時間はない。あいつはもう目前。街灯の弱い明かりに照らされ、その姿が浮かび上がる。
「どけええぇぇッ」
男は叫びながら突進してくる。その時、僕は見逃さなかった。やつの手元が眩しく光ったのを。街灯の明かりを反射したそれは小さく、そして鋭い。引ったくり犯は刃物を持っている!
「白峰さん! 危ない!」
「ちょ、桐江君!?」
叫ぶと同時に僕は飛び出していた。白峰さんの前に立つ。ナイフを持った腕が伸びてくる。
瞬間、世界の時間が減速する。スローモーションの中、男が鬼の形相で僕にナイフを突き立てようとしているのが見えた。
どうすればいい? どうすればこの状況を乗り切れる?
その問いに対し、誰かが答えた気がした。『そんなの、訊かなくても分かってるだろ』って。
無意識に蘇る。全身に感じる、昔の懐かしい感覚が。
「はああぁぁッ!!」
両手を前にかざし、目を閉じて全神経をそれに集中させる。風が唸り、集い、凝縮していく。
その瞬間、手の平に弱い衝撃を感じた。
「桐江君、それ……」
恐る恐る目を開けば、男の姿が目の前にあった。男はナイフを僕に突き刺そうと腕を伸ばしている。しかし、ナイフの切っ先は宙に浮いたまま。僕のかざした手の前で、凝縮した風の中に囚われていた。
「な、なんだッ!? 何が起こってる!?」
押しても引いてもナイフは抜けない。焦る男の顔が赤くなるやら青くなるやら忙しい。男の目には、心霊現象のように映っていることだろう。
これはチャンスだ。
「せいッ」
ナイフを掴んだまま腕を横へ振れば、ナイフは弾かれたように男の手から離れ、軽い音を立てて道端へ。それを取りに走ろうとする男の足を風で絡めとる。
盛大に転んだのを尻目に、僕は後ろを振り返る。
「白峰さん!」
その掛け声に、彼女は力強く頷いた。
「分かった。任せて!」
彼女は男の前へ飛び出した。男は怯えた目で彼女を見上げる。
「な、なんなんだよぉ、お前達はぁ!」
その言葉に、白峰さんはふと天を仰ぐ。
「う~ん、そういえば、こういうときの決め台詞とか、まだ考えてなかったなぁ。後でちゃんと考えないとね、桐江君」
「えぇ?」
なんとこの状況にそぐわない言葉だろう。僕もつい声を上げてしまった。
「まあ、それはいいとして……」
白峰さんは一度手を叩き、仕切りなおす。今の彼女の顔は真剣そのものだった。
「女性から引ったくりだなんて、酷いことをするものね。そんな悪、神様仏様が赦しても、このわたしが赦さないわ!」
白峰さんは男の胸倉を掴むと、どこにそんな力があるのか、なんとそれを左腕だけで持ち上げてしまった。男の足先が空しく宙に浮いている。そして右拳を握れば、再び炎を纏った。
「覚悟しなさい! これが悪を働いた者への正義の鉄槌よ!」
「ひいいぃぃ! 助けてくれえぇ!」
彼女は一度男を上へ放ると、落ちてきたその土手っ腹に炎の拳を捻じ込んだ。男は数メートル飛び、地面にうつ伏せになって倒れた。服は燃えたりはしなかったので、もしかしたらさっきの炎はただの演出だったのかもしれない。
その後、男を追いかけてきた女性にバッグを渡し、また駆けつけた警察に気絶した男の身柄を受け渡した。そして面倒なことに、事件の当事者として僕らも事情聴取されるハメとなった。
解放されたのはそれから一時間後。一応家には連絡を入れておいたが、ゆずは帰りが遅いって怒りそうだ。
警察署を出た僕らは、もう夜も遅いのでそのまま別れて帰ることにした。その際、白い街灯の下で、白峰さんがもじもじとしながら呟くように言った。
「その、さっきはありがとう。桐江君がいなかったら、わたし、どうなってたか」
別に大したことはしてない。目の前で血を出されたら後で寝覚めが悪くなるから。
そのような言葉を返し、その日は僕らは別れた。
帰り道。ついさっきのことを思い出しながら、ぼんやりと考える。
白峰さんは言っていた。魔法を広め、魔法で人を幸せにするのだと。僕はてっきり、迷子を助けたり、老人の荷物を持ったり、そんな小さいことをするものだと思っていた。けれど、今回のことで考えを改めないといけない。白峰さんは本気だ。彼女は相手が犯罪者でも、正体の分からない相手でも勇敢に立ち向かうはずだ。その時、今日みたいに魔法を躊躇うことなく使うだろう。そんなことを続けていればどうなるか。白峰さんが気険な目に遭うか、それとも相手に致命傷を負わせるかのどちらかだ。どちらも、あってはならない。
白峰さんを、一人にはしておけない。
ふと、僕は立ち止まる。一本の街灯に照らされながら、胸の前で手を開く。その中には小さな灯火。忘れかけていた、忘れようとしていた記憶の残滓。それを、固く握り締める。
「もう一度だけ……」
小さく呟き、僕は止めていた足を前へ進めた。
***
翌日の放課後、夕日の差す海辺の広場。一つのベンチに、僕と白峰さんが並んで座る。こうして放課後を共にするのが日常になってきている気がする。白峰さんと初めて話したあの日から、そんなに日数は経っていないはずなのに。
「昨日は、本当にありがとね」
昨日と同じ言葉を、彼女は波の音に忍ばせる。隣へ目を遣れば、白峰さんは膝の上のダイキチをゆったりとした手つきで撫でている。
顔はこちらへ向けず、しかし少し声を弾ませる。
「それにしても驚いたな。まさかあの桐江君が魔法を使うなんて」
「あれっきりだよ。もう使わない。そもそも、あれは緊急事態だったから」
あのまま魔法を使わなかったら、僕か白峰さんのどちらかはタダでは済まなかったはず。それを分かっているのか、しゅんとした声で「そうだね。ごめんなさい」と呟いた。
思わずため息をつく。なんだか調子が狂う。普段ならもっとこう、畳み掛けてくるのに。白峰さんがそんなんだと、僕からも言い出しにくいじゃないか。
それ以降彼女は一切口を噤んでしまったので、いよいよ切り出す切欠がなくなってしまった。それだけ昨日の無謀さを重く受け止めてくれているんだろうけど、いつまでもそんな状態ではこっちが困る。
仕方なく、大きく息を吸って立ち上がる。振り返れば、白峰さんがこちらを見上げていた。
ここが覚悟の決め時か。
「昨日はたまたま運がよかっただけ。僕たちはただの高校生だ。ヘタに事件に首を突っ込むべきじゃない。じゃないと、いつか痛い目に遭うよ」
「……そうね」
彼女は顔に後悔の色を滲ませ、目を伏せる。僕は頭を掻きながら言葉を選ぶ。
「とは言っても、白峰さん、君は止めるつもりはないんだよね? 例え一人でも、相手が何であっても、困っている人がいたら助けようとする。そうだろ?」
「うん、きっと……困ってる人は見過ごせないから」
彼女は小さく頷いた。その答えを聞いて、僕は再び心を決める。
「分かった。乗るよ」
「……えっ」
「白峰さんが言ってた『魔法屋』の話、乗るよ」
「えええぇぇぇ!?」
彼女は目を丸くして声を上げた。それにびっくりしたのか、ダイキチが彼女の膝から飛び降り、僕らから離れた所でこちらを見守っている。
白峰さんは混乱したように「えっ? えっ?」と繰り返しながらよろよろと立ち上がった。
「ど、どうして急に? これまで何を言っても協力してくれなかったのに。どうして……?」
「勘違いするな。僕は別に君に協力するわけじゃない。あくまで『監視』のためだ」
「か、監視?」
小首を傾げる彼女に、僕は頷く。
「そう。これから、昨日みたいなことが起こらないとも限らない。事件に首を突っ込むだけで危険なのに、魔法を使うとなれば尚更。だから、僕が白峰さんを監視する。君が魔法を使わないように。君が自ら事件に関わらないように。
……それでもいいなら、白峰さんの話に――」
次の瞬間、言葉の終わりを待つことなく白峰さんが真っ向から抱きついてきた。耳元で、彼女の弾んだ声が響く。
「あぁ、嬉しい! ほんとにほんとなんだね!? ウソじゃないよね!? はぁ、夢みたい!」
前にも抱きつかれたことはあったが、あの時は腕だった。それが今は全身! 女子の感触と髪のいい香りがこんな間近に! ど、どうにかして離れなければ!
「なんでそんなに喜んでるんだよ! 別に活動に協力するわけじゃないんだぞ! 僕は魔法を使わないし、君にも魔法は使わせない! 分かってるのか!? てか放せ!」
何とか抜けだそうと体を捩ると、ますます白峰さんの感触を感じてしまう。このままでは、男としてどうかしてしまう。
しかし、一人の男の危機を知ってか知らずか、白峰さんは変わらず嬉々とした声を上げる。
「うん、分かってる。それでもいいの! いつか絶対、その気にさせてみせるから!」
「あぁ、全く分かんねぇ。いいから放せ! この! この!」
白峰彩葉。この人のことは今になっても分からない。唐突に現れ、僕の日常を掻き乱していった魔法使い。何の目的があるのか。どんな思惑を持っているのか。それらは全く分からないけれど、広場に響く彼女の声を聞く限り、きっと悪い人じゃないんだろうと思う。
彼女は言った。僕に興味があると。今の僕もきっと同じ。魔法を使う彼女に、きっと興味を感じている。だから少しだけの間、彼女のわがままに付き合ってみようと思う。そんなのも悪くはないだろう。
でも……
「た、頼むから、いい加減放してくれッ!」
急に抱きついてきたりするのは勘弁してほしい。僕の身が持たなくなるから。
そんなことはお構い無しに白峰さんは僕から離れない。彼女の肩越しに、ダイキチの姿が見える。彼女の香りと感触にあてられ朦朧とする意識の中、ダイキチが大きくあくびをするのが見えた。